泥中の剣 その15
続いて僕はマークさんの家にやって来た。
これまでの真相は痴話げんかに勘違いだ。でもリシルさんが誘拐されたのは事実だ。紛れもない犯罪である。こいつを何とかしない限り、僕とアレクの疑いは晴れないままだ。
「帰ってくれ」
マークさんは開口一番、そう言って僕を外まで押し返した。
「お前たちに話すことは何もない」
「待ってください。僕はただお話が聞きたいだけで」
「帰れ」
「真犯人を探し出すためにもぜひ、リシルさんのお話を」
「いいから帰れ!」
聞く耳を持ってくれない。
コモンさんの言うとおりだ。参ったな。
忍び込むのは簡単だけれど、僕の聞きたい話をしてくれるとは限らない。手土産は持って来ているけれど、テニスさんの時のような「実力行使」をしてもこの分では話を聞かせてくれそうにない。
だからこそ何とか話を聞いてもらおうと、頭を下げてなだめすかしているののだけれど、効果はなさそうだ。
ここはひとまず引き下がろうとした時、家の奥からリシルさんが出てきた。
「あなたは……」
「僕はリオ、旅の者です」
追い出そうとするマークさんの肩越しにあいさつする。
「例の件でお話をおうかがいできれば、と思いまして。ほんの少しでいいんです」
「お前らに話すことは何もない。早く……」
「わかりました」
リシルさんはこくんと、うなずいてくれた。
「どれだけお役に立てるかはわかりませんが。それでよろしければ」
「リシル!」
「あなたは黙ってて」
マークさんの抗議をぴしゃりとさえぎる。
「わたしはイヤなの。少しも悪くないのにびくびくおどおどしたり、家の中に閉じこもって過ごすなんて。お買い物にもいけないんじゃあ、生きている甲斐もないもの」
冗談めかして言っているけれど、その目には恐怖に負けない勇気の炎が燃えさかっているのが見えた。強い人だな。
リシルさんはマークさんを横に押しのけると、僕を招き入れる。
「さあ、どうぞ。散らかっていて申し訳ありませんけど」
マークさんの家は丘の上にある、間口の大きな二階建ての家だ。何でも昔は商家だった家をマークさんが買い取ったという。マークさんくらいになると、逆に剣術教室から後輩を教えるための給金がもらえるらしい。案内されたのは二階の応接間だった。壁には白いタペストリーを何枚も飾り、石の床に青と緑色の絨毯が敷いてある。飾りっ気はないけれど、落ち着いた雰囲気の部屋だ。
部屋の真ん中にあるソファにマークさんたちと向かい合って座ると、僕は早速切り出した。
「それでは、申し訳ありませんが、あの日のことについてお聞かせ願えますか」
「あまり、お話できることもないと思いますが……」
と言いながらリシルさんは説明してくれた。
あの日の朝、マークさんを送り出した直後に家の扉がノックされた。マークさんが忘れ物をしたのか、と思い扉を開けると黒い布で顔を覆った男たちが四、五人いきなり押し入ってきたという。よってたかって目と口を布でふさがれ、手足を縛られると大きな袋の中に押し込まれた。あっという間の出来事だったそうだ。家の中には小間使いとか使用人さんもいたそうだけれど、異変を察知して駆けつける足音がしたときにはもうリシルさんは家の外に担ぎ出されていた。
それからどこをどう運ばれたかは不明だ。馬のいななきや車輪の音もしたから馬車で運ばれたと推測が付いた。しばらくして冷たい床に置かれ、カギを掛ける音とともに気配が離れていくのを感じた。真っ暗の中、芋虫のように体を動かすと、すぐに壁か何かにぶつかる感触がした。遠くから歓声がした。闘技場からそう遠くない場所に連れてこられたのだと悟った。
「最初に連れてこられたのは、闘技場の近くなんですね」
「おそらく物置小屋だということです」
後日、衛兵さんに聞いた話によると、闘技場の外れにある物置小屋のカギが何者かにすり替えられていたらしい。普段、掃除もしない床には大きなものが這いずった痕跡もあったそうだから間違いない、とのことだった。
「それで、ぴんときたんです。わたしを誘拐したのは、マークの優勝を阻止するためだって。わたしを人質にして、マークを脅迫するつもりなんだと」
「犯人に心当たりがあったんですか? 脅迫状が届いていたとか」
リシルさんはかぶりを振った。
「特定の誰か、という話ではありません。ただ、マークをうらやんだ誰かの仕業だろうと」
「うらやむ?」
ここだけの話なのですが、と前置きしてリシルさんが続ける。
「実は領主様からお師匠様……スティーブ様に内々の申し出があったそうなんです。今度の大会で優勝した者を騎士に取り立てていただけると」
