危険な二つ名 その7
男の人はジェシーと名乗った。ジェシーさんを加えた僕たち七人が今回、十王グモ討伐のメンバーだ。
僕たちは町の門を抜けて、十王グモの巣食う森へと向かった。
すでにギルドが調べた前情報によると、十王グモは森の奥に巣を作り、たくさんの卵を産んでいるという。もし卵がかえったら、森が荒らされてしまう。
作戦はこうだ。
まず親グモを遠ざける。それからがら空きになった卵と巣を破壊する。
可能であれば、十王グモを退治する。
「本当、完璧な作戦よね」
エセルが皮肉っぽい顔でぼやく。僕としてもわかりやすいけれど、穴だらけとしか思えない。
「弱点ってないんですか?」僕は聞いた。
「火に弱いんですけど、この森の中では……」
ポーラさんが残念そうに言った。
本体はもちろん、お尻から出す糸もねばねばしてちぎれにくい反面、火で炙るとすぐに溶けるそうだ。でも、こんな森の中で火を使えば火事になって燃え広がってしまう。
「なら火で十王グモを倒して、その後で僕が消す、というのはどうでしょう」
虹の杖から『水流』で水を出してみせる。
「それはその……やめてくださいね、危険ですから」
ポーラさんが慌てた様子で言った。
「十王グモは周囲にまたがって糸を伸ばし、巣を作っています。巣に火が付いたら、あっという間に周囲の木に燃え移りますよ」
なるほど。
森の中は数歩も入ると、折り重なった葉に隠れて、あっという間に日の光が届かなくなってしまう。草むらを分け入るにつれて、しめった草の匂いがだんだんと濃くなっていくようだ。枯れ葉を踏みしめる音がクッキーのように、さくさくと音を立てるのが聞いていて心地いい。昔、母さんに作ってもらったハチミツ入りのクッキーの味を思い出した。
「十王グモはどこかなあ」
森の奥は薄暗い上に、太い幹に視界をさえぎられて見えない。さっきから『失せ物探し』も使っているのだけれど、反応はない。魔法使いのディックさんによると、十王グモは常に体の周りに特別な魔力を発している。そのせいで、探知系の魔法に引っかかりにくいのだそうだ。ほかの魔物の出てくる気配がないのがせめてもの救いだ。
先頭は戦士のジョンさんとポーラさん、それから僕とエセルを挟んでしんがりにジェシーさんとウィリスさんでひとかたまりになって歩いている。
みんな緊張した面持ちで周囲に目を配っている。いかにも冒険に向かうパーティーって感じで、なんだかわくわくする。
「ちょっと、へらへらしないでよ」
隣のエセルに脇を小突かれる。
「本当にのんきよね、君って」
「僕だって真剣だよ」
「そんな猫まで連れて?」
エセルが僕の足下にいるスノウを見下ろす。小さな足をトコトコ動かして置いて行かれまいと懸命に歩く姿がいじらしい。だっこしてあげたいけれど、いざという時に手がふさがっていると、失敗の元なので歩いてもらっている。
「スノウは頼りになるよ」
実際、僕は何度も助けてもらっている。スノウが『猫妖精』で、ものすごい魔法もたくさん使えると知ったらみんなびっくりするだろう。でも魔法なんか使わなくったって問題ない。かわいいし、かしこいし、僕の癒やしになっている。
「どうだかねえ」
「すぐにわかるよ、君にもね」
「あのさ」エセルは僕の顔をのぞき込みながら言った。
「もしかして、怒っている?」
「どうして?」
「ほら、その……『白猫』のこと」
スノウを見下ろしながら申し訳なさそうな目をする。
「冗談のつもりだったの。君が意味を知らないって思わなかったから、その」
「全然気にしてないよ」
実際、僕は腹も立てていないし、やせ我慢しているわけでもない。『白猫』っていいじゃないか。
