誰のための…… その8
※前回の一部を加筆修正しました。
具体的にはキツネさんによるカリュブディス討伐を確認していたシーンが追加されています。
また、その他本文も加筆修正していますが、内容に変更はございません。
出発は昼過ぎになった。出港を告げる鐘とともに『サイドワインダー号』はニューステッドを離れた。ぐらぐらと波間に揺られながらゆっくりと進んでいく。予定では、明後日の昼にはポルスウェイド島に到着の予定だ。ブレンダが乗る予定の船はその夕方だから、今から行けば間に合うはずだ。
空も晴れていて、追い風も吹いている。出だしは順調のようだ。
でも僕たちは、薄暗くてじめじめとした船底で、カバンを枕に寝転がっている。荷物はハワード様のものだけではなかった。以前から頼まれていたという、木箱やタルが所狭しと敷き詰められている。中身は服や珍しい果実とか、干した魚だとか。おかげでさっきから魚臭い臭いがぷんぷんしている。
本当は甲板に出て海風に吹かれていたいところだけれど、ハワード様やキツネさんたちと鉢合わせするのも面倒なので閉じこもることにした。
スノウはさっきまで僕の指をかんだり、杖で叩かれたほっぺをなめたりしていたけれど、今は僕のおなか上で丸くなっている。僕のために心配したり怒ったりなぐさめてくれるのだから、まったくスノウは素晴らしい親友だ。
「ねえ」
僕の隣で座っていたブレンダが腹立たしさをこらえきれない様子で話しかけてきた。
「どうしてさっき、黙って殴られてたのよ」
「さっき?」
「港で、あの太っちょによ。アンタ、あの大ナマズを倒せるくらい強いんでしょ」
「ああ、あれね」
僕は頬をかいた。
「あそこで暴れたら全部終わりだからだよ」
船にも乗れないし、ブレンダがお尋ね者だとばれてしまうかも知れない。下手にかわしたり反撃してもますます怒らせるだけだ。ケガをさせないように取り押さえるのも出来ただろう。けれど、それをやってしまうとハワード様たちは屈辱に感じて、僕の提案を聞いてくれなかったかも知れない。
僕は弱虫ではないけれど、時には「何もしない」のが最善につながる場合だってある。
それに僕は全然痛くなかった。殴られる瞬間、自分から動いて勢いを殺していたし、背中も地竜の皮鎧のおかげで平気だった。
「だからって」
ブレンダはまだ納得がいかないようだ。
「あんな奴にいいように殴られて、最悪じゃない」
「あんなのは最悪とは言わないよ」
最悪というのは、ブレンダやスノウが同じ目にあわされることだ。いたいけなスノウに杖でひっぱたかれるだなんて、そうなったら僕はガマンできる自信がない。するつもりがない。する必要がない。
「そもそも、あんな奴らと一緒に乗らなくたっていいじゃない」
「それだとジルさんたちが困るからなあ」
ハワード様ご一行を縛り上げるなり出し抜くなりして、僕たちだけで『サイドワインダー号』乗ってしまうのも考えた。でもそれだと僕たちは良くてもジルさんたちが困るだろう。後でどんなイチャモンを付けられるかわかったものではない。
「まあ、いいじゃないか。向こうも僕の提案を呑んでくれたんだから」
ハワード様ご一行の乗組員は六人。キツネさんたち使用人と侍女さんで三人。騎士様が二人。人数が増えればそれだけ食料も必要、ということで、最低限に絞ってもらった。あとはジルさんたち船員が五名、そして僕とブレンダとスノウで合計十四名だ。
『サイドワインダー号』には一応、船室もあるのだけれど、予告通りハワード様とその家来たちに占領されて、僕たちの寝床は船底だ。
「ちょっと魚臭いけれど、二日間のガマンだよ」
「ねえ」
急にブレンダが話題を変えた。
「アンタって、結婚はしてないんでしょ。付き合っている人とかいるの? カノジョとか恋人とか」
僕は言葉に詰まってしまった。どうしてそんなことを聞くのだろうか。もしかして、気があるとか? いや、まさかねえ。
「いや、その、い、いないよ」
変な期待に声がうわずってしまう。
「ふーん」
気のなさそうなあいづちからは何の感情も読み取れなかった。
「じゃあさ、好きなタイプとかはいないの」
「うーん」
そういうのは考えたことがない。
あえて言うなら好きになった子がタイプ、というやつだろうか。
「あるじゃない。髪が長いとか短いとか。黒髪とか金髪とか」
「あー、どっちもいいよね」
長い髪もキレイだし、短い髪だって活動的でいい。髪の色も黒髪の艶やかなところも金髪も華やかなところも好きだ。もちろん茶色や赤毛、銀髪だって素晴らしい。
「気が強いとか優しいとか」
「特にないかな」
強いて言うなら優しい子だろうか。でも面白い子も楽しい子も物静かな子もいい。
「太っているとかやせているとか」
「健康が一番だよ」
ほっそりとした子も太っている子も別の魅力がある。
「年下とか年上とか」
「恋に年の差は関係ないよ」
「じゃあ、おばあちゃんとか」
「さすがにそれはちょっと」
「あのさ」
ブレンダが急に呆れたような目をした。
「アンタ、もしかして若くて可愛い子だったら誰でもいいんじゃないの」
「いやいやいやいや、そんなことはないよ!」
それじゃあ僕がまるで節操なしの女の子好きみたいじゃないか。なんて事言うんだよ。誰かが聞いたら誤解するじゃないか。その、失敬だな。スノウもそう思うよね、あれ、どうして何も言ってくれないの? どうしたの? どっか行っちゃうの?
