『白』と『黒』のラビリンス その14
ノアさんの服の中からスノウが飛び出してきた。
そんなところに隠れていたのか。
可愛らしい声で鳴くと、エミリオの手から『迷宮核』がまるで足でも生えたかのように落っこちる。
「なっ!」
あわてて拾おうとしたけれど、指先でかすかに転がしただけだった。
エミリオの体が淡く光りながら宙に浮いていたからだ。
「これは……その猫のしわざかっ!」
苛立ちをあらわにしながらスノウに手を伸ばそうとするが、一足遅かったようだ。
「にゃっ!」
スノウが勢いよく鳴いた。
エミリオの体はそのまま矢のように神殿の外へ飛び出していった。ゴーレム軍団の真ん中に放り出されるのと入れ違いに扉が勢いよく閉まる。
神殿の中がまた薄暗くなった。しん、と静まりかえる。
「どうやら、戻ってこないようだな」
ノアさんがほっとした様子で『迷宮核』を拾う。
「我々が出られないのならばあの男を外に出せばいい、というわけですな。いやはや、頭のいい猫ちゃんですな」
ベニーが感心しながら何度もうなずく。
けれどスノウは弱々しく鳴くとあくびをする。顔を手で拭いた後、その場で丸くなってしまった。
「おや、もうおねむですかな」
「疲れたんですよ」
僕はスノウを静かに抱きかかえる。
ふしぎな力を使えるけれど、この小さな体では限界がある。
また僕はスノウに助けられてしまった。
「ゴメンよ、スノウ……」
返事の代わりに穏やかな寝息が聞こえた。
ノアさんが不安そうに扉の方に顔を向ける。
「どうにか助かったが、このままでは寿命が少し延びただけだな」
ノアさんが思案げに頭を抱える。
「ここは『迷宮』の中で、彼らの本拠地ですからな。ここに入ってくるのも時間の問題でしょう」
ベニーが困ったとばかりにひげを撫でる。
この神殿はがんじょうそうだけれど、何十体ものゴーレムが押し寄せたらさすがに壊れるだろう。
実際、外で地響きがしている。ゴーレムが動き回っているのだろう。
この神殿が『白』の一族にどれだけ大事なのかはわからないけれど、いざとなれば穴を開けるくらいはするはずだ。それにエミリオだってすぐに戻ってくる。
「ちょいと失礼」
と、ベニーがノアさんの肩に飛び乗ると、腕をつたって『迷宮核』に触れる。
目を閉じると手の肉球が輝いた。
「一時的に、ではありますがゴーレムをこちらの支配下に置きました。あとはエミリオの動き次第ですが、ゴーレムに動きを止めさせていますので時間稼ぎにはなるかと」
「『迷宮核』を操れるのか?」
さすがにノアさんもびっくりしたようだ。
「『迷宮』の研究はワタクシどもの主人も、進めていますので」
「何者だ?」
「聞かない方がよろしいかと」
まあ、『見つからない者たち』とは言えないよね。
「これが操れるのなら、いっそここからは出られないのか?」
それなんですが、とベニーが首をかしげる。
「さっきからやっているのですが、どうにも上手くいかなくて。どうやらこれとは、別系統のようですね」
「どういう意味だ?」
「つまり、これとは別の『迷宮核』がどこかにあるかもしれません」
「わたしが聞いた話では、確か一つの『迷宮』につき、『迷宮核』は一つだけだと……」
ノアさんが首をかしげながらつぶやく。
「普通でしたらそうですね。ですが、ここは特別なのです」
ベニーは周囲を見回すと、顔を曇らせながら言った。
「おそらく、ここは『大迷宮』です」
ほかのと何が違うのだろう? 疑問に思っているとベニーが解説してくれた。
「『迷宮』というのは、『星界』に住む『星獣』がこの世界に実体化した存在です。でずが、まれに『迷宮』同士が引っ付いてしまうことがあるそうなのです。それが『大迷宮』です」
引っ付いてしまった『迷宮』は互いに引き寄せ合い、一つになる。けれど、元々別の存在だったので、『迷宮核』は二つある。
双頭の怪物、というわけか。
「『迷宮』にはそれぞれクセがあります。洞窟のようなものや、硬い城のようなもの、中には森や砂漠になっているものもあると聞きます。『大迷宮』はそれらが入り交じっているのです。それがどれだけ厄介かは、おわかりでしょう?」
