泥中の剣 その18
コーレインの町から東へ、森の中の街道を一台の幌馬車が走っている。街道は山を越えるためなだらかな坂道になっている。先程から全力で走らせているようで、つながれた二頭の馬もへとへとだ。どしん、ばたん、と道のでこぼこに引っかかって時折大きく車体が傾く。その度に乗っている人はぐらりと揺さぶられて気持ち悪そうにしている。
「くそ、どうしてこんなことになっちまった……」
馬車の中から苛立ったうめき声が聞こえる。オーソンだ。
「うまくいっていたと思ったのに……。もしかしたら、とも思っていたんだが」
「これからどうするつもりだい?」
尋ねたのはフェリックスだ。御者台に座り、何度も馬にムチを当てている。
「ザガリアスへ行く。追っ手も来ないだろうし、あそこは傭兵の口には困らないからな」
ザガリアス帝国はエインズワース王国とは仲が悪い。そのせいか、帝国を追われて王国へ逃げ込む犯罪者は多いらしい。当然、その逆もあるだろう。また帝国では小さな反乱がしょっちゅう起こっていて、傭兵の仕事には事欠かないそうだ。
スティーブさんが聞いたらまた泣き出しそうだな。
「心配するな、俺たちならやれるさ」
「それで、このお嬢様はどうするんだい?」
馬車の中でもがく気配がした。見ると、クラリッサが口を布で縛られ、手足をロープでぐるぐる巻きにされている。隣ではオーソンが短剣をその目の前にちらつかせている。その気になればいつでもおなかや首を切り刻めるだろう。
「お前の好きにすればいいさ」オーソンが言った。
「嫁さんにしようと奴隷として売り飛ばすなり何なり思いのままだ」
僕の隣で動き出す気配がしたので手だけで押しとどめる。今動くのはまずい。
「もうやめて」
クラリッサは舌と歯で口元の布をはぎ取ると、御者台に向かって懸命に呼びかける。
「ねえ、どうしてこんなことするの? あなたもオーソンも素晴らしい剣士じゃない。実力だってある。卑怯な手なんか使わなくたって、十分優勝が狙えるはずよ。それに、今回がダメだって次がんばれば……」
「次はないんだよ、クラリッサ」
フェリックスがあやしつけるように言う。
「領主様もお年でね、今年を最後に引退されるそうだ。お世継ぎのナーセル様は剣術に興味はない。金のかかる剣術大会なんかすぐに止めてしまうだろう」
「大会があるからあなたはがんばってきたの?」
「出世のためにね」フェリックスは言った。
「でなきゃわざわざあんな剣術教室になんか通いやしないさ」
弟のつぶやきを兄のオーソンが引き継ぐ。
「剣術を学べば強くなれるわ。あなたたちが強くなれたのもお父様が教えてきたから」
「強く、強くね」御者台から皮肉っぽい笑い声がした。
「アレクにすら勝てない剣術がなんだっていうんだ」
「はっきり言いましょうか、お嬢様」
オーソンは短剣をぷらぷらとおもちゃのように揺らしながら言った。
「あなたのお父様の剣術は役立たずです」
「何ですって!」
クラリッサが悲鳴にも似た声を上げる。
「正確に言えば、剣対剣、一対一の戦いに特化しすぎているのですよ。剣術大会のような場所でしたら大変に有効です。ですが、実戦となればそうはいきません」
戦いにルールはない。相手が槍や斧、弓矢や魔法を使う場合もある。大人数に囲まれることもあるだろう。魔物との戦いならそれこそ駆け引きよりも一撃の重さとか速さが重要になってくる。
「そんなことない! ちゃんと大勢との戦い方だって教えているわ」
「形だけですよ。実戦じゃあ、相手の剣を払って次に向かってくる敵の脇を抜けて……なんて悠長にはいきませんよ」
それは僕も同感だ。
「あれならアレクの方がまだ実戦向きでしょうな。お前もそう思わないか?」
