泥中の剣 その6
翌朝、僕はアレクとともに宿舎の庭に出ていた。元々はここで大勢の剣士が練習していただけあって広さは十分ある。今ではその大半が畑に変わってしまっているけれど。
「とりあえず、できる限り試合をやろうかと思うんだ」
秘伝の奥義なんて僕は持っていないし、筋肉を付けるとか細かい技術指導をするにも時間が足りない。本戦まで今日を含めてあと四日。下手に口出ししてもかえって形を崩して、弱くなってしまうだろう。やれるとしたら実際の試合に近い練習をたくさんやって経験を積んだり戦いのカンを養ってもらうしかない。
「これから三日間、朝から晩までめいっぱいやるから覚悟してね」
「あとの一日は何するんで……だよ」
「前の日はお休み。本番に備えて体を休めるんだ」
アレクが明らかに不服そうな顔をした。
「でも、時間がねえってのに、休んでいるヒマなんか」
「大事なのは本戦に勝つことだろ。へとへとの体じゃあ勝てるものも勝てなくなるよ」
いっぱい動いていっぱいご飯を食べていっぱい休む。強くなるための一番の近道だ。
「それはわかったよ。けどさ」
とアレクがじろじろと僕を見つめる。
「いくら強くってもリオだけと戦うのってのは、その」
言いたいことはわかる。同じ相手とばかり戦っていては、自然とその人に合わせた戦い方になってしまう。クセが付いてしまうのだ。色々な相手と戦わないと、経験を積んだとは言いがたい。
「それについては僕に考えがあるから。心配しないで」
その気になれば練習相手を何十人だって呼べる。
「それじゃあ、まずは体をほぐす運動からはじめようか」
「そんなのいらねえよ」
アレクはまた不満そうに唇をとがらせる。
「ダメダメ、柔軟は大事だよ」
柔軟をすれば体が柔らかくなる。柔らかければ、ケガもしにくくなる。それに間接の動く範囲も広がるから戦いにも有利になる。
「こんなことやっている時間なんてねえのに」
ぶつくさ文句を言っているアレクをなだめながら膝を曲げ伸ばししたり、腕を回したりする。
「さ、始めようか」
「やっとか、待ちくたびれたぜ」
アレクはおもちゃを与えられた子供のような顔で剣を握った。
「ところでそれは何なんだ?」
と、僕の木剣を指さす。木剣自体はアレクのと同じだけれど、僕のはそれに白い革が巻き付けてある。
「グレートライノーの革だよ。これなら当たっても痛くないからね」
真剣よりはマシだろうけど、木の棒で叩かれたら痛いに決まっている。万が一ケガをしたらせっかくの本戦出場がフイになってしまう。グレートライノーの革は分厚くて衝撃を吸収してくれる。
「わざわざそんなもの付けなくっても」
「必要だよ」
僕はきっぱりと言った。
「これから何百回と君をひっぱたかなくちゃいけないからね」
軽く叩いたつもりだったけれど手首の上から叩かれてアレクの木剣がことりと落ちる。
「相手ばかり見て手元がお留守になっているよ」
「いってえ……く、ないけれど、なんだよ。今の。全然見えなかった」
「そりゃあ、ちゃんと集中していないからだよ」
僕は肩をすくめた。
「集中すれば、今くらいの動きならナメクジかカタツムリくらいゆっくりに見えるよ」
「いや、ムリだって」
アレクはぶんぶんと首を振る。そんなことないのになあ。
ジェフおじさんによると、集中すれば相手の剣だけではなく、雨粒とか落ちる葉っぱも全部止まって見えるらしい。僕はまだそこまでいかないけれど、調子のいい時にはやっぱりみんながゆっくりに見える。
「休んでないで、次行くよ」
「お、おう」
額からの汗をぬぐい、アレクがかけ声を上げる。
僕は剣を片手で持ちながら攻撃を防ぐ。
「ほらほら、どうしたの? その程度の攻撃じゃ、相手の防御は崩せないよ」
魔物と違い、人間が相手だと技術が必要になる。黙って打たれる人はいないし、向こうも反撃してくる。武器が同じなら尚更だ。時には押したり引いたり、駆け引きも重要だ。
「くそっ」
アレクが踏み込むと、胴を狙って横払いを仕掛けてきた。僕が退くと同時にアレクは身を低くして獣のような体勢を取る。僕は眉をひそめた。
「それダメ」
ぴしり、とアレクの手の甲を打ち据える。手のひらから木剣といっしょに白い砂がこぼれ落ちた。
「また悪いクセが出たね。だからダメだってそういうのは」
もう二十回くらいは叩いたけれど、わかったことがある。アレクは追い詰められると砂をつかんだり足を使ったりと、剣以外の手に頼ろうとする。
フェリックスのようにほぼ互角の相手ならともかく、格上の相手には頼りがちになるようだ。逆に言えば、それだけ手の内が読みやすい。
「わかっているけどよ、でもさ。相手の隙を作るのだって立派な戦法じゃね? そりゃあ卑怯かもしんねーけど、これだって」
「勘違いしないでほしいんだけど」
木剣を肩に担ぎながらどうやって納得してもらおうかと考えを巡らせる。
「僕は別に砂を撒いたり、つばを吐いたりするのが卑怯だなんて思わないよ。ルールを守っているならね」
ルールは大事だ。自分だけルールを破っても平気、なんて言う人は自分がルールに守られているのに気づいていない。もし、ルールなしの勝負なんていうのなら、毒を使ったり飛び道具や魔法、それこそ大人数で袋だたきにするのもありになってしまう。それはもう戦争だ。
殺し合いではなく、剣術の腕を競い合うための大会なのだからルールの中で精一杯努力すべきだ。その中で油断を誘うのも技量や駆け引きのうちだろう。
