四人目のリオ その13
リオさんの手のひらから飛び出したそれは、細長い釘のようにとがっていた。あっという間に僕の首筋に鋭い刃先が当てられる。ちくりと痛い。もう少し食い込めば、血が出そうだ。
隠し武器か。物語でも殺し屋がよく使っている。手つきから察するに、リオさんは使い慣れているようだ。おそらく手だけではなく、靴とか、腰の後ろとかにも仕込んでいるのだろう。口の中に仕込んでいる殺し屋もいるそうだけど、あやまってご飯を食べるときに大ケガしそうだ。
「おどしだと思っているなら大間違いだ。ここには俺とお前だけだ。お前一人くらいいなくなってもどうとでも言い訳がつく」
どうしようかな。できれば、全部「起こらなかったこと」にしておきたいのだけど、疑われるのもイヤだ。正直に話そうかと迷っていると、急に左肩が軽くなった。
「ああ、大丈夫だよ」
今にも飛びかかろうとしていたスノウをあわてて手の中に抱える。まだ手の中でじたばたしてるけれど、落ち着かせるために頭やのどを撫でてあげる。スノウがおとなしくなったのを確かめると、僕はリオさんに向き直り、にっこりと笑顔を作って言った。
「リオさんはいい人ですね」
「は?」
「仲間のことを気に掛けている。その上、こんな僕にもわざわざ忠告してくれている。これがいい人でなくって何だというんですか」
リオさんとケンカしたくはない。恨みはないし、悪い人でもなさそうだ。
敵意のないことを知らせるためには、まず相手をほめる。それから笑顔だ。
これはおべっかなんかじゃないよ。僕は本気でそう思っているからね。
「ご心配をお掛けしたことは謝ります。ですが、別に悪さを企んでいるわけではありません。ちょっと護衛のジャマになるようなものを事前に取っ払っただけです。倒れている木とか、落石とか、山賊とか」
「『黒森徴税官』もか」
「おや、よくご存じで」
「ふざけ……」
とリオさんがどなりかけて僕をまじまじと見る。色々と思い出したのだろう。ウソはついていないからね。しばらく額に青筋を浮かべたり歯ぎしりをさせたりと苛立ったような表情をしたけれど、急に疲れたような表情で「本当か?」と聞いてきた。
「本当です。なんでしたらスノウに聞いていただいても結構ですよ。ね」
「にゃあ」
と可愛らしくも力強い声に毒気を抜かれたのだろう。さっきまで真剣そのものだった目から力が抜けていく。ため息をつくと刃物をしまい込み、背を向ける。
「次、行くぞ」
それだけ言い置いてリオさんは宿の外に出た。
僕はスノウを肩に乗せ、後を追う。誤解があったようだけれど、とりあえずは見逃してもらったようだ。良かった、と胸をなで下ろす。
どうやらリオさんの「足」を傷つけずに済んだようだ。
話も一段落したので、僕も宿の外に出て改めて宿の周囲を探ってみる。『蛍火亭』という名前の宿には、宿の横に大きな木が生えているばかりで、何の変哲もない宿だ。
扉にも壁にもそれらしい傷はない。裏手の壁にヒビが入っていたけれど、ずっと昔に地震か何かで付いたもののようだ。ニワトリ小屋も覗いてみたけれど、一匹もいなかった。
一周して戻って来たけれど、何も見当たらない。原因は何なんだろうか。
「にゃあ」
あきらめて次の場所に向かおうとしたところでスノウが鳴いた。何かを捕まえるかのように小さな手を伸ばしている。
「どうしたんだい、スノウ」
抱き寄せると、スノウはもう一度にゃあと鳴いて顔を上げた。
「上?」
屋根の上に何かあるのだろうか。下からでは見えないな。
僕は庭の木づたいに屋根に登る。わらぶきなので、うっかりすると踏み抜いてしまいそうだ。足場のしっかりしたところを選びながら慎重に屋根の上を進む。
「おや?」
日も暮れて下からでは見えなかったが、屋根の上にあるわらの一部が束ごとなくなっている。風で吹き飛んだというより、何かが力任せに引きちぎったようにも見えた。
「これに気づいたのか、さすがはスノウだね」
のどの下を指で撫でてあげると、スノウはうれしそうにのどを鳴らした。
僕ははがれている部分にしゃがみこんで、調べる。束になったわらが真ん中ところでちぎれていたりと、大きなものがムリヤリむしり取ったようだ。
そこでもう少し高い場所から見てみようとカバンから虹の杖を取り出すと、『瞬間移動』する。
夜空にただよう紫色の霧に包まれながら僕は息をのんだ。屋根に刻まれていたのは、巨大な鳥の足跡だった。
ここだけではなかった。顔を上げると、街道沿いに並ぶ宿の屋根のあちこちに、巨大な鳥の足跡が付いていた。遠目なのでわかりにくいけれど、前に三本、後ろに一本とどれも同じ足跡のようだった。
何だこれは?
