泥中の剣 その4
クラリッサの予想は当たってしまった。どこの宿も大会に参加しようとした剣士や大会を観に来た人で満席だった。空いている宿も何軒か見つけたけれど、そういうところに限ってスノウと一緒じゃダメだと言われてしまう。
既に日も沈み、真っ暗なコーレインの町を僕はあてどもなく歩き回っている。
「参ったなあ」
このままだと今夜は町の中で野宿になってしまう。スノウは僕の腕の中で一足先におねむだ。どこかに空いている宿はないだろうか。さまよい歩くうちに、僕が来た門の反対側にある、寂しい地域に来てしまった。どの家も明かりはなく、ひっそりと静まりかえっている。
引き返そうとしたところで僕は足を止めた。大きな石壁に囲われた屋敷、その両開きの門の上に宿屋の看板が吊されている『蓮華亭』というらしい。
「空いているのかな」
宿屋なら今の時間、食事をする人でにぎやかなものだけれど、ほかの家と同様に話し声もしなければ明かりも見えない。
とはいえこれ以上、歩き回るのも疲れるし眠いので僕は門を叩いた。
「すみません、旅の者です。今晩泊めてください」
返事はなかった。もう一度叩きながら呼びかけたけれど、静まりかえったままだ。
「もしかして、とっくにつぶれちゃっているのかな」
こんな人気のない場所ではとうてい繁盛しているとは思えない。あきらめて立ち去ろうとした時、中からあわてて駆けてくる足音が聞こえた。かんぬきを外す気配がした。
「すみません、遅くなりまして。もしかして、お客様ですか」
外灯を持って出てきたのは無精ひげを生やした、細面のおじさんだった。寝ていたのか、髪の毛も乱れている。
「ええ、今夜一晩で結構ですので。お願いできますか」
「どうぞどうぞ。むさ苦しいところですが、ささ」
請われるまま中に入る。門をくぐると、二階建ての石造りの建物がそびえている。壁も分厚そうだ。けれど、窓も小さく、外観も飾りっ気というものに乏しい。
「どうぞ、こちらが宿舎の入口です」
屋敷の中は入ってすぐ目の前が壁になっており、左右にたくさんの扉が見える。どの部屋からも人の気配は感じない。真っ暗な通路を通り、石の階段を上がる。二階も真っ暗だ。明かりすらない。雰囲気としては宿屋というより牢屋に近い。繁盛していないわけだ。
案内されたのは、二階の一番奥にある部屋だ。しばらく部屋の前で待たされる。中で慌ただしい物音が聞こえた。掃除をしているらしい。
あくびをしていると、誰かが階段を上がって来る気配がした。
「なんだ、親父。こんな夜中に。もしかして客か? ははっ、まさか……」
けだるそうな声が不意に止まった。階段の上がり口でアレクがこわばった顔で立っていた。
「やあ、どうも」
僕が声を掛けると、金縛りから解けたように近づいてきた。
「なんだよ、テメエ。なんだって、ウチにいるんだよ」
「ここって宿屋だよね」
僕の記憶が確かなら宿屋はお金を払って寝泊まりする施設のはずだ。
「君の家だったんだね」
「そうだよ、悪かったな」
「別に悪いなんて言ってないよ」
「わざわざウチにって……ああ、よそに泊まり損なったのか。どんくせえなあ」
泊まりに来たお客さんをどんくさい呼ばわりするのはどうなんだろうか。
「ま、いいや。ちゃんと金は払えよ」
「もちろんだよ」
タダで寝泊まりするつもりはさらさらない。
「さっさと寝ろよな」
アレクがあくびをしながら階段の方に向かう。
僕もまだ掃除が終わらないか確かめようと背を向けると何か飛んでくる気配がした。
後頭部めがけて飛んできたそれを手のひらで受け止めると、顔の前に持ってきて確認する。リンゴだ。
「もしかしてサービスかな。おいしそうだね。ありがとう」
僕がお礼を言うと、アレクは呆然とした顔をしていた。
それから二百ほど数えたところでようやく部屋に入ることを許された。
細長く狭い部屋にベッドがあるだけだ。ベッドもホコリっぽい臭いがする。
