泥中の剣 その8
それから次の日も僕を対戦相手に見立てた特訓は続いた。当初は打たれっぱなしだったアレクもだんだんと動きに目が慣れてきているようだ。時折、反撃も繰り出すようになった。それはいいのだけれど、僕のモノマネのモノマネをしたがるのが困りものだ。
「よっと!」
気合いとともにアレクは僕の目の前で背を向ける。僕は目を細めながら隙だらけのお尻を軽くひっぱたいた。もちろん木剣にはグレートライノーの革が巻き付けてある。
「うわっとっと!」
後ろから攻撃を受け、バランスを崩しながらアレクは前につんのめって倒れた。
ちょうど僕にお尻を突き出すような格好だ。
僕は顔を背けながらため息をつく。
「マジメにやってよ。遊びたいのなら練習はここで終わりにするよ」
アレクはむすっとした顔で土埃を払い落としながら立ち上がる。
「ダメか。今度こそうまくいくと思ったのによ」
「そんな見え見えのフェイントに引っかかる人はいないよ」
「ちっくしょう……」
初日のモノマネがよっぽど気に入ったのだろう。ことあるごとに僕が見せた技をやりたがるのだ。特に多いのがダドリーの技だ。変則的な動きと剣術がお気に召したらしい。
けれど本家本元と違い、技の切れもタイミングもてんでダメだった。歩幅を変えればつまずいて倒れるし、自分から転がっては、剣の餌食になりにいく。
「そもそも、ああいう技は相手の不意を突くから効果があるんだ。ところが君ときたら目線や剣の動きがやる前からもう、やろうやろうとしている。あれじゃあ、引っかかる人も引っかからないよ」
「……」
「物事にはタイミングがあるからね。変則的な技というのは、外したら逆に自分がピンチになったり、ダメージを受けちゃう。リスクが高いんだ。それをものにしようと思ったらタイミングを見極める判断力とか勘とか経験とか、色々なものが必要になる」
「……」
「さ、わかったらちゃんと練習しないと。もう今日一日しかないからね」
「別に明日も練習すればいいだろ」
「まだ元気が有り余っているみたいだね」
僕はにやりと笑った。
「ご希望に応じてもう少し本気を出すことにしようかな。相手も練習しているんだからもっと強くなっているはずだからね。一日で倍くらいとして……今は八倍くらいかな。だから十六倍くらい強くならないと」
「待て、どういう理屈だそれは」
口答えする余裕もあるようなので今日は徹底的にやってあげよう。
これも全て大会で優勝するためだ。
日も沈み、練習を切り上げると同時にアレクは宿舎の壁にもたれかかりそのまま、眠り込んでしまった。起こそうと手を伸ばしたところで宿舎の方から人の来る気配がした。
「終わりましたか」
タイミングを見計らっていたのだろう。アレクのお父さんだ。やれやれ、とつぶやくと眠ったままのアレクを背負う。
「すみません、アレクサンドラのワガママでお客様にとんだご迷惑を」
ああ、アレクサンドラだからアレクなのか。納得。
「あとは私の方でやっておきますので。お休みください」
「あの」
ちょうどいい機会なので聞いてみることにした。
「アレクが、ここを剣術教室に戻したがっているのはご存じですよね」
「ええ」笑顔でうなずく。
「こいつはおじいちゃん子でしたからね」
「もしアレクが優勝したらどうするんですか?」
「どうもしませんよ」
アレクのお父さんはゆっくりと首を振った。
「ここは私が義父から受け継いだものです。教室をたたんで、宿屋にしようと決めたのも私には剣の才能がなかったからです。私の目の黒いうちは宿屋のままです。絶対にね」
僕が反論を口にするより早く、それに、と続ける。