話を振られたフェリックスが不機嫌そうにそっぽを向く。負けたのがまだ悔しいのだろう。それを見てオーソンがハトのようにのどを鳴らす。
「つまり、そういうことです。お父上の剣術は、つばを吐きかけられたり砂を引っかけられる程度のことで崩れてしまう」
「自分たちの未熟を棚に上げて、なんて言いぐさ……。この……恥知らず!」
クラリッサは怒りのあまりのどが詰まってしまったようだ。
「その言葉はアレクにも言ってあげることですな。まったく、あれでも女ですかね。下品きわまりない。裸にでもひんむかなけりゃあ、まず女だとは気づかないでしょう」
「そんなことしなくったってちゃんと女の子だよ」
これ以上黙っていると、アレクが怒って飛びかかりそうだったので先手を打ってひょい、と馬車の上から御者台に飛び降りる。
「見てわかんないかな」
「お前っ……」
何か言いかけたフェリックスの胸元に蹴りを放つ。フェリックスはとっさに両腕でガードする。どうにか僕の蹴りを防いだけれど、代わりに手綱から手を離してしまった。フェリックスの体は馬車から振り落とされて、街道の脇にある茂みにお尻から突っ込んだ。
「なっ!」
「どこ見てんだよ」
びっくりするオーソンに後ろから声がかかる。振り返ると幌馬車の入り口にアレクが飛び込んでいた。勢いよくはなった跳び蹴りがオーソンのおなかに突き刺さる。一瞬白目をむいたようだけれど、戦意は失っていなかった。ひざを突きながら短剣を握り直すと、覆い被さるようにクラリッサに飛びかかった。人質にするつもりか。
「させるかよ」
アレクは身を屈めながら思い切り体当たりを食らわせる。二人はそのまま取っ組み合いになり、狭い馬車の中で転がり回る。
その間に僕はクラリッサを引き寄せ、縄をほどく。
「大丈夫?」
「私のことよりアレクが」
見ると、オーソンがアレクにのし掛かっていた。ぎゅっと握りしめた短剣はアレクの首に近づいている。アレクもオーソンの両手首を握って抵抗しているけれど、体勢の悪さと腕っぷしの差からどんどん刃は首へと近づいている。
「近づくなよ。近づいたら、こいつをぶっさしてやるからな」
オーソンはちらりと僕を見ながらすごんだ声を出す。
「わかったよ」
僕は返事をすると同時に握っていた手綱を大きく引いた。
馬車を引いていた二頭の馬はいななきとともに大きく足を上げる。
ぐらりと馬車が大きく揺れる。オーソンの体は後ろに引っ張られたように傾き、反対にアレクの体は前に浮く。
「こんのやろう!」
アレクはどんとオーソンの体を突き飛ばすと素早く立ち上がり、短剣ごとオーソンの手を踏みつけた。
ぎゃあ、と尻尾を踏まれた猫のような悲鳴が上がる。うずくまったところにアレクの足がオーソンの股の間を蹴り飛ばした。オーソンはうずくまったまま失神してしまった。
「……」
僕は何も言えず御者台に向き直り、馬車を止めた。
「ああ、アレク。よかった、アレク」
クラリッサは馬車から降りると、涙を浮かべながらアレクに抱きついた。
「へへっ」
アレクも照れくさそうだけれどまんざらでもなさそうだ。こうしてみると、王子様とお姫様に見えなくもない。両方とも女の子なんだけど、まあそれもアリだと思う。男らしいとか女らしいとかはよくわからないけれど、クラリッサにとっては僕よりアレクの方がずっと王子様っぽいのだろう。
その間に僕はオーソンを縛り上げておく。
「それにしても、あなたたちどうしてここに?」
しばらくすると興奮が収まったのか、クラリッサが目を丸くして尋ねてきた。
「君が誘拐されたと聞いてね。急いで駆けつけたんだよ」
逃げた方角は門番さんが教えてくれたから探し出すのは難しくなかった。『失せ物探し』でクラリッサの反応を追いながら『瞬間移動』で追いかければいい。アレクまで付いてきてしまったのは予想外だったけれど。
