危険な二つ名 その2
ここで待っててね、と言い置いて僕はカウンターに向かう。カウンターの奥には先日もお世話になった職員さんがいた。
名前は確か、ポーラさんだったかな。
ちょうど前の人が空いたのでポーラさんの前に立つ。
「依頼完了しました。これです」
カウンターの上に割符を差し出すと、ポーラさんは僕の顔を見ながら「お疲れ様でした」といたわるように言った。
まったく、ポーラさんの忠告を聞かなかったばかりにとんだ目に遭ってしまった。でも、依頼を受けなければニコラとも仲良くなれなかった。痛しかゆしというところだ。
ポーラさんは一度カウンターの奥のついたての中に消えると、しばらくしてから銀貨を乗せたトレイを持ってきた。
「はい、報酬です。ご確認を」
僕は銀貨を受け取り、領収書にサインする。
「今度はもう少し、ちゃんとした仕事を受けた方がいいですよ」
「あれだってちゃんとしていましたよ」
ボーラさんの言うとおり、汚れ仕事だったかもしれないけれど、あれだって人の役に立つ仕事だった、はずだ。冒険者ギルドといえば、仕事の仲介だ。なのに仕事を紹介する人がそんな風に言うのは、軽はずみではないだろうか。難しい言葉で不見識というやつだ。
むっとしたけれど、気を取り直してカウンターから離れて、壁に貼られた依頼を見る。僕が受けられるのは、無印か二つ星までだ。コボルトの群れ退治や薬草採取、鉱石採取など、森の仕事が増えている。ほかにも公衆浴場のお風呂掃除に、解体の手伝い、書庫整理の手伝い等々。
「雑用ばっかり」
僕の背中からエセルがつまらなそうに言う。どうでもいいけど、この町の女の子は背中から話しかける風習でもあるのだろうか。
「そうかな?」
よく見ればなかなか面白そうなものがあるじゃないか。
「大きなお風呂掃除ってやってみたいなあ」
旅の途中で公衆浴場に何度か入ったことがある。あんな大きなお風呂をどうやって掃除するのか見てみたい。
「本気で?」
「あとは書庫整理も気になるなあ」
中には面白い本もあるかも知れない。
「そっちの魔物退治とかは? 一番報酬もいいみたいだけど」
「僕は、荒事って好きじゃないんだ」
周りを見れば腕自慢の人ばかりのようだし、僕がやらなくても大丈夫だろう。
「おっと、こうしちゃいられないや」
おいしい依頼というのは早い者勝ちだからね。
ちょっとよれよれになった依頼書を掲示板から引っぺがして、カウンターのポーラさんのところへ持って行った。
「これ、無印の依頼よ。それでもいいの?」
ポーラさんは疑わしそうな顔をした。僕が間違えて持ってきたとでも思っているのかな。
「二つ星のあなたには物足りない仕事ばかりと思うけれど」
「構いません」
お金が欲しいわけではなく、面白そうとか、やりがいとか、世の中の役に立つとかだ。
「言っておくけれど、かわいい女の子もいませんよ。依頼人はおじさんばかりだし」
「……構いません」
それじゃあ、僕が女の子目当てで依頼を受けているみたいじゃないか。失敬だなあ。
「では、今手続きを……」とポーラさんが背を向けた途端、扉が開く音がした。
振り返ると、大勢の冒険者らしき人たちが入ってきた。汚れた皮鎧に獣の毛皮をマント代わりにしている人や、へこんだ鉄かぶとをきゅうくつそうにかぶっている人もいる。大柄でこわもての怖そうな人ばかりだ。山道で出会っていれば、山賊と間違っていたかもしれない。
「おやあ」先頭を歩いていた太っちょの人がわざとらしい声を上げて近づいてきた。
「誰だ、てめえ。見ない顔だな」
あごに手を当てて鼻をひくつかせる姿はまるで、野良牛のようだ。
「僕はリオ、旅の者です」
「へえ、新人か?」
「まあ、そうですね」
冒険者ギルドに入って二ヶ月かそこらなのだから新人で間違いないだろう。
「いいこと教えてやるよ、新人」
野良牛さんはにやりと笑った。
「よしなさい、ビルさん」ポーラさんが眉をつり上げる。
「ギルドの中でも争いは御法度です。また出入り禁止になりたいんですか」
「黙ってろよ。お嬢ちゃん。てめえはそこらの青二才のへなちょこに色目でも使っていればいいんだ」
野良牛さんことビルが聞くにたえない言葉でポーラさんをののしる。ひどい奴だなあ。
「なあ、兄ちゃん。金貸してくれねえか」
「はあ」
「ちょっと飲み過ぎちまってなあ。頼むよ。この依頼が終わったら返すからよ」
と、手に持っている依頼書をひらひらさせる。
「お断りします」僕は言った。
「金貸し以外がお金を貸すのはこの町では禁止されていますから」
ビルは一瞬目をぱちくりさせた後、がはは、と豪快な笑い声を上げた。後ろの人たちも続けて笑い出す。
「もしかして、お前。あれか。最近、この辺りでうずくまっていたガキの依頼を受けたって冒険者か?」
「もしかして、ニコラのことですか」
ニコラのことは冒険者の間でも有名のようだ。
「でしたら、そうです。お金の貸し借りは仲違いの元ですよ」
「そうかいそうかい」
ビルは何度もうなずく。わかってくれたのかな。
「じゃあさ、くれよ。金。貸さなきゃいいだろ」
「いいですよ」
わかってくれて何よりだ。
お金入れから銀貨と銅貨を手のひらに取り出すと、そのままビルに手渡す。
「少ないですが、これで」
金貨は徳政令の時に全部使う予定なので勘弁してもらおう。