「僕がダメだって言うのはね。そういう手口はやらないと思っている相手がやるから効果があるのであって、やるだろうな、って思われている時点で効果は半減するからさ。第一、底が浅いよ」
「なら、どうしろっていうんだよ」
「そうだね、ならこういうのはどうかな」
ちょうどいい頃合いなのでそろそろご登場願おうかな。
僕は片手でだらりと剣を持ちながらわずかに猫背になってアレクを見据える。
雰囲気が変わったのに気づいたのだろう。アレクの表情に緊張が走る。なかなかいい勘をしている。今から君の相手は『僕』じゃないからね。
「いくぞ」
すごみのある口調で宣言すると、僕は前に出る。歩幅を変えながら早くなったり遅くなったり、不安定な速度で近づいていく。
「え、あ、へ?」
アレクの顔に戸惑いが走る。腕の立つ人ほど敵の動きを予測して動くものだ。だからこそ、予測しづらい歩き方に腕の立つ人ほど引っかかりやすい。僕も最初は焦ったものだ。この歩き方に引っかかるということはアレクも下地はあるのだろう。
間合いまで詰めると僕は剣を振り上げ、片手で剣を振り回す。
「あ、え、なんだこれ」
アレクが困っているのは、僕が剣の軌道を読みづらくしているからだ。頭を狙ったと見せかけて寸前で肩口を狙う。胴と見せかけて頭、突きと見せかけてなぎ払い、と変則的な動きにアレクはたちまち防戦一方になる。この程度でびっくりされちゃあ困る。
それならこんなのはどうかな。
僕はアレクの懐に飛び込むと、くるりとその場で半回転する。相手の間合いで背中を見せる格好になる。背後でうろたえる気配がした。僕は剣を持ち替え、体をひねると同時に脇の下から背後に向けて突きを放った。手応えありだ。
振り返るとアレクがおなかをかかえてうずくまっていた。先っぽにもグレートライノーの革も包んであるし、手加減はしたんだけれど、いいところに入ってしまったようだ。
「なんだよ、今の……」
「ちょっと知り合いの技をまねてみたんだよ」
ダドリーの変則的な剣術は最近のお気に入りだ。しょっちゅう練習相手として登場してもらっている。最後の突きは僕がアレンジしたものだ。一回転するより背中を見せている時間が少ないのと、不意を突けるかと思ってやってみた。
本家に通じるかは怪しいところだけれど。
アレクが回復したのを待って、練習を再開する。
「こんなのもできるよ」
今度は両足を広く構えて剣を肩に担ぐ。大きく息を吸い、おなかに力を込める。
「おおおおおおおおっ!」
獣のような咆哮を上げると、大きく剣を振り上げる。アレクがかろうじて受け止める。でも僕は止まらない。嵐のように何度も何度も叩き付ける。そのうち打撃音が連なって聞こえる。
「なんだ、今度は、むちゃくちゃ……きつい」
「まだまだ」
本物はもっときつかった。轟雷のあだ名は伊達じゃあない。もちろん僕とコーネルでは体格が違いすぎる。どう背伸びしてもあの重い一発は出せない。少しでも本物に近づけるために一発の破壊力を捨てる代わりに速度を上げ、手数を増やしてそれらしく見せている。
この前は逃げられたけれど、コーネルともいつか再戦する時が来るだろう。その時に備えて何度も戦っている。いくつか攻略法は見つけたけれど、実戦で通じるかどうかはやってみないとわからない。
とうとうこらえきれずにアレクが剣を取り落としてしまう。そのままアレク自身もしりもちをついて座り込む。まあ、最初にしてはがんばった方だ。
「もしかして……今のも……知り合いか?」
「まあね」
あんまり親しいとは言えないけれど。
「お前、一体、どんなのと……」
「そう多くはないかな」
村を出てから戦った人数自体は百人以上はいるけれど、マネしたいような人はあまり多くない。オトゥールの町で出会ったポーラさんは槍使いだし、スチュワート王子の身代わりをやった時に戦ったムチ使いの人も面白そうだけれど、今回は剣術の稽古だからね。
「頼む、少し、休ませて……もう、息が上がって」
「そうだね。それじゃあ少し休憩しようか」
朝からぶっ続けだったからね。僕もちょっとのどが渇いた。
「休憩が終わったらまた続きを始めようか。君と会わせたい人がまだ何人もいるんだ」
盗賊の親分さんとか、トレヴァーさんにケネス、竜牙兵のムダのない戦い方も参考になるだろう。そうそう、グレゴリーさんもいるよね。
アレクの顔が青ざめたように見えたけれど、多分気のせいだろう。
お昼ご飯を食べてからも練習を続ける。お日様が傾き始めた頃にはアレクは全身汗みずくになって地面に仰向けに倒れていた。
「今日はここまでにしようか」
どうも調子に乗りすぎてしまったようだ。さすがに村長さんたちのモノマネはまずかったかな。本物はあんなに生やさしいものではないけれど。
「まだ、まだ、やれる……」
アレクはぜいぜい息を吐きながらも立ち上がろうとする。体中、『麻痺』の魔法でも受けたかのように震えている。
「僕にも用事があるんだ。だから今日はここまで。ちゃんと汗も拭きなよ。カゼ引いたら元も子もないからね」
おいで、と僕が呼びかけるとスノウが宿舎の日陰から僕に走り寄ってきた。
「どこに行くんだ?」
スノウを抱き抱えながら片手でカバンから虹の杖を取り出し頭の中で念じる。
「敵情視察」
そして僕は『蓮華亭』から姿を消した。
次回は9/3(月)の午前0時頃に更新予定です。




