四人目のリオ その19
「魔女だと、ふざけたこと言っているんじゃねえぞ」
「まったく、そうですよ」
レンドハリーズのリオさんの抗議に僕も同意する。
「とんがり帽子も黒いローブも着ていない上に、折れ曲がった木の杖もない。それで魔女なんて言えますか?」
僕が物語で見た魔女はだいたいそんな感じだった。
「あんなのは、まじないや儀式の時だけさ。普段からあんな格好していたら目立って仕方ないよ」
「ですが」
「だいたい、あの格好で洗濯したり掃除したりなんてサマにならないだろ」
「なるほど」
歩きにくそうだもんね。寝間着にも不便だろうし。
「あたしの名はタビサってんだ」
この森の奥にある小屋に一人で住んでいて、薬草を摘んで薬を作り、それを宿場町に売りに行って生計を立てているという。
「魔女と言っても力は知れているからね。あたしに出来るのはせいぜい秘伝の薬くらいさ。傷を治したり、毒消しや腹下し下痢止め、それから」
「んなこたあどうでもいいんだよ」
たまりかねた様子でレンドハリーズのリオさんがタビサさんにつかみかかる。
「俺たちが聞きたいのは、どうしてまじないだか薬だかで俺たちを迷わせたかって言うことだよ」
返事次第では剣も抜きかねない剣幕だ。僕が取りなそうとする前にタビサさんが口を開いた。
「近付かれちゃあ困るからだよ」
「どこに? テメエのボロ小屋にか」
タビサさんは言った。
「グラスプールから逃げてきた連中にだよ」
言葉の意味を理解するのに僕を含め、少しだけ時間がかかった。
真っ先に動き出したのは、『竜殺しの槍』のリオさんだ。
「ちょっと待て、ばあさん。グラスプールってそこの宿場町か」
「ほかにグラスプールって名前の町は知らないね」
「コカトリスに食べられたんじゃなかったんですかー」
のんびりとしたマイナさんのつぶやきに、タビサさんが鼻白む。
「あたしが逃がしてやったのさ。食われる前にね」
僕たちはタビサさんとともに避難している人たちのところに行くことになった。タビサさんの言うことはうのみにできなかったし、このまま解放するのもためらわれた。報告するにしても、一度確認した方がいいだろうと意見が一致したので、案内させることになったのだ。
「元々、この森にはあまり魔物は出ないんだ。宿場町も近いから、領主様も定期的に兵士を派遣して間引いているからね。森の奥にまで行かなきゃそう危なくもないのさ」
ところが、半月くらい前から魔物の動きが活発化してきたのだという。
おそらく『大暴走』のせいだろう。離れたこの辺りにも影響が出ていたようだ。
「最初はゴブリンだの三ツ目オオカミだのだったんだけどね。それから四つ目オオカミやオーガ、そしてとうとう森のヌシまで動き出しちまった」
「コカトリス、ですか」
タビサさんがうなずく。
「宿場町の方に向かって来るみたいだったからね。警告に行ったのさ」
最初は宿場町の人たちは誰も信じなかったらしい。コカトリスが住んでいるというのは有名だったけれど、ここ何年も発見されていなかったからだ。そこでタビサさんは一計を案じた。魔法の薬を使って宿場町のみんなを森の奥に誘導したのだ。
「ああ、なるほど」僕はぽんと手を打つ。
「コカトリスの幻覚を見せて、みんなを逃がしたんですね」
「そんな都合のいい薬なんかあるもんさね」
「ではどうやって?」
タビサさんはにたりと笑った。
「薬の中にはね、頭の中を空っぽにするのもあるんだよ」
まず帰った振りをして夜中、ひそかに町の中に薬を飲ませる。考える力がなくなったところで、言いくるめて宿場町のみんなを森の奥の安全な場所へ誘導した、そうだ。
僕は顔をしかめた。宿場町の人たちを逃がしたのは、いいことだと思う。でも薬を使って操るだなんて、明らかに間違っている。目的が正しいとしてもやり方が間違っていては、それは正義とは呼べない。
「不服そうだね。なら、どうやって逃がすんだい? 町のアホ共全員説得している間に、コカトリスが来ちまう。大変だねえ」
僕の表情を見て、皮肉っぽい仕草で肩をすくめる。反論しようにもとっさにいい方法も思いつかず、黙り込むしかなかった。なんだか悔しい。
「一人だけ薬の効きの悪い親父がいて、そいつだけはどうしても自分の店から出ようとはしなかったけどね」
僕の頭の中で、石になったおじさんの顔が浮かんだ。
