『白』と『黒』のラビリンス その20
僕の『贈り物』……かくれんぼを他人に説明するのは難しい。たとえるならば、薄い幕の内と外、だろうか。僕だけが幕の内側にいて、外を眺めている。外からは見えないけれど、内側からは全部見えている。僕だけが幕の外と内を自由に出入りできる。誰にも気づかれない。便利だけれど、おっかない力だ。
でも、気づかれないだけで僕はちゃんとそこにいる。だから誰かに触られると、幕の外に引きずり出されてしまう。それに獣のように勘のいい人もいる。姿形は見えないはずなのに、幕の中にいても気づかれてしまう。
何が言いたいのかというと、今まで僕が使っていた『贈り物』は結構、気づかれやすい。『運命』だかなんだか知らないけれど、神様ならば尚更だろう。
「どうした? 掛かってこないのか? 威勢がいいのは口だけか?」
エミリオがふらふらになりながら挑発してくる。立っているもやっとのはずなのに。
けれど挑発に乗って僕が攻撃を仕掛ければ、おしまいだ。僕は、エミリオには勝てない『運命』だから。おまけにたった今、攻撃すら当たらなくなった。
エミリオは他人の『運命』を壊すことで、神様を味方に付けた。だったら、神様は僕の敵だ。
本当の敵はエミリオじゃない。かくれんぼの相手は、神様だ。
僕は今から神様をあざむく。
「そう焦らないで、たんぽぽコーヒーでも飲みながら待っていてよ」
僕にとっても危険な賭けだけれど、ここで決着を付けないといずれまた僕の前に現れる。大勢の人を傷つけるだろう。
「それじゃあ、頼んだよ」
スノウを肩から下ろし、代わりに細い糸を二人の手首に絡ませる。これが僕にとっての命綱だ。
「にゃあ……」
不安そうに鳴く。
「いい子だから、おとなしくしててね」
スノウの頭を撫でてからエミリオと再び向かい合う。
ノアさんとジュディスは手をぎゅっと握って、緊張した様子だ。ベニーも『迷宮核』を抱っこしながらひげを何度もさすっている。
みんなの前で僕の力を見せるわけだけれど、それも問題ない。
エミリオと同じように、誰も僕が何をしたか気づかないのだから。
「さあ、来い! 腰抜け! それともロザリオがいないと何も出来ないのか?」
「悪いけど、人違いだよ」
僕は腰を落とし、剣の柄に手を掛ける。
「母さんの名前はアイラだ。ロザリオなんて名前じゃあない。それともう一つ」
前屈みになって大きく踏み込む。
「お前が、母さんを語るな」
僕は大きく息を吸い込む。
イメージは深い海の底だ。
真っ暗で、回りは冷たい水に囲まれて、息も出来ない。光も届かず、音も聞こえない。臭いも消え去り、触られても何も感じない。考えることすら闇の中に呑み込まれ、文字も言葉も消え失せる。恐ろしいとか、怖いとか、そんな感情すら消え去っている。まっさらで何もない世界。
胸のドキドキも、まばたきも、血の流れすら止まる。現世と冥界の境目。生者と死者の隙間。記憶と時間と歴史のほつれ。
今からそこに潜り込む。
僕は地面を蹴った。
まっしぐらに、矢のような勢いでまっしぐらに走る。
来たか、とエミリオが喜びとおびえの混ざった顔をこわばらせる。迎え撃とうと、剣を持ち上げようとした瞬間、途方に暮れたような顔をした。
「え?」
僕が横を駆け抜けたのに一瞬遅れて、エミリオの体は宙に吹き飛んでいた。何が起こったのかもわからないような顔で神殿の天井にぶち当たる。激しい音とともにホコリと石の破片をまといながらそのままはるか後方へと落下していった。重たい音が聞こえたのと同時に僕の足はもつれ、床を滑るように倒れ込む。
意識が薄れていく。体の感覚がだんだん消えていく。以前にも死にかけたことはあったけれど、あの時とは違う。深い海の底に引きずり込まれ、二度と這い上がれなくなるような恐怖を感じても、それすらどうでも良くなっていく。
「にゃあ!」
どこかで聞いたような声とともに手首を引っ張られる感触がした。ああ、そうだ。この声はスノウだ。僕の大好きなスノウだ。
その瞬間、意識が急速に目覚めていく。
「ぷはっ!」
僕は大きく息を吐くと、倒れたまま肩で呼吸をする。どうやら息をするのを忘れていたようだ。額から冷たい汗が流れている。
「にゃっ、にゃあ!」
白い子猫が小さい足で駆けてくるのが見えた。
「……やあ、スノウ。ただいま」
「にゃあ!」