「どうぞごゆっくり。もうかまどの火は落としてしまいましたので、お食事は出せませんが」
「えーと」
僕が何か言おうとすると、宿のおじさんはすっと手を出した。
「あ、料金は前払いでお願いします。銀貨四枚です」
僕は言われるまま銀貨を乗せた。
とりあえず携帯用のパンと干し肉で空腹を満たすと、その日は早々とベッドの中に潜り込んだ。
翌朝。僕は宿屋の庭に出た。壁と宿舎の間には大きな庭になっている。庭のあちこちに小さな畑が作られていて、ナスやキュウリが小さな実を付け始めている。僕は宿舎の側、何もない空間を見つけると、腰に差した剣を抜く。
久し振りに朝の訓練を再開する。雨続きでろくに訓練ができなくって体がなまっていたところだ。まだベッドの上でおねむのスノウが起き出す前に片付けておきたい。
呼吸を整えて、剣を振るう。いつも通り頭の中でイメージした相手との模擬戦闘だ。今日は誰にしようかな。竜牙兵はもう飽きちゃったからな。
あの人にしよう。
目を閉じて頭の中にイメージを思い浮かべると、さっそく現れてくれる。戦ったのは一度きりだけれど、結構苦戦したからよく覚えている。
十七回ほど勝ったところで、一息ついた。なかなか手強い。あの時には使わなかったような技も繰り出してきた。手持ちの技が多いのは経験豊富だからだろう。もし全部使われていたら僕も危なかったかも知れない。
十八回目の戦いに挑もうとした時に声を掛けられた。
「何やってんだよ」
宿舎の陰から現れたのはアレクだ。木剣を肩に担いで不機嫌そうな顔をしている。
「ああ、うるさかったかな。ゴメン。ちょっと練習をね」
「お前、その剣どこで習ったんだよ」
「知り合いのおじさんにちょっとね」
「ふーん」
アレクが値踏みするような目でにらむと、にじり寄ってくる。
「お前、ちょっとさ。オレと勝負してくんね」
「どうして?」
意図がつかめずに僕は首をひねった。
「簡単だよ」
アレクが僕に木剣を突き出す。
「お前が強いからだ。それも、オレが出会った中でもかなり上だ」
「それは君が世間を知らないからだよ」
世の中には僕よりすごい人なんていくらでもいる。
「それに君は大会本戦への出場が決まったんじゃないの? 万が一ケガでもしたらつまらないじゃないか」
「へえ、もう勝つ気でいんのかよ。余裕だな」
「それは言葉の綾というものだよ」
「いいからやろうぜ。先に木剣を相手の体に当てた方の勝ちだ」
ぐい、と僕に木剣を押しつける。自分はもう一本の木剣を手に取り、両手で構える。
「オレに勝ったらここの宿代チャラにしてやるよ」
「いらないよ、別に」
どう見てもこの宿屋が儲かっているとは思えない。せっかくの収入をフイにしたらあのお父さんがかわいそうだ。
「ごちゃごちゃ言ってねえで、剣士が戦おうって言っているんだからやればいいんだよ」
喚くなりアレクは木剣を振り上げながら走り寄ってきた。大きく踏み込むと、空気を切り裂きながら振り下ろす。僕が片手で持った木剣で防ぐと、アレクは片手を離し、手のひらに隠した砂を僕の目の前にぶちまけた。
薄い砂ぼこりが広がる。顔に届くより前に僕はアレクの背後に回り込み、こつんと木剣でその頭を軽く叩いた。
「いてっ」
アレクは頭を押さえながら目を白黒させている。さっきまで目の前にいた僕が、今は後ろにいるのを不思議がっているようだ。
「はい、終わり。じゃあね」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
部屋に戻ろうとした僕の袖をあわてた様子で引っ張る。
「もう一度、もう一度だ」
「わかったよ」
アレクは今度は木剣を斜めに構えながらゆっくりと近づいてくる。さっき一瞬でやられたのを用心しているようだ。
時間を掛けるつもりはないので僕は剣を握ったまま大股でアレクに近づく。
「やあ!」
