泥中の剣 その2
二話連続投稿の二話目です。
長い雨から解放され、南に進むこと半日。僕はコーレインの町にやってきた。小高い丘の周りを古びた石造りの壁に囲われている。丘のてっぺんには領主様が住んでいるらしい屋敷とか、立派そうな教会が遠目からでもわかるほど、ゆったりとそびえている。傾きつつある日差しを浴びて、まるで道化のかぶるとんがり帽子のようだ。
門の前には大勢の人たちが並んでいた。僕のように長い雨で足止めされていたのだろう。旅人姿の人が目立つ。
通行料に銀貨二枚を払い、町に入る。目の前にはなだらかな道がまっすぐ丘の上まで続いている。左右には丘と外壁の間を埋め尽くすかのように、お店がたくさん並んでいる。
丘の中腹には麦畑や小さな家がぽつぽつと広がっている。
なかなか変わった作りだな、と感心していると丘を少し上がったところに人だかりができているのが見えた。みんな興奮しながら何かを見物しているようだ。時折ため息や歓声が上がっている。
気になったので丘を駆け上がり、人の隙間を縫うようにして最前列に出る。
そこはちょっとした広場になっていた。むき出しの土がぬかるんで泥たまりのようになっている。その中で二人の男性が剣で戦っていた。二人とも鎧もカブトも身につけておらず、かろうじて手甲とすね当てで手足を守っていた。
一人は二十代前半くらいだろう。黒い短髪で、がたいのいい人だ。薄着の下から盛り上がる筋肉を見てもかなり鍛えているのがわかる。打ち込む剣も衝撃が肌で感じ取れるほど力強い。
対戦相手は僕と同じか少し上くらいの美男子だった。首筋まで届く金髪を後ろで縛り、青い瞳を楽しそうに輝かせながら相手の猛攻を片手に持った剣でさばいている。腕力ではなく、ぶつかる寸前に角度を付けてうまく受け流している。
一瞬ケンカか決闘かと思い、止めに入ろうとしたところで僕は気づいた。二人の剣は木でできていた。互いの剣がぶつかる度に甲高い音がしている。切られる心配がないからか、かなり激しく打ち合っている。なかなかいい勝負だ。二人の周りを大勢の人たちが取り囲んで応援したりヤジを飛ばしている。
「どっちが勝つと思う?」
僕の横では旅商人らしきおじさんが二人、戦いを見ながら話に花を咲かせている。
「そりゃあ、フェリックスだろう。なんたってマークの弟弟子だからな」
「しかし、ビリーだってカステットじゃあ三席まで行ったんだぜ。フェリックスも腕は立つだろうけど、弟弟子ってだけじゃあ」
「いや、フェリックスもウェリントンじゃあもう五席に入ったらしいじゃないか。カステットなんてもう全盛期は過ぎてるよ、これからはウェリントンの時代だって」
何の話なのかよくわからない。誰か説明してよ。
僕が首をかしげている間に戦いが動いた。
金髪の少年が一度距離を取ると、体を半身に構え剣を後ろに回す。『閉翼』の構えだ。あれだと相手からは剣が体に隠れて見えなくなるのだ。少年はその体勢を保ったまま滑るように前に踊り出す。黒髪の人は一瞬迷ったようだけれど、剣を真正面に構えながら前に進む。二人の距離があと数歩、というところで同時に動いた。金髪の少年はくるりと弧を描くようにして上から斬りかかる。なかなか早い一撃だ。
黒髪の人が笑った。一歩踏み込み、力任せに、という感じで下から払い上げる。あの勢いだと力負けするのは金髪の少年の方だ。体勢を崩したところでとどめの一撃を打ち込むのが狙いなのだろう。
二人の剣が衝突する寸前、金髪の少年は足を止めて踏みとどまる。同時に剣も変化を見せた。軌道を大きく変えて横にずれる。
黒髪の人の剣が空振りする。弾き飛ばすつもりで放ったせいで自身の体勢が崩れ、まるで背伸びをしたようにおなかががら空きになっていた。
黒髪の人がしまった、という顔をした。剣をあわてて振り下ろそうとしたけれど、それよりも早く金髪の少年の剣が脇腹にぴたりと押しつけられていた。
黒髪の人は汗を流しながらごくりとつばを飲み込むと、肩を落とし、剣を足下に投げ捨てた。
「参った」
歓声が上がった。
「おお、フェリックスの勝ちだ」
「すげえな。狙ってやがったぜ、あいつ」
「わざと隙を作ってビリーを誘い込みやがった」
なるほど、黒髪の人がビリーで、金髪の少年の方がフェリックスか。
歓声に応えて大きく手を振っている。さわやかな笑顔だ。
「フェリックス!」
人だかりをかき分けて女の子がフェリックスに駆け寄る。長い金髪を揺らし、頬を赤く染めて、緑色の瞳を歓喜に濡らしている。フェリックスと同じくらいかな。優しげな顔立ちのかわいらしい女の子だ。フェリックスは彼女を抱き留めようとして距離を取る。