「優しいんだ」
「僕はおおらかなつもりだよ。スノウをいじめる奴以外にはね」
「くっちゃべっているヒマはないぞ」
ジェシーさんが後ろから冷やかすように言う。
「ほら見ろ」と後ろから指さした先を見ると、木の根元に白く丸いかたまりが転がっているのが見えた。近づいてみると、隣のエセルが息をのんだ。一抱えほどもある、大きなイモムシの頭だった。胴から下はなかった。
「ホワイトクロウラーの死体ですね」
ポーラさんが槍の穂先で頭だけになった魔物のなきがらをつつく。白い頭に黒くつぶらな瞳、ぶよぶよした首から下は何かに食われたような痕があった。
「十王グモ、ですかね」
「多分な」
僕の疑問をジェシーさんが拾う。
「『役立たず』もこうなっては、本物の役立たずだな」
「なんです、それ?」
「ホワイトクロウラーは、ギルドでも買い取れない魔物なんですよ」
ポーラさんの説明によると、似ても焼いても食べられない。皮も使えない。毒にも薬にもならない。かむ力は強いけれど、主食は木の幹や皮で、人間に危害を加えることはない。動きは遅いし、力も弱いから素人でも簡単に倒せる。放っておけば、ゴブリンやコボルト、三ツ目オオカミのようなほかの魔物のエサになってしまうからいたずらに増えることもない。
ないないずくしで、持ち込まれてもギルドでは買い取りを拒否している。だから付いたあだ名が、『役立たず』。逆に『白イモムシ』といえば、役立たずのことを差すという。
「なんだか、かわいそうだね」
「リオって、つくづくのんきかなあ」
エセルは呆れ果てたって感じでため息をつく。
「今、この森にはゴブリンもコボルトもいないんだよ。だとしたら、こいつを食べたのが何かくらい察しが付くかな」
確かに。ここに来るまでもう結構歩いた。多分お日様ももう頭の上に来ている頃だ。なのに、今までゴブリン一匹とも出会わなかった。だとしたら可能性は限られる。
「十王グモ、か」
僕が名前を出すと、みんなの顔が険しく引き締まる気配がした。
「おい、見ろ」
ジョンさんの声にみんな同時に振り返る。森の奥に、木々の間を白い糸のようなものが通っているのが見えた。
そこは小高い丘になっていた。目の前には僕の背丈ほどの小さなガケが壁のようにそびえている。その上には苔むす岩の間を縫うようにして悪魔のような巨木が巨大な幹と、むき出しの根っこを魔女の指のように大地に沿って伸ばしていた。
その巨木の枝の分かれ目を中心にして、周囲の木々に傘でも覆い被せたように、白い布のようなかたまりが広がっていた。
十王グモの巣だ。
「さて、親はどこだ?」
「あれ、じゃないかな」
エセルが指し示した先、巣の一番上の辺りにうずくまるようにして十本足の巨大なクモが逆さ向きになっていた。クイのように鋭くとがった足先は赤く、胴体は黒と黄色のまだら模様、頭には二本の角のような触角、そして顔には円を描くようにして十個の黒い目玉がらんらんと光っている。
十王グモはわずかに上下するばかりでおそいかかってくる気配はない。
「寝ているのかな、それとも気づいてないのかな?」
「どちらにしろ好都合だ」
ジェシーさんが僕の疑問に答えながら弓に弦を張り、背中の筒から矢を取り出し、弓を構える。磨き込まれた鋭い矢じりがぴかりと光る。ジェシーさんは腕を引き、限界いっぱいまで弦を引く。きりきりと弓のしなる音が後ろにいる僕の耳を打った。
森のよどんだ空気を裂いて矢が飛ぶ。飛鳥のような軽やかさでまっしぐらに飛んでいく。矢羽根を回転させながら放たれた矢は、十王グモの額にあやまたず直撃した。