怒ったように何度も僕の顔を肉球で叩く。痛いどころかむしろ気持ちいい。一生叩かれてもいいくらいだ。
倒れたまま顔を向けると、ノアさんたちが呆然としている。心配させたかな、と愛想笑いをしたらノアさんが困惑したような口調で言った。
「君は、誰だ?」
口にしてからノアさんがはっと気づいたように何度も首を振る。
「……どうも頭がぼーっとしていたらしい。すまなかったね、リオ君」
「お気になさらず」
僕はつとめて平静をよそおいながら言った。
「よくある話ですので」
一瞬、どきっとしたけれど、すぐに思い出してくれて良かった。
「一体何があったんだ? その、君の姿が消えたように見えたけれど」
「マジックアイテムの力です」
僕は適当なウソをついた。
「要はあいつに気づかれないくらい素早く動いてぶちのめせば、『運命』もすり抜けられるのではないかと。僕の方の負担も大きいので、こんな感じですけれど。うまくいって良かったです」
ほっとしたような笑顔を作ってやりすごす。もちろん、ちょっと早く動いたくらいで防げるほどあいつの能力は甘くない。
何をしたかと言えば、単純な話だ。僕は、自分の存在そのものを気づかれなくしたのだ。僕がいたことや、僕という人間の記憶そのものを忘れさせる。いや、僕という人間がほんの少しだけ、存在していないことになったのだ。幽霊ですらない、最初からいなかった人間に。
存在していない人間が背負う『運命』なんて、それこそあり得ないからね。
でも、僕にもリスクがある。他人の記憶だけではなく、僕自身を消し去る力なので、コントロールが難しい。下手をすれば僕はあのまま誰からも気づかれない。記憶にも残らない。
そうならないために、僕はあらかじめ命綱を用意した。それが糸とスノウだ。糸は僕の感覚を思い出させると同時に、スノウが僕を覚えていてくれるための命綱になっていた。逆に言えば、大好きなスノウだからこそ、僕が戻ってくるための命綱になったのだ。
スノウがいなかったら、それこそ、忘れられた幽霊のような存在として一生を終える羽目になっていただろう。
正直言って、二度と使いたくはない。『運命』を操るなんて、これっきりにして欲しいよ。
ジュディスが忌々しそうにエミリオを見つめる。
「死んだのか?」
「まだ生きていますよ」
かろうじて、だけど。
「殺さないのか?」
「まだ『運命』は壊されたままですからね」
とどめを刺そうとすると、何が起こるかわかったものではない。事実、『運命』はエミリオの味方だ。あれだけ激しい一発を与えたのに、もう回復し始めている。
「ですからこうします」
僕は倒れているエミリオに手を伸ばした。
「何をする気だ?」
「永久に決着の付かない戦いを続けるんですよ」
しばらくして、僕の仕掛けは終わった。もう戦うつもりはないだろうけれど、念のためエミリオの手足を縛っておく。ケガさえ治れば自力で抜け出せるだろう。
「では、行きましょう。早く里の人たちも探さないと」
「ですが、どうやって外へ出るのです? 我々はこの建物から出られないのでしょう?」
ベニーの質問に、僕は肩をすくめる。
「エミリオは『ここからでる未来』を砕いたと言った。なら神殿を丸ごと壊してしまえばいい」
ベニーの持っている『迷宮核』ならゴーレムを操って、建物をぶち壊せるだろう。僕たちはその間、地下に避難していればいい。
「あなた、ムチャクチャなことを平気で言いますね?」
「どうやら『魔王』のなり損ないらしいので」
建物だけで済ませるならむしろ優しい方だろう。
「エミリオも倒したからジャマする人はいないだろうけど、早くしないとみんなおなかをすかせているだろうからね」
生まれたばかりの赤ん坊もいるのだ。早く助けないと。
「エミリオは何か言っていなかったの?」
いや、とジュディスは悔しそうに否定した。
「ただ、あいつは『この神殿で預かっている』と言っていた。おそらくこの神殿のどこかにいるはずだ」
「なら、この神殿のどこかに閉じ込められている可能性が高そうだね」
ノアさんが首をひねりながら辺りを見回す。
「では手分けして……」
探そう、と言いかけたとき、遠くから靴音が聞こえた。僕たちは音のした方を振り返る。神殿の奥にある階段から誰かが降りてくる気配がする。
しかも二人も。
まだ生き残りがいたのか?
