泥中の剣 その20
幸いにもアレクのケガはたいしたことはなかった。コモンさんに見せた後、許可を得た上で『治癒』を使い、ケガはすっかり治った。とはいえ、体力を回復させるのは休むのが一番だ。
アレクをお父さんに預けると、僕はスノウを連れて後始末に向かうことにした。
日はもう沈みかけていて空はもう群青色に染まりかけていた。僕はとある家の前にいた。町の一番下、壁面沿いの平屋建てだ。小屋と言ってもいいだろう。部屋の明かりは灯っている。ほっとしながら僕はその家の扉をノックした。
扉が開いた。出てきたのは頭に包帯を巻いた、金髪の男性。デニスさんだ。
「やあどうも。こんばんは」
僕があいさつするとデニスさんの顔が幽霊にでも出くわしたかのようにこわばった。
「どうしてここに……?」
「マークさんから聞きまして」
これは半分本当で、半分ウソだ。家の場所はマークさんから聞いていたけれど、ここにデニスさんがいることは『失せ物探し』で突き止めたのだ。
「ここが奥さんの実家ですか」
マークさんによると、奥さんのご両親は既に他界しているらしい。今は誰も住んでおらず、物置代わりに使っているそうだ。
「な、なんの用だよ」
「ちょっとお使いを頼まれまして」
「だ、誰にだ」
デニスさんの声はうわずっている。格好もこの前とは違っていた。腰には剣を差し、革の手袋に毛皮のマントに大きなリュックを背負っている。どうみても旅支度だ。
僕は言った。
「フェリックスとオーソンです」
その瞬間、デニスさんは背を向けて家の中へと駆けだした。
そう来るだろうと思っていたので僕は虹の杖でデニスさんの足を引っかけて転がせる。
どん、とうつぶせに倒れると炭のように黒ずんだ床板の上を滑っていく。
僕は失礼します、と言ってから家の中に入るとデニスさんの側にしゃがみ込む。
「観念してください」
僕はささやくように言った。
「あなたがリシルさんを誘拐するようにあの二人に指示したのはわかっているんです」
どうにも引っかかっていたのだ。フェリックスにしろオーソンにしろ大会の本戦には出場できなかった。仮にマークさんが優勝を逃したとしても二人は出世できない。なのに二人はほかの仲間と一緒にリシルさんを誘拐し、マークさんをおどした。単にマークさんへの恨みだとかアレクへの嫌がらせが目的にしては手が込みすぎている。
何よりオーソンは自分の習っていた剣術をムダとか役に立たないとか、損得で語っていた。つまり、オーソンは損得勘定で動く人なのだ。そんな人が嫌がらせのためだけに誘拐なんてリスクの高い犯罪をするだろうか。
それにフェリックスは剣術大会は今年限りで終わるだろう、とも言っていた。いくらがんばっても騎士に取り立てられる可能性は低くなったのだ。
どう考えても騎士になれない兄弟が罪をおかしてまでやった理由はただ一つ。別の人を勝たせるためだ。その人を汚い手を使って優勝させ、騎士に受勲させる。その代わりに折を見て、オーソンたちを取り立てさせ、出世の足がかりにする。
つまりオーソンたちの共犯者は、大会本戦の出場者八人の中にいる。
マークさんとアレクは当然除外。マークさんと同じ組で戦った三人も外れる。もしその中に共犯者がいたならマークさんは決勝まで勝ち残れなかっただろう。
残るは三人、でも一回戦でアンガスさんと戦ったのは、よその剣術道場の人だ。オーソンたちが従うとも考えにくい。そもそもほかのメンバーと実力差がありすぎる。マークさん以外にも卑怯な手でおどしていたのならともかく、優勝を狙える実力ではない。
残るはアンガスさんとデニスさん。ここで剣術教室の序列はアンガスさんが四位で、デニスさんが二位。もし、アンガスさんが共犯者で、卑怯な手を使って優勝しようと思えば、デニスさんとマークさんという、超えなければいけないハードルが二つもあるのだ。けれど、実際に誘拐されたのはリシルさん一人だけ。デニスさんのケガについても彼自身がケガの原因を奥さんだと認めている。
「つまり、犯人はあなたしかいないわけです」
「バカかお前は」
床にうつぶせになりながらデニスは小バカにしたような顔をする。