あんまりびっくりしたので落下しているのにも気づかなかった。気づいた時には、加速しながら『蛍火亭』の屋根へと矢のように落ちていた。わらぶき屋根を足からぶち抜こうとする寸前、僕は虹の杖を握った。
「あれ?」
祈ったのに『瞬間移動』どころか、杖は光りもしなかった。落下は止まらず、僕は屋根に足から突っ込んだ。目の前が真っ暗になり、次の瞬間にはテーブルの上に着地していた。先程までいた『蛍火亭』の一階にある食堂だ。たくさんのテーブルとイスが置いてあって、奥のカウンターにはお酒の匂いがするタルが二つ並んでいる。テーブルから下りて、見上げると吹き抜けの屋根に大穴が空いている。
「これって弁償ものだなあ」
「にゃあ」
しっかりして、と言いたげにスノウがおでこで僕の顔を押す。頭についていた麦わらが、はらりと落ちる。
「おい、大丈夫か?」
足形のついたテーブルを拭いていると、リオさんが『蛍火亭』に飛び込んできた。
「ご心配をお掛けしました。それより早く戻りま」
しょう、と言いかけて僕は目をみはった。
「リオさん。いました」
「いたって……もしかして村の奴か」
「おそらく」
「死んでいるのか?」
「わかりません。ただ、話は出来そうにもありませんけど」
たくさん摘んであったタルが崩れて、奥に灰色の人がうずくまっているのが見えた。四〇歳くらいの男性だった。この宿の主人だろう。恐怖に見開いた目は何も写さず、縮こまった腕も足も伸びる気配はない。
もし腕のいい職人の仕事でないのならば、それは石になった人間に違いない。
「なるほどな、完全に石だなこれ」
石像のほほをつついたり服を引っ張ったりしながらリオさんが言った。
「ってことは、魔物の仕業かこりゃ」
「おそらく」
魔法か何かで町の人たちを石に変えたのだろう。お金に手を付けていないのもそのせいか。人間の仕業、という可能性もあるけれど、今のところそれらしい足跡も見つからなかった。
「……まずいな、こりゃ」
リオさんの頬に汗が流れる。
「急いでこの町から出た方がいいな」
「どうしたんですか?」
「このおっさんが石にされたとして、だ。人が少なすぎやしないか?」
リオさんの言うとおりだ。宿場町なのだからもっと石像があちこちに転がっててもいいはずだ。
「俺の予想が確かなら、石にされた連中は全員食われたな」
僕ははっとした。魔物は千差万別、色々な種類がいる。けれど、石を食べる魔物なんてそう多くはない。
「さっき、屋根の上で鳥みたいな足跡を見たって言っていたよな」
「はい」
「だとしたらこの町をおそった魔物ってのは、多分こいつだな」
リオさんは懐から鳥の羽根を取り出した。大きい。まるで扇のようだ。付け根の方が白く、先が赤い。
「さっきそこの庭先で拾ったんだよ」
その声は確信と恐れに満ちていた。
「この町をおそったの、『石喰蛇鶏』だ」




