誰がための…… その7
11/25 時間軸的におかしな部分があったので加筆修正しました。
服を乾かし、小舟をもとあった場所に置いておく。港に戻ると人だかりができていた。
船乗りや漁師らしき人たちが、「あれはなんだ?」とか「信じられない」とか言いながら沖の方を指さしている。背伸びして人だかりの隙間から沖を見ると、黒い小島のような大ナマズが波間に揺られている。カリュブディスの死体だ。
よかった。取りに行く手間が省けたよ。口で「倒した」といっても信じてもらえないだろうからね。
本当はカリュブディスも『瞬間移動』で持って来られたら手っ取り早かったんだけど、あの状況ではそんな余裕はなかった。
カリュブディスを運ぼうとしたら、今度は小舟の方をあきらめなくちゃいけなくなる。
いくらお金を払ったとはいえ、借りたものを無くしたり壊したりするのは申し訳ないし、僕も気分が良くない。
「あいつが船を沈めていたのか?」
「一体誰が倒したんだ?」
「オレ見たぜ。金髪の子供が小舟に乗ってあいつに向かっていったんだよ」
船乗りは目がいい、という話を聞いたことあるけれど当てにならないね。それとも遠目だから見間違えたのかな。
「アンタ、無事だったの?」
不意に後ろから声を掛けられた。振り返ると、ブレンダが目を白黒させていた。まるで幻惑の魔法でもかけられた後みたいだ。
「君こそどうしてここに?」
「アンタがアタシの寝ている間に出て行くからでしょう」
朝早いうちの方が目立たなくてよかったからね。
「ちゃんと置き手紙は残しておいたはずだけど」
「だからここに来たのよ!」
人混みの間からつま先立ちで沖の方を見渡す。カリュブディスの周囲には何羽もの海鳥が飛び回っており、間際には小さな波が立っている。どうやら血の臭いを嗅ぎ付けて魚たちが肉をついばんでいるようだ。
「あれが、例の魔物なの」
「みたいだね」
ジルさんから聞いた話とも同じだったし、まず間違いないだろう。
ブレンダは声を潜めながら「あれ、本当にアンタが?」と聞いてきた。
僕はうなずいた。
「信じられない」
「そう」
信じる信じないはブレンダの勝手だ。腕自慢に興味はない。
「とにかく問題は解決したからね。これでポルスウェイド島にも行けるよ」
僕が強い弱いはともかく、魔物はいなくなった。これは信じてもらわないと困る。
「そうだ! 船だ!」
誰かが叫んだ。
「こうしちゃいられねえ。おい、お前ら今すぐ出航の準備だ」
海の男たちがあわてた様子で船に乗り込んでいった。あの大ナマズのせいで船が出せなくて弱っていたのだろう。
「僕たちも行こうか。ジルさんたちも待っているだろうからね」
ブレンダもジルさんたちとは、昨日のうちにあいさつを済ませてある。
「え、ええ。そうね」
ブレンダはそこではじめて正気に戻ったように、自分の顔をはたいた。
港の外れに行くと帆を張った船が見えた。ジルさんたちも大ナマズのなきがらを見たのだろう。準備万端のようだ。
ちなみにコードニー商会の船は『サイドワインダー号』という。僕ならもっと格好いい名前を付けるんだけどね。『海猫丸』とか『たんぽぽコーヒー号』とか『ハッピースノウ』とか。
「おや」
『ハッピースノウ』もとい、『サイドワインダー号』の前に見覚えのない人たちがいる。コードニー商会の人たちや、港にいた海の男とも違う。
あれは、貴族だ。
年の頃は三十から四十、というところだろう。白髪交じりの銀髪に豆粒みたいに小さな眼は落ち着きなく動かしたり、しきりにまばたきしている。携帯用のイスに座りながら小太りの体を大儀そうに揺らす姿は、まるで玉乗りする牛のようだ。赤い薄手のマントを羽織り、白いシャツに緋色のベスト。黄色いズボンは内側からぴんと伸びて今にも張り裂けそうだ。
男の周りには四人の男がいる。二人は男の左右から大きな葉っぱをあおいでいる。残り二人は男の後ろで注意深く目を光らせている。左右にいるのが家来で、後ろの二人が護衛、というところだろう。
「アンタたち」
僕たちが近づくと、ジルさんがためらいながら言った。
「すまない、その、船が出せなくなっちまった」
「どういうこと?」
ブレンダが叫びながらジルさんにつかみかかる。
「こいつがあのデカブツを倒したら船が出せるんじゃなかったの!」
「仕方ないんだよ」
