白猫と虹の杖 その14
逃げ道のない教会に逃げるってことは、きっと何かワナか切り札を用意してあるに違いない。つくづく卑怯者の腰抜けの弱虫だ。
僕は杖と剣を握りしめ、不意打ちに備えながらゆっくりと教会の中に入る。
そのとたん、風もないのにバタン、と扉が勝手に閉まった。背中で扉の閉じた音を聞きながら周りの気配を探ると、ぴょん、と何かが僕の背中をつたって僕の肩に乗りかかった。
「スノウ!」
にゃあ、と甘えた声を出すとスノウは僕の頬に顔をこすり付ける。付いてきちゃったのか。仕方ないなあ。
「僕の側を離れちゃダメだよ」首の下を指先でなでながら言い聞かせる。入ってしまった以上、スノウを独りぼっちにするのは危険だ。あのずるくて卑怯なカーティスは絶対スノウを狙ってくる。僕と一緒にいた方が安全だ。
教会は入ってすぐのところが礼拝堂になっていた。真ん中に通路があって両端に長いイスが何脚も並んでいる。
正面の奥には八角形をした神様の紋様が飾られている。
その手前にある、司祭様が信者に神様のお話を語る机の前に、カーティスはいた。顔色は悪いし脂汗も浮かんでいるけれど、薄笑いを浮かべられる程度には余裕が回復しているようだ。手には黒っぽい色の薬が入ったビンを握っている。
「どいた方がいいよ」僕は親切に忠告してあげる。「そこは司祭様の席だ。お前のじゃない」
「あいにくこの教会には三年前から司祭が不在でな。だから俺が代わりだ」
「お前に代わりが務まるとは思えないけどね、マジックアイテムで自分の力をごまかしているような弱虫に」
「だまれ!」
カーティスがどなった。教会の中に響き渡るような大声に、窓ガラスや扉が震えた気がした。
「お前に何がわかる! 魔法使いの息子に生まれながら才能がないからと親に無視され、周りの者には子供の頃からバカにされ、しいたげられてきた……俺の気持ちがわかるものか!」
「うん、わからない」
僕には『贈り物』という、生まれつき特別な力を持っている。母さんとは二人仲良く暮らしてきたし、かくれんぼとおにごっこの才能もある。剣術だって練習してきたからちょいとやる方だ。
だから、特別な力がないからってマジックアイテムを持って得意気にふるまったり、力のない人たちをいじめたり、領主様に毒を飲ませたり、グリゼルダさんやロズを誘拐したり、スノウをムリヤリ自分の物にしようとするような奴の気持ちなんて全然理解できない。
「お前の気持ちなんて、僕にはさっぱりわからない」
僕が一歩近づくと、カーティスは気圧されたみたいに後ずさる。
「怖いのなら早いところ降参したらどうだい? もう一度言うけど、お前に司祭様の代わりは務まらない」
「務まるさ」カーティスは薬ビンの中身を飲み干すと両腕を僕の前に付き出し、手のひらに炎を作る。「お前の葬式を執り行うのは、俺だ!」
カーティスが腕を振るうと、さっきとは比べ物にならない速さで炎の球が飛んできた。僕が炎をかわすと、カーティスの得意げな顔が目の前に見えた。ほんの一瞬で五フート(約八メートル)はある距離を一瞬で詰めてきた。そう気づいた時には、黒い蹴りが僕の頭を狙っていた。
とっさに腕で防いだものの、勢いまでは殺せなくて、僕の体はスノウごと壁の近くまで吹き飛ぶ。
かろうじて壁の手前で踏みとどまると、視界のすみっこできらりと光るものが見えた。カーティスの指先だ。
轟音が鳴った。
何が起こったのか理解するより体の方が動いていた。スノウをかばいながら壁際を転がってよける。二回ほど回って元いたところを振り返る。僕のいた辺りをカミナリの球がバチバチっと空気を焼いて、壁に大穴を開けていた。
なんだいこりゃ?
