白猫と虹の杖 その6
町に戻ったのはもう日が山の稜線に消える寸前だった。黄昏時の町を歩き、フェーゼン鳥を袋ごと屋台のおじさんに渡した。おじさんはしきりに恐縮していたけれど、迷惑をかけたのは僕なのだからと受け取ってもらい、最後は逃げるようにして宿まで戻ってきた。
ベッドに腰掛け、ほっと息をつく。今日は色々あって疲れた。
マジックアイテム作りを頼みに行って、すりを捕まえようとしたらカーティスとかいう弱虫の卑怯者に屋台を壊されて、お詫びに山鳥を捕まえに行ったら子猫を拾ってしまった。
「君も疲れただろう。ゆっくりするんだよ」
子猫を僕の脇に下ろす。子猫はベッドの感触にとまどったようによたよた歩いていたけれど、すぐに慣れたらしく、その場をぐるぐる回った後、僕の腕に顔をこすり付ける。
おとなしい子だなあ。
町に来るまで腕の中でじっとしていたし、あまり鳴きもしなかった。
普通の猫ならもっと暴れたりにゃあにゃあ鳴いたりするものなのに。
「そうた、おなかすいただろう。ちょっと待っててね」
さっき屋台のおじさんから焼き鳥の残りをもらっていたのだ。冷めてしまったけれど、猫は熱いものが苦手なのでちょうどいいだろう。
カバンから木皿を出して、その上で焼き鳥からクシを引っこ抜く。
味付けの強いものを食べさせるのはよくないそうなので、焦げ目のついた鳥肉の皮をナイフではがし、肉の部分を手のひらに乗せて子猫に近付ける。
子猫は匂いをくんくんかいでいたけれど、安全と判断したらしくぱくぱくと食べ始めた。
やっぱりおなかがすいていたんだろう。あっというまに平らげてしまった。僕の手のひらまでなめとってからにゃあ、と鳴いた。
うん、おかわりが欲しいんだね。
僕はほかの焼き鳥も表面だけ削りとって中身を子猫に食べさせてやる。次々と小さな口を動かし、肉にかじりつく。
かわいいなあ。僕も削りとった表面を口の中に放り込む。うん、おいしい。
懸命に食べている子猫の頭をなでていると、扉をノックする音がした。
「ちょっといいかい」
この宿のおかみさんの声だ。
手のひらの肉を木皿に移し、子猫の前に置いてから僕は扉を開けた。
髪の毛を後ろで結んだ、五十歳くらいのちょいと太めのおばさんだ。おかみさんは僕の肩越しにベッドの方をのぞき込むと眉をひそめた。
「困るねえ、アンタ、猫なんて連れ込んで」
「いけませんか?」
「そりゃそうだろ。猫なんて爪を研いで柱にキズを付けるし、そこらでフンも小便もする。汚いったらありゃしない。さっさと外に出しておくれ」
「ああ、そうか。なるほど」
僕は何度もうなずいた。
「わかってくれたかい。それじゃあ……」
僕はおばさんの手に銀貨を何枚か握らせる。
「この子の分です」
猫であってもタダで宿屋に泊ろうなんて虫が良すぎたんだ。ちゃんと宿代は払わないと。
おばさんは僕と銀貨を交互に見た後、物を壊したら弁償だからね、と言い置いて去っていった。
よかった、納得してくれたみたいだ。
「ああ、すみません」一階に戻ろうとするおかみさんに声を掛ける。
「できればお湯を用意していただけませんか。たらい一杯分くらい」
「動かないでね、今きれいにしてあげるからね」
僕は今、子猫を洗っている。クシで抜け毛やほこりを払い落としてからたらいに張ったお湯の中に子猫を入れて、せっけんを付けた布で拭いてあげる。泡だらけになった子猫は目を閉じてじっとしたままだ。動こうとしない。猫はぬれるのが嫌いなはずなのに、僕の気持ちをわかっているみたいだ。
「君はかしこいんだなあ。それにかわいいし」
僕は猫が好きだ。ぱっちりとした瞳に、甘い声、しなやかな体つき、さらさらした毛並み、ぷにぷにした肉球なんてさわっているだけで幸せになれる。すぐに体をこすりつけてくる甘えん坊さんなくせに、すぐにツンとした『おすましさん』に変わるきまぐれなところも魅力的でいっそ悔しいくらいだ。
毛並みにしてもこの子みたいな白もいいし真っ黒な子もつややかで素敵だ。ミケ、ブチ、トラ、シマ、毛が短いのもしなやかでいいけれど、毛足が長いのもふわふわして抱き心地が素晴らしい。耳が垂れているのもピンとしているのもしっぽが長いのも短いのも、ちびっこいのも太っちょなのもみんなみんなかわいらしい。