「もしかして、『蛍火亭』の」
「おや、知っているのかい」
タビサさんが僕の顔を覗き込みながら言った。
「その顔だと案の定、石にされちまったようだね。食われなかったのかい」
「幸いにも」
「不幸かも知れないけどね」
ヒヒヒ、と気味の悪い声で笑った。
「何十年も動けずに石のままなんて考えただけで気が狂いそうじゃないか」
森を進んでいくと、嗅ぎ慣れた臭いがした。
「魔物除けのお香ですか。この臭いはカナシラ草かな」
わりとあちこちに生えている草なので作りやすい。これでコカトリスを寄せ付けないようにしてるのか。
「あとはクラトの樹液と、あとは幾つか薬草を混ぜているみたいですね」
鼻をひくつかせていると、タビサさんがへえ、と感心したような声を上げた。
「おや、よく知っているね」
「母さんに教わりました」
「あんたのおふくろさんってのは薬師なのかい?」
「薬師、なのかなあ」
確かに変な薬を作ってもいたけれど、畑仕事もしていたり、花も育てたり、ミツバチを育てたり、近くの川で魚も釣ったり、僕以外にもカバンとか刺繍とか縫い物もしていたり、楽器を弾いて歌も作ったり、ランダルおじさんの工房で包丁も研いでいたし、鶏小屋も作っていた。
怠け者で飽きっぽいくせに色々な仕事に手を出していた、というのが息子である僕の印象だ。
「あえて言うなら何でも屋、でしょうか」
「あたしはてっきり、ご同業かと思ったけどね」
と、そこで僕のカバンを見る。
「大事そうにしているじゃないか。そいつを作ったのはおふくろさんかい?」
「はい」
「どうやら大層なまじないが掛かっているみたいだね。並大抵の魔女じゃ作るどころか、術も掛けられやしないだろうね」
「タビサさんもですか?」
「ムリだね」とんでもない、と言いたげに手を振る。
「魔力もまじないも桁違いだ。そいつを作ったのは、あたしなんぞじゃ及びも付かない大魔女だね」
「母さんは魔女じゃありませんよ」僕は首を振った。
「その証拠に、とんがり帽子も黒いローブも先の曲がった杖も持っていませんでした」
「何事も先入観で考えるとあとで痛い目を見るよ」
ふん、と鼻で笑った。
「隠し事を持っている奴は、どうやって隠すかを考えているもんさ。そいつが大きければ大きいほどいつも、ね」
小高い丘を越えると開けた場所が見えてきた。
木々の隙間から古びた小屋が見えてきた。石を積んだ壁に、屋根はそこらの枝や干し草を折り重ねている。裏には井戸もある。
小屋の周囲に大勢の人影が見える。あちこちで焚き火をしている。きっと宿場町の人たちだ。でもこんな夜中に外にいるなんて、どうしたんだろう。僕は明かりを掲げて光を遠くに伸ばす。目をみはった。
表情のうつろな人たちがたくさん集まっているのに、座り込んだり、ただ夜空を眺めていたり、ほとんど何もせず小屋の周りに立っている。まるでゾンビの大群だ。おそらく薬のせいだろう。例の頭を空っぽにする薬のせいで意志を奪われているのだ。
ひい、ふう……見えているだけで三〇人以上はいる。小屋の中や裏側にもいるようだから、それ以上だろう。それだけの人間が、表情もなく無言で集まっているのだ。
「なんだこりゃあ……」
リオさんたちもあまりの光景にびっくりして二の句が継げないようだ。
「これは、どういうことですか?」
「こうするしかなかったのさ」
タビサさんは悪びれもせず言った。
「これだけの人数をかくまっておく場所がどこにあるって言うんだい。いつコカトリスがおそってくるかもわからない。けど、こいつらの好きにさせておいたら文句は言うし、泣くし喚くし。挙げ句の果てに自分だけで宿場町に戻ろうとするじゃないか。こうしておくのが一番手っ取り早いのさ」
「だからと言って、こんな夜中に外で放りっぱなしだなんてあんまりじゃないですか。ほかに方法はなかったんですか。それこそ助けを呼ぶとか」
「薬の効果は半日も保たないんだよ。助けを呼びに行っている間に、目を覚まして逃げちまう。そうしたらこいつらはコカトリスの餌食だ」
それに、とタビサさんは落ちていた木の枝を拾い上げる。
「もうしばらくの辛抱だ。すぐにコカトリスが片を付けてくれる」
それはどういう、と話そうとした時、僕は嫌な予感がした。
ごとり、と重い音がした。続けて足下が抜けて浮遊感とともに落ちていく。
