泥中の剣 その11
幸い、リシルさんの命に別状はなかった。あの後すぐに駆けつけたお医者様(例のコルウスとコラックスさんのそっくりさんだ)によると、薬で眠らされていたようだ。目を覚ました後、容体に異常がないのを確認してからマークさんに抱えられるようにして帰って行った。
でも僕たちは帰れなかった。
「リシルさんを誘拐して閉じ込めたのはお前たちだな」
ひげ面をした衛兵さんは僕たちをにらみながら決めつけるように言った。
僕とアレクがいるのは闘技場の隅にある、衛兵さんたちの控え室だ。石造りの狭い部屋の真ん中には素っ気のない机が置いてある。僕とアレクは机を挟んでひげ面の衛兵さんと向かい合っていた。
背は低いけれどその分、横幅が広くて、がっしりしている。まるで野良牛が人の服を着ているかのようだ。名前は名乗ってくれなかったので今から彼のことは野良牛さんと呼ぶ。どうやら野良牛さんが衛兵さんのリーダーのようだ。
野良牛さんの後ろには、壁に沿うようにして、衛兵さんが四人も並んで立っている。
「おっしゃっている意味がわかりませんね」
僕は余裕たっぷりって感じで大きく首を振った。
「あれは、マークさんの思い込みですよ。僕たちに人さらいなんてできっこありません」
「できないんだよ、お前たちにしか、な」
野良牛さんは勝ち誇った顔で机の前に紙を広げた。闘技場の見取り図のようだ。
「いいか、リシルさんが閉じ込められていたのは、通路の一番奥の部屋だ。その手前がお前たちの控え室だ。ここまではいいな」
異論はないので僕はうなずいた。
「今朝、出場者が集まる前に一度、異常がないか見回りをした、その時には何もなかった。当然奥の部屋もだ。そして一回戦以降、見張りが増やされて出場者の控え室の前には常に誰かが見張っていた。控え室は一直線に並んでいるから誰かが通ればすぐに気づく。そして全員、リシルさんが発見されるまで誰一人通らなかったと証言している。つまり、リシルさんが誘拐されて、奥の部屋に閉じ込められたのは、見回りがあってから一回戦の途中までの間、ということになる」
「そうですね」
「ここで、当時控え室にいた全員の行動を聞いてみたが、誰一人として奥の部屋どころか、お前らの控え室にすら近づいていないと証言している」
「ほう」
「つまりだ」と、そこで野良牛さんは勝ち誇った笑みを浮かべる。
「お前らはリシルさんを誘拐した後、一度別の場所に閉じ込めておく。大会が始まってからリシルさんを奥の部屋へと移動させた。あそこの通路は狭い。仮に移動中に誰かが出てきたとしても扉さえ開けておけば目隠しになってくれる」
「バカバカしい」
呆れて物も言えないよ。
「何のためにそんな手間をかけなくちゃいけないんですか?」
誘拐して閉じ込めたのならそのままにしておけばいい。見つかる可能性も高いのにわざわざ移動させる理由がわからない。
「移動させたのはお前たちの本意ではなかった、というのはどうだ」
「というと?」
「一回戦であのトサカ頭がおそわれた件だよ。あれで全員の控え室にも兵士が見張りに来ることになった。そのために急に別の場所に移動させる必要が出てきた。そのため、手近な隣の部屋に移した」
「その言い方だと、まるでリシルさんは最初、僕たちの控え室に閉じ込められていたように聞こえるんですけど」
「聞こえなかったか? そう言っているんだ、俺は」
と、机の前に差し出されたのはチョウチョの形をした、紫色の髪飾りだ。
「リシルさんのものだ。マークにも確認を取ってある。誘拐された時にも身につけていたそうだ」
野良牛さんが髪飾りを拾い上げると見せびらかすように振ってみせる。
「これがどこにあったかわかるか? お前たちの控え室の隅だよ」
「ウソだ!」
今まで黙っていたアレクが立ち上がるなり叫びだした。
「ふざけんな! そんなもん知らねえ! 誘拐なんかしてねえ。どうして俺がそんなマネを」
「落ち着いてよ」
今にも殴りかかりそうなアレクを止めに入る。ここで殴り飛ばしでもしたら確実に牢屋に入れられる。
