泥中の剣 その19
街道では目立つので、戦いの場所を移すことになった。街道から外れ、草いきれにむせかえる森の奥を進むと木に囲われた広場に出た。生い茂った枝葉が日差しを防ぎ、街道からの視線をさえぎるので見られる心配はない。地面には茶色い落ち葉がこんもりと積もっている。歩くのには問題なさそうだけれど、木の根に足を取られれば不覚を取ってしまうだろう。
二人はここを戦いの場所に決めた。
「それじゃあ行ってくるぜ」
「気をつけて、アレク」
一応、クラリッサを『瞬間移動』で先にコーレインに送ろうと思ったのだけれど、一言ではね付けられてしまった。代わりにオーソンを先に衛兵さんに突き出しておいたので逃げられる心配はない。
「んじゃ、始めようぜ」
アレクが腰の剣を抜くと、両手で持ちながらまっすぐに構える。対するフェリックスは剣を持ち上げながら切っ先をアレクの顔のあたりに向ける。
「……」
「……」
お互いにらみ合いながらじわりじわりと距離を詰めていく。静まりかえった森の中に枯れ葉を踏み砕く音がひどく反響して聞こえる。時間にすればほんのわずかなのに、二人とも額に汗をびっしりとかいている。戦う前からへとへとのようだ。
二人が握っているのは、刃の付いた鋼の剣だ。名剣ではなさそうだけれど当たれば肉は裂けて骨が折れる。当たり所が悪ければ命はない。即死もあり得る。
僕としても目が離せない。いざというときには決闘をぶちこわしてでも止めに入るつもりだ。
二人の距離が一フート(約一・六メートル)まで近づいた時だった。
先に仕掛けたのはアレクだ。枯れ葉を踏み散らしながら肩に担ぐようにして剣を振り上げる。十分に踏み込んだ、力の乗った一撃はフェリックスにかわされて空を切る。以前ならそこで体勢が崩れていただろうけど、アレクは足を開き、続けざまに切り上げる。流れるような連続技をフェリックスは上体を反らし、一歩下がり、時には前に踏み出して受け止め、全てかわしてのけた。
どうやら練習をしていたのはアレクだけではなさそうだ。先日の負けがよっぽど悔しかったのだろう。アレクの手の内を読んでいる。
「ちくしょう!」
アレクが焦り気味に剣を振り上げる。
ああ、まずい。
フェリックスが横っ飛びでかわす。アレクの剣は勢い余って空振り、後ろに生えていた木に突き刺さった。やっぱりワナだったか。
幹に足を掛けて引っ張るけれど、結構深く刺さっているせいで、なかなか抜けない。そこへフェリックスの剣が振り下ろされる。
アレクは剣から手を離し、幹を蹴るようにして大きく飛び下がる。一瞬遅れて鋼鉄の剣が空を切る。
それを確認する風もなく、アレクは背を向けて走り出した。僕たちも後を追った。街道の方へ向かっている。辿り着いたのはさっきまでいた街道だ。傍らには馬車が駐めてある。
「逃がすか」
追いかけるフェリックスに構わず、アレクが馬車の荷台に上半身だけ飛び込む。ごそごそと這うようにして入っていく。お尻がしっぽのように揺れている。
フェリックスが無防備な背中へと斬りかかる。
クラリッサが悲鳴を上げた。
アレクの動きが止まった。両足で荷台の縁を蹴ると、くるりと宙返りをしてフェリックスの背後へと回り込んだ。
「甘い」
フェリックスが振り向きざまに斬りかかる。遠心力の加わった横薙ぎはアレクの鞘ごと握っている剣によって防がれていた。
「なにっ!」
「へへっ、お前の兄ちゃんに後で言っておいてくれよ。勝手に借りて悪かったってな」
アレクはフェリックスの剣を跳ね上げると鞘を捨て、オーソンの剣で斬りかかる。
予想外の反応にうろたえていたものの、フェリックスは素早く反撃に出た。半身になって剣を持ち替える。鋭く速い片手突きでアレクを遠ざけると、素早く持ち直し、両手で力の乗った剣撃を浴びせていく。このあたりの呼吸は上手い。本人は嫌っていたようだけれど、一対一の戦いに特化した剣術、というのも格好や見せかけではなさそうだ。
押されたアレクはよけられず、つばぜり合いになる。がちん、とぶつかり合う音に続いて金属同士のこすれ合う嫌な音がする。
