まわりまわって…… その10
「どういうことだ?」
僕の意図が読めないのだろう。領主様はまるで、落とし物でもしたみたいに困った顔をした。
「徳政令は出していただいても結構です。その代わりに金貸したちへの補償をお願いしたいのです」
「言ったろう。そんな金はない」
「お金なら僕が出します」
僕か母さんのカバンの裏地から大きな革袋を三つほど取り出す。机の上に置いていくとお金のこすれ合う音が聞こえる。
「信じられん……」袋の中身を覗き込みながら眉を曲げる。
「こんな大金を何故お前が? お前、何者だ? ただの冒険者ではないのか?」
僕が付けているギルドの組合証をにらみながら領主様は不思議そうにする。
「正真正銘、冒険者ギルドの冒険者ですよ。ご覧の通り二つ星です」
ぐい、と組合証を見せつけるように引き上げる。
僕がすかんぴんだったのは昨日までの話だ。おとついの晩、ニコラの家からの帰りに僕はマッキンタイヤーの冒険者ギルドに行ってブラックドラゴンの爪やウロコの買取をお願いしておいたのだ。
ほかのギルドだとそんなもの持ち込むと大騒ぎして、どこで手に入れたとか聞かれるんだけれど、マッキンタイヤーだけは、動じた様子もなく普通に応対してくれるから最近は全部そこに持ち込むようにしている。
『瞬間移動』なら行くのも一瞬だからね。査定が終わって、お金を取りに行ったのが昨日の晩。だからも僕はまたちょいとだけお金持ちだ。
「お前が金持ちなのはよくわかった」
領主様はどさり、と机の上に革袋を落とすと、追いかけるようにして座り直した。ぎゅう、と木のイスが悲鳴を上げる。
「だが、お断りだ。だいたい、金を借りる理由がない」
「あります」僕は指を三本立てる。
「まず、第一に金貸しも領主様が治めるべき領民です。第二に、金貸しが失業すれば、その家族もまた路頭に迷う羽目になります。いたずらに貧しい者を増やさなくてもすみます」
そして第三に、とそこで僕は笑顔を作る。
「民に慈悲を与えれば領主様の人気も上がるでしょう」
領主様はイスの背もたれにもたれかかっていた体を丸め、また机の上に肘を付けて考え込む仕草をする。いい傾向だ。少なくとも、考えるだけの余地はあるということだ。人気が上がる、というのが領主様のお気に召したのかも知れない。
「だがこれでも足りないぞ」
「そうです」と僕はまた指輪三本立ててみせる。「ですから、領主様とアビゲイルさんにも負担していただきます」
金貸しへの補償金を一人で補える人は、この町にはいない。だったら、出せそうな人が少しずつ出し合えばいいのだ。徳政令を出そうとする領主様、それを知って一人で逃げ出そうとした金貸しの元締めアビゲイルさん、そして言い出しっぺの僕。三人が少しずつ出し合えば何とかなるだろう。
「借りる、ということはいずれ返さねばならないということだな」
領主様が確認するように聞いた。
「まあ、普通はそうですね」
「だが、俺には……この領地にお前の借金の担保になるようなものなどない」
「そうですね」僕はあごに手を当てて思案を巡らせる。
「では、先程おっしゃられた勝負、あれを担保にしましょう。返せない場合は勝負は永遠にお預け、ということで」
どうせ返してもらうつもりのないお金だ。担保なんて何でもいいんだ。
「……本気か?」
「もちろん、書面にするつもりですのでご安心ください」
契約はきっちり形にしないといけないって母さんも言っていた。あとで貸した借りていないともめるのはゴメンだ。ニコラの持っていた借用書を何枚も見ているので、書き方はなんとなくわかる。
「貴様、何者だ?」
「その質問、もう四回目ですよ」
同じことを何回も聞かれるのってうんざりする。
「これだけの大金を用意して、領主の前でもその物怖じしない態度、ただの冒険者ではないだろう。どこかの貴族の子弟か?」