そういえば、アレクとの試合の直後に「優勝も受勲もくれてやる」とか何とか言っていたな。あれはこのことだったのか。
「わたしもマークも平民の出で、騎士になれるなんてまるで夢のようで、マークも絶対に優勝すると張り切っていたんです」
横に座っているマークさんはうつむきながらくやしそうに唇をかんでいる。お芝居には見えない。もしかしたら誘拐自体、マークさんとリシルさんの自作自演、という考えもあったのだけれど、きっぱりと捨てた方が良さそうだ。
「騎士に取り立てられるという話をほかに知っていた人は?」
「おそらく、ウェリントン剣術教室の人たちなら誰でも」
と、そこでリシルさんは隣をじろりと横目で見る。
「誰かさんが大はしゃぎで触れ回っていましたから」
マークさんは恐縮して子ネズミのように小さくなってしまった。
つまり百人以上は知っていたことになる。もしその人たちが酒場かどこかで触れ回っていたら、もっと大勢が知っていることになる。ここだけの話はどこに行ったのだろうか。
仮にマークさんに嫉妬した人たちがやったとしても容疑者はちょっと多すぎる。絞り込むには情報が足りない。僕が考え込んでいると、リシルさんが続きを話し出す。
「歓声でだいたいの試合の流れはわかりました。決勝戦がマークとアレクさんになったことも。それからしばらくして小屋の扉が開いたんです。袋を引っぺがされて、床に倒れたわたしにまた黒覆面の人たちが、ビンに入った薬のようなものを近づけました。そしたら急に眠くなってしまって……。気がついたら控え室の一番奥の部屋に倒れていて、マークがわたしの名前を呼んでいたんです」
ふむ。つまり、リシルさんが二回目に移動させられたのは、アレクとの試合が始まる直前か。準決勝はマークさんの試合が先だったから正確には、アレクとアンガスさんの試合直後からお昼休憩を挟んで決勝戦があってリシルさんが発見されるまでの間、ということになる。
時間的には十分すぎるほどあるけれど、準決勝の時点では控え室の前には見張りの衛兵さんが大勢見張っていた。そんなところを大きな袋を担いだ黒覆面たちが通ったら絶対に気づかれる。
「衛兵さんたちには今の話をされましたか」
今の話が本当なら少なくともアレクの控え室に閉じ込めていた、という野良牛さんの説はひっくり返ることになる。
「一応は」とリシルさんは浮かない顔をする。
「ただ、最初に閉じ込められていたのが物置小屋だったというのはあくまでわたしの推測なので、隊長さんが言うには控え室と間違えていたのではないかと」
「這いずり回った痕跡があるのに?」
「大会の日についたかどうかははっきりしないらしくて。物置小屋のカギ自体、少し前から壊れていたそうなので、その気になれば子供が忍び込むのも不可能ではないだろうと」
どうやら野良牛さんは何が何でも僕たちを犯人に仕立て上げたいらしい。髪飾りが落ちていたからってあんまりだ。あれ?
「その、控え室に落ちていたという髪飾りは、リシルさんのものですよね」
「はい」
「大会の日にも身につけていたそうですが、いつごろ外れたか覚えていますか?」
「おそらく、物置小屋から控え室に運ばれる間かと思います」
「それは確かですか?」
「袋に押し込められたでしょう。こう、ぎゅーっと頭を押さえつけられるわけですよ。ですから髪飾りが押しつけられて痛かったんですよ。ですから間違いないかと」
リシルさんは痛そうな顔を作りながら自分で頭を押さえつけてみせる。
最初からアレクを犯人に仕立て上げるつもりなら最初の時点で取っているはずだ。取り忘れた? それとも、アレクを犯人に仕立てる計画自体が急ごしらえだったとか、かな。
「ほかに何か覚えていることはありますか?」
「あとは、鎧の音ですかね」
「鎧?」
「二回目に運ばれる時ですね、がちゃがちゃうるさい音がそこかしこから聞こえてきたんですよ。うるさいなあ、と思ったんですけど、薬を嗅がされていたせいで意識がはっきりしなくて……」
「その時、ほかの音は?」
「話し声とか、試合の歓声もしていたと思うんですけど。あ、そうだ」
小首をかしげていたリシルさんは不意に思い当たったらしくぽんと、手を打つ。
「歓声の中で妙に印象に残っている声があったんですよ。それが妙に気になって、記憶に残っています」
「どんな声ですか」
リシルさんは両手で筒を作ると、声を低く作りながら大声で言った。
「お前がうんこ漏らせ!」
何故かうれしそうな顔をしていた。マークさんは頭を抱えた。
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次回は10/4(木)午前0時頃の予定です。




