『白』と『黒』のラビリンス その23
ぐさり、と刃先が『迷宮核』に突き刺さる。その瞬間、短剣の刃に赤い筋が幾つも脈打つように輝いた。まばゆい光が神殿中を包み込む。
「なんだ、この光は!」
オンタリオたちも目を覆いながらたじろぐ。
やがて光が収まると、短剣に赤いさびが浮き出した。ぽろぽろとものすごい勢いでさびていく。やがて刃から柄まで全て錆びて赤い粉となって僕の手から消えていった。
「貴様、何をした?」
「すぐにわかりますよ」
そのとたん、地面がぐらぐらと揺れ出した。
「そういえば、『迷宮』の中で地震って起こるのでしょうか?」
僕たちがいるのは『星獣』という怪物の腹の中だ。地震の影響を受けるのだろうか。また今度調べてみよう。
「のんきなことを言っている場合か!」
ジュディスが四つんばいになりながら喚いた。揺れはますます激しくなり、地面に這いつくばったりしゃがみ込んでいる。
悲鳴が上がった。
声のした方を振り返れば、白い髪をした男がもだえ苦しんでいる。息が出来ないみたいに、自分の首をかきむしりながら少しずつやせ細っていくのが見えた。
その男だけではない。一人、また一人と、やせ細って倒れていく。
「なんだこれは? 貴様、何をした?」
オンタリオが詰め寄ろうとしたので、『迷宮核』を突きつけて近づかないように釘を刺す。
「簡単に言えば、えーと、みなさんは今『万魔円卓』に食べられています。
元々ここは『十嵐庭園』という『迷宮』だった。そこに『万魔円卓』が引っ付いて『魔迷宮』になった。『万魔円卓』は自分が生きるための栄養を『十嵐庭園』から吸い取っている。生き血を吸い取る蚊のようなものだ。
けれど、今母さんの作った『ご破算』というマジックアイテムで、そのつながりをひっくり返した。
反対に『万魔円卓』が、栄養を吸い取られるようになったのだ。『万魔円卓』は急におなかが空くようになった。
普通の『迷宮』は土地から栄養を吸い取る。けれど、『万魔円卓』は引っ付いて栄養を吸い取っているだけで、自分では土地から吸い取れない。
おなかの空いた『万魔円卓』は、眷属となった『末裔』たちの力を吸い取るようになった。
「とまあ、そういうわけです」
説明が終わると、オンタリオは真っ青になっていた。
「まさか、そんな、いきなり……」
「ああ、違います」
僕は首を横に振った。
「さっき短剣を突き立てたのは、二回目です。今、起きているのは一回目の分です」
おなかがすき始めるのには時間も掛かるからね。思っていたより効果が出るのが遅かったからひやひやしたよ。
「一回目をやったのは、エミリオと戦う直前です」
本当はエミリオかと思ったからやったのだけれど、今ならわかる。
母さんが言っていたのは、こいつだ。
「な、ならば今のは……」
「説明するより見た方が早いかと」
僕が指さすと、最初に倒れた男の人の肌がどんどん白くなっている。肌から生気が失われ、陶器のようなつるつるしたものに変わっていく。
苦しみながら男は天井に手を伸ばしながら動かなくなってしまった。
オンタリオがうめいた。
「……これは、人形?」
「二回目の方ですね」
母さんがかけた『人形に変える魔法』を彼らは魔法で解いた。その解いた魔法の方をまた解除したのだ。
「このままだと『万魔円卓』に栄養を吸い取られて死んでしまいますからね。母さんからのほんの心遣いですよ」
「貴様らああああっ!」
喚きながら僕の方に殴りかかってきた。けれど五歩もあるかないうちに転んで前のめりに倒れてしまう。理由はすぐにわかった。オンタリオの足が人形になっていた。
「そんな……」
女の人の悲鳴だ。振り返れば、カトリーオは下半身が人形になっていた。
ほかの人たちも悲鳴を上げたり、命乞いまでしながらその場でもだえ苦しむ。
僕は何の気持ちも湧かなかった。「かわいそう」とも「ざまあみろ」とも思わなかった。
ただ、彼らが泥の中で溺れているような格好のまま人形に変わっていくのをじっと見つめていた。
「エミリオ! 起きろ! エミリオ!」
オンタリオに名前を呼ばれて白い頭が起き上がる。縛っていたはずなのに、いつの間にか、自由になっている。『白』か『黒』の人たちが解き放ったたのだろう。
どういうわけか、エミリオだけは人形になっていない。これも母さんの心遣いだろうか。
「何とかしろ! 動けるのはお前だけだ! エミリオ!」
「何をしておる! 早くせぬか!」
カトリーオまで一緒になって急かすけれど、エミリオは幼い子供のような顔で言った。
「あなたたちは、だれですか?」
呆然とするオンタリオたちに僕は申し訳なくって頭を下げる。
「どうも、彼の力を封じようとして間違えて記憶の方を消してしまったようなんです」
勝ち負けを決めようとすれば、また『運命』にジャマをされてしまう。だから僕は、戦わない道を選んだ。
「だから今は自分が誰なのかもわからないみたいで、すみません」
オンタリオの顔が絶望にゆがむ。
その顔を見て、僕は無性に腹が立った。がっかりする権利すらない。
「母さんからの伝言です」
僕は母さんの声をマネしながら言った。
「『おめでとう、アンタの人生は大失敗だったわね』」
オンタリオの顔が真っ赤に染まる。
「人工生命体の分際で、余を敗者と侮辱するかっ……」
「いえ、そういう意味ではなくて」
世の中、うまくいく人生ばかりではない。物語でも志半ばで倒れてしまった人がたくさん出てくる。その人たちの人生は失敗だったのだろうか? 僕はそうは思わない。
たとえ結果は出なくてもその意思を引き継ぐ人が出てくるかもしれない。自分や世の中をよりよくしようと努力した人生が、一生懸命生きようとあがきにあがいた人生を、敗者だとか失敗だとかと決めつけたくない。
「勝ち負けも何も、あなたの人生は、何もないじゃないですか」
母さんの人生を操り、何回も人生をやり直させ、どうしようもないことまでどうにかしようとした。目の前の男は結局、良いことも悪いことも何一つ成し遂げていない。母さんの人生を犠牲にして、ただムダに時を過ごしただけだ。
「『徒労』とか『報われない努力』とかとも違うんですよね。……『無意味』というか『無価値』というか、そんな感じでしょうか?」
「きさまあああっ!」
「どうもさようなら、『白』と『黒』の王様たち」
もう話は終わった。伝えるべき言葉も伝えた。用はないよ。
「あなたたちは安全です。これから何を成し遂げることもない、だらだらとした一生をお過ごし下さい」
人形になっても意識はあるらしいので、退屈はしないだろう。頭の中で物語を考え続けることだってできる。
オンタリオはもう一度叫んだが声にならなかった。のどから口、そして鼻と目と額と髪が人形になった。
いつの間にか地震も止まっていた。
全てが終わった時、『末裔』と名乗った人たちの姿はどこにもなかった。
百体以上の人形と、その中で呆然と立ち尽くしているエミリオがそこにいた。