カーティスの攻撃は続いた。氷の矢や酸の水球、炎のハサミに、カミナリの大鎌、光のムチに、黒い突風が休みなく向かってきた。僕は転がったり、ジャンプしたりして全てよける。かわせないのは『水流』で撃ち落とした。
「こんなぶっそうなお葬式なんて聞いたことがないよ」
叫びながら『瞬間移動』で一気にカーティスの後ろまで移動する。杖を振り上げ、ローブの上から背中を殴り飛ばす。
硬い感触がした。
鉄の鎧? いや違う。もっと柔らかい。でも、カーティスがダメージを受けた様子はない。
カーティスが振り返るより早く、続いて蹴りを放つ。背中をけとばした途端、僕の足は動かなくなった。
僕の首筋に冷たいものが流れた。
黒いローブの下で何かが動いて、僕の足をつかんでいる。
まずい。僕はとっさにスノウを遠くへと放り投げる。
ローブの下のそいつは、僕の足を持ち上げると力任せに僕を地面に叩き付ける。
背中に衝撃が走った。地竜の皮鎧のおかげで痛くはないけれど、されたこと自体に腰を抜かしそうだった。
そいつはまだ僕の足をつかんだままだ。もう一度僕の足を持ち上げ、今度は教会の壁に目がけて投げつける。
僕は猫のように空中で体の向きを変え、足の裏から壁に着地した。ぴしり、と壁にひびが入る音がした。僕は顔を上げ、膝を曲げると、壁を蹴った。壁のひびが広がるのを目の端で見ながら一気にカーティスの頭上へ飛び上がる。ぴんと足を伸ばしたまま杖を振り上げ、横向きに体を回転させる。
大太鼓を打ち鳴らすような音がした。コマのように回りながら杖で四度殴りかかったものの、全て目に見えない壁に防がれた。
着地する寸前に回し蹴りを放つがやはり見えない壁に阻まれる。
だめか。
足の裏が地についた瞬間に後ろへと飛び下がり、距離を取る。
一息ついたところでスノウが駆け寄ってきた。
よかった、無事だった。
それにしても、今のは一体何だったんだ?
カーティスの両腕は空いていた。マジックアイテムを使った様子もない。
なのに、何かが僕の攻撃を受け止め、僕を放り投げた。
完全に不意を突いたはずの空中からの攻撃も防がれてしまった。
何よりさっきからカーティスの様子がおかしい。目の焦点があっていないし、何やらつぶやいている。心なしか肌の色も濃くなったような気がする。
これってさっき飲んでいた薬の力? それともマジックアイテム?
さっき、ひっぺがしてやったはずなのに。あの黒ずくめの中には、まだどれだけのマジックアイテムを隠し持っているんだろう。
こうなったら、僕にも考えがある。
僕は壊れた教会のイスに身を隠すと、『瞬間移動』で一気にカーティスの頭の上に移動する。
カーティスの反応は早かった。教会に入る前とは比べ物にならない速さで両手を上げて、僕に火の球を放つ。
そいつを待っていたんだ。
僕は持っていた教会のイスから手を離した。僕ごと瞬間移動したイスはカーティスめがけて落下する。
火の玉とぶつかり、教会のイスが燃え上がった。
砕け散った椅子の破片や、火の粉にカーティスの眼がくらむ。
僕は当たる寸前に、もう一度『瞬間移動』を使ってカーティスの背後にまわる。
無防備な黒いローブをつかむと、力ずくで一気にひきはがす。ビリビリ、という音とともに黒いローブは破れて、上半身は丸裸になり顔やローブの下があらわになる。
僕は絶句した。
カーティスの背中に、四本の腕が生えていた。
骨と皮だけでできたような細い腕は、ひじの関節がくっきり角ばっていて、人間や動物というより、虫の足のようにも見えた。
僕はローブの切れ端と四本の腕を見比べる。
「もしかして、いつもこの服を着ていたのはそいつを隠すため? だとしたら、その、ゴメン」
カーティスは返事をしなかった。目つきがおかしい。完全に正気を失っているように見える。
「あの、怒っている? うん、そうだよね。気にしていることをバカにされるっていうのは腹の立つものだよ。僕にも覚えがある」
「ムダよ」
振り返ると壊れた壁の向こうからグリゼルダさんとロズが顔をのぞかせている。
「まさか、『蝿悪魔の腕』にまで手を出すとはね」グリゼルダさんが信じられないって感じで言った。
「なんですか、それ?」
「呪われた魔法薬よ」その声は忌まわしいものへの嫌悪感が含まれていた。
「魔法を使える腕を生やすことができるの。でも、そのために人の心を失ってしまう。だから、どの国でも使うことも持つことも禁止しているマジックアイテムよ」
