身代わりは王子様 その24
部屋を出ると僕は二階へと上がった。そこで手近な窓を見つけると、窓枠に足を掛ける。ぐん、と外へと躍り出ると、一気に屋根の上に登り切った。
そこで『贈り物』を解除すると、そこには先客がいた。
見慣れた白い子猫が僕に近づいてきた。
「にゃあ」
「やあ、スノウ」
親友を抱え上げるとぎゅっと抱きしめる。
「ごめんね、待たせちゃって。カゼ引いてないかい」
「にゃあ」
返事の代わりに僕の腕に顔をこすりつけてくる。ふへへ、かわいいなあ。
いつまでもこうしていたいけれど、そうもいかない。
「それで、スノウ。僕の荷物はどこかわかったかい」
先日のように預けた荷物を隠されてはたまらないので、スノウにはひそかに調査をお願いしていたのだ。
任せて、と言いたげにに力強く鳴くと僕の腕から這い出そうとする。
「それじゃあ一緒に行こうか」
僕はスノウを抱えながらもう一度『贈り物』を使うと、屋敷の中に戻った。
屋敷の中は殿下が倒れたので、大騒ぎだ。もう僕を探す余裕はないようだった。
スノウが案内してくれたのは、二階の一番奥の部屋だ。
カギがかかっている。それに、中から人の気配がする。
どうしようかと思ったけれど、僕はまた『贈り物』を解除してノックした。
近くに人の気配はないし、扉を壊すのは最後の手段だ。
「どうぞ」
ヘンリエッタさんの声だ。さっき殿下からお嫁さんにしてやる、なんて言われたせいでドキドキしてしまう。
「失礼します」
こほんと咳払いすると僕は扉を開けた。
豪華な部屋だった。天蓋付きのベッドに金箔を貼った机や、脚に宝石だか水晶だかをちりばめたイスに、じゅうたんも毛足が長くて、寝転んだら気持ちよさそうだ。
天井の照明もガラス細工で飾られている。
でもそういう部屋だと気づいたのは少し後の話だ。
ベッドの傍らにある、飾り気のない小さなイスに座る女性に僕は目を奪われていた。
黒々とした瞳にかかる細いまつげ、深紅の唇は採れたての果実のように濡れている。
黒くつややかな髪に薄いブーケに飾られ、白いドレスに垂れている。フリルの付いた裾は床に伸びて、まるで湖から出てきた女神様だ。
貴族の服装にはうといけれど、僕にもすぐにわかった。
これは、花嫁衣装だ。
殿下の仕業だろう。僕がうん、と言えば結婚式まで挙げさせるつもりだったのか。手回しのいいことだ。
ヘンリエッタさんは僕の姿を認めると、一瞬悲しそうにうつむいた。目を閉じ、深呼吸すると不意に立ち上がり、僕に近づいてきた。
「お待ちしておりました、リオ様」
その目には好きだとか愛しているなんて甘く情熱的なものではなく、月光にかざした剣のように冷たく悲壮な覚悟が宿っていた。
「ふつつか者ではありますが、末永くよろしくお願いいたします」
「やめてください」
確かに、こんなキレイな人にお嫁さんになって欲しいとは思うよ。でも、自分の気持ちを押し殺して、好きでもない相手にこびへつらうようなヘンリエッタさんなんて見たくない。見ている方が辛い。
「あれは殿下の冗談だったんです」
「冗談?」
ヘンリエッタさんが形の良い眉をひそめる。
「僕の花嫁になれとか、騎士になれなんていうのは全部、殿下のその場のジョーク、ユーモアのつもりだったんです。殿下もつまらない冗談を言ったと後悔されておいででしたよ」
「そんなはずはありません」
ぴしゃり、と僕のウソを退ける。
「殿下はそのような冗談を嫌う方です」
「ええ、ですから。誰も冗談とは気づかなかった。冗談のつもりで言ったのに、本気に取られてしまって弱っておいででした。慣れないマネはするものではありませんね。とにかく、結婚の話もコリンズ君の件もなしになりましたので、安心してください」
突然、ヘンリエッタさんが僕に顔を近づけてきた。
「え、あの」
「正直に言いなさい。あなた、殿下に何をしたのですか。返答次第では生かして返すわけには参りません」
ああ、そっちか。一瞬キスでもされるのかと、どきまぎしちゃったよ。
「何もしてはいませんよ。殿下には傷一つ付けてはいません。本当です」
両手を挙げながらゆっくりと距離を取る。あんまり近いと緊張しちゃって話ができない。
ヘンリエッタさんはまだ疑わしげな目をしている。
僕は視線から逃れるようにきょろきょろと部屋の中を見回す。
