誰がための…… その11
朝になった。
甲板に出ると、白いもやを焦がすように太陽が東の空から登ってきている。さざ波の音が心地よい。最初は鼻がむずむずしていた潮の香りにも慣れてきた。
昨日は思わぬトラブルばかりだったけれど、天気もいいし風も追い風だからポルスウェイド島にも何とか間に合う。
「だといいんだけどね」
なのにジルさんは浮かない顔だ。
舵を取りながら湯気の立つコーヒーを飲んでいる。
「アンタも飲むかい?」
「たんぽぽコーヒーなら」
「あいにくこの船にはないね」
「置いておくべきですよ」
僕は心の底から親切で忠告する。
「世の中には昼も夜もたんぽぽコーヒーなしにはあけない、という人もいるんですから」
「今度から気をつけるよ」
ジルさんは気の乗らない声で言いながらコーヒーをすすった。ごくり、とのどを鳴らしながらも油断のない目つきで海の向こうをにらんでいる。
「何か気になることでも?」
「『海犬』のヒューゴってのは執念深いってので有名なんだよ。一度狙った獲物はどこまでも追い詰める。たとえ、一回逃れてもまたおそってくる」
ますますストームにそっくりなやつだ。
「そういえば」僕は気になっていることを聞いた。
「どうしてヒューゴは『海犬』なんてあだ名なんですか?」
当たり前だけれど、海に犬なんていない。犬みたいな顔だからだろうか。犬のようにワンワンうるさいからだろうか。色々考えたけれどこれは、という答えは出なかった。
ジルさんからの返事はなかった。恐れていたものがとうとうやってきた、と言いたげな視線が、遠く南の水平線に注がれている。
「ジルさん?」
「あれが答えさ」
ジルさんが震える手で指さした。
僕は目をみはった。
まだ夜の残る西空の下、深緑色の海を切り裂くようにして真っ白な犬が三頭、真っ黒な犬が三頭、合計六頭の犬が海の上を走って来る。どの犬も大きな耳が垂れ下がっていて、口は大きく、小さく黒い目にはひどく攻撃的な炎が宿っている。体つきもたくましく、しなやかだ。
波間をかいくぐりながら、地面を蹴るようにして水しぶきを上げてまっすぐに『サイドワインダー号』の方に向かってきていた。
「『海魔犬』だよ」
ジルさんが説明しながら大きく舵を切った。
「ヒューゴはね、魔物使いなのさ」
舵に従い、『サイドワインダー号』が東へと向かう。急な方向転換に船体がぐらりと傾く。スキュラは、ますます速度を上げて差を縮めてくる。
うなり声を上げ、獲物を追い立てる山犬のようにまっしぐらだ。白と黒の犬たちの向こう側、波間に小さな船影が見える。あそこに『海犬』のヒューゴがいるのか。
「なに、どうしたの?」
「また海賊ですか?」
急に船がぐらついたのでびっくりしたのだろう。船の中からブレンダや、オーヴィルが飛び出してきた。
「アンタたち遅いよ!」
ジルさんの檄が飛ぶ。
「『海犬』のお出ましだ。早く帆をたたみな!」
「へ、へい!」
オーヴィルたちがはじかれたように持ち場に着いていく。
「だそうだから。君も下に戻った方がいいよ」
「アンタはどうするの?」
「犬のお世話をしないとね」
僕は船尾の方に向かう。
「こう見えても犬のしつけは村でも……真ん中くらいだけれど、まあ大丈夫だよ」
本当は下から数えた方が早いくらいだ。僕は昔っから猫好きだったからね。
スキュラはもう顔のはっきり見える位置まで近づいていた。先程より距離を詰められている。これでは追いつかれるのも時間の問題だろう。
僕は虹の杖をふりかざし、『麻痺』の電撃を放った。
バチバチと稲光が音を立てて飛んでいく。それを白と黒の犬たちは、右に左に飛び退き、ジャンプしてかいくぐる。どうやって海の上を走っているのか、まったく不思議だ。
「これならどうだ!」
僕は、『麻痺』の電撃を目一杯広げて放つ。投網のように広がった電撃はさすがにかわしようもなく、次々とスキュラたちにぶち当たる。甲高い悲鳴が上がるものの、スキュラたちは素早く体勢を立て直し、『サイドワインダー号』に向かってきていた。
多少スピードは落ちたようだけれど、あまり効いた様子はない。拡散した分、威力が弱まったのか。
「ああ、もう!」
こうなったら連続で浴びせ続けるしかない。そう考えてもう一度虹の杖を構えた時、スキュラたちは一斉に飛び上がり、まるで魚を狙う水鳥のように水の中に潜り込んだ。
「なんだって!」
急いで身を乗り出すと、海面すれすれを白と黒の影たちが泳いでいる。
水の中も泳げるのか。そんなのずるい!