アレクも体格はいいけれど、やはりフェリックスの方が腕力が上だ。徐々に後ろへと押されていく。
「アレク、がんばって」
クラリッサの応援が飛んだ途端、アレクの顔がゆがんだ。
フェリックスの飛ばしたつばきが右目に当たったのだ。
続けてアレクのおなかを足の裏で蹴り飛ばす。よろめいて後ずさりながらもアレクは剣を構え直し、次の攻撃に備える。けれど、アレクの予想は完全に外された。
フェリックスは身を屈めると手で地面をすくい、土を投げつけた。土のかたまりが顔に当たってアレクは顔を背ける。そこへ振ってきたフェリックスの剣をどうにか受け止めたものの、次の体当たりまではかわせなかった。吹き飛ばされ、枯れ葉を舞い散らして地面に倒れる。オーソンから借りた剣が手から離れる。
「いいざまだな、アレク」
荒い息を吐きながらフェリックスはオーソンの剣を放り投げると、馬乗りになる。
アレクの両腕はひざの上にのしかかられて封じられている。ブリッジしたり身をよじったりして逃れようとしているけれど、効果はないようだ。
「どうだ、自分がやったことをやられる気分は?」
フェリックスが勝ち誇った表情を浮かべる。
「……」
アレクは何も反論しなかった。歯を食いしばって逃れようと腰を動かしたり足をもじもじさせたり、抵抗を続けている。
フェリックスは剣を捨てると腰の短剣を抜いた。銀色の刃を逆手に持ちかえ、高々と振り上げる。
「ねえ、お願いアレクを助けて! このままじゃあアレクが殺されちゃう!」
クラリッサが僕を揺すりながら懇願する。あんまり強く揺するものだから僕の頭は地震でも起きたみたいにぐらぐらだ。
「まあ、待ってよ」
もちろん僕もアレクを死なせるつもりはない。けれど負けを認めるつもりはなさそうだ。
「こう言っているけど、どうする?」
僕は聞いた。
「心配すんなよ」
アレクは言った。
「まだ手はある」
「あるわけねえだろ、そんなもん!」
フェリックスは口汚く罵りながら短剣を振り下ろそうとする。
クラリッサが身もだえしながら顔を覆った。
短剣がアレクの胸に突き刺さる……その寸前でぴたりと止まった。
かと思うとぐい、と短剣は握った両腕ごと胸元まで跳ね上がる。
「そうだな、お前の言うとおりだ。手はねえかもな」
フェリックスのあごが、と持ち上がり、天を仰いでいる。
アレクの右足の指に後ろ髪を引っ張られているからだ。
よほど興奮していたのだろう。アレクがクツを脱いだのにも少しずつ体をずらして足を伸ばしやすくしていたのにも気づかなかったようだ。
「けどよ、足はあったみてえだぜ」
続けて左足を伸ばし、両足でフェリックスの顔を挟み込む。起き上がる勢いを利用してそのままフェリックスの体を後ろへと引き倒した。仰向けに転がるのと同時にアレクは素早く立ち上がり、フェリックスの剣を拾い上げる。
「来いよ、まだ終わっちゃいねえぜ」
フェリックスは舌打ちすると四つん這いになりながらオーソンの剣へと腕を伸ばす。
再度、二人は剣を構えて向かい合う。
互いに疲労の色が濃い。おそらくそう長くは保たないだろう。
先に前に出たのはフェリックスだ。
切っ先を小刻みに動かしながら距離を詰めていく。
「おおおおおっ!」
大音声を上げながら剣を高々と上げると、地を蹴り一気に振り下ろす。
アレクは横から払いのけようと剣を振るう。二本の剣が交錯した瞬間、苦痛の声を上げたのはアレクだった。懐に飛び込んだフェリックスの足が右足の甲を踏みつけていた。
思い切り振りかぶったのはハッタリだったらしい。
さっきクツを脱いだのがあだになったようだ。
アレクはたまらず後退するが足取りは重い。剣術だろうと何だろうと、戦いで歩けなくなるのはものすごく不利だ。
「上手いなあ」
さっき不覚を取った裸足、という要素を逆に利用するなんて頭がいい。
「あなたどっちの味方よ!」
クラリッサがまた僕の体を揺する。首が左右に揺れる。気分が悪くなってきた。
「なかなかやるじゃねえか」
アレクが脂汗を流しながら軽口を叩く。かなり痛いようだ。
「まさか卑怯とは言わないよな」