普通の攻略法が通用しない、というわけか。難しさは倍、いやそれ以上になるだろう。
「おそらくどこかにもう一つの『迷宮核』があるはずです。そちらで内部をあやつっているのでしょう。そちらをどうにかしない限りは、このままですね」
つまり現状、僕たちの打つ手は限られている。
「……ひとまず、奥に行ってみようう。もしかしたら神殿の中に隠し通路でもあるかもしれない」
「あなたもそれでよろしいですか?」
「え、あ、うん」
急にベニーから同意を求められて、びっくりしながらもあいまいにうなずく。
「どうかしましたか? 先程から元気がありませんね。先日お目に掛かったときは、たいそうご自分の思うままに動いておられたようでしたが」
「……ちょっとね」
僕は返事をにごした。ベニーの言うとおり、僕の体から気力というものが抜け落ちている。理由は、母さんのことだ。
「わかるか? 母親が命を縮めたのはお前のせいだ。お前はあの女にとって『呪い』だったんだ」
エミリオの言葉が頭から離れない。母さんは『魔王』を産むために作られ、命を縮めた。
僕にとって母さんは、いい加減でだらしがなくて気分屋で口が軽くて、ダメなところを上げればキリはないけれど、それでも僕は大好きだった。
けれど、母さんはどうだったのだろう。
母さんからの愛情を疑ったことは、一度もなかった。空気のように当たり前に受け取ってきた。けれど、それは当たり前でも無限でもない。世の中は、実の子であろうと憎みも殺そうとする親だっている。けれど、そんなのは物語の存在でしかなかった。僕にとっては無縁の世界のはずが、急に現実味を帯びてきた。
僕という存在は、母さんにとって重荷ではなかったのだろうか。『魔王』を産むなんて宿命づけられなければ、僕さえいなければ、母さんにはまた違った道があったたのではないだろうか。
二本の足でしっかりと立っているはずなのに、つま先立ちのようにぐらぐらと揺れて頼りない。風が吹いただけでも倒れてしまうそうだ。
この状況でもう一度、エミリオと戦いになったらどうなるのだろう。
戦わなければ、と思っていても力が出ない。
「それでは行きましょうか」
「ああ、それと。君はどうする?」
ノアさんが闇の中に声を掛けると、ジュディスが気まずそうな顔で現れた。
さらわれた村人たちを助けるためとはいえ、一度は僕たちを裏切ったのだ。
申し訳なさと恥ずかしさでしょんぼりしているようだ。
「……言い訳はしない。殺したいのなら好きにしろ」
両手を挙げ、降参の意思を示しながら言った。僕と一緒で、もう戦う気力はないらしい。
「では遠慮なく」
「待ってくれ」
ベニーが魔術を使いそうだったので、ノアさんがあわてて食い留める。
「現状は君が見たとおりだ。我々は今、追い詰められている」
エミリオの『運命砕き』のせいで僕たちはここから出られない。
追い出した上に外のゴーレムを操って食い止めている。それも戻ってくるのは時間の問題だ。
「あのエミリオという男は信用できない。村の人たちを素直に返すかどうかかは疑問だ」
「……」
「だが、我々と協力すれば別の道が開けるかもしれない。『運命』とやらは形の定まらないものだからな。君には、この神殿の案内を頼みたい。少なくとも私たちより詳しいはずだ」」
「何故、そこまでしてわたしに協力を求める?」
ジュディスが不思議そうに言った。
「わたしが案内できる場所など限られている。仲間に引き込むより殺した方が後腐れもないはずだ」
「後腐れを気にするくらいなら、こんな仕事には就いていない」
助けた人が後で何をするかなんて、お医者様にはわからない。ひどい大悪人になる場合だってある。けれど、それを気にしていたら誰一人助けられなくなる。子供だって将来、どう育つかわからないものだ。
「……わたしに何をさせるつもりだ?」
「それなんだがね」
ノアさんは頭を掻いてから言った。
「君、医者になるつもりはないか?」