「どうしても開きたいのなら自分の力で、自分の剣術教室をやればいいのです。義父の剣とこいつの剣は違います。仮に戻したところで、それは義父の剣を継いだことにはなりません。砂を掛けたりつばを吐いたりするのは自分の目指すべき剣術が見えてないからです。自分の剣術すらわからない奴に誰が習おうなんて思いますか?」
正論だ。本人が聞いたらぐうの音も出ないだろう。
「ただ、最近のこいつはずいぶん楽しそうだ。あなたと練習して、色々なものを吸収している。人に教えるより今は自分が教わる時期なのです。私にはできませんでしたがね」
お客様、とアレクのお父さんは僕に向き直ると深々と頭を下げた。
「こいつをよろしくお願いいたします」
僕の返事も待たず、アレクを担いで宿舎の中に入っていった。
本戦当日、本戦が開かれる闘技場には大勢の人が詰めかけていた。
闘技場は楕円形をした、石造りの建物だ。屋根はなく、中心部には小さな放牧場くらいの広場に白い砂が撒かれている。あそこが戦いの舞台のようだ。広場の周囲はひどく高い壁がそびえている。
昔は奴隷を戦わせたと言うから逃げられないようにするためだろう。よく見ればあちこち傷だらけだ。壁の東側と西側には分厚い鉄の扉が付いており、壁のてっぺんから観客席が階段状に伸びている。どこからでも試合が観戦できるようになっているのだろう。
観客は正面の大きな扉から入って階段を上るのだけれど、選手はそのままぐるりと闘技場を回り、控え室に入る。主催者である領主様の家来に案内され、狭い石の通路を強そうな人たちが二列になって歩いている。時折、観客の興奮した声が聞こえる。みんな多かれ少なかれ自信に満ちあふれている。
「へへ、どいつもこいつも。弱っちい面してやがるぜ。楽勝だなこりゃ」
言葉とは裏腹に、僕の隣を歩いているアレクはしきりに身震いしている。薄手の黒いシャツの上から革鎧を身につけ、青いズボンに革製の手甲、脚絆と動きやすさを優先している。
「落ち着きなよ」
スノウも僕の肩の上で呆れているじゃないか。控え室には選手とその関係者以外は立ち入り禁止なんだけれど、アレクの付き人という名目で僕も入ることを許された。
「だってよ」
「実力を発揮すれば勝機はあるよ」
僕は努めて明るく振る舞う。
「どうせ、いずれは戦わないといけない相手なんだ。それが少し早くなっただけの話さ」
闘技場に入る前に、組み合わせが発表された、アレクは一回戦の第三試合、相手はデニスさん、いきなりウェリントン剣術教室の第二席とぶつかることになった。順当に勝ち進めば次の相手は、アンガスさん。決勝がマークさんというところだろう。
「ものは考えようだよ。あの人たちに実力で勝てば君をバカにする人はいなくなる。ここがふんばりどころだよ」
「お、おう」
表情は硬い。大丈夫かなあ。体調は悪くないと思う。昨日も練習したがっていたのを『贈り物』でムリヤリ休ませたせいか、疲れも取れたようだ。動きもいい。問題は気持ちの方だ。
がちがちに緊張して、そのせいで体も気持ちも縮こまっている。これじゃあ勝てる相手にも勝てない。本当は観客席で観戦したかったんだけれど、この様子だと実力を出し切れないまま負けそうなので試合直前まで付いていくことにした。
扉を開ける音がした。顔を上げると、通路の右側にたくさんの扉が並んでいて、選手やその付き人たちが次々と入っていくのが見えた。
「アレク様の部屋はこちらでございます」
舞台へと続く道を横切り、僕たちが案内されたのは、奥から二番目の部屋だ。一番奥は物置らしい。窓はなく、イスや剣掛けがあるだけのこじんまりした部屋だ。
「殺風景だなあ」
「元々は剣闘士を入れておくための部屋だったらしいからな」
部屋に入ると、観客の盛り上がりが一層増したように聞こえる。隣の部屋からは笑い声が聞こえる。余裕だなあ。
アレクは、というと部屋に入るなり素振りを始めてしまった。
「軽くでいいよ。そんなに力入れなくていいから」
