誰がための…… その1
今回から新たな話の始まりです。
つづら折りに丘を下るにつれて森の空気が変わり、生温くて絡みつくような風が顔をくすぐっていく。これが話に聞く潮風というやつだろうか。深呼吸をすると心なしか海の香りがする。
僕とスノウは今、ニューステッドに向かっている。エインズワース王国の南側にある、港町だ。南の大陸からの荷物がたくさん届くとかでにぎやかな町らしい。
スノウもこの町から来た。
胸を高鳴らせながら道を下っていくと、深い森を抜けて、木々の隙間からまばゆい光がいくつも照り返すのが見えた。
わくわくしながら駆け出すと、目の前には見渡す限りの水平線が広がっていた。
海だ。
広い、というか、ものすごく大きい。
濃緑色から奥に行くに従って紺色や青、と色を変えながら白いさざ波を立たせている。手前には港町には何艘もの帆船が留まっている。人なんかまるで小麦の粒のようだ。
僕は海を見るのは初めてだ。海と言えば物語には欠かせない。『海賊トルネード』や『三ツ目のカッパー』『水晶島』……胸躍る冒険の舞台だ。
母さんや村長さんたちから海がどんなものかは聞いていたし、本でも読んでいたけれど、本物はやっぱり違う。迫力というか、存在感が桁はずれだ。
「すごいね、スノウ」
「にゃあ」
スノウもなんとなくうれしそうだ。
「君の家族もここにいるのかい?」
スノウは返事の代わりに僕の足にしがみついてきた。
「大丈夫だよ」
僕はスノウを抱き上げると、左肩の上に載せてあげる。
「君を置いていったりなんかしないよ」
「にゃあ」
スノウは僕にほおずりしてくる。へへへ、かわいいなあ。
「それじゃあ行こうか」
ニューステッドをめざし、道を下っていくと不意に馬のいななきが聞こえた。
一回だけではなかった。苦しそうな、助けを求めるような、鳴き声は絶え間なく続いている。
僕はスノウが落ちないように手で押さえながら駆け下りていった。
街道を下り、再び森の中に入った先で一頭の馬が苦しげに鳴いていた。理由は一目でわかった。頭からすっぽりと網をかぶせられているからだ。植物のツルで編んだらしきアミの先には何個もの石がくくってある。ふりほどこうにもふりほどけずに、網を顔に引っかけながら暴れ回っている。
馬の傍らには銀色の鎧を着けた騎士がうつぶせに倒れている。やはり頭の上からツルでできた網がかぶせられていた。そして騎士様の側には一人の女の子が立っていた。
「ざまあないわね」
手に持ったロープのようなものをもてあそびながらまるで女王様のように騎士様を見下ろしている。十二、三歳くらいだろう。黒髪を二つに縛っていて、子猫のような目をくりくりさせている。獣の皮でできた上着を着崩しているけれど、だらしなさよりも年齢に不釣り合いな色気のようなものをかもしだしている。短いズボンから伸びた足はほっそりとしていて、まぶしくなるほど白い。
「貴様……」
金髪の騎士様はくやしそうに女の子を見上げる。あれ、あの人どこかで見たような気がするけど、どこでだろうか。
「にらんだってムダよ。口だけの騎士様になんかアタシが負けるもんですか」
「そうかな?」
突然、騎士様が網の隙間をくぐり抜けて立ち上がった。
隠し持っていた短剣でツルを切り裂いたのだ。
騎士様は網をくぐり抜けると短剣を手に女の子におそいかかる。
僕が声を掛けるより女の子が先に動いていた。大きく後ろに飛び下がると着地する寸前に手に持っていたロープを騎士様めがけて放り投げた。ロープの先には二個の石がくくりつけられていた。
あれはただのロープじゃない。ボーラという、捕まえるための武器だ。
女の子の手から離れたボーラは音を立てながら騎士様の足下に絡みつき、走り出したばかりの騎士様を再びうつぶせに転ばせた。騎士様の手から短剣がすっぽ抜ける。
「だから言ったでしょ。ムダだって」
「くそ、なぜだ、力が」
「さっきアンタが嗅いだ煙の中にしびれ薬を混ぜておいたのよ。効果は短いけれど、その分効くのも早いのよね」
女の子は短剣を拾い上げると、興味深そうに短剣の刃を眺める。その目には怒りと残酷な光を宿していた。
「いい剣ね。もらっといてあげるわ」
地面に倒れたままの騎士様の上に馬乗りになる。騎士様はしびれ薬とやらが効いているのか思うように動けないようだ。女の子が短剣を逆手に持ち替える。その手はまるで何かの病気のように震えていた。
「まずはアンタで試し切りね」
女の子は短剣を両手で持ち直すと、歯を食いしばり、目を閉じながら騎士様の首筋めがけて振り下ろした。
「それはよくないよ」
もちろん黙って見ているつもりはないので、寸前でその手を押しとどめる。
「この短剣はこの騎士様のものだ。それを盗んだ上に殺そうだなんて、まるでどろぼうじゃないか。いや、もっとたちが悪い。それはね、盗賊というんだよ」
