誰がための…… その18
移動してきたのはさっきキツネさんとハワード様と降りた屋根の上だ。どこでもいいから、と『瞬間移動』したせいだろう。
また変なところに出てしまった。いや、ここでいい。ここなら誰にもジャマされないはずだ。
僕は急に体の力が抜けるのを感じて、てっぺんのところに座り込む。
「にゃあ……」
スノウが僕の肩の上に乗ると、寄り添うように体をすり寄せる。
「いいんだよ、スノウ。全部僕が悪いんだ」
ブレンダもウィルフレッド王子も悪くない。全て僕のせいだ。
こうなるのなら最初から打ち明けるべきだった。
それを変に隠し立てしたばかりに、僕がいくじなしだったばかりに、ブレンダを傷つけてしまった。
「にゃあ……」
スノウが甘えるような声を上げる。そんなことないわ、って言ってくれているような気がする。スノウは優しいな。
「ありがとう、僕を励ましてくれているんだね。でもなんてことはないんだ」
「にゃあ……」
今度は僕のほっぺをなめる。ざらついた舌がちょっとくすぐったい。
「大丈夫だよ。ほら、見てよ。いい天気じゃないか」
目の前にはオレンジ色に染まりつつある青空が広がっている。
物語なんかだと主人公が悲しいときには天気が悪くなって雨が降ったりするものだ。
でも今はいい天気だ。雲はあるけれどほんのまばらで、雨が降る気配はない。
『海賊トルネード』だってそうだ。ストームとの戦いで大切な船を失った時、仲間とケンカして離ればなれになった時、冷たい雨が容赦なくトルネードに降り注いだ。
だから平気なんだ。僕は今、落ち込んでなんかいない。
「にゃあ」
なのに、スノウはさっきから僕の顔にすり寄ったり、頬をなめたりしている。甘えん坊だなあ。
「大丈夫だよ、スノウ」
「にゃあ」
「大丈夫だよ」
「そこで何をしている」
膝を抱えていると、屋根の下から声を掛けられた。
覗き込むと、ハワード様が木箱の山に座りながら呆れた様子で見上げている。
僕はスノウを抱えながらひょいと飛び降りる。
「やあ、どうも」
すぐそばに着地したせいだろう。ハワード様はちょっとたじろいた様子だった。
よく見れば、キツネさんがいない。
「お付きの方はどうされたんですか?」
「モンタギューは人を呼びに行かせているところだ。この荷物を運ぶにはあやつだけでは足りぬからの」
キツネさんってそんな名前だったんだ。
どうやらハワード様はその間、おるすばんをしているらしい。
木箱のてっぺんでヒマそうに太い足をぶらぶらさせている。
どうやら退屈しのぎに話し相手が欲しいようだ。許しを得て、僕もその隣に腰掛ける。
「あの娘はどうした?」
「ブレンダでしたらちゃんと送り届けましたよ」
さっき屋根の上から『太陽の荒鷲号』が出港するのを見た。
「それにしては気分が優れぬようだな」
ハワード様が見透かすような目をしながらふん、と鼻で笑う。
「どうせ、あの娘に嫌われたのであろう」
僕はびっくりしてハワード様の顔を見つめた。肉の厚い顔が得意そうにゆがむ。
「そちの様子を見ればわかる。あの娘のことだ。恩知らずで恥知らずなマネでもしたのであろう。それとも、言い寄ってすげなく断られたか、ん?」
「そんなんじゃありませんよ」
僕とブレンダの名誉のためにもきっぱりと否定しておく。
「ハワード様はずいぶんと世の中にくわしいんですね」
「当然であろう」
嫌味のつもりで言ったのに、返事は思いのほか真剣な口調だった。
「我らが崇高な貴族であっても、治めるのは世俗の民だ。見ろ」
ハワード様が指さした先は、港町の桟橋だった。そこにはたくさんの人が集まっている。
魚を船一杯に積んで戻って来た漁師や、タルに詰まった貝を覗きながら二人の商売人が帳面片手に取引している。両手にカゴを持った魚売りが、漁師から魚を受け取ったかと思うと小走りに町の方へ走り去っていく。途中でこぼれた小魚をぼろきれをまとった人が大事そうに懐に入れて反対側へと走り去っていく。
「民の腹を満たすのが我らの責務だ。でなければ、民とて税も納められぬ」
「はあ」
同意しきれないけれど、反対もできず、あいまいにうなずいておく。
「そちはこの荷が何か知っておるのか?」
「いいえ」
そういえば中身は見ていなかった。軽かったり重かったり箱によって重さはまちまちだった。
ハワード様は黙って木箱から降りる。さっきまで座っていた木箱を杖でこんこんと叩いた。
「開けてみよ」
「よろしいのですか?」
「構わぬ」
許しも得たので、僕の剣をフタの隙間に入れてこじ開ける。
中に入っていたのは……濃緑色の海藻だ。しかも全部乾燥させてある。
「わが領地の特産品だ」
ハワード様の声には、どこか卑屈な気持ちが含まれていた。
「南の国では、今このような海藻や干物、乾物が人気らしくてな。サンドミストのメイヤー子爵が、そこの国の商会と大きな取引をすることになったのだ」
よその国との取引となれば当然、大きなお金が動く。大もうけのチャンスだ。そこでハワード様を中心としたランデルローの業者が何とかウチとも取引してくれないかと割り込んだ。
「味も質も価格もほぼ互角。ならば、次の出港までに先に商品を用意できた方と、取引することに決まった」
「両方ともと取引する、というのはダメなんですか?」
「それでは値が下がる」
欲しい人がたくさんいて、数が少なければ、自然と価格は吊り上がっていく。でも数がたくさんあるのなら大金を出してまで買う人はいないから価格は下がっていく。だから、出回る数を少なくして、なるべく高く売りたいのだろう。難しい言葉で希少価値というやつだ。
