身代わりは王子様 その23
扉が閉まるのと入れ違いに、たくさんの足音が廊下から聞こえてくる。一度閉めた扉が押し破るかのように開かれた。
「殿下、ご無事ですか」
「おけがはございませんか」
隣の部屋にいた兵士たちだ。槍や剣を手に、鉄の鎧に手甲にすね当て、頭まですっぽりカブトをかぶっている。カギを壊して出てきたのだろう。先頭にいるのは屋敷の当主様だ。三十人を超える兵士たちが両隣から駆けつけたので、部屋の中は兵士たちでいっぱいになる。
「遅い! 何をやっていたのだ!」
ずっと扉の方を見ていたスチュワート殿下が、ふと我に返ったように怒鳴り散らす。
当主様が申し訳なさそうに平伏する。ただでさえ青白い顔からますます血の気が引いていくようだ。
「申し訳ございません、殿下。仕掛けに何者かが細工を……おそらくはあのリオというこぞうのしわざで」
「ごたくはたくさんだ!」
殿下は髪についたバラを地面に叩き付けると、花びらをぐりぐりと踏みにじる。
「貴様のせいで、俺はあやうく殺されるところだったのだぞ。何が『冥府の門』だ! 数々の不埒者を葬ってきたからくり屋敷が聞いて呆れる! あっさり見破られていたではないか!」
「なにとぞ、なにとぞ、ご容赦を……」
当主様は平身低頭、機嫌を取ろうとぺこぺこしている。
「ならん! 貴様も貴様の息子も、その首が明日もつながっているとは思わぬ事だな!」
「そんな!」
当主様の顔が絶望に染まる。
「お考え直しを! 殿下! 殿下!」
ひざまずきながら殿下の足にすがりつく。貴族としての恥も見栄もない、哀れな姿だ。
「ええい、ならん! せいぜい、一族が流した血と恨みを貴様ら親子でつぐなうことだな!」
「殿下、でん……?」
当主様の目が不思議そうに見開かれる。視線がくい、と持ち上がり、口を半開きにしている。
「どうした、俺に何か……え?」
殿下の顔が凍り付いた。頭の上へと無造作に伸ばした指先に、赤いバラが触れている。まるで先程まで咲いていたのを摘み取ったかのようにみずみずしい。
「なんだこれは?」
殿下は髪の毛からバラを引っこ抜くと、手の中と足下を見比べる。床には、クツの跡が付いたバラが無残な姿をさらしている。
はっと気づいたように不安と恐れと怒りのこもった目で周囲を見回すが、目的の姿は見当たらないようだ。
「探せ! まだ奴はこの屋敷にいる! 捕まえろ!」
殿下のすさまじい迫力に、兵士たちにも緊迫した空気が流れる。命令を受けて何人かの兵士が部屋の外へ飛び出そうとした時、再び扉が開いた。
「殿下、終わりましたか?」
入ってきたのはご学友たちだった。
「あのこぞうはどうなりましたか? やはり、私の言うとおりだったでしょう?」
「バカ、この状況を見ろ。あの下郎は断ったのだ。そして今頃、冥界への旅路というところだろう」
「なきがらが見当たらないな。もしかして落とし穴に落ちたのかな。残念だな、せっかく奴の泣きっ面を見られると思ったのに」
にやにやと笑いながら殿下の前まで近づいていくる。彼らにしてみれば、結婚すればイヤな女がいなくなる。失敗すれば生意気な冒険者が冥界送り。どちらに転んでも損のない作戦のつもりだったのだろう。
殿下はぷるぷると震えている。バラを握りしめた拳から赤いしずくがこぼれ落ちる。
「ふざけるな!」
くしゃくしゃになったバラを投げつける。先頭にいたサリヴァン君の胸に当たり、砕けたバラは赤い花びらとなってひらひらと舞い散る。
「で、殿下?」
サリヴァン君は赤い花びらを頭に乗せながら訳がわからない、という顔をしている。
「貴様らの浅知恵のせいで、俺がかかなくてもいい恥をかいた! 奴を処刑する前に貴様らの首をはねてやる」
殿下は落ちている剣を拾うと、ご学友たちに突きつける。
ご学友たちの顔から一斉に血の気が引いた。
「で、殿下。どうかお気を確かに! お考え直しを」
「私の父は侯爵ですぞ。ここにいるのは伯爵の弟で、そこにいるグラハムは殿下の……いくら殿下といえど侯爵の息子を切るなど」
「それがどうした! 俺は王子だ! 不敬で無能な輩を切るのに誰の遠慮もいるものか!」
狂ったように叫ぶと、剣をやたらめったらに振り回し始めた。
ご学友たちはかろうじてかわすと、ほうほうのていで扉の方へと向かう。だが、殿下が先回りして通せんぼする。
「お、おい。ぼーっと見てないで助けろ。殿下がご乱心だ! 取り押さえた者は騎士にしてやるぞ!」