追いついたところで馬車の上に飛び移り、中の様子をうかがっていたのだ。
「それじゃあ、戻ろうか」
先にアレクたちをコーレインの町まで送り届けてから馬車とオーソンを迎えに来ればいい。一度に運ぶのは大変だけれど、二回にわければ簡単だ。
僕が虹の杖をカバンから取り出そうとした時、後ろから石つぶてが飛んできた。とっさにひょいとかわすと、クラリッサの悲鳴が上がった。
「その馬車は置いていってもらうぞ」
現れたのはフェリックスだった。さっき馬車から振り落としたけれど、もう追いついてきたのか。服は泥とホコリで汚れているし、頭には葉っぱもついているけれど、目だけは炎のような闘志が宿っている。既に剣を抜き放ち、僕たちに震える切っ先を向けている。
「やあ、ちょうど良かった。君も乗りなよ」
僕は努めてにこやかに振る舞いながら幌馬車の中へと手で案内する。
「今からコーレインの町に戻るところなんだ。君も疲れただろう? 馬車の中で休むといいよ。ただとは言わないけれど、知り合いだからね。安くしておく。とりあえず、今持っている剣でどうかな」
「いいからそこをどけ!」
フェリックスが急に怒鳴りだした。どうやら剣を捨てさせる作戦は失敗のようだ。
「馬車をよこせ、オーソンもだ。さもないと……」
「勝てると思っているの?」
僕は剣に手を掛ける。もう夕暮れだしのろのろしていたら日が沈んでしまう。穏便に済ませたいけれど、時間も惜しい。剣を弾き飛ばしたところで、おにごっこの『贈り物』で気絶させればすぐに片付く。
僕の腕前を知っているのか、フェリックスが悔しそうな顔をしながら後ずさる。
「申し訳ないけれど、乗車拒否はできないんだ。悪いね」
僕は両手を広げながら近づく。顔はもちろん笑顔だ。フェリックスはどうしようかと目を泳がせていたけれど、不意にはっと閃いたらしく表情に自信を取り戻した。
「お、俺と勝負しろ。アレク!」
予想外の発言に僕はぽかんとしてしまった。
「どういうことだ?」
挑まれたアレクもいぶかしげに眉をひそめている。
「元はといえば、お前が卑怯な手を使ったのが悪いんだ。普通に戦えば、俺が勝っていたんだ。今度こそ、正々堂々勝負しろ」
「受ける必要はないよ、アレク」
色々理屈を付けているけれど、要するにただの言いがかりだ。受けるメリットは何もない。何を言われようと無視して捕まえて、コーレインの町まで連れて帰ればいいのだ。
「……いいぜ、やってやろうじゃねえか」
なのにアレクは引き受けてしまった。つくづく僕の希望と正反対の行動を取る子だな。
「ダメよ、アレク」
「頼む」僕が押しとどめようとした矢先に、クラリッサがアレクにすがりついた。切羽詰まった顔で見上げている。今から死地に赴くのを見届けるかのようだ。アレクは真剣な顔でクラリッサの肩を抱く。
「言いたいことはわかる。こいつの言っていることが、負け惜しみの腰抜けのせこいチキンな言い訳だってこともな」
いや、そこまでは言うつもりもないんじゃないかな。
「今度こそ文句が付けないくらいに叩きのめしてやるからよ。頼むわ」
クラリッサは瞳を濡らしながら気をつけてね、とささやくように言ってからアレクと離れた。
どうやらいつの間にか決闘する流れになっている。僕を無視しないで欲しいなあ。
ほら、フェリックスが隙を見て馬車を奪い返そうとしているじゃないか。
僕が目線で注意しておいたから未遂で済んだけれど。
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次回は10/15(月)の午前0時頃の予定です。