まずい。落とし穴だ。しかも結構大きい。『城囲い』なんて目じゃないくらいだ。
僕はとっさに、地面を蹴る。まだ間に合う。穴の外まで行ければ、と思った時、背中から引っ張られた。
「危ないですー」
マイナさんが全然危なくなさそうな口調で僕のマントを引っ張っていた。予想外の展開に反応が遅れた。何とかマントを外した時には僕たちは落とし穴の底に落ちる。底にはたくさんの木の枝で作ったトゲが槍のように待ち構えている。このまま落ちたら串刺しだ。マイナさんだけでなくあとの三人も落ちている。
僕は穴の横あたりを蹴って穴の底へと頭から突っ込む。とがらせてある木の枝が僕の顔に迫るのを見ながら腰の剣を抜いた。
一回転しながら着地する。根元から水平に切り落とした木の枝が次々と穴の壁面に当たっていく。
ジャックさん、レンドハリーズのリオさんが底に落ちる。一瞬遅れて『竜殺しの槍』のリオさんが宙返りして着地する。
「あーれー」
最後に落ちてきたマイナさんをあわてて抱き止める。
「大丈夫ですか」
「おかげさまでー」
見たところケガはない。ほかのみんなも命に別状はないようだ。良かった。
穴の中は真っ暗だ。カンテラも上に落としてしまった。仕方がないのでカバンから予備のカンテラを取り出す。
明かりを付けて見回すと、どうやら涸れ井戸のようだ。存外に深い。僕の背丈の五倍はあるだろう。けどまあ、このくらいなら這い上がれる。
「おや、全員無事かね。なんとまあ、しぶといね」
見上げると、タビサさんが僕たちを見下ろしていた。呆れ半分、いまいましさ半分って感じだ。
「なるほど、最初っから俺たちを殺すつもりだったってわけか」
『竜殺しの槍』のリオさんが言った。
「あの森で迷っていてくれたら、世話なかったんだけどねえ」
「僕たちに何の恨みが……ああ、石を投げたのは謝ります。すみませんでした」
僕はぺこりと頭を下げる。
「ですので、ここから出していただけませんか?」
「そうはいかないね。生贄が多くなっちまったが、こうなった以上は仕方ないね」
生贄、という言葉に僕ははっとなった。
「もしかして、僕たちをコカトリスのエサにするつもりですか?」
『大暴走』の影響で刺激を受けたコカトリスが宿場町に向かってきた。でも(やり方はともかく)タビサさんのおかげで多くの人たちが生き延びた。唯一石にされた『蛍火亭』のおじさんも店の奥にいたせいか、食べられずに済んだ。
つまりコカトリスはまだ人間を食べていないのだ。四つ目オオカミを何匹か食べたかも知れないけど、まだお腹は空いたままなのだろう。当ての外れたコカトリスがまだ森の中を獲物を求めて探し回っている。
そこでタビサさんは考えた。いつまでも逃げ回るわけにもいかない。宿場町の人たちを薬でおとなしくさせるのにも限界がある。ならば、適当なエサを与えて満腹にさせてやれば、おとなしくなって巣に戻るのではないか。
「僕たちを薬で迷わせていたのもそのためですか」
「半分正解ってところだね」
タビサさんは口笛を吹いた。
「頭空っぽの方は飲み薬だからね。だから迷わせの香の方でウロウロしている間にコカトリスとかち合わせようとしたけれど、結果はご存じのとおりだよ。なら、別の生贄を差し出すしかないじゃないか」
「別の?」
どうやら僕たちをコカトリスに差し出すのはあきらめたらしい。でも、今この森にいるのは僕の知る限り、宿場町の人たちと……まさか!
「旅の馬車が魔物におそわれるなんて珍しくもない。まあ、運が良ければ半分くらいは生き残るんじゃないかね」
僕はめまいがした。僕たちの代わりに、馬車に残った人たちをコカトリスにぶつけるつもりなのだ。あそこにはスノウもロッティ、ジーンさん、モニカさん、それにトレヴァーさんやケネス、ウォーレスさんたちがいるというのに。
「ふざけんな、テメエ! 下りて来いやババア」
「悪魔め!」
「冥界の審判はあなたを地獄へと裁きますよー」
みんな口々にののしるけど、どこ吹く風だ。
僕は訊いた。
「どうしてそこまでグラスプールの人たちを守りたいんですか? 何か特別な理由でも」
「決まっているじゃないか」タビサさんは言った。
「あたしの薬草を買ってくれるのはあそこだけだからね。金がないんじゃあ、柔らかいパンも買えやしない。だろ?」
その表情はみにくく、ゆがんで、僕が物語の挿絵で見たどんな魔女よりも恐ろしげだった。