「仮にリシル誘拐の真犯人があいつらとしてだぞ。だったらどうして、誘拐したリシルをわざわざ移動させてアレクに罪をなすりつけるようなマネをしたんだ? 損得勘定でないと動かないんじゃないのか? だいたい、忘れたのか。本戦出場の組み合わせが発表になるのは試合当日だったんだぞ。もしかしたら一回戦でマークと当たっていたかも知れない。それでどうしてそんな細々とした仕掛けを……」
腹ばいになりながらよくしゃべるなあ。
「あれは、あの兄弟にとっても意味のあることだったんですよ」
「何だ? アレクへの仕返しか?」
「それもあるでしょうね」
実際、フェリックスは相当アレクを恨んでいた。優勝したと喜ばせておいて、一気に谷底へ突き落とす。さぞ溜飲が下がっただろう。でも、それだけではない。
「あの二人は大会そのものを白紙にしたかったんですよ」
本当ならデニスが優勝して、しばらくしてからリシルさんを解放する手はずだったのだろう。あるいはそのままどこか遠くに売り飛ばしてしまうつもりだったのかもしれない。でもデニスがケガで不戦敗になって、計画が全部ぶちこわしになってしまった。
このままでは出世もおじゃんだ。けれど、もし決勝戦の勝敗に誘拐が絡んでいたとしたら、騎士に取り立てるという話も、ひいては剣術大会そのものが中止になるかもしれない。もしかしたら予選からやり直し、という可能性だってあっただろう。だからこそ試合直後にリシルさんを「発見した」のだ。ただ予想とは違い、大会そのものは再開とまでは行かなかったようだけれど。
「それとあなたは試合の組み合わせを会場に来る前からご存じだったんでしょう。あの組み合わせだと順当に進めば、決勝戦はあなたとマークさんになる。だからマークさんに絞って計画を進めた」
「何を証拠に……」
「だから領主様の侍女と浮気をしていたんじゃないんですか? 本戦の組み合わせを事前に知るために」
「……」
デニスはがっくりと肩を落とした。床の上に頬を乗せるとうつろな目でつぶやいた。
「全部あいつが悪いんだ」
「奥さんですか?」
「ああ」
色々事情がありそうだ。物語なんかだとものすごい悪妻が出てきて、ぜいたくをしたり旦那さんをこき使っていたりしているけど、そんなところだろうか。そんなお嫁さんはイヤだなあ。
「大変興味深いお話なんですが、僕が来たのは先程も言いましたけれど、お使いのためなんですよ」
「お使い?」
ええ、と返事をしながらデニスの手を握り、反対の手で虹の杖を光らせる。
「『瞬間移動』」
僕が唱えると、周りの景色が変わった。
スティーブさんの剣術教室にはかがり火が焚かれ、夜だというのにとても明るい。
「やあ、どうも。少々時間がかかりましたがちゃんと連れてきましたよ」
僕が声を掛けると、スティーブさんは奥のイスに座りながらこくんとうなずいた。
デニスはまだ事態がつかめないのか呆然としている。その顔の前に木剣が音を立てて転がった。
「拾え」
マークさんが冷たい目で見下ろしながら言った。手にはやはり木剣を握っている。
ひい、と短い悲鳴が上がる。
「あの、人殺しはダメですからね」
「わかっている」
僕が注意すると、マークさんは苛ついた口調で言った。
「これは俺のけじめの問題だ」
「実を言うと、マークさんに頼まれまして。あなたを衛兵さんたちに突き出す前にぜひもう一度試合がしたいと」
今回の騒動で一番、被害を受けたのはマークさん夫婦だろう。何の罪もないのにリシルさんは誘拐され、マークさんは出世もフイにされてしまった。
相当怒りがたまっていることだろう。一方的な私刑なら止めたけれど、『試合』ならば僕から何も言うことはない。
「拾えと言っているんだ!」
マークさんの怒声が飛ぶ。デニスは命じられるままに木剣を握り立ち上がった。涙目になっている。完全に気圧されているようだ。実力はともかく、戦う前から怖がっているようでは勝敗は見えている。
「とりあえず、衛兵さんを呼んできますね」
「ゆっくりでいい」
「それはお約束しかねます」
僕はスノウを連れて剣術教室の外に出ると虹の杖を掲げた。
『瞬間移動』で飛ぶ寸前にマークさんの気合いの入ったかけ声と、情けない悲鳴が聞こえた。
本日はもう一話あります。




