泥中の剣 その5
その日の夕方、僕は冒険者ギルドで魔物退治の依頼をこなし、宿に戻ってきた。
この町の剣士の大半は腕試しのために、時折外に出て魔物とも戦う。倒した魔物の解体費用の節約や小遣い稼ぎのために冒険者ギルドに所属して、依頼を受けている。
アレクは入っていないけれど、マークさんという人やフェリックスも所属しているそうだ。だから冒険者ギルドはコーレインの中でものすごい影響力を持っている、らしい。
ただ今回のゴーストスライムは本物の幽霊ではないけれど、半透明でぶよぶよしていて剣が効かないから誰も引き受けてくれない、と職員さんも困っていた。
ともかく、お金は入った。別の宿に移ろうかとも思ったけれど、昨日以上にどこの宿もいっぱいで僕とスノウが泊まる部屋はどこにもなかった。今日、八人目の本戦出場者が決まったらしい。本戦は五日後、丘の上の闘技場で開かれる。そのせいか、昨日以上に人通りも多かった。
みんな剣術大会を観に来たのだろう。その出場者があんな感じではみんながっかりするのではないだろうか。実際、フェリックスと戦った時も観客はみんな怒っていた。普通に戦えばいいのに。
もしかして明日もアレクに勝負を挑まれるのか、と思うとうんざりする。剣術大会に興味もないし、面白そうな依頼もなかったから、明日には次の町へ向かおうかな。
「おや」
夕暮れの中、『蓮華亭』の前に来て僕は声を上げてしまう。門や壁にたくさんの落書きが書かれていた。「卑怯者」だとか「町から出て行け」とかほかにも口にはできないような汚い言葉がたくさん書き連ねられていた。
文字の具合から察するに昨日今日書かれたものではなく、ずいぶん前から書かれていたのがたまりにたまったのだろう。昨日は真っ暗だったしお腹も空いていたから気づかなかった。
「ひどいことするなあ」
僕はカバンから虹の杖を取り出し『水流』で壁の汚れを洗い流した。放っておいたら子供の教育に良くないからね。
宿を一周回って全部洗い流したのを確認してから門をくぐると、庭の方からおじさんが出てきた。
「どうもおかえりなさい。今夜もお泊まりで」
「ええ」
銀貨四枚を手渡す。
「えーと、夕食は」
「いりません」
今朝食べたパンも固いしスープもまずかった。夕食代わりにさっき屋台でやわらかいパンと、野菜の炒め物とスープを買ってきてある。
「待っててね。すぐにご飯にしてあげるからね」
足下のスノウに声を掛けながら階段を上がり部屋に戻る。先客がいた。
「お帰りなさいませ」
扉を開けると、アレクがひざまずいて待っていた。よく見れば部屋の中はぴかぴかだ。掃除してくれたのだろう。ありがたいけれど、外の落書きを消す方が先なんじゃないかなあ、と思ってしまう。
「お願いします」
僕が何か言うより早く、アレクが深々と頭を下げる。
「オレを弟子にしてください。『先生』」
「は?」
自分でも間の抜けた声が出た。
「オレに剣を教えてくれたのは、オレのじいちゃんなんです」
アレクは床に座りながら話し始めた。イス一つないのでベッドに座るように言ったのだけれど、頑として譲らなかった。僕たちはベッドに座り、夕食を食べながら話を聞くことになった。スノウを腹ぺこで待たせるわけにはいかないからね。
「じいちゃんは昔は町でも評判の剣士だったんです。オレが生まれたときにはもう引退してたから直接は知らないんですけど、剣術教室にも大勢の人が来てて、町中の剣士はみんなじいちゃんの弟子だったんです。住み込みの奴も多くて、剣闘士の宿舎だったここを買い取ったのもじいちゃんなんです」
剣闘士とは、見世物として戦わされる奴隷のことだ。昔は大きい町ならどこでも剣闘士を戦わせる場所があって、大勢の人が詰めかけたという。当然剣闘士としてはたまったものではない。とうとう何十年か前に王都で剣闘士の反乱が起こった。反乱はまたたく間に全国へと広がり、あちこちで罪もない人たちが大勢、犠牲になった。
反乱は騎士団や貴族の兵隊によって鎮圧されたけれど、それ以来、剣闘士として奴隷を使うことは禁止されている。
なるほど、元々奴隷用に作られた建物だったのか。もっと広く作ればよかったのに。きっと反乱が起きたのもそのせいだ。
「でもオレが五つの時にじいちゃんが亡くなって、うちの親父は剣術なんてからっきしだから教室も閉じて宿屋にしたんですけど、案の定このざまで。オレ、いつかじいちゃんの剣術教室を復活させたいんです。そうすれば、人もいっぱい来て、金だって入る。大会で優勝すれば、それも夢じゃないって。でもオレの腕じゃあ、いつも予選止まりで」
「だから砂を掛けたり、水を吹いたりしたわけか」
「……はい」
アレクが苦しそうにうつむく。
「はっきり言うけどさ」
僕はパンを飲み込み、口元を拭くとしかめっ面を作って言った。