ジルさんが申し訳なさそうに目を伏せる。
「ハワード様がどうしても船を出せって聞かないんだよ」
と、恨めしそうに貴族らしき男を見る。ハワード様と呼ばれた男の人は、家来に額の汗を拭かせながら腹立たしげに風をはらんだ帆をにらんでいる。
「どちら様ですか?」
「隣町の領主様の三男坊さ」
ジルさんの声にはいまいましそうな響きが混ざっていた。
三男坊というには少々とうが立っているような気がするのだけれど。
でも領主様が健在なら六十歳でも七十歳でも息子には変わりないのかな。でも隣町の領主様の息子さんがどうしてここにいるんだろう。
「ハワード様」
と、そこへ家来らしき人が駆け寄ってきた。多分、執事か家令だろう。目も細くて面長で、口元には長いひげも生えている。まるでキツネだ。
「ウワサは間違いありません。あの怪物はなきがらとなって海に浮かんでおりました。これならば間に合います」
「おお、そうか」
ハワード様が破顔する。カリュブディス討伐の確認をしていたらしい。
「どこの誰だか知らぬが、よくやってくれた。ほめてつかわすぞ」
ほめられても別にうれしくないけどね。
僕は心の中で赤い舌を出す。
「あの」
らちがあかないと思ったのだろう。ジルさんがおずおずと話しかける。
「なんだ、その子供は」
ハワード様がとなりにいた僕を見て、不愉快そうな顔をする。振り向こうとすると、ジルさんに「アンタのこと」と両手で顔を戻された。
「僕はリオ、旅の者です。その、あなたも船に乗りたいとのことですが」
「言葉を慎め、無礼者!」
叱りつけるようにどなったのは、駆け込んできた家来だ。
「こちらにおわす方をどなたと心得る。恐れ多くも、ランデルロー領主ハリー様がご子息・ハワード様であらせられるぞ」
自分が領主様でもご子息でもないのに、とてもいばっている。
決めた、この人は今からキツネさんだ。
キツネさんに紹介されたハワード様は、ハトのように胸を反らす。
ジルさんが小声で教えてくれたところによると、ランデルローというのは、ニューステッドから西にある海沿いの町だそうだ。浅瀬に囲まれているので大型船の出入りは出来ないけれど、代わりに漁が盛んで、生きのいい魚がたくさん捕れるらしい。
「存じ上げております」
たった今、聞いたばかりだけどね。
「ハワード様は崇高かつ火急の用件に付き、ポルスウェイド島まで行かねばならぬのだ。貴様らごとき平民どもとは訳が違うのだ」
なあんだ、ハワード様もポルスウェイド島に行きたいんじゃないか。
「でしたら一緒に行きませんか? 僕たちもちょうどその島に行くところなんですよ」
「そうもいかないんだよ」
ジルさんが首を振る。
「船に乗るのは、ハワード様だけじゃないのさ。ほら」
と指さしたのは、ずらりと並んだ人だかりだ。ひい、ふう……三十人か。キツネさんと同じような格好をした人もいれば、鎧兜の兵士さんやエプロンドレス姿の侍女さんもいる。その後ろには木箱やタルが山と積まれている。
「みんなハワード様のところのご家来衆さ」
「引っ越しでもされるんですか?」
「すべて大切な御用に欠かせぬ品なのだ。まだ少ないくらいだ」
参ったか、と言わんばかりに胸を反らすキツネさん。ポルスウェイド島まで二日くらいのはずだけれど。
「領主様のご子息ならご自分の船を使えば」
漁師町の領主様なら船くらい持っているはずだ。
「それができれば、こんなぼろ船など頼むか!」
聞けば、『サイドワインダー号』より大きな船を三隻も持っていたという。ランデルローからは浅瀬のせいで船が出せないから、ニューステッドに駐めていたそうだ。ところが、あのカリュブディスに二隻も沈められてしまい、もう一隻は領主のハリー様が別の仕事で乗って行ってしまった。新しい船は建造中で、できあがるのは三ヶ月後になる。
「港にはもっと大きな船もあるはずですが」
「それが、やつら全て断りよった」
ハワード様が口を開いた。眉間にしわを寄せ、じたんだを踏みそうな勢いで悔しがる。
「手頃な船は全て押さえられている、くそ、奴らめ。わしを出し抜こうと」
どうやらポルスウェィド島に行きたいのは、ハワード様だけではないらしい。競争でもしているのだろうか。一着でゴールしたらたんぽぽコーヒーが一年分もらえる、とか。
「そもそも、こんなに乗れるんですか?」
僕の質問に、ジルさんは悲しそうに首を振った。