「ほう、わかっているじゃねえか」
「僕は村でも物わかりいいことで有名なんですよ」
ビルたちはまた声をそろえて笑った。
「いいぜ、お前。長生きするぜ」
長生きってどれくらいだろう。百年くらいかな。
ビルはひとしきり笑うと、手近なイスにどっかと座り、偉そうに足を組んだ。
「じゃあよ、次は靴みがいてくれねえか」
そう言いながら足首でブーツを振る。手入れなどしていないのか、泥がこびりついて、傷もひどい。足の裏なんか土が詰まってこれじゃあ歩きにくいだろう。
「ほら、早くやれよ」
ビルの仲間たちがどんと、背中をつついてきた。
「わかりました」
やれやれ、こいつは掃除が大変だ。
「動かないでくださいね」
虹の杖を床に置いて、僕はカバンから乾いた布を取り出すと泥や汚れを払い落とす。靴底の汚れは滑り止めに沿って小さな棒で削り取る。それから手入れ用の油を塗った布で丁寧に磨き上げる。手入れ用の油は僕の皇帝牛のブーツのものだけれど、ビルのブーツも牛の革で出来ているようなので問題ないだろう。
僕が一生懸命に手入れをしている間、何が面白いのか、みんな笑ってばかりだ。押さないでよ、手が滑っちゃうじゃないか。
顔を上げると、ポーラさんはなんだか哀れっぽい目をしているし、エセルはなんとなく怒ったような馬鹿にしたような顔をしている。
ほったらかしにしてすねているのかな。後で謝らないといけないね。
「終わりましたよ」
最後に乾いた布で拭いてあげると、汚れていたブーツはすっかりぴかぴかになった。さすがに新品同様とまではいかないけれど、傷も油のおかげで目立たないし、これなら長持ちするだろう。
「ほう。やるじゃねえか」
「どうも」
「なら、次は俺のを頼むわ」
ビルの隣に座っていた男が、ブーツを僕の顔の前に差し出す。ビルのに負けず劣らず汚い。こいつは掃除が大変だぞ、と心の中で腕まくりをしたところで、窓から小さな白い子猫が飛び込んできた。スノウだ。
「にゃあ」
スノウは甘えた声で僕の足に顔をすり寄せる。
「やあ、スノウ。どうしたんだい。もしかして、待ちきれなかったのかな」
スノウの頭や首を指先で撫でてあげる。スノウは気持ちよさそうに喉を鳴らす。
がたっ、と目の前で立ち上がる気配がした。顔を上げると、ビルがびっくりした顔をしている。
「白猫……?」
「なんで、白猫がここに……?」
ビルだけじゃない。ビルの仲間や、ビルたちより先に冒険者ギルドにいた人たちまで眉をひそめたり、嫌悪感をあらわにしている。みんな大きな図体して猫が怖いのかな。でもポーラさんもスノウを見て「いけない」って顔をしている。そういえば、エセルも猫嫌いがどうとか言っていたな。
「くそ、どっかいきやがれ!」
僕にブーツを向けた男が、スノウに向かって足を振り上げる。僕はとっさに持っていた虹の杖でその薄汚いブーツごと膝の裏から払い上げる。スノウに襲いかかった悪魔の足は間一髪、スノウの頭上を通り過ぎる。悪魔の足を持つ男はそのままバランスを崩してしりもちをついた。どんと鈍い音と衝撃が僕の靴の底に届いた。
「何しやがる!」
悪魔の足を持つ男が、素早く立ち上がると僕に食ってかかる。
「間違えたんですよ」僕はぽん、と腰の剣を叩いた。「本当ならこいつでそのクセの悪い脚を膝の下からちょん切ってやるつもりだったのに、とっさのことだったんで、つい杖の方でやってしまったんです」
悪魔の足を持つ男が、ぎょっとした顔で後ずさる。
「お前、頭おかしいんじゃねえのか?」
「どうかしているのはあなた方の方です」
僕はスノウをぎゅっと抱き寄せる。
「こんなに小さくてかわいくていじらしい子を蹴り飛ばそうだなんて、気がちがっているとしか思えない。スノウが何をしたと言うんですか!」
「お前逆らう気か」
「逆らうだの、逆らわないだの。そんな問題じゃあない」
僕はオトナだからね。多少の無礼は大目に見てあげるよ。靴を磨いてやるくらいどうということはない。でもスノウは別だ。
「スノウは僕の大切な友達だ。友達をいじめる奴を僕は絶対に許さない」
「おもしれえ」ビルが太い指をぽきぽきと鳴らす。
僕は全然面白くないよ。
「やめなさい、ビル」ポーラさんがカウンターの中から目をつり上げて叫ぶ。
「ギルドの中でのケンカやもめ事は禁止だと何度も言ったはずです。今度やれば、ギルド追放だと言いましたよね。これは脅しではありませんよ。ギルド長直々のお達しです」
ビルが舌打ちしながら振り上げた拳を止める。こんなでかぶつでもギルド追放は怖いようだ。
僕もビルの喉元に突きつけた虹の杖を下げる。
「行こうか、スノウ」
ここはどうやら物語で見た伏魔殿のようだ。こんな悪魔どものいるおぞましい場所にスノウを置いておきたくない。
「すみません、さっきの依頼はなかったことにしてください」
ポーラさんに謝罪してから僕は出口へと向かう。もしスノウにおそいかかってきたらぶちのめしてやるつもりだったけれど、誰も僕を呼び止めようとはしなかった。
もう少しで出口、というところで扉が開いた。入ってきたのは、赤い鎧に赤い兜、赤い剣に赤い盾そして赤いマントに身を包んだ七人組だった。
「……『赤い外套』」
誰かがつぶやいた。
次回は10/10(火)午前0時頃に更新の予定です。




