まわりまわって…… その8
「何それ?」
聞き慣れない単語に首をかしげていると、今度はアビゲイルさんの様子が変わった。目を見開き、ほんの一瞬、悔しそうに唇をかみしめるのが見えた。
「簡単に言うとー、町中の借金を棒引きー。つまりー、全部帳消しにする法律ー」
「へえ、そんなのあるんだ」
つまり今お金を借りている人は返さなくてもいい、ということになる。借金の返済に苦しんでいる人にとっては、神様みたいな法律だなあ。
「でもーそれだとー、ワタシたち金貸しはー」
ああ、そうか。貸したお金が返ってこないのなら金貸しは大損だ。最悪、金貸しの方がつぶれてしまう。
「それって、領主様の方で何とかしてくれないの? たとえば町の人たちの借金を肩代わりしてくれるとか」
「そんなわけないでしょう」
アビゲイルさんが冷笑する。
「上の者が、そんな気の利いたマネするものですか。頭の中で考えた法律を出してそれっきりですよ。第一、領主にだってそんな金はありません。だからこその徳政令です」
どうやら、ニコラの予想通り、理由は徳政令のようだ。借金が戻ってこなければ、金貸しは成り立たない。だから急いで貸したお金を回収して店じまいしようとしていたのか。
「でもどうして黙っていたんですか? そんな大事なこと」
この町の金貸し全体の問題なんだから金貸しみんなで相談すべきだ。
「バカバカしい」
アビゲイルさんがふん、と鼻を鳴らす。
「そんなマネをしてごらんなさい。たちまちウワサが広がって大騒ぎです。秘密というものは、知っている人が多いほど広まりやすいものです」
だからといって、黙っていれば、ある日突然徳政令が出されて、ニコラたち町中の金貸しは大弱りしていただろう。自分だけ損をしないように逃げるだなんてずるい。
「どのみち、徳政令なんて出されたらこの町はおしまいです。さっさと、見切りを付けて別の町にでも逃げるのが一番ですからね」
「どうしてですか?」
金貸しが損をするのはわかるけれど、町自体が終わるのはどういうことだろう。別に魔物が攻めてくるわけでもないのに。
「徳政令で一番困るのはー、町の人たちだからー」
ニコラの説明に僕の頭はますますこんがらがった。
町の人のために借金をなくす徳政令を出そうというのに困るのはこの町の人? もうわけがわからないよ。
「少しの間は救われても-、長い目で見ればー、町の人たちのお金がなくなるー」
それからニコラはたどだどしいけれど、僕にもわかりやすく説明してくれた。
要するに徳政令が出れば、借金が棒引きになって金貸しが困る。つぶれるところもたくさん出るだろう。でも、借金がなくなっても町の人たちの生活や仕事自体は変わるわけではない。もしかしたらまた借金しなくちゃいけない状況になってしまうこともあるだろう。
でもその時、またお金を貸してくれる金貸しはもういないのだ。お金が必要なのに、お金を貸してくれなければ町の人たちは困る。そうなれば今度は町の人たちが店を閉めたり、身売りしなくてはいけなくなる。
また徳政令を出そうにもその法律自体、繰り返し出してはいけない、と王国の法律で決められているからだ。
「難しいなあ」
町の人たちのために借金をなくす法律を出したらかえって町の人たちが苦しむ羽目になるなんて。
「それじゃあ、徳政令を出すのを辞めてもらうように領主様にお願いしてみるのはどうでしょうか?」
今みたいな説明を領主様にもすればわかってくれるんじゃないだろうか。
「とっくにしましたよ。書面でも直接お会いしてからもね」
アビゲイルさんはお前の考えることくらいこっちもやっている、と言わんばかりにため息をついた。
「でもムダでした。何を言っても聞く耳を持ちません。そもそも武人として出世してこの町を任された方ですからね。政治にも経済にも興味がないのですよ」
それから、疲れたように眼鏡を外し目頭を押さえる。
「徳政令というのはいつ出されるんですか?」僕は聞いた。
「正確な日にちはおっしゃいませんでしたが、何か焦っているようにも見受けられました。おそらくここ数日の間に出されることでしょう」
もう猶予はない、ということか。