「お前、今回の大会に優勝したがっていたよな。町中の人間が知っている。だが、マークの腕前は本物だ。どうあがいても勝てやしない。だから」
「リシルさんを人質にとってマークさんをおどした、と」
僕が続きを言うと、野良牛さんはわかっているじゃねえか、鼻で笑ってのける。
「僕たちが仮に犯人だとしたら、そんなわかりやすい証拠を残すでしょうか」
あんな物のない部屋に髪飾りなんて落ちていたらすぐに気づいただろう。最後に留守にしたのは決勝戦が始まる直前だ。控え室に鍵はかかっていなかったので、真犯人が忍び込んでわざと置いておいたのだろう。
「犯人ってのは、マヌケなもんだよ。失敗もすれば、考えられねえドジも踏む」
野良牛さんの笑みは何も知らない素人を小バカにしているように見えた。
「そこらの物書きには思いも付かねえような奴だっているんだ。テメエが盗んだ宝石をパンツの中に隠しておきながら、誰かに入れられたんだ、と主張する奴とかな」
「その物語は読んでませんでした」
また今度探してみよう。
「あいにくだが、お前さんが読むのはご本じゃあない。遺言だ」
野良牛さんが指を鳴らすと、ぞろぞろとまた衛兵さんが入ってきた。ただでさえ狭っ苦しい部屋に僕とアレクは取り囲まれる形になった。
「まあ、ゆっくり話を聞こうか。とりあえず、お前さんからだな、リオ」
拳を固め、ぽきりと指の骨をならした。
もしかしてこれから取り調べが始まるのだろうか。牢屋に閉じ込められた経験はあるけれど、取り調べはまだ受けたことがない。「お前がやったんだろう」とか「証拠は挙がっているんだぞ」とか「揚げた豚肉とお米の卵とじ食うか?」とか、物語で聞いたような文句を本当に言うのかどうか、興味はある。けれど、僕の趣味にアレクをつきあわせるのも気が引ける。
何よりさっきから青い顔をしている。今にも倒れそうだ。早く家に帰してあげた方が良さそうだ。でも『瞬間移動』で勝手に帰ったら後でもっと面倒事になるだろう。
やむを得ない。
「すみません」
僕は手を上げた。
「ちょっと呼んでいただきたい方がいるのですが?」
「誰だ。母ちゃんか?」
僕だって呼びたいよ。来てくれるのならね。
「名前は知りませんが、居場所はわかります。ゴーストスライムの依頼を受けたリオ、と言っていただければ伝わるかと」
「どこのどいつだよ」
僕は言った。
「冒険者ギルドのギルド長さんです」
あれから三日が過ぎた。
あの後、やって来たギルド長さんのおかげで僕とアレクは解放された。
容疑が晴れて無罪放免、というより冒険者ギルドの影響力のおかげだ。
この前も言ったけれど、この町の冒険者ギルドには町の剣士が大勢所属しており、大きな影響力を持っている。彼らはアレクや僕に良い感情を抱いていない。どうやら僕は卑怯者の仲間だと思われているらしい。
ここで重要になってくるのが星の数だ。みんな腕は立つけれど、冒険者ギルドとしての活動はさほど熱心ではない。だから、たいていが星なし、たまに一つ星か二つ星だ。比べて僕は三つ星でしかも、剣が効かないからと誰も引き受けなかったゴーストスライムを倒している。どちらがギルドにとって役に立つだろうか。
というわけで僕とアレクは、その日の夕暮れには闘技場を出ることができた。ただし、野良牛さんからは「町の外へ逃げ出さないように」と釘を刺されてしまった。
リシルさんの誘拐事件については、すでに町中に伝わっていた。さすがに試合結果に不正があったとなっては、領主様も見過ごせなかったらしい。アレクの優勝はうやむやになってしまった。『蓮華亭』に戻る途中、非難がましい視線をいくつも浴びた。
当然、アレクに弟子入りしたいという人は誰もいなかった。
僕はその間お礼代わりに冒険者ギルドのギルド長にブラックドラゴンの血の瓶詰めをゆずったり、町の東に棲み着いた巨人蜂の巣を壊したり、南の沼にあふれかえっていた舌長毒ガエルを倒したりしていた。
え? 町から出ないように言われていたんじゃないかって?
