泥中の剣 その10
アレクが決勝戦の舞台に上がると観客の罵声やより一層ひどくなった。
「消えろ、この卑怯者!」
「デニスの闇討ちもお前の仕業だろう!」
「お前がうんこ漏らせ!」
聞くにたえない罵詈雑言が浴びせかけられる。アンガスさんがおなかを壊したのもアレクが毒を盛ったからだと信じ切っているようだ。あまりにもひどい人には静かにしてもらったけれど、会場中の怒りは収まることなく、アレクに注がれている。
石を投げて衛兵さんに捕まる人もいた。けれど、一回戦の時と違って衛兵さんが「止めろ」と怒鳴っても収まらない。
もう一つ違うのは、既に舞台にマークさんが現れていることだ。
もしかして、とも思っていたのだけれど、無事に出てきてくれてほっとした。
あとはアレクが一生懸命に試合をすれば、観客もわかってくれるだろう。
その時はそう思っていた。
審判役の合図で決勝戦が始まった。
アレクは先手必勝とばかりに果敢に攻め立てている。マークさんは尻上がりに調子を上げていくタイプのようだ。勝つとしたら最初から攻めの一手しかない。
アレクの動きは良かった。練習の成果が出ている。手首の柔らかさを生かし、しなやかな動きで攻め立てている。マークさんの攻撃を受け流しつつも反撃を素早く繰り出す。あの動きが一回戦や準決勝でも見せていられたら観客の反応も少しは変わっていただろう。
それに引き替え、マークさんの戦い方は明らかに精彩を欠いていた。
盾で視界を防ぐ戦法も、剣で受け流して盾でぶん殴るという戦法も、タイミングが悪くてあっさりアレクに見切られていた。
おかしいな。
剣術教室で見たマークさんの動きはもっと流れるようにムダがなかったし、相手の動きを先読みする目も優れていた。
もし、あの時のマークさんだったらアレクはもう二回ほど負けている。
マークさんの顔色は良くなかった。歯を食いしばりながら何かを懸命にこらえているようだった。もしかして、毒を盛られているのだろうか? 遅効性といって、遅れて効果が出る毒もある。闘技場に入る前に盛られた毒が今になって効いてきたのか?
どうしよう、試合を止めるべきだろうか。このまま戦いを続けてマークさんが命を落としてはいけない。しかし、毒を盛られたにしては足取りはしっかりしている。判断を迷っていると、アレクが勝負を決めに入った。力強く踏み込むと、雄叫びを上げ、剣を振り下ろす。マークさんは当然盾で防ぐところを何故か、剣で受け止めようとした。
力の乗った一撃をこらえきれず、マークさんの剣は宙を舞った。
「参った……」
切っ先を目の前に突きつけられ、マークさんは苦々しい口調で敗北を認めた。
「いやったああああああああっ! オレの勝ちだ!」
アレクが剣を高々と上げて勝利を叫ぶ。歓喜の声は静まりかえった闘技場に飲み込まれ、かき消える。誰もアレクの勝利を喜んではいなかった。拍手をしているのは僕ぐらいだ。観客はマークが負けたのにびっくりしているだけではなかった。小声でざわめきながら、試合の結果を疑い、怪しんでいる。
「もういいだろう!」
マークさんが突然、盾を投げ捨てるとアレクにつかみかかった。
「お前たちの言うとおりにした。優勝も受勲もくれてやる。リシルはどこだ。リシルを返せ!」
「何言っているんだ、お前」
アレクは訳がわからない、という顔をした。唐突に意味不明のことを言われて、むしろ気味の悪さを感じているようだった。
リシルといえば確か、マークさんの恋人だかお嫁さんだかの名前だったはず。でも返せ、というのはどういうことだろう。
「いいから返せ! お前たちがリシルをさらったんだろう」
「待ってください」
今にもアレクに殴りかかってきそうな気配だった。僕は急いで二人の元に駆け寄った。
「落ち着いてください。えーと、リシルさんが誰かにさらわれたんですか?」
「白々しい」マークさんは吐き捨てるように言うと、ズボンのポケットから紙を取り出し、僕に突きつける。文字が書いてある。
「これを書いたのはお前たちだろう!」
僕は紙を受け取る。かなり下手な字だ。読みづらいけれど何とか読み取れた。
お前の妻は預かった。返して欲しければ決勝戦をわざと負けろ。
誰かに知らせたら命はないと思え。
「脅迫状、ですね」
どうやら筆跡を悟られないようにわざと下手くそに書いたようだ。
「なんだよ、これ……」
横から手紙を覗いていたアレクが呆然としている。かなりショックを受けているようだ。ムリもない。実力で勝ったと思ったのにそれが手加減されていたと知ったんだから。
「これを僕たちが書いたと?」
「お前たちのほかに誰がいる」
決勝戦に負けろ、と命令しているのだから確かに一番怪しいのは僕たちだろう。
「最後にリシルさんに出会ったのは?」
「……今朝だ」
「この手紙はいつどこで?」
「準決勝が終わった後に控え室に戻ってきたら扉の下に挟んであった」
「だったら僕たちにはムリですよ。衛兵さんたちがいるんですよ」
一回戦でアレクの試合が終わった後で警備が強化された。控え室の前には衛兵さんたちがいたはずだ。僕はもちろんやっていないし、アレクがそんなマネをすればすぐに見つかってしまう。
「そんなもの、どうとでもなる。金を握らせるなり、どちらかが目を引きつけている間にどちらかが差し込むとかな」
「もしもの話をされても困りますよ」
証拠もない話ならいくらでも言える。たとえば僕が「誰にも気づかれなくなる能力」を持っている、とか。
「とにかく僕たちは誘拐なんてしていません。リシルさんを探すのなら協力します。捕まっているとしてもこの近くにいるはずです」
真犯人が誰にしろ、今の決勝戦を見ていただろう。リシルさんを閉じ込めている場所も近くのはずだ。『失せ物探し』が使えればすぐなんだけれど、僕はリシルさんに出会っていないから見つけられない。
試合は終わり、要求通りになったのだから犯人側から何か動きがあるはずだ。控え室に戻ればまた手紙が届いているかもしれない。
「とにかく一度控え室に戻って、詳しい話を……」
「マーク! いたぞ! こっちだ」
扉の方から大きな声がした。名前を呼ばれて、マークさんが矢のように飛び出していった。僕も後を追った。
「こっちだ」
扉を抜け、マークさんが飛び込んだのは僕たちの控え室の隣、一番奥の控え室だ。部屋の前には大勢の人が集まっている。人混みをかき分けて僕は最前列に出た。
奥の部屋は物置代わりになっているようだ。壁にはたくさんの木箱が山積みになっている。そのホコリだらけの床の上に、長い黒髪の女性がロープで縛られた格好で倒れていた。
「リシル、しっかりしろ。リシル」
マークさんがロープをほどきながら呼びかけている。返事はない。
「リシル、リシル」
マークさんは呼びかけ続けている。
お読みいただきありがとうございます。
『面白かった!』『続きが気になる!』と思われた方は、
下の評価ボタンをクリックして応援していただけると幸いです。
次回は9/17(月)午前0時頃に投稿の予定です。