と大声を上げてアレクが大上段に振りかぶる。僕は視線を上げると同時に、少しだけ左足を上げる。足の裏に強い感触が伝わる。浮かせた左足でアレクの蹴りを防いだのだ。びっくりするアレクに構わず、僕は上げた左足でアレクの右足を絡め取る。片足立ちになって体勢を崩したアレクはこらえきれずにその場でしりもちをついた。
座り込んだアレクの肩に木剣を乗せる。これで勝負あり、だ。
「はい、僕の勝ち。じゃあね」
「もう一本、もう一本頼む。これで最後だからよ」
最後の一本と言いながらアレクは十回以上も僕に挑んできた。でも、まともに戦った勝負は一回もなかった。砂を撒いたり、つばを吐きかけたり、剣で石をボールのようにはね飛ばして僕にぶつけようともした。その度にかわしたり防いだりして勝負は全て僕が勝った。
アレクはしりもちをつきながらへとへとの様子で肩で息をしている。
「ちくしょう……なんで……勝てないんだ」
「そりゃそうだよ」
僕はうんざりしながら言った。
「やることなすこと全部見え見えなんだもの」
目線を見れば、何をしようとしているかすぐにわかってしまう。おまけにそれに気を取られて剣がおざなりになっている。勝てるわけがない。
「勝ちたいのならまじめに練習した方がいいよ。それじゃあね」
「ま、待て」
木剣を杖にしてアレクが立ち上がる。
「もう一本、もう一本だ。これで最後だからよ。なあ、頼む。一生のお願いだ」
「君の一生って、もう十四回目なんだけど」
生まれ変わりとかしてないよね。
「頼むって。これで最後にするからさ。マジで」
「仕方ないなあ」
「その前にちょっとだけ待ってくれ。喉がかわいた」
アレクは宿舎の裏口にあった水瓶にかけより、柄杓で水を飲み出した。
「今度はその水を吹き出すんじゃないよね」
アレクは首をぶんぶん振ると、ごくんと喉を鳴らした。
そして剣を両手に持ち、唇をきっと引き締める。
僕はため息をつくと、剣を持ちながら歩き出す。アレクが振り下ろした木剣を真正面から受け止める。
アレクのほっぺたがぷくりとふくらんだ。唇をすぼめると、水を勢いよく吹き出した。
さっき飲み込んだように見せたのは引っかけだったようだ。
吹き出された水は前に進みながら広がっていき、音を立てて何もない地面を濡らした。
「あれ?」
アレクは口元を濡らしながら不思議そうな声を上げる。その肩を後ろから僕の木剣が軽く叩いた。
「はい、おしまい」
僕は木剣を宿舎に立てかけると濡れた地面を踏みしめて部屋へと向かう。なのに後ろからまたアレクが追いかけてきた。
「頼む。もう一本。最後、これで最後だからよ」
「いやだよ」
もうずいぶん太陽も高く昇っている。朝ご飯の時間だ。
「君に構っている時間はないんだよ。僕だって忙しいんだ。早くしないと」
「にゃあ」
かわいらしい声に下を向くと、スノウが僕の足にすり寄っていた。
「ほら、スノウが起きちゃったじゃないか。僕はスノウのごはんを用意しなくちゃいけないんだ」
親友のスノウのごはんを用意するのは僕の役目だ。本当は用意してからスノウを起こしてあげるつもりだったのに。
「ごめんよ、今から用意するからちょっと待っててね」
スノウを抱えながら頭を撫でてあげる。
「それじゃあね。強くなりたいのならもっとまじめに練習した方がいいよ。君のは芸とも呼べない」
本物の大道芸人さんは、溶けた鉄を飲んだり刃物の上に乗ったりと、もっとすごい技をこともなげにやってのける。それに引き替えアレクはただ砂を撒いたり水を吹いたり、誰にでもできることばかりだ。
「でも、さっきの水を飲む振りは上手かったね。あれは、もっと練習すればお客を呼べるかも知れない」
「……」
「それじゃ、今度こそさよなら」
アレクは追いかけてこなかった。僕は部屋へ戻り、スノウにミルクとご飯を用意してあげる。ふと窓の下を見ると、アレクはまだそこでうつむいて立ち尽くしていた。
次回は8/27(月)午前0時頃に更新の予定です。




