『白』と『黒』のラビリンス その16
「君は、誰?」
首元まで覆われている黒いドレスに、スカートには小さな宝石が星の海のように散りばめられている。宝石のような蒼い瞳に、赤いイチゴのような唇。背中まで届く銀髪は絹糸のようにしなやかで艶やかだ。まるでどこかのお姫様だ。
もしかして、幽霊なのだろうか。ここは『迷宮』の中だ。幽霊だって出るだろう。
でも体は透けていない。それに目の前にいる子には生きている人間の出す存在感がある。
これは、きっと夢だ。
だって、僕はこんなキレイな女の子に会ったことがない。それなのにいきなり現れて、僕の名前を呼ぶなんてどう考えてもおかしい。
旅の間に色々な女の子と出会った。みんな素敵な子ばかりだったけれど、誰ともうまくいかなかった。
きっと僕は、女の子に縁が薄いのだろう。だから頭の中でこんな、都合のいい幻想を生み出したのだ。
「わたしは、あなたをずっと見てきました。あなたの優しさも暖かさも」
そう言われても君とは初対面のはずだよね。
「元気を出して。あなたはもっと強い人。自分を見失わないで」
夢だから、誰かに言って欲しい言葉を幻想の女の子に言わせているのか。最低だな、僕は。
「あなたは、何も失ってなんかいない。お母さんの愛も」
言い返そうとしたけれど、言葉が出てこない。夢だからだな。本物の僕はベッドで眠っているはずだから。
「リオ、あなたは……」
女の子が僕に手を伸ばしてきた。白い手が頬に触れる。春風のような温もりを感じたとたん、僕の意識は急に浮かび上がるのを感じた。
まるで釣り上げられた魚みたいに勢いよく飛び出した。同時に景色がめまぐるしく変わっていく。
さっきまで神殿の地下にいたはずなのに、気がつけば僕は外に出ていた。
しかも屋根の上だ。一瞬、滑り落ちるかと思ったけれど、僕の体は半透明になって透けている。その上ふわふわと幽霊のように浮いている。
何がどうなっているのだろう。探してみたけれど、女の子の姿は見えない。
見上げれば、星が瞬く満天の夜空だ。神殿の外ではない。街の建物も並び方も全然違う。何より家には明かりと人の気配がある。
この街には、見覚えがある。
ここは伯爵の……バートウィッスルの町だ。
どうしてこんなところに? 夢だとしても突然すぎてまとまりがない。
僕がいるのは、伯爵の屋敷のようだ。
前に来たときは外から見ただけだったけれど、丘の上にあるので町を見渡せる。いい眺めだ。
屋根から下を覗くと、テラスのところに人の姿が見える。二人いるようだ。
そっと見下ろしてみて僕は胸に強い痛みを感じた。屋根の縁から身を乗り出す。
間違いない。そこにいたのは、侍女の格好をした母さんだ。
どうしてここに? とか、何故侍女の服を着ているのか、なんて考える余裕はなかった。
気がつけば、僕は飛び降りて母さんに触れようとした。けれど、僕の体は母さんをすり抜ける。
そのままテラスの手すりまですり抜けて下まで落っこちそうになってしまった。
やはり今の僕は幽霊になっているようだ。幽霊だから話しかけても聞こえない。いくら触れようとしても触れない。
僕が必死に呼びかけても母さんは見向きもしない。若い男と話し込んでいる。
金髪の優男だ。背は高いけれど幼い顔立ちで、なんだかひ弱そうに見える。声変わりもしていないのか、女の子みたいに声が高い。でも着ているものは高価そうに見える。
きっとどこかの貴族なのだろう。
「どうしても、付いてこないつもりか?」
「ええ、アタシには不釣り合いな話ですから」
かしこまった顔をしているからマジメな話かと思っていたら、若い男が母さんを口説いているようだ。誰だこいつ? 体があったらぶん殴ってやるのに。
「そなたしかいないのだ。アイラ。余の運命を変えてくれる娘はそちだけだ」
年相応よりオトナぶって、気取っている。なんだかいけすかない男だ。
そこで初めて気づいた。よく見れば僕の知る母さんよりずっと若い。しわもないし、肌も張りがある。でも顔立ちも声も間違いなく母さんだ。
もしかしてここは、昔なのだろうか。
物語なんかでも過去に行って、過去の英雄を手助けしたり、ご先祖様と出会ったりするのだ。
「余の周りには、大勢の女が集まる。だが、そなたのような娘は初めてだ。きっとそなたなら運命を変えられる」
一人で十分だよ。母さんみたいな人が何十人もいたら、息子の僕でもうんざりするだろう。