「ああ、ここか」
クローゼットの横にある壁に剣を掛けるところがあって、そこに僕の剣と虹の杖が並んでおいてあった。その下には僕のカバンもある。
それらを回収して改めて身につける。
ふう、やっと落ち着いたよ。
用事も済んだし、長居は無用だね。
「では、僕はこれで。コリンズ君にもよろしくお伝えください」
「お待ちなさい」
ドアノブに手を掛けたところでヘンリエッタさんから声を掛けられた。
僕が振り返ると、ヘンリエッタさんは頬を染めながらうつむきがちにつぶやいた。
「……何が不満なのですか?」
「何の話ですか」
「殿下のお傍に仕えれば、あなたは正義を全うできるのですよ」
「殿下の正義は素晴らしいと思いますが、僕の正義とは別です」
弱い者いじめをしたり、スノウを捨てろと命令するのが正義なら僕は悪党でたくさんだ。
「……でしたら、もしや、私が不満なのですか?」
唐突な物言いに僕は面食らってしまった。
「いや、それは」
「差し出がましい口を利いたことは謝ります。態度も早急に改めます。こう見えても一通りの花嫁作法は心得ています。あなたの良き妻となるべく、努力いたしましょう。何人側室を持とうと文句は言いません。どうしてもわたくしがダメなら別の娘を娶れるように計らっても構いません。ですから」
「いい加減にしてください!」
僕は腹が立って、つい声を上げてしまった。
「そんな風にご自分を卑下なさるものではありません。ヘンリエッタさんは、その、十分におきれいな方です。弟思いで、いつも毅然として、意志の強い方です。素敵な女性だと思います。僕はただ、騎士様だなんてなれる身分でもありませんし、第一、宮仕えに向いていないと思うんです」
ベッドに寝転がりながらおやつを食べたり、口笛を吹いたり、昼寝をしたり、どうにも騎士様ってガラじゃない。
「それに、僕は何人もお嫁さんを持つつもりはありません。一人でたくさんです。それがヘンリエッタさんのような方なら素晴らしいとは思いますが、僕としては。……好きでもない相手と結婚しても幸せになれませんよ。ええ」
話しているうちにだんだん顔が赤くなってきた。何をやっているんだろうな、僕は。
用事も済んだし、恥ずかしくなってきたので、おいとますることにしよう。
「では、改めて僕はこれで。どうかコリンズ君を大切にしてあげてください。あと、彼によろしく」
ばたん、と強引に扉を止めた。
「ああ、そうだ」
肝心なことを忘れていたので、また扉を開ける。
「これ、殿下に渡しておいてください」
と、ヘンリエッタさんに手紙を渡す。さっき急いで書いたものだ。
「これは?」
「なんというんですかね、こういうの。受け取った証というか。ちゃんともらいましたよーって」
「領収書ですか」
「そう、それです」
僕はぽん、と手を打つ。
「殿下にお渡し下さい。お渡しいただければわかると思いますので。では」
それから手を振って今度こそ部屋を出た。
そのまま『贈り物』を使って屋敷を後にする。『瞬間移動』で山を越えて、南へ続く街道に出た。
追手も来ないのを確かめると僕はため息をつく。
「まったく、あれだけ働いて、手に入れたのはこれだけとはね」
僕の手の中には一輪のバラがある。さっき殿下の頭に飾ったものの余りだ。
一応、ヘンリエッタさんを通じてもらっておく旨を伝えてあるからどろぼうではない、と思う。
「まあいいか。一応、報酬は手に入ったんだ」
ただ働きさえしなければ、村長さんも許してくれるだろう。
「でも、これどうしようかな」
放っておいたらそのうち枯れちゃうだろうし、トゲを取ってスノウに飾ったらキレイだろうけど、ジャマだろうしなあ。
王子様の部屋に飾るだけあって、色もきれいだし香りもいい。殿下も踏みつけるなんてもったいないことするよ。
とりあえず、カバンの『裏地』に入れておくことにした。
スチュワート殿下じゃなくっても誰かに飾る機会が来るかも知れない。
それが僕のお嫁さんになってくれる人なら言うことはない。
その時僕は、その人だけの王子様になるつもりだ。
誰かの身代わりじゃなくってね。
第九話 「身代わりは王子様」 了
お読みいただきありがとうございました。
突然ですが、しばらく所用により更新を停止いたします。
次回は夏ごろに更新の予定です。




