四人目のリオ その4
翌朝、僕は宿を出ると待ち合わせの場所である馬車の乗降場に来た。正門のすぐ側にあって、左右を見張り台の着いた石壁がそびえている。『大暴走』の時はここで、門を通ってきたヘルハウンドやミノタウロスと戦った。
地面には白い砂が撒かれているけれど、壁には爪で引っ掻いた痕や、オークの棍棒で入ったヒビがそのままになっている。僕がロックゴーレムを蹴飛ばした時についた穴もそのままだ。
トレヴァーさんたちはまだ来ていなかった。行き来する馬車のジャマにならないよう、壁のすみっこで座って待つ。
猫じゃらしでスノウと遊んでいると、二回ほど名前を呼ばれた。別の人だった。三回目がようやく僕だった。
「そんなところで何してんだ、お前」
「やあ」
近付いてきたのはケネスだった。相変わらず、長い黒髪をうなじの辺りで縛っている。以前と違い、手甲に黒いウロコを貼り付けている。
「ああ、これか?」
僕が指摘すると、ケネスは指でウロコをなでた。
「お前の落とし物だよ」
ダドフィールドの町を出る時に、逃げる方向をごまかすために何枚かブラックドラゴンのウロコをわざと落としたんだった。そのうちの何枚かをトレヴァーさんたちが拾って自分の物にしたのだろう。僕としては捨てたと思っていたので、好きに使ってくれればいい。
「ところで」とケネスが辺りを見回す。
「お前の仲間ってどこだよ」
「ここにいるけど」
「にゃあ」とかわいらしいスノウをケネスの眼前に持っていく。
「こいつが?」
「僕の親友だよ」
かしこい上に不思議な力まで使える。僕は何度も救われた。
「いや、これ、猫だよな。しかも白猫じゃねえか」
「それは迷信だよ」
まさかケネスまであの下らなくてバカバカしくて事実無根のデタラメ・インチキな迷信を信じてしまっているとは思わなかった。嘆かわしい限りだ。
「スノウはいい子だよ。頭もお行儀もいいし、ご飯もきちんと食べる。それから何と言っても……」
「知るかよ」
懇切丁寧にスノウの素晴らしさを説明しようとしたら、ケネスがつまらなそうにそっぽを向いた。
「とっとと来い」
背中を向けてさっさと行ってしまった。僕はスノウと顔を見合わせて首を傾げた。
スノウを肩に乗せて追いかけると、ケネスはトレヴァーさんたちと合流していた。
トレヴァーさんの後ろには冒険者らしき人たち、そして幌馬車が三台も並んでいる。馬車の周りには老若男女たくさんの人が集まっている。あれが護衛対象の人たちのようだ。商売人風の人もいれば、旅姿の人もいる。かと思えば着の身着のまま、って感じの貧しそうな人もいる。まるで隊商のようだ。
「この人たちは? みんな依頼人なんですか?」
「聞いてないのか? 今回は、ほかの冒険者と合同で行くことになったんだよ」
ケネスによると盗賊などの危険を考え、ほかのミロティーヒル方面へ向かう人たちとも一緒に向かうことになったらしい。初耳だ。
トレヴァーさんたちが護衛するのは、上品そうな老夫婦だ。今回の一件をきっかけに、ミロティーヒルにいる息子夫婦と住むことになったという。
「えーと、僕の護衛する人は、と」
そういえば、僕はまだ依頼人に会っていない。ギルドの受付さんには、ここで待ち合わせだと伝えてくれている、はずだ。ギルドでもらった割り符を手に持ちながら探す。
「あの、護衛の方ですか」
声を掛けられて振り返る。
若い夫婦が寄り添うように立っていた。といっても年の頃は僕より年上だろう。夫の方は茶色い髪、お嫁さんの方は黒い髪をして、夫婦とも温和そうな顔立ちをしている。でも着ているものはすすけていて、あちこち傷んでいる。
どうやら着の身着のまま、の組のようだ。互いの割り符を確認する。間違いない。
「はじめまして、僕はリオ。短い間ですが、よろしくお願い致します」
「私はジーン。こっちは妻のモニカです。それから」
ぐい、と指を引っ張られる。ふわふわの髪をした、小さな女の子だ。まだ三つか四つだろう。
「娘のロッティです」
「ごえいさん、どうも、よーしくおねがいしまーす」
舌っ足らずだけど一生懸命な僕もにっこりしてしまう。
「はい、どうもよろしくね」
小さな手に僕の指を握らせる。握手の代わりだ。
かぷっ。