肉を貫く音に続いて、矢の震える音が聞こえた。
十王グモはぴくぴくと二度小刻みに震えるとだらりと足を垂らし、そのまま動かなくなった。矢の刺さった傷からわずかに、オレンジ色の血を流し、自分の作った糸に吊られてぷらぷらと揺れている。
「これで終わり? なんかあっけないかな」
「あれでもか?」
ジェシーさんが指さした方角をエセルは追いかけるように振り返る。げ、とかわいくない声がかわいい唇から漏れ出る。
見上げると、丘の上に広がる木々の至る所に白い糸が絡みつき、十本足のクモがもぞもぞと動き始めていた。
「あれ、何匹いるの?」
「見えるところにいるのは、四匹ってところだな」
返事をしながらジェシーさんがまた矢をつがえる。
「まだ卵がかえってなければ、な」
言い終えると同時に矢を放った。先程と同様、一直線に十王グモの顔めがけて飛んでいく。けれど十王グモに気づかれていたらしく、巨体に似合わない動きで木の上へと避難していく。かろうじて左の前足の先っぽに刺さったものの、気にした風もなく、木の上にある白い巣の上へと身を隠した。
ジェシーさんはくやしそうに舌打ちする。
「気をつけてください」
ポーラさんが槍を胸元に引き寄せると張りつめた声で言った。
「今ので気づかれました」
がさがさがさがさ。
森の奥から大きなものがうごめきながら近づいてくる気配がする。木の上をつたいながら、石や草を蹴散らしながら、木々の隙間をかき分けながら。たくさんの足音と、殺意に満ちた無数の視線ともに僕たちに迫って来る。
みんなの顔に緊張と恐怖が走った。自然と身を寄せ合うように固まりながら武器を構える。
音が一つ消えた。僕は反射的に顔を上げた。土煙を上げて、巨大なクモが宙を舞って僕たちの頭上に覆い被さるように落ちてくるのが見えた。
逃げるひまはなかった。
僕は虹の杖を掲げた。
「『大盾』!」
赤い透明な結界が僕たちを包む。一瞬遅れて、重たいものがぶつかる衝撃が結界を揺らした。がちがちとナイフを打ち合わせたような音が上がる。十王グモの足先が、結界の向こう側で不規則に動いていた。
「魔法……いや、マジックアイテムか?」
ジェシーさんがびっくりした様子で虹の杖を見る。
「ええ、まあ」
「そんなものまで持っているとは、やはりただの冒険者じゃなさそうだな」
「そんな御大層なものじゃありません。ただのもらいものですよ」
ウソはついていない。虹の杖の元になった神霊樹の杖は、村長さんからもらったものだ。
「それに、よそ見していると危ないですよ」
事実、十王グモは次々と僕たちに集まってきている。
がんがんがん、と何度も足先を『大盾』の表面に突き立てる。
残念でした。
その程度じゃあ『大盾』は破れないよ。結界の向こう側で十王グモの十個の瞳が、怒りとくやしさに輝く。
ひっ、とエセルがおびえた声を上げて僕の腕にしがみついてきた。
ごめん、ちょっと離れてくれるとありがたいかな。
その、柔らかい感触とか、甘い汗の匂いとか……集中力がね。
僕が声を出そうとした時、『大盾』にへばりついていた十王グモがぐらりとバランスを崩した。後ろから別の十王グモがのし掛かってきたのだ。続けて反対側から十王グモが飛びかかってきた。もぞもぞと結界の表面を動き回り、破れないと悟ったか急に後ろを向いて離れた。
逃げるのかと思った途端、目の前が真っ白に染め上がる。『大盾』に糸を吹きかけたのか。
「まずいんじゃない、これ」
エセルが冷や汗を垂らしながら言った。『大盾』を張っている間はこちらからも攻撃はできない。それに結界だっていつまでもつことか。試したことがないからどのくらい耐えられるか、僕にもわからない。それに視界を防がれれば次の対策は打ちづらい。でも。