僕たちを乗せて『サイドワインダー号』は進んでいく。
船底なので時間がどれくらい経ったのかわかりにくい。
時折上の方から「部屋が狭い」とか「もっとスピードは出ないのか」とか文句を言う声が聞こえる。
一体何をそんなに急いでいるんだろうか。そんなに急ぎの用事なのだろうか。たんぽぽコーヒーが一年分も手に入るのならわかるのだけれど。
ブレンダも退屈なのか、だまって寝転がっている。僕の腹時計によると、そろそろ夕ご飯の時間だ。
狭っ苦しい船底にいても退屈だし、外に出て食べよう。食べ慣れたパンや干し魚でも夕暮れの海を見ながら食べたら美味しいだろう。
ブレンダにそう呼びかけようとした時、不意に船体が大きくぐらついた。立っていられないほどの傾きに僕はとっさに身を屈める。
スノウが鳴きながら僕の胸に飛び込んできた。
「なに、どうしたの?」
ブレンダも身を起こして目を白黒させている。
「わからない」
大波でも起こったのだろうか。でも船は進んでいる。それどころかスピードが上がっている。
「ちょっと様子を見てくる」
僕は船上への階段を駆け上がった。スノウも後から付いてくる。
甲板に出る途中でジルさんと鉢合わせた。どうやら僕たちのところに来るつもりだったらしい。ひどくうろたえた顔をしている。
「どうかしたんですか?」
「まずいことになった」
ジルさんは唇をかんだ。
「海賊が出た」
海賊、と聞いて僕は不謹慎にもわくわくしてしまった。もしかして海賊トルネードのように数多の海を巡り、ドキドキするような冒険をしているのだろうか。
「なあに、にやけてんだい」
冷ややかな指摘に、はっと我に返る。
「言っておくけど、アンタが読んでいるようなオハナシの海賊とは訳が違うんだ。来なよ」
ジルさんとともに甲板に出る。冷たい海風が吹き付ける。水平線の向こう側に燃えるような太陽が西空を焦がし、半円になって沈もうとしている。とてもキレイな夕焼けだけれど、その太陽の光を浴びながら一隻の船が向かってくるのが見えた。
逆光になっているせいで黒い影になっていて、はっきりとはわからない。まるで幽霊船のようだ。ただ、マストの先には、黒地に白く染め抜いた旗が風にひるがえっている。ドクロに犬がかみついている絵だ。
「『海犬』のヒューゴの旗だよ」
ジルさんの声にはおびえがありありと浮かんでいた。
「あいつに捕まったらおしまいさ。何もかも奪い尽くして、女子供も皆殺しだよ」
「ああ、なるほど。ストームの方ですか」
『嵐の悪魔』ストームは、海賊トルネードの宿敵だ。百人を超える海賊を従えており、世界中の宝物を狙って略奪を繰り返す悪い奴だ。悪知恵も働いて、卑劣な作戦で何度もトルネードを苦しめる。最後はトルネードに敗れて、海のもくずとなって散るのだ。
「もしかして、こんな大きなサメの骨とか被ってませんか? あと眼帯とか、左手がかぎ爪になっているとか。そうそう、ペットにオウムを連れてませんか。薄緑色の羽根と、黄色いクチバシの」
「自分で確かめなよ」
ジルさんが突き放すように言った。
海賊船はもう船体がはっきり見えるところまで近づいてきている。『サイドワインダー号』がスピードを上げたのはこいつから逃げ切るためだったのか。でも向こうの方が船足が速い。
『海犬』ヒューゴの船は思っていたより小柄だった。小さな船で小回りが利く方が逃げやすい、と物語にも書いてあったからそのためだろう。
反面、船の先端には太くて固そうな角が付いている。あれで船に体当たりして動けなくするのだ。衝角というやつだ。
甲板には大勢の男たちがいた。ひい、ふう……二十人ってところか。いかつくて強面の、いかにも海の男って奴らばかりだ。手にはシミターや手斧を持って、凶暴な笑みを浮かべている。どれが『海犬』のヒューゴだろうか。見たところ、サメの骨をかぶった人はいないようだ。
ほかにもかぎ爪の付いたロープを頭の上で回している奴もいる。
衝角でぶつかって、動きを止めたところであれで乗り移るつもりだろう。
「おい、なんだあれは」
異変を察知したのだろう。キツネさんたちが甲板に出てきた。ハワード様の姿はなかった。
「どうやら海賊のようですよ。『海犬』のヒューゴとかいう」
キツネさんの顔がさっと青ざめる。どうやらご存じのようだ。
「ヒュ、ヒューゴだと。何故だ。やつら、しばらく姿を見せないと聞いていたのに」
「多分、あの怪物がいなくなったせいですよ」
ジルさんが険しい目を海賊船に向けながら答えた。
「いくら海賊でもあんな渦潮には勝てませんからね。なりを潜めていたんでしょう。で、怪物がいなくなったったって聞きつけて『商売』を再開したってところでしょう」
「な、なんとかしろ。お前ら」
「何とかって言われてもね」
ジルさんはうっとうしそうに首を振った。
「向こうの方が船足は速い。ここらは障害物も何もないから隠れることもできませんよ。おまけにこっちにはろくな武器もありません。これじゃあどうあがいたって」
「わかりました」
僕はカバンから虹の杖を取り出した。トルネードならいざ知らず、ストームみたいな海賊に捕まるわけにはいかない。
「ちょっと向こうに行って、こてんぱんにしてきます」
カバンの甲板に置いてスノウに留守番をお願いする。
目標はもちろん目の前の海賊船だ。
「アンタ、行ってくるって」
「『瞬間移動』」
ジルさんの声が途中でかき消える。次の瞬間、僕の姿は向かいの海賊船の上にいた。
お読みいただき有り難うございました。
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次回は11/29(木)午前0時頃に更新の予定です。