「あいにくですが宮廷劇ってのは苦手でして」
苦笑するけれど、どこかムリをしているように見える。
「それに、アタシも少しばかり厄介な運命を持っていましてね」
「運命?」
「アタシの息子はね、『魔王』になるんですよ」
それから母さんは説明を始めた。故郷には『魔王』を復活させようとするおかしな連中がいるということ。母さんはそいつらの計画のギセイにされたこと。命からがら逃げ出したけれど、そのせいで、母さんの息子は必ず『魔王』になる、ということ。
「どんな男と、でもか?」
「貴族でも海賊でも役者でもお坊様でもエルフでもドワーフでも翼人でも」
人種や年齢を問わず、だという。
「なら」
「子供を産まなければいいって、おっしゃりたいんでしょう? けれどダメなんですよ。アタシが望むと望まざるとに関わらず。アタシは十八歳で子供を産む羽目になる。まるで聖母様ですよ。教会に行ったら聖人認定とかしてくれますかね?」
そこで母さんはからから、と大笑いをした。まるで辛い記憶を消し去りたいかのように。
「そういうわけで、アタシのことはすっぱり諦めて、それ相応の娘さんと仲良くしてあげてくださいな」
背を向けて立ち去ろうとする。若い男はその手をぎゅっとつかんだ。
「待ってくれ。やはり、余の運命を変えられるのはそなたしかいない」
「いや、ですから……」
「昔、占い師に言われたことがあるのだ。余の息子のうち一人が『勇者』になる、と」
「へ?」
母さんは呆気にとられた顔をした。
「その子は成人して『勇者』となる。そして我が家に代々伝わる宝剣『ディグラト』と、聖霊剣『リロス』を手にして、『魔王』を討ち滅ぼす、と」
「おめでたい話じゃありませんか」
「代わりに、その子は命を落とす羽目になるそうだ」
若い男は、納得がいかない、という顔をした。
「何度も占わせたが、結果は同じだった。その子は十五歳で『勇者』となり、『魔王』と相打ちになって命を落とす。ごくまれに倒す未来も見えたそうだが、それでも大ケガをして数年以内に死ぬらしい」
「それは、また……」
母さんもなんと声を掛けていいのかわからないようだ。まさか『勇者』の父親と『魔王』の母親が、出会うなんて。
「占い師は栄誉だと言ったが、余は呪いだと思った。まだ十五の息子が戦って死ぬのだぞ。国の礎といえばきこえはいいが、我が子が短命に死ぬ。それが呪いでなくてなんだというのか」
「……」
「どうだろう、ここで一つ賭けをしてみないか?」
とまどっている母さんに、若い男がイタズラっぽく提案する。
「余の子と、そなたの子が同じであれば、どちらの運命が勝るのであろうな」
母さんはそこではっと息をのんだ。二人の子供は殺し合い、相打ちになる運命だという。なら、子供たちの運命を混ぜこぜにしてしまえばどうなるのだろうか。
「で……あなたは、どう思われます?」
「さてな」
若い男は困ったように首をかしげてみせる。
「上手くいけば、互いの運命を打ち消し合って、平々凡々な子が生まれるやもしれぬ。あるいは『魔王』の力を使える『勇者』、さもなくば『勇者』の力を持った『魔王』などという最悪な存在が誕生するやもしれぬ。こればかりはやってみなければわからぬ」
「……」
「分の悪い掛けだが、確かなことは一つ。このままでは『魔王』が生まれ、大勢の人間が命を落とす。そして『勇者』となる余の息子もだ」
「だから、あなた様を受け入れろと? まるで息子をタテにして自分のものになれ、とおどしているようなものですね」
若い男の言っていることは合理的だし、正当な理由もある。それはわかるが、母さんの息子としては納得がいかない。
「余は、ほかの誰でもない、そなたに子を産んで欲しいと思っている。それだけでは不服か?」
「アタシを愛していると?」
「最初からそう言っている」
「アタシは、お妃様にも第二夫人にもなれませんし、愛人なんてもってのほかですよ。こう見えて嫉妬深いんで」
母さんがまなじりを吊り上げる。
「お前の立場がどうだろうと、先の言葉を取り下げるつもりはない」
「身勝手なお方」
「生まれつきだ」
そこで母さんはにやりと笑った。
「もしかしたら、『勇者』でも『魔王』でもない、ヘンテコな子になるかもしれませんよ?」
「それも一興だ」
若い男は母さんを抱き寄せた。二人の影が重なろうとする寸前、僕の意識は途絶えた。