もう一度、『麻痺』の電撃を放つ。何本もの稲光が海面に突き刺さる。水は電気を通すそうだからスキュラにも当たっているはずだけれど、泳ぐスピードに変化は見られない。海に当たって威力が弱まったのか、元々電撃に強い魔物なのかはわからないけれど、このままではいずれ追いつかれる。
「ちょっと、何あれ?」
ブレンダが、手すりにつかまりながら海を覗き込んでいる。
「危ないよ、船底に戻って」
「大丈夫よ、もう落っこちるようなへまはしないわ」
ブレンダが意地っ張りな笑みを浮かべた瞬間、僕の耳が風切り音をとらえた。
「危ない!」
僕はあわてて飛び上がりながら腰の剣を抜き放つ。潮風とともに飛んできた矢を弾き飛ばした。同時に船のおなかのあたりに突き刺さるような音がする。
振り返ると、一際大きな船が昨日と同じ海賊旗をはためかせながら迫ってきているのが見えた。甲板で弓を構えた男たちが、残酷な笑みをしながら山なりに矢を放つ。今度は矢じりに火が付けてある。
何十本もの矢がまるで赤いカラスの大群のように飛んでくる。大半は風に吹かれ、海面に落っこちる。けれど、勢いのいいのが数本、船の胴体や甲板、マストに突き刺さる。油が塗ってあるのか、矢じりの火は少しずつ大きくなっていく。
「ああ、もう!」
僕は『水流』で小さな球を何個も出して、火を消していく。
その間にも次の矢がさらに束となって『サイドワインダー号』へと飛んでくる。
「しつっこい!」
今度は『大盾』を思い切り大きくして火矢を全部たたき落とす。一本も当たらなかったのにこりた様子もなく、海賊たちはまたも火矢をつがえていく。
飛んできた火矢に備え、もう一度『大盾』を『サイドワインダー号』の横に構えた時、右舷の方から水柱が上がった。何事かと振り向いてぎょっとした。
白い犬と黒い犬が甲板へと降り立ち、体を振って海水を払い落としていた。甲板にしぶきをまき散らすと凶暴そうに目を光らせ、うなり声を上げている。
しまった。火矢はオトリか。六頭の魔犬はうなり声を上げながら甲板を蹴り、バラバラに分かれて手前勝手に獲物へと向かっていく。
「きゃあっ!」
黒い犬がブレンダめがけて飛びかかった。よだれを垂らしながら大きな口を開け、白い牙を光らせる。
「このっ!」
僕はそいつを横から一撃で切り捨てる。血を吹き出しながら黒い犬は甲板をすべり、ケイレンしていたけれど、すぐに動かなくなった。さほど強い魔物ではなさそうだ。でも、見た目は普通の犬そっくりなのでいい気はしない。
オーヴィルたちの悲鳴が聞こえる。ぼーっとしているヒマはなさそうだ。
「下に逃げて!」
そう言い置いて一足飛びでオーヴィルの元に向かう。白い犬二頭に囲まれていた。マストの側で、モップを振り回しながら「この」とか「あっちいけ」と泣きそうな顔で叫んでいる。モップの先に白犬のスキュラがかみつくと、ぽきりと折れる。オーヴィルの顔が青くなった。
「うわああっ! 来るな!」
「動かないで!」
大きく飛び上がり、オーヴィルの前に着地すると剣を閃かせ、二頭のスキュラを切り捨てる。
「す、すまねえ。助かっ」
最後まで聞き終わるより早く、僕はオーヴィルを突き飛ばした。
一瞬遅れて、マストの根元に火矢が突き刺さる。
『海犬』ヒューゴ率いる海賊船がもうすぐそこまで迫っていた。
こればまずい。
スキュラも海賊も火矢もどれか一つずつなら何とかなる。でも同時に攻め込まれると人手が足りない。
「ええい、あっち行きな!」
ジルさんの声だ。見れば舵の前で白と黒、三匹のスキュラに囲まれている。
「今行きます。とりあえずイノシシさんは隠れてて!」
ついあだなで呼んでしまうと、僕は舵の方に向かって駆ける。走りながら飛んでくる火矢を払いのけ、カギ縄を引っかけて乗り込もうとする海賊たちを『麻痺』の電光でおどしつける。
「あっちいけ」
ジルさんにかみつこうとしていた黒いスキュラを体当たりで吹き飛ばすと、白いスキュラを切り捨て、もう一匹の黒スキュラを下から上に払い上げる。胴体を真っ二つにされた仲間のなきがらを踏みつけながら、口を開けて黒スキュラが向かってきた。
僕は剣を放り投げた。ずん、と黒スキュラの胴体に突き刺さった。串刺しになった黒スキュラは船の手すりに縫い付けられる。苦しげな悲鳴を上げて手足をばたつかせていたが、すぐに糸が切れたように動かなくなった。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。助かったよ」
放心した様子でジルさんが答えた。
これでスキュラは倒した。あとは海賊の方を何とかすればいい。相手の船に乗り込んで大暴れしてやる。
その時だ。西の海の向こうからたくさんの犬の鳴き声が聞こえた。
「ああ、まただ!」
苛立たしげなジルさんの言葉につられて僕も振り返る。
海賊船のはるか後方から海面の上を白い犬と黒い犬がこちらに向かってくるのが見えた。それも一匹や二匹じゃない。ひい、ふう……五十匹はいる。ウソだろう?
「六匹だけじゃなかったの?」
「スキュラが一番厄介なのはね。あの数なのさ」
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次回は12/10(月)午前0時頃に更新の予定です。