もしかしたら猫というものは、この世で一番かわいい生き物かもしれない。
でも猫を飼ったことは一度もない。理由は母さんだ。
というのも母さんは昔から奇妙な病を持っていて、猫が近づくだけでくしゃみが出たり鼻水が出たり背中がかゆくなったりするのだ。
猫だけでなく、猫の毛だけでもくしゃみが出てしまうから母さんは飼うどころか、僕が猫に近付くことすら許してくれなかった。
おかげで近所のアマンダおばさんが猫にエサをやったりなでているのを遠くからながめることしかできなかった。
「よし、いいぞ」
お湯で子猫のせっけんを洗い流す。僕がやわらかい布で拭いてあげると、ぷるぷる体をふるわせて水滴を払い落とした。
「うん、きれいになった」
さっきもかわいかったけれど、こうして洗ってあげると毛の艶もよくなってますます美人さんだ。
子猫は一声鳴いて僕のひざにすりよってくる。僕にお礼を言っているのかな。ふへへ。
「ねえ君、家族はいるのかな。お母さんとか……兄弟とか」
子猫は困ったように首をひねるだけだ。
「そうか、独りぼっちなのか。僕と同じだね」
僕は子猫を僕の顔の高さまで持ち上げる。子猫と見つめ合う形になる。
「よかったら、僕と一緒に来るかい?」
子猫はにゃあ、と鳴いた。
「そうか、来てくれるのか。うれしいよ」
こんなかわいい猫といっしょにいられるなんて、僕の人生にもようやく運が向いてきたのかもしれない。
「それじゃあ名前を決めないといけないね」
いつまでも子猫じゃあかわいそうだ。どんな名前がいいかなあ。
「こんなに真っ白でふわふわしているんだから……そうだ! 『雪』! 君は今日からスノウだ!」
僕が名前を付けるとスノウは僕の手に顔をこすり付ける。
「そうか、気に入ってくれたんだね。これからよろしくね、スノウ」
僕はスノウをつぶさないようにほおずりする。まだちょっと水気の残っているけど、毛はさらさらで気持ち良かった。
それから僕はスノウと一緒に過ごした。町を見て回ったり、宿で遊んだりした。二人でおいしいものを食べたり、追いかけっこをしたり、広場で遊んだりした。十五年間かわいがれなかった猫の分までかわいがってあげるつもりだ。
スノウはとてもかわいい。瞳はきれいだし、耳もぴんと張って立派だ。毛並みもいい。鳴き声は女の子のささやきみたいに甘くて背筋がとろけそうだ。動き方もしなやかで、まるでお姫様みたいにしゃなりしゃなりと歩く。肉球なんてやわらかくて弾力があって触っているだけで僕は何とも言えない幸せな気持ちになる。十五年間生きてきたかいがあるというものだ。
外見だけじゃない。一緒に過ごしてみると、スノウはとても頭が良くて聞き分けのいい子だった。
ごはんはちゃんと待って食べる。寝るところも僕といっしょにベッドの上だ。宿の柱で爪を研いだりなんてしない。
朝は早起きで、僕を起こしてくれる。肉球で顔を押したり、僕の胸の上でくるくる回ったりしてくれるのでここのところ朝の目覚めも最高だ。
トイレもちゃんと外でしているようだ。ようだ、というのはスノウがトイレをしているところを一度も見たことがないからだ。部屋の中にいると、一日に何度か外に出たがる時がある。変なところでしていないか確かめようとしたのだけれど、僕が近づくとフーッとうなってどこかへ行ってしまう。とりあえず、宿の周りに猫のフンが落ちているという話は聞いていないし、それらしいものも見ていないので、今のところ問題はない。
ちょっと変わったなクセはあるけれど、僕はますますスノウが好きになった。
もちろん、遊んでいるだけじゃない。朝の練習もちゃんとやった。三日も続けると竜牙兵も五百体以上は倒せるようになった。僕が剣を振り回している時もスノウは庭の隅で寝転がりながらじっと僕を見ている。手を抜いていたつもりはないけれど、誰かが見てくれているというだけで気合いが入るものだと初めて知った。
お読みいただきありがとうございました。
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次回は9月10日午前0時の予定です。