「それに積み荷の問題もある。そうそう大量には運べん。そちのようなマジックバックでもあれは別だがな」
ちらりと僕のカバンに視線が注がれる。
「それでその子爵様と競争していたんですか?」
肩から提げていたカバンの位置をずらしながら聞いた。
「どうにかむこうの要求する量は揃えたが、肝心の船が見つからない上に、例のバケモノのせいでニューステッドの港で立ち往生しておった。焦っておった時に、あの船を見つけたのだ」
ジルさんは僕との約束を果たすために『サイドワインダー号』の用意をしてくれていた。それをハワード様たちが見てしまったというわけか。
「そちたちのおかげでメイヤー子爵を出し抜くこともできた。これで民の暮らしも少しは潤うであろう」
「そうですか」
「だが、メイヤー子爵の民はこれで貧しくなるやも知れぬな。今回の取引のために方々に金をばらまいたりと、相当ムチャをしたようだからの」
「……」
「なんだ、もしかして負い目でも感じておるのか? ならばはっきり言おう。それは傲慢……おごりよ」
「おごり、ですか?」
「考えてもみよ。もしわしらが負けておったら、わしの民が苦しんでおっただろう。わしら一族の使命は、国王陛下より与えられたのは領地を守り、富み栄えさせること。力ずくで奪い取ったというのならまだしも、取引自体は正当なもの。よその領地がどうなろうと知ったことではない。民を飢えさせることこそ陛下への背信よ」
「ですが」
「それが傲慢だというのだ」
ハワード様は苛立った声で言った。
「人生は常に勝負だ。勝つ側もいれば負ける側もいる。負けたものを労るのは慈悲やも知れぬが、度が過ぎれば傲慢よ。己一人で何でも救えるなど、神か英雄にでもなったつもりか?」
「……」
「しょせん、人は己のためにしか動けぬ。献身だの自己犠牲だの、他人のためなどと全部おためごかしよ」
「違います」
世の中には命を捨てても守りたい人やものがある。それが全部偽りだなんて思えないし思いたくない。
「僕はスノウのためなら命を捨てる覚悟だってあります」
「それをその猫が望んでおるとでも?」
僕はと胸を突かれた。スノウは僕のひざの上に座りながら、いたいけな目で僕を見つめている。
「にゃあ……」
僕はたまらなくなってスノウを抱き抱えた。
「ゴメンよ、スノウ」
僕は神様じゃない。いくらガンバっても出来ない事や失敗するだってある。大切なのはその時々に最善を尽くすこと。
きっとスノウはそう言いたいのだろう。
僕がスノウを撫でていると、ハワード様が言った。
「そち、わしに仕えぬか?」
今度は仕官のお誘いか。どういう風の吹き回しだろう。
「わしにはそちのような剣の腕もなければ、不思議なマジックアイテムもない。そもそも己が能無しなのはわしが一番よくわかっている。だからこそ有能な家臣を求めているのだ」
「キツ……モンタギュー様のようにですか?」
「言ってやるな」
ハワード様が苦笑する。
「あれはあれで役に立つ。今度の取引を進言したのもあやつだ。ただ少々狭量というか小心者でな。金勘定は上手いが、人付き合いが下手なのだ。慣れれば、あれで愛嬌のある男だ」
「はあ」
愛嬌のあるキツネさんって想像が付かないんだけど。
「今度の手柄があれば、父上もわしを跡継ぎに据えるのは間違いあるまい。そうなればゆくゆくはわしがランデルローの領主だ。そちを騎士に取り立ててやっても良い。どうだ?」
「大変有り難い申し出ではありますが、謹んで辞退させていただきます」
僕はうやうやしく頭を下げた。
「だろうな」
折角の申し出を断ったのに、ハワード様の反応はそっけないものだった。てっきり怒り出すかと逃げる準備までしていたのに。
「まあ、気が向いたら来るがいい。歓迎してやろう」
「ご丁寧にどうも」
僕はスノウを抱えながら立ち上がった。そろそろジルさんのところに戻らないと。報告もしないといけない。
「船に戻るのか?」
「はい」
「そうか」ハワード様は急に気まずそうに顔を撫でる。
僕が虹の杖を掲げようとすると、ハワード様がちょっと待て、と言いながら木箱の中に手を突っ込んだ。
「ほうびだ」
手渡されたのは、干した海藻の束だ。
「ここまでの運び賃代わりだ」
「ありがとうございます」
お金なら断ろうと思ったけれど、これならいいだろう。
受け取りながらためつすがめつ見た後、においをかいでみる。
「これどうやって食べるんですか」
「水に戻してダシを取るのだ。そのまま具にしてもうまいぞ」
今度試してみようかな。
「その、この前は悪かったな。杖で殴ったりして。あの時は船が見つからずに気が立っておったのだ」
ハワード様が申し訳なさそうにあやまった。
「いえ、僕は気にしていませんから」
本当に悪いと思っているのか、ここであやまっておいた方が、後々僕の力を利用しやすいと思ったのかはわからない。
けれど、ここは素直に受け取っておこう。何だかんだと話している間に気が紛れた。
「ただ、杖はつくものであって、殴るものではありませんから。どうか、ほかの人を叩かないでください」
「善処しよう」
「それと、あの子の件はどうかご内密に」
「わかっておる」
ハワード様はめんどうくさそうに手を振った。
「この期に及んで訴え出れば、わしらまでしばり首だ。わしらは何も知らないし見なかったし何も起きなかった」
「そうでしたね」
黙ってくれているならそれでいい。
「では、僕はこれで。どうもお世話になりました」
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次回は12/29(土)午前0時頃の予定です。
次で「誰がための……」の最後になります。