「まさか、上には誰もいなかったはずだ?」
ジュディスが戸惑いながら剣を抜く。敵か味方かはわからないが、用心に越したことはない。
「本当にいなかったの? 見落としとかは?」
「そこの怪物の仲間なら、わたし相手に隠れる理由もないだろう」
僕の質問に、やけっぱちのように答える。
そうこうしている間にも足音は降りてくる。
「なら上には、何があったの? 魔法陣とか、魔法の本とか、変わったものは?」
「それらしいものは見当たらなかった」
すべて見たわけではないが、見た範囲ではそれらしいものはなかったという。
「あったのは、例の木の人形が二体だけだ」
「人形?」
「お前も神殿に入る前に見ただろう? 元は人間だったとかいう……」
確か、母さんが逃げるときに仕掛けをして白の一族を人形に変えてしまったんだっけ。
「何やら王と王妃のようないかめしい姿をしていた。おそらくここの指導者だろう」
「それって……」
上にあった人形が二体で、降りてくる足音も二つ。
その意味するところは、簡単だ。
「なんだ、エミリオはやられたのか。不甲斐ない」
「やはり、少々甘やかしすぎたな」
階段から降りてきたのは、大きなマントを着けた男と女だ。男の方は背が高く、口からあごにかけて黒いひげを生やしている。黒い髪の毛は短くちぢれていて、カブトを付けているかのように整っている。女の方は男より頭半分低い。柳のようにほっそりしている。真っ白な髪の毛は腰まで伸びている。
二人とも背が高く、ひときわ豪華な服を着ている。
まるで王様と王妃様のようだ。
「どなたですか?」
「ほう」
僕の質問に、男の方が感心したような声を出す。
「そなたがリオだな。ようやく戻ったか。待ちくたびれたぞ」
「質問に答えて下さい、白の方」
どうせ、エミリオの仲間だというのはわかっている。問題は、どこから来て何を企んでいるかだ。
「エミリオは僕がやっつけました。里の人たちを誘拐したからです。おとなしく返すのならこのまま立ち去りますが、抵抗するのならあなた方もああなります」
と、エミリオの方を指し示すと、女の方がため息をついた
。
「礼儀の知らぬ童だな。やはりあれの子か。出来損ないの子は、出来損ないか」
「失礼ですが、今すぐその口を閉じることをオススメいたします」
僕は女の人に手を上げたくはないが、例外もある。
「色々言いたいことはあるかと思いますが、お互い様です。まずは自己紹介といきませんか? 僕の素性はご存じのようですのでそちらからお願いします」
男の方が鼻を鳴らした。
「なるほど、見た目はともかく中身は『ロザリオ』にそっくりだ」
「性格は母親似、とよく言われます」
いくらほめたって僕は気を抜いたりなんかしない。
「余は、オンタリオ。そしてこやつが妻のカトリーオ」
男の方は威厳たっぷりに言った。
「『ロザリオ』を生み出したのは、余である」