「君がおじいさんの剣術教室を復活させたいのはわかるし、そのために大会で優勝したいというのもわかる。格好の宣伝だからね。でも仮に教室を復活させたとして何を教えるつもりなの? うまい泥の引っかけ方? つばの吐き方? それじゃあ誰も入りたいなんて思わないよ」
あの壁の落書きもアレクのやり方に反発した人たちの仕業だろう。仮にアレクに非があるとしても家に落書きするだなんて、それこそ卑怯者のやることだ。認めるつもりはまったくない。けれど、アレクが振る舞いを改めない限りいつまでも落書きは続くだろう。
「……わかっています。クラリッサにも何回も言われました」
図星を突かれてしゅんと落ち込む。アレクの目的は正しいと思う。でも、やり方は完全に間違っている。
「勝ちたい勝ちたい、で目先の勝利にとらわれて、肝心の目的からは遠ざかっているんじゃないかな。結果よりもまずは実力を付けることをおすすめするよ。なんだったら今からでもクラリッサのところの教室に通ったらどうかな。強い人もたくさんいるようだし」
「それはダメです!」
「どうして?」
「あいつの親父は……元々じいちゃんの弟子だったんです。王都の大会で活躍できたのだって、じいちゃんの指導があったお陰なんです。それが、じいちゃんが病気で倒れると、すぐに大勢の弟子を引き連れて自分の剣術教室を立ち上げて……」
クラリッサのお父さんにも言い分はあるもかも知れない。でもアレクにとっては許しがたい裏切り者にしか見えないのだろう。
「あいつらの剣術は、じいちゃんの剣術なんです。オレはじいちゃんの剣術に勝たないといけないんです」
おじいさんの剣術教室復活のためには、おじいさんの剣術に勝たないといけないわけか。ややこしいなあ。
「ほかの教室は?」
「どこも一緒ですよ。多かれ少なかれじいちゃんの剣術に影響を受けた連中ばかりです。それに、一番大きくて強いのもクラリッサのところですし……」
「それで僕に弟子入りを?」
「お願いします」
床に額をこすりつけんばかりに頭を提げる。まるで奴隷だ。
「アンタ……いえ、先生の剣はオレが今まで見たのと、どれも違う剣でした。オレが勝つにはもう先生に頼るしかないんです。お願いします、オレを弟子にしてださい」
「困るよ」
僕は弟子なんて取るつもりもない。第一教え方もわからない。僕自身、まともに剣術を教わった記憶がない。剣の握り方とか振り方を教わると、あとはひたすらおじさんたちとの試合や、魔物との実戦だった。それがジェフおじさんの教え方だ。
ジェフおじさんも誰かに剣術を教えたことなんてないと言っていた。天才だから自分がどうやって強くなったか他人に伝えにくいのだろう。
「僕は旅人だからね。しばらくしたら町から出て行くつもりなんだ。君のために何ヶ月も何年も留まるつもりはないよ」
「ほんの数日でいいんです。あと五日で本戦も始まります。ですから」
「それじゃあ余計にムリだよ」
練習というのは練習の積み重ねであって、一朝一夕で強くなれるものではない、と物語にも書いてあった。ちょっと手ほどきしたくらいで勝てるのなら誰も苦労はしない。
「お願いします。オレ何でもします。その間の宿代もタダにします。ほかにオレにできることなら何でもします。ですから」
「参ったなあ」
この分だと、てこでも動きそうにない。宿を変えようにももう日も暮れる。
「どうしようか」
困った時はスノウに相談だ。僕よりかしこいからね。
スノウはミルクをなめていた舌を止め、僕を見上げる。少し困ったように首を傾げると、ゆっくり首を振った。甘えた声を出しながら僕のひざにもたれかかり、爪研ぎのように手をこすりつける。
「わかったよ」
のどを指先でくすぐってあげながら僕は言った。
「君は優しいからね。放っておけないんだよね」
「にゃにゃっ?」
短い声で鳴くスノウに頬ずりしてから僕はアレクに向き直る。
「とりあえず本戦に出るまでならいいよ、ただし結果は保証しない。それでよければつきあうよ」
「ありがとうございます、せんせ……」
「ただし条件が三つ」と僕はきつい口調で言いながら指を三本立てる。
「僕を先生と呼ばないこと。敬語は使わないこと。床じゃなくってきちんとイスかベッドに座ること。こいつを守ってくれるならいいよ」
先生なんて呼ばれるほど剣術が上手いとも思えないし、敬語なんて使われてもむずがゆいだけだ。あと、僕は奴隷みたいに扱われるのもイヤだけれど、ご主人様扱いされるのも好きじゃない。
「はい、せんせ……じゃなかった。えーと」
そこでアレクは申し訳なさそうに指先でほほをかいた。
「お名前、なんでしたっけ?」
やっぱりやめとこうかな。
次回は8/30(木)午前0時頃に更新の予定です。