「そんな大げさなものではありませんよ」
僕は首を振った。
「お金を持っているのは僕がとある冒険で大金を手にしたからです。物怖じしないのは生まれつきというか、まあ、礼儀知らずなだけです」
「捕まって処刑されるとは考えなかったのか」
「僕はおにごっことかくれんぼの名人ですからね」
肩をすくめる。
「膝をケガしている人から逃げるなんて、簡単ですよ」
領主様の目が見開かれる。
「気づいていたのか?」
「最初に斬りかかられた時に。踏み込みの時に少し、遅いと感じまして」
それに二本目の勝負の時には何度も踏み込んできているからね。誰でも気がつくよ。
「そうだ、その通りだ」
どさり、と領主様が力が抜けたように座り込む。
「半年ほど前に稽古の時に誤って膝をやってしまってな。医者からはもう二度と前のようには戦えないと言われた」
自嘲気味に微笑みながら、ズボンの裾をまくり上げる。右膝に白い布が巻いてあるのが見えた。
「戦えないと言われたときには落ち込んだものだ。だが、ある者に励まされてな。これからは剣以外で町のために尽くそうと思ったのだ」
それで、町の人たちが借金で苦しんでいることを知って徳政令を出そうとしたのか。
「でも」ある者って誰ですか? と尋ねようとしたとき、扉を誰かかノックする音がした。
「失礼いたします。お薬をお持ちしました」
入ってきたのは十歳くらいの小さな女の子だった。小さいながらも茶色い髪を後ろで結び、黒いワンピースに白いエプロンドレスという、侍女の格好をしている。女の子は両手にトレイを持ちながら入ってきた。トレイの上には、小さなお皿と、水差しと陶器のコップが載っている。小さなお皿には薄緑色の粉がうずたかく盛り上がっている。
「おお、来たか。シーナ」
領主様はうれしそうに顔をほころばすと、ごつい手で手招きする。
シーナと呼ばれた女の子は足下をふらつかせながら重そうなトレイを運ぶ。ぴちゃぴちゃと水差しが歩くたびに水音を立てるのが聞こえた。シーナは転ばないようにと一歩一歩、慎重に歩いていたようだけれど、トレイで足下が見えなかったのか絨毯につまづき、前につんのめる。小さな声と共にトレイの上に載っていた水差しやお皿が宙に舞う。
「おっと、危ない」
僕は素早く回り込むとシーナの体を抱き留め、こぼれ掛けていた水差しやコップや粉の載ったお皿をトレイの上に戻す。
「あ、ありがとうございます。えーと……」
シーナが赤面しながら何度もお辞儀をする。
「おお、すまんな。リオ」
領主様が歩み寄ってきた。シーナからトレイを受け取ると、シーナの頭を撫でる。まるで父と娘だ。
「実を言うとな。俺が立ち直ったのは、こいつのおかげなのだ」
「この子の?」
「俺がケガで戦えぬと落ち込んで追ったときにだな。こやつ、俺の部屋まで来てこう言いよったのだ。『戦えないくらいで落ち込むなんて情けない。私のお父ちゃんは、毎日毎日借金で首が回らなくなるまで働いているんです』ってな」
シーナがうつむいたまま恐縮している。
そこで僕はあることに気づいた。
「あれ? シーナのお父さんって、もしかしてキース……さん?」
「お、お父ちゃんをご存じなんですか?」
「まあ、ちょっとね」
なんてこった。
僕は心の中で天を仰いだ。キースさんがニコラのお父さんに借金をした。その娘のシーナがきっかけで領主様は徳政令を出した。徳政令のおかげでニコラは困ることになった。ぐるぐると糸車の回る音が聞こえた気がした。
「どうかしたのか?」
「いえ」僕は曖昧な返事をすると自然と笑みが浮かんできた。
「この町は本当に親思いのいい子ばかりだな、と」
次回は9/19(火)の午前0時頃に更新の予定です。
二話連続更新です。