「あなたたちに提案があります」
アビゲイルさんは眼鏡をかけ直すと少しこびたように薄笑いを浮かべる。
「今、話したことは決して他言しないようにお願いします。もちろん、金貸しにも町の人間にもです。駆け込みで借金などされては、たまりませんからね」
もちろん、ただでとは言いません。そう続けて、ニコラの方に目を向ける。
「あなたへ貸したお金は返す必要はありません。何でしたら別の町で金貸しを続けるための開業資金を出して構いません」
「つまり、口止め料ですね」
「そうとらえていただいても結構です」
僕の皮肉にアビゲイルさんはさらりと答えた。
「その代わり、あなたたちには火消しに回っていただきます。今回の騒動は、私の店が資金繰りのために行った一時的なものであり、すぐに収まるものだと」
「僕たちにウソをつけと?」
「言い方はあなたたちにお任せします。要するに時間を稼いでくれればそれで結構」
お断りです、と言いかけて僕は思いとどまった。僕自身の気持ちとしては反対したいけれど、ニコラにとっては悪くない話だ。
そもそも僕の依頼主はニコラだ。頼まれた依頼は借金の取り立ての手伝いであって、金貸しの仕事を何とかすることじゃない。ニコラがそれでいい、というのなら僕に止める権利はない。依頼人のために働くのが冒険者の仕事だからだ。
魔物が襲ってくるとか、命にかかわることなら絶対止めるけれど、お金に関することだけに反対しにくい。
「どうする?」
ニコラは返事をしなかった。身を縮こまらせ、うつむきながら目をきょろきょろさせる。時折すがるように僕を見るけれど、僕は黙って首を振った。
ニコラの問題なんだからニコラが決めるべきだ。
一瞬裏切られたように顔をしかめる。目に涙をためながら顔を上げたり下げたり部屋の中を見回しながら頭の中にある考えを鍋のように煮立てているように見えた。
「やめておきます」ニコラは声を震わせながらそれでもはっきりと言った。鍋の中の料理は完成したらしい。
「お父さんが……治るまで……続けたい……でも、ワタシだけ……ダメ……」
「そうですか」
アビゲイルさんはニコラの覚悟など興味もなさそうにうなずいた。
「でしたらもう話すことはありません。下がりなさい」
アビゲイルさんは呼び鈴に手を伸ばし、今度は鳴らすことに成功した。
「ただし、みだりに他言すれば、町は大変なことになります。これは脅しでもなんでもありません。肝に銘じておくように」
その物言いは物語に出てくる先生のようだった。
僕とニコラは使用人が来る前に屋敷からお暇した。『瞬間移動』したのはニコラの家の前だ。
「さて、これからどうしようか」
事情はわかったけれど、問題は何も解決していない。放っておけば徳政令が出てしまって、結局、金貸しは続けられなくなる。
ニコラは返事の代わりにぎゅっと僕の腕をつねった。
「リオー、いじわるー」
「ごめんごめん」どうやらさっきのやりとりを恨まれているようだ。
「ばかー、あほー、ひきょうものー、おんなったらしー」
ぽかぽかと叩く。
「いたい、いたいよ」
飛び下がってニコラの攻撃から逃れる。
「さて、これからどうしようか」
僕はこほんと、咳払いをしてから同じ台詞を口にする。
「とりあえず、その徳政令ってのをどうにかしないとね」
は? とニコラは目を丸くする。
「やっぱり領主様にお願いするのが一番だと思うけど、きちんと話せばわかってくれるかなあ」
「もしかして、直訴するつもりなのー?」
「そうだけど、それが何か?」
ニコラは僕の裾をぎゅっと握ってぷるぷると首を振る。
「だーめー、ころされるー」
「心配ないよ、こう見えても僕は強いからね」
「でもー、ここの領主様はーものすごーい強くてー。昔はー、国でも二十に入るほどの腕前だってー」
「なら問題ないよ」
僕はきっぱりと言った。
「僕は剣術なら村では二番目なんだ」
二番と二十番なら二番の方が上に決まっている。
「とにかく安心してよ」
僕は努めて安心できるような笑顔を作って言った。
「危なくなったら逃げるからさ。僕はおにごっことかくれんぼは、村一番だからね」
次回は9/12(火)午前0時頃更新の予定です。