それじゃあ試合の前にへとへとになってしまう。
「あのさ」
アレクは振り返るといつになく自信のなさそうな顔をして言った。
「オレさ、勝てると思うか」
「勝機はあるよ」
「どのくらい?」
「勝てば十割だね」
実際のところ、アレクが優勝できる可能性は低い。僕の読みだと、一割もあるかないか、というところだろう。ほかの二人も強敵だけれど、マークさんは桁違いだ。
『勝たせる』だけなら簡単だ。僕の『贈り物』で試合中に加勢すれば、眠っていたって優勝できる。でもそれはアレクの本意ではないし、僕だってやるつもりはない。
「なんだよ、それ」
アレクが苦笑する。緊張が少し解けたようだ。
「勝つだの負けるだの考えるよりも目の前の相手に全力でぶつかることだね。多分、それが一番確実な方法だよ」
どこまでいけるかはわからないけど、がんばって欲しい。たとえ今日がダメでもまた来年にはいけるかも知れない。明日の勝利は今日の努力があってこそだ。物語にも書いてある。
「ま、ケガだけしないように気をつけてね」
簡単なケガなら虹の杖で治せるけれど、大ケガをしたら僕では難しい。領主様の家来によると、お医者様も呼んであるそうだけれど、打ち所が悪かったら大変だ。
「アレク様。お時間です」
部屋の外から案内役の声がした。もうそんな時間か。思いの外話し込んでいたらしい。
僕たちは部屋を出て、すぐ左にある大きな通路を進む。突き当たりには大きな扉が開いていて、闘技場の舞台に続いている。
「付き添いの方はここまでです」
扉の前で僕だけ止められる。舞台に入れるのは出場者だけだ。
「それじゃあ、行ってくるぜ」
「がんばってね」
扉の横にはのぞき窓が付いていて、ここから試合が観戦できるようになっている。
アレクが姿を現すと、観客から一斉に罵声が飛んだ。
「とっとと帰れ」
「お前なんか負けちまえ」
次々と石が投げ込まれる。当たりこそしないものの、アレクのそばを転がっていく。
「物を投げるな。退去させるぞ」
衛兵さんが声を荒らげて止めに入る。石は止まったけれど、罵声とか悪口は相変わらず続いている。観客は完全にデニスさんの味方のようだ。きっとデニスさんがアレクをこてんぱんにするのを待ち望んでいるのだろう。
「雰囲気にのまれなきゃいいけれど」
怖いのは、アレクがおびえて縮こまってしまうことだ。背を向けているので表情がわからない。でも、背筋はぴんと伸びていて、堂々としている。
「がんばれ、アレク」
せめて僕だけでも応援しようと、声を出す。
アレクは後ろ手で手を振ってくれた。
あとは対戦相手が出てくれば試合開始……なのだけれど肝心のデニスさんがちっとも出てこない。アレクが出てきたのは東側、デニスさんは反対の西側の扉から舞台に入ってくるはずなのだけれど。
「デニスはどうした?」
審判役の人が声を掛けるが誰も出てこない。
観客たちもざわつき始めた。
どうしたんだろう。トイレかな?
ばたばたと後ろの方で大勢の足音がした。続いて扉を叩く音も加わった。
「おい、どうしたデニス。時間だぞ」
「開けろ、デニス」
見ればデニスさんの控え室の前に四人の男性が集まっていた。確か、ウェリントン剣術教室の人たちだ。様子を見に来たのだろう。
「ダメだ。鍵がかかっている」
「おい、開けろ」
どんどんどん、と思い切り叩くけれど、扉が開く気配はない。物語なんかだと体当たりしてこじ開けるけれど、頑丈な鉄の扉ではそれも難しそうだ。
「ちょっと失礼します」
僕は扉の前に立つと剣を抜いた。
「おい、何を」
返事するより前に僕は剣を振り下ろした。鍵の部分をぶった切り、扉を押した。
部屋の中の光景に僕は目を奪われた。
デニスさんが頭から血を流して床に倒れていた。
次回は9/10(月)の午前0時頃に更新の予定です。