「何よ、アンタ! いつの間に……」
「君がのんびりやさんなだけだよ」
気配を消して背後から近づいただけだ。『贈り物』を使うまでもない。
「離しなさいよ、この!」
「何があったのかは知らないけれど、短剣で刺そうだなんて見過ごせないからね。まずは事情を話してくれないか。ひとまず落ち着いて話し合いを……」
「そんなものいらないわよ!」
女の子は涙混じりに大声を上げた。僕がびっくりした隙に短剣を手放すと、騎士様から飛び退いて、一気に街道脇の茂みの中へと飛び込んでいった。
「あ、ちょっと待って」
急いで追いかけようとした途端、茂みの向こうから黒い球が飛んできた。
手のひらに収まるほどの小さな球はころころと道を転がり、突然まばゆい光を放った。一瞬遅れてカミナリが落ちたような轟音に僕は耳をふさいだ。
目と耳を奪われ、ようやく目を開けた時には女の子はいなかった。
カバンから虹の杖を取り出し『失せ物探し』を使う。女の子は山の中を下りながら海の方へ向かっているようだ。追いかけようかと思った時、目のはしっこに倒れたままの騎士様が映った。
「大丈夫ですか?」
放ってもおけないので、『治癒』を使う。これでしびれ薬とやらも消えるはずなんだけれど。
しばらくすると騎士様は体を起こした。ボーラを外し、手や肩を動かして体の調子を確かめていた。良かった、無事なようだ。水袋を差し出すとごくごくと飲み干した。
「どうぞ、落とし物ですよ」
ホコリを払い落とし、短剣を差し出す。そこで騎士様ははっと目を見開いた。
「お前……リオ。リオじゃないか」
今度は僕が目を見開く番だった。どうして僕の名前を知っているのだろうか。
「忘れたか。ほら、私だ。バートウイッスル伯爵の領地でウィルフレッド殿下の供をしていた……」
「ああ、あの時の」
どこかで見たと思っていたらあの時の騎士様か。
「ジェスロ・スタウト、殿下付きの騎士だ。久しいな」
「その節はどうも」
僕は頭を下げて一礼する。
「それにしても何故、あの時黙って姿を消したのだ。殿下がたいそうご立腹であったぞ」
「色々と事情がありまして」
ありすぎて困るくらいだよ。伯爵も適当にフォローしてくれれば良かったのに。
「もしかして、殿下もお近くにいらっしゃるのですか?」
「殿下は今、シクドーラ王国にいらっしゃる」
ウィルフレッド殿下は海を隔てた南にある、シムドーラ王国に行っているそうだ。王国では南方との貿易をもっと拡大したいらしく、交渉のための使節団を派遣することになった。殿下は見聞を広めるため、使節団に同行して海を渡ったのだそうだ。
もちろん理由はそれだけではないだろう。ミルヴィナと婚約したのと同様に、外国の力を借りて次の王様になるための応援を頼むだめだ。
スタウト様も同行していたのだけれど、王様への報告のために一足先に帰国して王都へと向かう途中だったそうだ。
「あの子は何者なんですか」
「初めて見る顔だ。だが、ただの物取りではなさそうだ」
聞けば、馬に乗ってに乗って山道を登っている途中、目の前に黒い球が放り込まれたという。なんだろう、と思った途端、いきなり球から勢いよくケムリが吹き出した。とっさに馬を止めたところに頭上からアミをかぶせられた。たまらず落馬したところにあの女の子が現れた。勝ち誇った声でこう言った。『見たか、フクロウの目と知恵は剣にも勝るのよ』と。
「おそらくは『鋼のフクロウ』の類縁の者だろう。私を王国の騎士と見て、おそったと見える」
「なんですか、それ」
「帝国の傭兵団だ。いや、だった、というべきだな」
隣のザガリアス帝国では内乱がしょっちゅう起こっていて、傭兵の働き口には不自由しないらしい。ある時は帝国に付き、ある時は反乱軍に付く。報酬次第で味方になったり、敵になったりする。そうやって仕事を得ていたらしい。ところがコウモリのような戦い方を嫌った帝国の貴族によって、いくつかの傭兵団が反逆罪の汚名を着せられ、処罰されてしまった。『鋼のフクロウ』もその一つだそうだ。
「帝国から追われた奴らはエインズワースに流れ込み、傭兵を続けていたそうだが、実際のところは半分盗賊のようなものだったらしいな」
「強いんですか?」
「リーダーのウォーレンは戦場でも音に聞こえた剛の者で、ウワサでは切った敵兵は千人を超えるらしいな」
「へえ、すごいんですね」
「何を感心している」
そこでスタウト様は呆れた目をする。
「そいつをたった一人で壊滅させたお前が言ってもイヤミにしか聞こえないぞ」
「どういうことです?」
「『鋼のフクロウ』はな、お前や殿下をおそった盗賊どものことだ」
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次回は11/5(月)に更新の予定です。