いや、スノウ。いくら僕でもこんな小さな子供にぽーっとはならないから。僕はオトナだからね。
「あの、本当にいいんですか」
ジーンさんが不安そうに尋ねてきた。
「あなたは三つ星だそうですが、その、私たちではお支払いできる報酬もそれほど多くは」
「もちろん、構いませんよ」
聞けば、『大暴走』で経営していた毛織物の店が商品ごと焼けてしまったのだそうだ。財産を失ったため店をたたみ、親類のいるミロティーヒルに引っ越すという。
依頼票はたくさんあったけれど、その中でもシーンさんの依頼票は下の方にあった。つまり前から依頼は出していたけれど、誰も引き受ける冒険者がいなかった証だ。
事実、ほかの依頼票より報酬は安かった。誰も引き受けなかったのはそのせいだろう。もし誰も受けないと親子三人だけで旅をしなくてはいけなくなる。
だからこそ、適当な依頼を選んだのだ。
「依頼を受けた冒険者は集まってくれ」
背の高い人が馬車の前で腕を上げて、号令を掛けている。何だろうと思ったけれど、トレヴァーさんたちも集まっているようなので僕も付いて行く。
「全員揃ったか」
三十は超えているだろう。短い黒髪で、がたいのいい大男だ。目付きもオオカミのように鋭い。頑丈そうなプレートメイルに、前からでも見えるくらいに大きな盾を背負っている。
「初めての奴もいるから自己紹介しておく。俺の名前はウォーレス。四つ星だ」
と掲げた組合証には、言ったとおり四つの星が刻まれている。左右には五人の冒険者が並んでいる。ウォーレスさんの仲間のようだ。
「おや」
その中の一人に見覚えがあった。レンドハリーズ出身のリオさんだ。そういえばあの人も四つ星だった。
「今回は合同での護衛依頼ということで、冒険者も依頼対象も数が多い」
数えてみたら冒険者が僕を入れて五組十八人、依頼人が全部で二十三人、確かに大所帯だ。
「なので効率と全体の安全を考え、即席ではあるが、俺がリーダーとしてこのチームの指揮を執らせてもらう。異論のある奴はいるか」
ウォーレスさんがリーダーとしてふさわしいか、わからないので賛成も反対もできない。ただトレヴァーさんたちも何も言わなかったので、黙っていた。
異論も出なかったのでウォーレスさんがリーダーに決まった。
「とりあえず、依頼人には二台の馬車に分かれて乗ってもらう。冒険者はその横で護衛に当たってくれ」
「何故二台なんだ?」
僕と同じ疑問をケネスが口にする。馬車は三台あるのに。
「決まっているだろう」
返事をしたのはウォーレスさんではなく、でっぷりと太った商売人風の人だ。大儀そうに一番豪華な馬車の中から出て来ると、ウォーレスさんの隣に並び、馬車を手のひらで叩いた。
「この馬車はワシのものだからだ」
「俺たちのパーティの依頼人である、ゲイブリエルさんだ」
ウォーレスさんがうやうやしく紹介してくれた。
「本来ならば貴様らなんぞと一緒に旅をするなど嫌なのだが、こやつが人数は多い方がいいというから仕方なしに付き合ってやるのだからな。感謝するがいい。それと、ワシらの馬車には近付くな。勝手に中に入ろうとすれば、賊と見なして叩き出すぞ」
言いたい事だけ言ってゲイブリエルさんは馬車の中に入ってしまった。勝手な人だなあ。ふと中を覗いてみれば大きな木箱が積んである。きっと貴重な商品でも積んでいるのだろう。
ちなみに残りの二台は、ウォーレスさんが冒険者ギルドから借り受けたものらしい。
それから依頼人たちは、二台の馬車に分かれて乗ることになった。
ジーンさんとロッティは先頭の馬車だ。先にジーンさんが乗り、モニカさんがロッティを乗せようと持ち上げる。
「アンタはこっちだ」
すると突然、ウォーレスさんの仲間がモニカさんの腕を引っ張る。確か名前はデズモンドさんだ。金属を埋め込んだ皮鎧を着ており、頭は丸坊主にしていて、腕や顔に彫り物をしている。ウォーレスさんに負けず劣らず、体格のいい人だ。背中には大きな斧を背負っている。あれで叩かれたら真っ二つになりそうだ。
「何をするんだ!」
「こっちはいっぱいだ。アンタは後ろの馬車に乗ってもらう」
「お願いします。この子はまだ小さいんです。わたしもこちらに」
「ああ、ダメダメ。それじゃあ計画が狂っちまう。護衛はアンタらだけじゃないんだ」