「そうでもなさそうだよ」
反対側を見れば、白い糸に絡まった二匹の十王グモが足や胴体を白い糸に絡まれて、あおむけになってもがいていた。
「ざまあないな。てめえらの糸に絡め取られたか」
ジェシーさんのおちょくるような口調に場の空気が明るくなる。ともかく、こいつはチャンスだ。
「いいですか。今から『大盾』を思い切り広げてあいつらを吹き飛ばします。そのすきに『大盾』を解除しますから。そこから反撃しましょう」
作戦ならここから逃げながら親グモをおびき寄せるつもりだったけれど、ここまで近づかれたら戦うしかない。
みんながほぼ同時にうなずく。
「いきますよ。一、二の三!」
僕は『大盾』の形を思い切り広げる。ぐぐぐ、と押されて十王グモが結界の表面を坂道のように転がっていく。
「今です!」
十王グモが仰向けに転がると同時に僕は『大盾』を解いた。同時に飛び出したみんなが武器を手に向かっていく。
魔法使いのディックさんが呪文を唱えると、地面から無数の石つぶてが浮き上がる。ふっと、僕の背丈くらいの出浮き上がったとたん、向きを変えて、雨あられと十王グモに降り注ぐ。一つ一つは大したことなくても、何個も叩き付けられて胴体や足がいびつにへこむ。
そこへ背後に回り込んでいたジョンさんが斬りかかる。足を切り落とし、その腹に剣を突き立てた。オレンジ色の液体をまき散らしながら手足をばたばたともがくものの、やがて動かなくなった。まずは一匹。
別の十王グモには、ジェシーさんの弓矢が矢継ぎ早に射かけられる。仲間の糸に絡まってもがいていた胴体に三本の矢が突き刺さる。ますます苦しそうに足を動かし続ける二匹目の十王グモの上に、黒い影が差した。
「はあああっ!」
気合いと共に飛び上がったポーラさんは槍を下向きに構えると、真っ逆さまに十王グモへと飛び込んでいく。体重の乗った鋭い一撃が、糸ごとその顔面を貫いた。びくびくっと、二回けいれんするとだらりと足を力なく垂らした。これで二匹。
もちろん、僕だってのんびり見ていたわけじゃない。
スノウをエセルに預けると、ジェシーさんの矢のように残りの十王グモめがけて走る。身を低くして走りながら剣を抜き、一気に十王グモの側を駆け抜けた。
十個の目が付いた首がぽろりと落ちた。
「残りはどこだ」
ジェシーさんが足を傷つけた、もう一匹が残っている。僕は首を左右に振って気配を探る。
「にゃにゃ!」
スノウの鳴き声が聞こえた。僕はイヤな予感がして反射的にその場を飛び退いた。
入れ違いに頭上から十王グモが飛び降りてきた。左の一番前の足には矢が刺さっている。十個の目で僕をにらみつけると上体を起き上がらせ、押しつぶすように迫ってくる。
僕は虹の杖を構える。杖から黄色い光がほとばしると同時に十王グモの背中が大きくのけぞる。そのすきに『麻痺』で動けなくしてから剣でとどめを刺した。
どすん、とオレンジ色の血を流して倒れる。その背中には、二本の短剣が刺さっている
顔を上げると、エセルが得意げに小さなナイフを手の中で操っているのが見えた。
「どうかな? 私もやるもんでしょう」
「ありがとう、助かったよ」
「にゃあ」
スノウが僕の足にすり寄る。
「もちろん、君もね。ありがとう、スノウ」
抱きかかえて頭を撫でてあげると気持ちよさそうに喉を鳴らす。
やっぱり、スノウはかしこいし、かわいいし、僕の守り神だ。
役立たずの疫病神だなんて丸っきりのウソっぱちだね。
次回は10月27日の午前0時頃に更新の予定です。