「こいつは貨物船じゃあないからね。荷物に加えてこれだけの人数を載せたら沈んじまうよ」
「俺たちもそう言っているんですが」
オーヴィルが恨めしそうにハワード様に視線を送る。説得は失敗に終わったようだ。
オーヴィルたちもいつもより縮こまっている。
マッキンタイヤーでは無頼漢のようにふるまっていたけれど、やはり貴族を目の前にすると怖いのだろう。いきなりしばり首にされたらたまらないからね。
「そこを何とかするのがお前たちの仕事だろう」
「どうにもならないことは、どうにもなりませんよ」
キツネさんの無責任な発言につい反論してしまう。
船というのは重すぎれば沈んでしまう。これは自然の摂理だ。
根性でどうにかなる問題ではない。
「ほかのものを捨てればいいではないか」
「こんな大荷物にこの大人数じゃあ、マストまで捨てたって追いつきませんよ」
「ちょっとアンタ!」
ブレンダがたまりかねた様子でキツネさんに食ってかかる。
「この船はアタシたちが先に乗ることになっているのよ。後から来たくせに偉そうにしないでよ。こっちは急いでいるんだから! ジャマしないでよ」
「なんだ貴様は」
キツネさんの顔色が変わった。
「平民の分際でハワード様のジャマをするつもりか。無礼な」
ハワード様が大儀そうにうなずいた。それを受けて取り巻きの兵士たちが剣を抜く。
「待ってください」
僕はスノウをブレンダに預けると、あわてて前に出る。ここで騒ぎを起こしてはまずい。何よりブレンダは今、追われる身だ。船に乗るどころか、最悪捕まってしまう。
「無礼は彼女に変わって謝ります。どうにかお互いに納得のいく道を探しませんか」
「騎士きどりか。ご苦労なことだ」
ハワード様はイスから立ち上がると、キツネさんから杖を受け取った。
「誰に向かって口を利いている!」
杖を振り上げると僕の顔を殴りつけてきた。僕は逃げなかった。
がつん、と目がくらんだ。とっさに体をずらしたので大して痛くはなかったけれど、勢い余って僕の体は横倒しになってしまう。
ブレンダの叫び声と、スノウの鳴き声が聞こえた。
「生意気な! この生意気な!」
僕の体を杖で滅多打ちにする。背を丸めてなすがままになっているとぐりぐりと、背中を踏みつけられた。
「どうだ、参ったか、この」
ぜいぜいと荒い息をつきながらハワード様が勝ち誇る。
「止めなさいよ」
ブレンダが僕をかばうように乗りかかる。スノウもハワード様の前に立って毛を逆立て、うなり声を上げている。
「やるならアタシをやればいいじゃない。この卑怯者」
「なんだと」
「待ってください」
僕は素早く立ち上がるとハワード様の前に立ちはだかる。
ブレンダやスノウを殴らせるわけにはいかない。
「先程の話の続きです。一つ、取引と行きませんか」
「何だと?」
僕はホコリを払いながら母さんのカバンを開ける。
「これは魔法のカバンです。見た目は小さいですが、とてもたくさんの物が入ります。いくらでも、とはいきませんがそこの荷物くらいでしたら何とか」
と、うずたかく積まれた木箱を指さす。
「何をバカな」
半信半疑って顔のハワード様に構わず、ひょいひょいとカバンの中に木箱やタルを詰め込んでいく。その場にいた家来やジルさんたちが、あっと息をのむ。
「ご覧の通りです」
ハワード様もキツネさんも目をぱちくりさせている。わかってもらえたようなので、カバンから木箱やタルを取り出し、元あった場所に置く。
「もちろんタダではありません。僕たちも一緒の船に乗せてください。それが条件です。そちらの方々も乗れる人は限られるでしょうけど、当然僕たちが優先です」
「ふざけ……」
「言っておきますが、このカバンを使えるのは僕だけです。もし力ずくでカバンを奪ったとしても出し入れはできませんのであしからず」
物欲しそうな目をしていたのであらかじめ釘を刺しておく。ハワード様は一声うなると、キツネさんと小声で話し合う。
「よかろう」
心の中で百ほど数えたくらいに返事が来た。
「ただし、船室はハワード様と我々が使う。貴様らは船底で荷物と一緒だ。それでいいな」
僕はうなずいた。
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次回は11/26(月)午前0時頃に更新の予定です。