「そやつらを捕まえろ! この国の王子である俺の命令が聞けないのか!」
兵士たちは動かなかった。両方から別々の命令を出されてどうしていいかわからないようだ。ご学友たちが逃げると、兵士たちの壁が二つに分かれる。その後を剣を持った殿下が追いかける。
部屋の中で危険な追いかけっこが始まった。しばし、部屋の中は混乱の渦に飲み込まれた。ご学友たちも懸命に逃げ回ったものの、ついにはすみっこに追い詰められてしまった。
殿下は肩で息をしながら目を血走らせている。本気だ。
「で、殿下。どうかお慈悲を」
「誰か。誰か助けろ! 男爵だ、男爵にしてやる!」
「く、来るな! 来るんじゃない……俺を殺せば、どうなるか……」
ご学友たちはあやまったり助けを求めたりおどしたり、命乞いをする。かと思えば、誰が先頭にするかで押したり譲り合ったり、みにくい仲間割れまで起こしている。
当主様も兵士たちも止めようとはしなかった。スチュワート殿下の剣幕と、王子という肩書きに恐れをなしているようだ。ご学友たちとの天秤は、殿下に傾いていた。
殿下はあやしく笑うと剣を高々と振り上げる。
ひい、とご学友たちの悲鳴が上がる。
「お待ちください!」
部屋の中にコリンズ君が血相を変えて飛び込んできた。あわてていたのか、転びそうになりながらも、もつれるような足取りで、殿下とご学友たちとの間に立つ。そして両腕を広げながら殿下を見据える。その瞳は夜の森の迷子のようなおびえに塗りつぶされている。けれどその奥には、灯火のような使命感が、力強く燃えていた。
「そこをどけ、コリンズ!」
「いいえ、いけません」
コリンズ君は青くなった顔を静かに振った。
「ここで皆様を切れば、殿下の理想は終わってしまいます。どうか軽挙はお慎みください」
殿下の顔がゆがんだ。反乱こそ起こせないだろうけど、息子を殺された貴族たちは、スチュワート殿下を見限るだろう。そのままウィルフレッド王子に味方することも考えられる。そうなれば、スチュワート殿下が次期国王になる可能性はもっと低くなる。
殿下は振り上げた剣を止めたままぷるぷると震わせていた。コリンズ君もご学友たちも当主様も兵士たちも固唾を呑んで見守っている。
ふと、殿下の視線がコリンズ君の後ろに向いた。その先には、赤いバラの花びらが髪飾りのようにサリヴァン君の髪を彩っていた。まるで女の子だ。
殿下の顔が一瞬で赤くなった。一度静まりかけた恥ずかしさと怒りが蘇ったようだった。
「ならば貴様から血祭りに上げてやる!」
殿下は掲げた剣を思い切り振り下ろす。コリンズ君はぎゅっと目を閉じた。
その瞬間、殿下の持っていた剣が根元からぽきりと折れた。剣身が重い金属音を立てて床に落ちる。
「え……?」
殿下は信じられないって顔で折れた剣の根元をまじまじと見つめている。幅の広い剣が削ったような平らな断面をさらしている。
何事か、と目を白黒させていると、殿下の額に水滴が流れる。うっとうしそうに拭き取ろうとした手が固まった。
どうやら、気づいたらしい。流れ落ちているのが汗ではないことに。
それでも、確信が持てないのか、おそるおそるという風に自身の左手を伸ばす。石けんでよく磨かれたきれいな指が花びらに触れる。
頭の上には、いくつもの真っ赤なバラがまるで花壇のように茶色い髪を綾なしていた。
ぱっと、殿下が振り返る。視線の奥にある白い花ビンには、生けられていたはずのバラは全てなかった。
殿下の顔から血の気が消え失せた。できの悪い仮面のように、いびつでがらんどうな表情が呪いのようにへばりついていた。目がぐるぐると渦巻いたかと思うとぐらり、と体がふらついた。首を折り曲げ、折れた剣を握りしめたまま後ろにひっくり返った。
「殿下!」
「殿下、お気を確かに!」
コリンズ君と兵士たちがあわてて駆け寄る。当主様は腰に手を当てながら呆然としていたけれど、はっと我に返り、医者を呼ぶように命令する。ご学友たちはまだすみっこに固まったまま涙と汗と鼻水で顔をくしゃくしゃにしている。
「まったく、手を焼かせてくれるよ」
誰にも聞かれないつぶやきを口にしながら、当主様からお借りした剣を返し、今度こそ僕は部屋を後にした。
お読みいただきありがとうございました。
次回は3/27(火)午前7時頃に更新の予定です。
第9話の最後の話になります。