モニカさんの抗議にもどこ吹く風だ。ジーンさんが馬車から飛び降りると、デズモンドさんの前に立つ。傍目にもわかるほど足が震えている。
「でしたら、私がそちらに移りますから。この子はモニカと一緒に」
「こっちは安全を考えてやっているんだ。アンタらのワガママで全員を危険にさらすつもりか、え!」
すごんだ声を出すものだから、ロッティはびっくりして泣き出してしまった。
「おい、こら泣くんじゃねえ」
怒鳴りつけるものだからますます大声で泣き喚く。デズモンドさんが腹立たしげに手を振り上げる。
「やめろ!」
ジーンさんが体ごとつかみかかる。一生懸命ではあるけれどけれど、素人の動きだ。体当たりをあっさりをかわされると、すれ違いざまにどん、と突き飛ばされる。ジーンさんはバランスを崩し、仰向けに倒れ込む。そのまま倒れれば馬車の縁に頭をぶつけるところだけれど、寸前でぴたりと止まった。もちろん、受け止めたのは僕だ。
ジーンさんを立たせると、ロッティを魔の手から救い、モニカさんに渡した。
「はい、お母さんと一緒だよ、よかったね」
頭を撫でてあげると泣き止んでくれた。
「おい、どういうつもりだ」
デズモンドさんが僕に食ってかかる。
「意味がわからないからです」僕は言った。
「こんな小さな子を母親から引き離して、何の得があるんですか? むしろずーっと泣き喚いて、かえってみんなのジャマになるだけでは」
「お前はウォーレスに逆らうつもりか」
「リーダーに文句はありませんが、言いなりになると言った覚えはありません」
「てめっ……」
「やめておけ」
僕に殴りかかろうとしてきたところでウォーレスさんが割って入った。
「確かに、お前の言うとおりだ。こちらの不手際だ。すまなかったな」
「いえ、わかっていただけたならそれで」
「乗員の配置は見直そう。それでいいか」
「ええ」
僕としても護衛する人は固まってくれていた方が守りやすい。
「その猫はお前のペットか」
と、スノウをあごで指し示す。
「親友です」
間違えてもらっては困る。
「何か問題でも?」
「いや」ウォーレスさんは首を振った。「あちこちうろついたり逃げないようにするならそれでいい」
「それなら大丈夫です」
スノウはかしこいからね。
「そういえばまだ聞いてなかったな。名前は?」
「僕はリオ、旅の者です」
と、冒険者ギルドの組合証を見せる。
「覚えておこう」
一瞬値踏みするような目をしてウォーレスさんは馬車の方に戻って行った。
その後は何事もなく、馬車の配置も決まった。
僕たち冒険者は、馬車の左右に分かれて歩くことになった。馬車もゆっくり走るそうなので問題はない。
「では、そろそろ出発だ」
「待ってくれ」
ウォーレスさんが号令を掛けた時、冒険者の一人が手を上げた。
「うちの依頼人がまだ来ていないんだ」
「お前たちの依頼人はそこの旅商人のはずだが」
「もう一人いるんだ」
聞けば、二組の護衛を引き受けたのだという。彼らは五人パーティだから二組に分かれて護衛をするつもりのようだ。
「それはそちらの勝手だろう」
ウォーレスさんは相手する気にもならないって感じで首を振った。
「ほかの依頼人の手前もある。間に合わないのなら俺たちは出発する。残るか先に行くかは好きに決めて」
「すみませーん! 遅れましたー」
息を切らせて走ってきたのは、キレイな女の人だった。二十歳くらいだろうか。短くまとめた栗色の髪に丸っこい瞳、魚みたいに上向いた唇が濡れて光っている。黒いワンピースに白い前掛け、頭には白い頭巾をかぶっている。
「よかったー、間に合ったんですねー、あ、わたしマイナっていいます」
「もう少し遅かったら置いていくところだったぞ」
「ごめんなさ-い」
ウォーレスさんが嫌味っぽく叱りつけると、照れ笑いを浮かべる。
大人びた人が子供っぽい仕草をするのは、不釣り合いだけれどそれがまた別の可愛らしさがあるな。ふへへ。
おっといけない。僕は歯を食いしばった。
かぷっ。
スノウがまた僕の耳をかんだ。
予想していたので大きな声を出さずに済んだ。これも日頃の心がけの成果だ。
「それじゃあ、出発だ」
再度の号令で僕たちはマッカーフォードの町を出た。