なんてこった。
「あれじゃあ一生、上着に袖が通せないじゃないか」
服を着るにしても穴を四本分も空ける必要がある。着られる服を探す方が難しいだろう。
そんな我が身を呪ってか、カーティスは狼のような雄叫びをあげて『蝿悪魔の腕』を振り上げた。
手の甲に帯びた電気から僕は次の攻撃を悟った。四本の腕から同時に放たれたカミナリが僕におそいかかる。
やっぱりか。
僕は『大盾』でカミナリを防ぐ。半透明の壁の向こうで白いカミナリが嵐のように荒れ狂う。カミナリが途切れた隙に『水流』の水を顔に浴びせてカーティスの次の魔法をストップさせる。ひるんだところを『瞬間移動』で一気に距離を詰める。
同時にランダルおじさんの剣を下から上に振り上げて背中の『蝿悪魔の腕』を一本、ひじから上を切り落とす。
本物の腕のように血が流れるかと思いきや、落ちた腕は床に落ちて黒いチリに変わり、傷口からはまた新しい腕が生えてきた。
「そんなのあり?」
びっくりする僕の上で、残り三本の腕が妖しく光った。飛んできた岩の塊と氷の槍と風のムチをほとんど勘だけで転がってよける。避けながら杖に意志をこめ、『麻痺』の電撃を放つ。カーティスは平気そうな顔をしたけれど、僕を追いかけようとして派手に転ぶ。
足元に降り注いだ『麻痺』の雷光は、教会に住み着いていた大ネズミをしびれさせていた。大ネズミは上から見た時よりもずっと丸々と太っていてカーティスをつまずかせるには十分だったようだ。
その隙に僕は壁際まで後退すると大ネズミの『麻痺』を解除する。
大ネズミは何が起こったのかわからない風に壁の割れ目の向こうに消えていった。
「再生するんだ、あの腕。どうすれば消せるんだろう」
「ムダよ」僕がぼやくと、グリゼルダさんは異形のカーティスを見据えながら言った。
「『蝿悪魔の腕』はいくらでも再生するわ。宿主の命が消えない限りね」
「そりゃまずい」
「やっちゃいなさいよ」
そう言ったのはロズだ。
「あんなやつ、死のうがどうなろうが知ったこっちゃないわ。遠慮なんていらないからやっちゃいなさい」
「乱暴だなあ」僕は苦笑する。
命を奪うこと自体は難しくないだろうけれど、正直やりたくないし、カーティスにはやらせたいことが残っている。
「あいつはまだ、屋台のおじさんにあやまってないんだ」
「そんなこと言っている場合なの? 見てよ、あいつ。もう完全に正気を失っているわ」
ロズの指さす方向を見ると、カーティスは動かない足を引きずりながら、こっちに向かってくるところだった。さっき転んだ時に足首をどうにかしたのだろう。口から涎を垂らし、白目をむいて、おどかすような唸り声をあげている。
「あれじゃあ、もう魔物と同じよ。見てよあの腕。完全にあいつの体と一体化しているじゃない。ママも言ったでしょ。あいつの腕は宿主の命が消えない限り、いくらでも再生するって」
その時、僕に天啓が訪れた。
「それだよ、ロズ。そうだよ、その手があったんだ」
ロズはきょとんとした顔をしている。
「それって、何よ?」
「あの弱虫毛虫をはさんで捨てる方法かな」
カーティスが叫びながら立ち上がった。痛めたはずの足もすでに元に戻っている。
「ごめん、いい子だからちょっと待っててね」
僕はスノウの頭をなでてからロズに預ける。
カーティスの合計六本の腕がうごめきながら妖しく輝く。また魔法を使うつもりか。
僕は剣を持ちかえ、回転を与えながら放り投げる。アダマンタイト製の剣は、ボーラのようにくるくると回りながら弧を描いて飛んでいく。カーティスの横に回り込むと、死神の大きなカマのように背中から突き出た四本の腕を全て切り離した。
動きが止まったすきに僕は右手袋を口でくわえて外し、『瞬間移動』でカーティス後ろに移動する。背中にまわった時には、もう四本の腕が生えかけていた。そいつを待っていたんだ。
「『強化』!」
魔法で力を引き上げると、カーティスに飛び掛かる。普段の何倍もの力で体当たりしたせいか、カーティスは祭壇の辺りから扉の近くまで軽く吹き飛ぶ。僕はカーティスの背中にしがみつくと、うつ伏せに倒れた腰に馬乗りになって背中の四本腕を僕の両腕で抱え込む。
暴れるカーティスの力はすさまじいものの、何倍も強くなった僕の腕っぷしの前には赤子の手をひねるようなものだった。力ずくで抑え込むと、むきだしの右手で悪魔の腕に全て触った。