フェリックスは距離を取りながらアレクを中心にして回り始める。不意に身を屈めると手に持った石を投げつける。
アレクがたまらずひるんだところに斬りかかる。何度か切り結ぶと後退し、くるくる回りながらたまに石を投げたり木の枝を投げたりして隙を作ろうとしている。動けなくなったアレクを間合いの外から徹底的にいたぶる作戦のようだ。
見ればアレクの右足が紫色に腫れている。もしかしたら骨折しているかも知れない。引きずるようにしてしか動けないアレクにフェリックスは容赦なく石や木の枝、時には動物のふんまで投げつけている。
「ざまあないな、アレク」
投げつけられる度に剣や腕で守っているけれど、全部は防ぎ切れていない。投げつけられた石や木の枝で顔も腕もぼろぼろだ。
クラリッサは顔を埋めてうずくまっている。
「てめえこそ覚悟しとけよ、フェリックス」
アレクの目はまだ闘志を失っていなかった。足を引きずりながら落ちている鞘を拾うと剣を鞘に納めた。
「何のマネだ?」
「それゃあ、ほら、あれだよ」アレクは肩をすくめた。
「お前程度に勝つのにいちいち抜く必要もねえってこったよ」
そう言うと鞘ごと剣を腰だめに構える。深呼吸をすると足を引きずりながら一歩また一歩と向かっていく。
フェリックスはへらへらとみにくい笑みを浮かべると、またも石を拾い、投げつける。勢いよく投げられた石が顔や頭に当たる。頬は腫れて、頭から血が流れる。それでもアレクは足を止めなかった。
フェリックスはそこで迷ったようだった。このまま遠巻きに攻めるか、一気に勝負を決めてしまうか。迷っている間にも距離は縮まっている。
不意に人の近付く気配がする。街道に戻ってきてしまったから旅人が通りかかったのだろう。
フェリックスは勝負に出た。半身に構え、剣を片手に持ちながら突きの体勢に入る。間合いに入った瞬間、アレクは屈みながら大きく踏み込み、反転する。
「なっ!」
自分から背中を向けるアレクに虚を突かれたのだろう。心臓を狙ったはずの片手突きはアレクの顔をかすめる。そして、アレクの脇腹から伸びた鞘はフェリックスのみぞおちを深々とえぐっていた。
フェリックスは白目をむいて頭から地面に突っ伏した。
勝負あり、だ。
「へへっ、どうよ」
アレクは剣を杖に立ち上がりながら笑いかける。
「モノマネにしてはちょっと似てなかったかな」
間違いなく僕が以前、アレクに見せた技を真似たのだ。剣を鞘に戻したのもそのためだろう。練習の時にもやっていたけれど、もっと下手くそだった。それをまさかこのギリギリになってやってのけるとは思わなかった。
「厳しいな、おい」
「ほめているんだよ、一応」僕は言った。
「モノマネに見えるだけちゃんと上達している」
「アレク!」
クラリッサが感極まった様子で抱きついた。その途端、アレクはバランスを崩してしりもちをついてしまう。立ち上がろうとして顔をしかめる。見ると、足首はまるで亀でも貼り付いているかのように腫れ上がっていた。『治癒』で治そうかと思ったけれど、せっかくだからちゃんとお医者様に見せた方がいいだろう。
「よっと」
僕はアレクの足の裏と背中に腕を伸ばし、持ち上げる。物語でいうところのお姫様だっこというやつだ。
「え、ちょ、な……」
「動かないで」
恥ずかしいのか、逃げ出そうとするアレクの耳元で注意する。暴れて落っことしたら大変だからね。
「馬車まで運ぶからおとなしくしててね」
フェリックスも縛り上げて突き出さないといけないし、クラリッサもいるから馬車で戻った方がいいだろう。
「お、おう……」
アレクはそれっきにうつむいたまま何も言わなくなってしまった。クラリッサは何故かにこにこしながらアレクの脱いだクツを拾い、僕の後に付いてきていた。僕たちの横を旅人姿の男性が何事かと言う目で観ながら通り過ぎていった。
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次回は10月18日(木)午前0時頃に更新の予定です。
次で「泥中の剣」ラスト。
二話連続更新となります。




