『白』と『黒』のラビリンス その15
「何の冗談だ?」
ノアさんからいきなり医者にならないか、と誘われてジュディスもとまどっているようだ。
「君も知っているとおり、我々『レイヴンズ』は各地を巡って治療に当たっている。けれど、患者は星の数ほどいる。ずっと人手が足りない」
「だから、私程度でも医者にしようかと? バカげている」
ジュディスは鼻で笑った。
「何より私には、里の者を導くという義務がある。ほかを当たってくれ」
「つい先程、殺すなら殺せ、と言ったばかりだな。ならその義務とやらを捨てたのだろう? 捨てた命なら、ワタシが拾っても問題はないはずだ」
「私に医者など向いていない」
「向いていると思えばこそだ」
ノアさんは食い下がった。
「体力はもちろん、信念もある。 里を率いるだけの、人をまとめる力もある。会話の出来ないものには医者になれない。……何より、人の命の大切さを知っている」
「挙げ句の果てが、このざまだ。里の者はさらわれ、戻ってこない。ああ、そういうことか。里への義務がなくなってヒマそうだったからか。そんなに退屈そうに見えたか?」
皮肉っぽく言ってから天を仰ぐ。ノアさんはなぐさめるように言った。
「捨て鉢になるのは止した方がいい。まだ死んだと決まったわけでもあるまい」
「私は誰かを『選別』するのもされるのもまっぴらだ! それが大切な者たちならば尚更な。せいぜい顔を隠しながら何十人でも助けて何百人でも見殺しにするといい!」
「君はっ……」
「それよりも」
と、ベニーが二人の間に割って入る。
「どこか安全に休めそうな場所はありませんか。スノウちゃんではありませんが、ワタクシも眠くて眠くて……」
ふわあ、と大きなあくびをする。
僕たちが『迷宮』に入ってから半日以上は経っている。なら今は真夜中だろう。『迷宮』の中では、昼も夜もないから時間の感覚がおかしくなっているようだ。
ノアさんが大きくため息をついて恥ずかしそうに頭をかく。興奮してかっとなっていたのに気づいたようだ。ジュディスの進路はともかく、今は休んだ方がいい。
「……だそうだ、どこか知らないか?」
ノアさんの問いかけに、ジュディスは舌打ちをする。
「付いてこい。神殿の地下にあの男が使っていた部屋がある」
なるほど、そこなら安全だろう。自分の部屋にワナを仕掛けるバカはいないからね。
連れて来られたのは、神殿の地下の奥にある部屋だ。ほかにも部屋があったけれど、カギがかかっているのか入れなかった。
「私が知っているのは、ここと先程の神殿までのルートだけだ」
先回りするかのようにジュディスが言った。
「この部屋は元々、神官が使っていた部屋らしくてな。がんじょうに出来ている。魔術でもびくともしない、と本人は言っていた」
なら信用して良さそうだ。人質を取られたジュディスにわざわざハッタリを言う必要はない。ベニーが調べたところでも間違いなさそうだ。
部屋の中は、存外に整っていた。部屋の隅にベッドが一つ。シーツはわずかにしわ寄っているけれど、乱れていない。
あいつのことだからおもちゃ箱のように散らかっているとばかり思っていた。
ほかには本棚と机とクローゼットだけ。何か武器か、この状況を何とか出来るようなヒントでもないかと思ったけれど、本棚は空っぽだったし、服も普通のものばかりで、目を引くようなものは見当たらなかった。部屋の奥には扉があって、一回り小さな小部屋に続いている。使用人が寝泊まりするための部屋だそうだ。
「ほかにはどんな話を?」
「リオを『魔王』にするのに協力しろ、と。さもなければ里の者を『迷宮』に食わせると……どこに閉じ込められているかは言わなかった」
ジュディスの顔が曇る。『迷宮』で死んだ人は、骨まで吸い取られて栄養になってしまう。
また、気まずい雰囲気が流れる。
「とりあえず今日の所は休もう。明日になって異変がなければ、神殿の中を探そうと思う」
ノアさんの意見に異存はないので僕はうなずいた。
「では、ワタシとジュディスが大部屋。ベニーとリオ君はそちらの小部屋を使ってくれ」
「お前と? 不埒なマネをするつもりではあるまいな」
「その心配はない」
返事をするなり、ノアさんは仮面を外し、頭に被っていた布を外した。
僕はあっと声を上げた。
首筋で切りそろえた黒い髪に、黒曜石のような黒い瞳。赤く薄い唇。僕の母さんと同じくらいの、オトナの女性だった。
ノアさんはにこやかに言った。
「ワタシには、夫と子供もいる」
僕はベニーの好意でベッドを使わせてもらうことになった。
わずかなロウソクの明かりだけが部屋を照らしている。
スノウは僕の枕元で丸くなって眠っている。
隣の部屋では、ノアさんがベッドで、ジュディスが床に布を敷いて休んでいる。ノアさんが譲ろうとしたけれど、ジュディスは頑としてゆずらなかった。
真っ暗な天井を見ながら僕は今日のことを思い出していた。
ケガもして、体は疲れているのに、目が冴えて眠れなかった。
もしエミリオと戦えば、僕はまた負けてしまうだろう。あいつに打ち砕かれた『運命』はまだ、壊れたままだ。さっきのスノウのように、出し抜く方法を考えるしかない。けれど、僕が気になるのはそこではなかった。
母さんのことだ。
いくら別のことを考えようとしても、頭の中にフタをしても『呪い』という言葉が煮えたナベのように吹きこぼれる。
母さんは何を思って僕を産んだのだろう。答えを聞こうとしても母さんはもう冥界だ。仮に聞けたとしても、聞くのが怖い。
もし「お前なんて産むんじゃなかった」と言われてしまったら、僕はもう、どうなるかわからない。
リオ……リオ……。
いつの間にかうつらうつらとしていた時、僕の名前を呼ぶ声がした。
誰だろう? ノアさんでもジュディスでもベニーでもない。もちろん、エミリオでもなければ母さんが迎えに来たわけでもなかった。
なんだか、目の前が明るい。恐る恐る目を開ける。
僕はびっくりした。
目の前で淡く光り輝く人が、宙に浮いている。けれど、びっくりした理由はそれだけじゃない。
そこにいたのは、とんでもなくキレイな女の子だった。