がくんがくん、とカーティスの体が二度けいれんして、力なく倒れた。
動かなくなったのを確かめてからカーティスの側を離れた。
僕の手の中にはカーティスの体からとれた『蝿悪魔の腕』が、だらりと垂れさがっている。ただでさえ細かった腕は、小枝みたいに縮んでしまっている。きっとこいつがカーティスの弱虫毛虫なんだろう。
「ふう、なんとかうまくいったな」
ほっと胸をなでおろす。死ぬまで離れないというのなら、一度死ねばいい。『贈り物』で『蝿悪魔の腕』に宿主であるカーティスが死んだと思い込ませたのだ。本物の悪魔の腕ならともかく、カーティスの体と同化して生身になった腕なら僕の力も通用する。
うまくいってほっとしたせいだろう。ようやくさっき何を言おうとしたか思い出した。せっかくだから泣きべそをかいているカーティスに言ってやろう。そう思って振り向いたけれど、カーティスは上半身裸のまま、白目をむいて気を失っている。言ってもムダのようだ。残念。
スノウが駆け寄ってきて、僕の足に顔をこすり付ける。
「怖かっただろう? もう大丈夫だからね」
僕が声を掛けるとスノウは、うれしそうに鳴いた。
「どうなったの?」二人のところまで戻ると、ロズがおずおずと聞いてくる。
「あいつに取りついていた弱虫毛虫を取り除いたのさ」
『贈り物』のことは言えないので適当に返事をしておく。
「この杖のおかげです。ありがとうございます」
「その杖にそんな魔法は付けていないはずなんだけれど……」
グリゼルダさんが首をかしげる。おっといけない。
「どう、ロズ。見ててくれた? 僕、すごかったでしょう」
「うん、見てた」ロズは頬を赤くして僕の方を見る。「ずっと見てた」
「そうなんだ……」おどけて言ったのに、真剣な表情で返事されたので僕の方が気恥ずかしくなってしまった。
「ああ、そうだ。僕の剣は、と……」
さっき投げてしまった僕の剣を探そうとした時、手の中で奇妙な動きを感じた。
「リオ君!」
グリゼルダさんの悲鳴に似た声がした。
見ると、持っていた『蝿悪魔の腕』が再び動き出していた。『蝿悪魔の腕』はまだ生きている!
指先から背中に生えていた根元までぐねぐねして、まるで毛虫みたいで気持ち悪い。
「何よそれ! 早く捨てなさいよ!」
ロズに言われるまでもない。とっさに捨てようとしたけれど、僕の手のひらに張り付いたみたいに離れない。
「え、え、どうなっているの?」
困惑する僕をよそに、『蝿悪魔の腕』は向きを変えて僕の腕にしがみつく。服越しのはずなのにさわられた腕から力が抜ける。
僕は本能的に悟った。弱虫カーティスの次は、僕に乗り移るつもりだ。『蝿悪魔の腕』は二本の腕で僕の右手首をつかみ、ひねるようにして締め上げる。『贈り物』を使わせないようにしている? 仕方なく左腕で引きはがそうとしたが、これは悪手だった。
『蝿悪魔の腕』は、残った二本の腕で僕の左手首をつかみ、腕の動きを封じてしまう。
まずい、乗っ取られる。全身の肌が粟立つ。
背中に冷たい汗を感じた時、尾を引くように長い、猫の鳴き声がした。
不可思議な文様の光る魔法陣が目の前に現れた。かと思った瞬間、青白い炎が僕の腕を包んだ。
とほうもない熱さを覚悟して歯を食いしばるが、それは僕の取り越し苦労だった。
全く熱さを感じない炎は『蝿悪魔の腕』のみを全て焼き尽くし、舐めつくし、黒焦げの灰に変えていく。
羽音のような断末魔が聞こえた気がした。
後に残ったのは僕の腕だけだ。腕どころか服にも焦げ跡一つついていない。
「ちょっと、大丈夫?」
ロズが壁の穴を乗り越えて僕の腕を取る。
「う、うん。平気」両手を握ったり開いたりしながら異常がないのを確かめる。やけど一つない。
にゃあ、とスノウが僕の肩に飛び乗ると、ほっぺをなめてくる。
どうやらスノウが魔法の炎で『蝿悪魔の腕』を倒してくれたらしい。
「まったく、君には助けられてばかりだよ。ありがとう」
白い頭をなでるとスノウは目を細めて僕の手に顔をすり寄せてきた。
君は最高の友達だよ。
お読みいただきありがとうございました。
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次回は10月7日午前0時頃の予定です。
次回で第三話終了の予定です。