「いけないよ、クラリッサ。君の服が汚れてしまう」
言われて自分の服装を見る。緑色のワンピースは仕立ても良く、舞踏会とは言わないまでもよそ行きには間違いなさそうだ。
引き替えフェリックスは跳ね上がった泥で、髪の毛も顔も半袖のシャツも黒いズボンも汚れている。
クラリッサと呼ばれた女の子はいたずらっぽく笑うと、フェリックスの顔に付いた泥を手でぬぐい取るとそのまま自分の顔にこすりつけた。
「ほら、これでおんなじよ」
誰かが口笛を吹いた。
「いいぞお二人さん」
口々に冷やかすようにはやし立てる。
「参ったな」
フェリックスは顔を赤くしてうつむいている。それを見ながらクラリッサも微笑んでいる。仲良しなんだなあ。恋人同士なんだろうか。いいなあ。うらやましい。
「あと一回でフェリックスも本戦出場か。どこまで行けるかな」
「優勝してくれなくちゃ困るだろ。あんなところ見せられちゃあよ」
「あの。ちょっとすみません」
おじさんたちがまた話し始めたところで僕は声を掛けた。
「今のは何だったんですか」
ひげもじゃのおじさんが不思議そうな顔をした。
「兄ちゃん、大会を見に来たんじゃないのか?」
「大会って、今のがですか?」
「今のは予選だよ」
おじさんによると、この町では年に一度剣術大会が開かれるらしい。近隣から腕自慢の剣士たちが集まって試合をする。参加人数が多いので、まずは予選が開かれるそうだ。町のあちこちで試合に参加する人同士が戦って、先に十勝した八人が本戦に進める。逆に三敗すればそこで失格になるそうだ。
「ほら、あそこでやるんだよ」
おじさんが丘のてっぺんの辺りを指さす。見ると、立派な館の横に屋根のない、石を組んだ建物が建っている。もしかして、話に聞く闘技場というやつかな。物語なんかだと剣闘士が試合をしたり、魔物と戦わされたりするところだ。
「で、今戦っていたフェリックスがこれで九勝だ。あと一人に勝てば本戦出場ってわけさ」
おじさんの声は我が事のようにうれしそうだった。どうやらフェリックスを応援しているらしい。
「もう六人目が十勝決めたらしい。早いところあと一人勝たないと本戦には進め……」
「オラ、どけ! ジャマだ! 道を空けろ!」
乱暴な怒鳴り声と共に見物客をかき分けて褐色の肌をした人が現れた。年の頃は僕より一つ二つ上くらいだろう。くすんだ灰色の髪を短く刈り上げ、ダークブルーの瞳を挑戦的に光らせている。
腰のベルトには剣を吊るし、薄汚れた白いシャツや黒いズボンの膝下からほっそりとした手足が伸びている。顔立ちも整っていて中性的と言えなくもないが、目の下に付いた刃物傷の痕や、手に持ったリンゴをかじる仕草は、まるで木の上の猿のように野性味にあふれている。
「よう、フェリックス。勝ったんだってな。やるじゃねえか」
「アレク……」クラリッサがはっと悲しそうな顔をする。
フェリックスはかばうようにして前に出ると、アレクを静かににらみつける。
「次はオレとやろうぜ。オレも九勝目決めてきたところでよ。勝った方が本戦出場だ。わかりやすくていいだろ」
「ふざけるな!」
抗議の声が上がったのは、周囲の見物客からだった。
「強い奴とは戦わずに、弱い奴とばっかり戦いやがって。逃げているんじゃねえ」
「今までどこにいたんだ。どうせ怖くて隠れていたんだろ!」
「お前なんかが優勝できるわけねえだろ」
「うるせえ!」
アレクが罵声とともにリンゴを投げつけた。三番目に喚いた人の肩に当たる。
「何しやがる!」
リンゴをぶつけられたおじさんが怒りながら飛び出してきた。ぶん殴ろうと振り上げた腕がぴたりと止まる。素早く抜き払った剣の切っ先がおじさんの胸元にぴったりと付けられている。
「もしかして、おっさんも出場者だったか? いいぜ、アンタが十人目でよ。大口叩くからにゃあ、楽しませてくれるんだろうな」
おじさんはすっかり青くなった顔をぶんぶん振る。
「やめろ、アレク」
フェリックスがおじさんに突きつけられた剣をつかみながらアレクに火のような眼差しをぶつける。
「いいだろう、勝負してやる。十人目はお前だ」
「いいね、そうこなくっちゃ」
おどけた様子で首をすくめると、鞘に戻した剣を腰から外し、代わりにビリーが使っていた木剣を拾い上げる。
「それじゃあ、さっそくやろうか。かかってきな、先手はゆずってやるよ」
次回は8/20(月)の午前0時頃の予定です。