まあ、希望は聞いたよ。でも僕は「うん」とは言っていない。それに僕がコーレインの町に引きこもっていても誰も損はしないけれど、巨人蜂や舌長毒ガエルを放っておいたら大勢の人が困る。
何より僕は逃げたわけではない。魔物を退治した後はきちんとコーレインに戻ってきている。話があるというのなら聞くつもりだし、ケリが付くまで町を離れるつもりはない。
僕はアレクのお父さんから借りてきたモップと、水の入ったバケツを差し出す。
「さあ、どうぞ。道具は貸してあげますから全部拭き取ってくださいね」
『蓮華亭』の外壁の前には三人の男が倒れている。まだ若いけれど、見た目も格好も無頼漢のような人たちだ。手には絵の具と筆を握ったままだ。
見上げれば、白い壁にはたくさんの落書きが書いてある。やれ「卑怯者」とか「町から出て行け」とか「剣士の面汚し」とか、ほかにも見るにたえないような言葉がそこかしこに踊っている。書いたのはもちろん、倒れている三人だ。『贈り物』で隠れて見ていたから間違いない。
倒れている人たちが僕に恨みがましい目を向ける。
「てめえ……何考えてやがる。あんな卑怯者の味方なんかして」
「悪党を悪党と言って何が悪いってんだよ」
「薄汚い男女の味方かよ。恥ずかしくねえのかよ」
「全然」僕は肩をすくめた。
「こそこそ隠れて落書きする人たちに比べたら僕はちいとも恥ずかしくない」
もしアレクや僕に非があったとしても壁に落書きをしていい理由にはならない。何より困るのはアレクのお父さんだ。落書きがしたいのなら紙でも買って好きなだけ書けばいいんだ。きっと近所のおじさんあたりが、天才ピーターの再来と呼んでくれるだろう。
「さ、寝てないで早く消してくれないかな。もうすぐ日が暮れる。君たちも真っ暗な中で掃除なんかしたくないだろう?」
「……」
「困るんだよね」
僕は無頼漢たちの前にしゃがみこむとくい、とそのあごをつかむ。
「僕は明日も早いんだ。朝一番でこんな不快な物を見せられたら僕は何をしでかすかわからない。君たちの顔に落書きをしたくなるかもしれないよ。何がいいかな? 猫? それとも猫かな」
僕がちょいとすごんだ声を出すと、言われるまま掃除を始めた。途中で兄貴分とか言う人たちが「オレのダチになめたマネしやがって」と言って来たので、彼らにも掃除に参加してもらった。おかげで日が沈む前に掃除を終えることができた。
ほうほうの体で走り去っていく背中を見ながら僕はため息をついた。
これで落書きだけで四組目だよ。みんなヒマなんだなあ。
いやがらせがひっきりなしに続いていた。壁の外から怒鳴り声を上げたり、石を投げたり、火を付けようとした人もいた。
捕まえて衛兵さんに突き出したりもしたけれど、反応は冷ややかだった。まるで僕たちの自業自得だと言わんばかりの態度にさすがの僕も腹が立った。スノウのおなかをなでたり、草笛で遊んだり、一緒に昼寝をしなければ、今でもむしゃくしゃしていただろう。
バケツとモップを抱えながら宿に戻ると、アレクのお父さんが小走りで飛んできた。
「いや、どうも。すみません。お客様にそんなマネまでさせてしまって」
「お気になさらないでください。好きでやっていることですので」
汚い落書きなんて見たくないからね。
「それでアレクは……」
「変わりません」とアレクのお父さんは宿舎の一室を見つめる。
「戻ってきてからずっと引きこもったままです」
お読みいただきありがとうございます。
『面白かった!』『続きが気になる!』と思われた方は、
下の評価ボタンをクリックして応援していただけると幸いです。
次回は9/20(木)午前0時頃に更新の予定です。




