身代わりは王子様 その17
よかったよかった。一時はどうなることかと思ったけれど、どうにかうまく行きそうだ。これでヘンリエッタさんも自害しなくて済む。
おかげで僕もようやく本題に入れるよ。
「先程の話ですが」
腰を浮かし掛けたヘルマン様に向かって切り出す。僕としても大事な話なので、自然と真剣な口調になる。
「敵を味方にする、というのは何も貴族や外国だけではないと考えています」
ヘルマン様はまだ話があるのか、と不思議そうな顔をしながら座り直す。
「利害が一致すれば、過去のいきさつはどうあれ、手を取り合う。少なくとも話し合う余地はあると考えています」
ヘルマン様の目が険しくなる。
「たとえば、その『災厄砕き』とか」
アップルガース村のみんなが罪人のままだなんて僕はイヤだ。元々無実の罪なんだし、どうにかしてあげたい。ヘルマン様ならなんとかできるのではないか。スチュワート殿下の依頼を受けた時からそう考えていた。さすがに本人に直接話す機会が来るとは思っていなかったけれど。
「ふむ」ヘルマン様があごに手を当てる。いきなりどなったりすぐにムリと言わないところを見ると、絶対にダメ、ではないのだろうか。
いいのかな。悪いのかな。
どきどきしながら僕は次の言葉を待つ。
「それは」
ヘルマン様が何か言いかけるより早く、部屋の窓が派手な音を立てて砕け散った。
「危ない!」
僕はとっさにヘルマン様の腕を引っ張ってその上にのしかかる。一瞬遅れて、風とともに木やガラスの破片が飛んでくる。
かつんと背中に固いものが当たる。ちくりと背中に突き刺さる感触がした。
ああ、くそ。鎧を着ていないから。
風が収まったのを感じてヘルマン様の無事を確かめる。よかった、ケガはなさそうだ。
「見つけたぞ」
低く、殺意のこもった声がした。
顔を上げると、黒く長い影が破片の散らばった床に落ちているのが見えた。
背丈は僕の頭一つ分は高い。巨大な剣を手に提げ、黒く塗った鎧と手甲、カラスのような黒い外套、傭兵風の姿と見えなくもない。それだけでも教会に不釣り合いな格好だが、何よりも異彩を放っているのはその頭だった。
らんらんと光る金色の瞳に薄汚れた黒い毛、長く突き出た口からは、白く濡れた牙が覗いている。
その男は、オオカミの顔をしていた。
僕は息をのんだ。
人狼という魔物がいると聞いたことはあるけれど、まさかこいつがそうなのか?
まさか、と思いよく見るとあごの下と首の辺りのつなぎめが自然だ。胸の辺りにも灰色の毛が見え隠れしているのだけれど、首から上が少しだけ不自然に濃くなっている。
そうか、かぶり物か。オオカミの頭をしたかぶり物をかぶってなりきっているんだ。
僕はほっとした。そうだよね、そんなことあるはずがない。
「ご無事ですか、猊下!」
物音を聞きつけて扉から護衛の騎士様たちが飛び込んでくる。既に剣を抜いている。四人ほど飛び込んできたが大男を見上げて、目をみはる。
「その顔……もしやお前は……『轟雷』のコーネル!」
騎士様たちの顔に緊張が走る。
続けて飛び込んできた二人の騎士様が僕とヘルマン様の手を取る。
「お逃げ下さい、猊下、殿下。こやつ……『大災害』の大幹部です」
僕の全身を黒い電気が駆け巡った気がした。
もしかして、この国をほろぼそうと企んでいる奴らか。
コーネルと呼ばれたオオカミ男はヘルマン様の姿を認めると、瞳の奥でいっそう激しく殺意を燃やす。
「ふん!」
巨体が宙に舞い上がる。一足飛びで騎士様たちの眼前に迫ると、自分の背丈ほどもありそうな大剣をまるで小枝か何かのように軽々と振り回した。
ただそれだけで、騎士様たちの体が吹き飛ばされる。短い悲鳴とともに壁に床にと、したたかに打ち付けられる。かろうじて切られるのは防いだようだけれど、思い切り背中や胸をぶちのめされて動けないようだ。
強い。
おそろしいのは姿形だけではない。速さも腕っぷしもすさまじい。こんなに強い人は旅に出て以来、はじめてかもしれない。
「ここは危険です、お逃げ下さい」
僕たちの側にいた騎士様たちが青ざめた顔で僕とヘルマン様の腕をとる。かなわないと悟って、僕たちだけでも逃がそうとしているらしい。
「逃がすものか」
呪いの言葉のような響きで宣言すると、今度は大剣を尾のように引きずりながら身を低くして走り寄ってきた。
悲壮な決意に満ちた顔で騎士様たちが飛び出す。
「待って」
僕が呼び止めた次の瞬間、重く引きずるような音とともに騎士様たちは僕とヘルマン様の横をマリのように転がっていった。
ぴくりとも動かない。僕の全身に生えている産毛という産毛が逆立つのを感じた。
あっという間に動けるのは僕とヘルマン様だけだ。いや、ヘルマン様は腰が抜けて動けないようだ。
応援はまだかと思っていると、下で剣の打ち合いや怒号が聞こえた。
やはり、ほかにも仲間がいたか。
いや、下の方がおとりで、こっちが本命か。
「いますぐ冥界に送ってやる」
コーネルは大剣を握り直すと、僕たちの頭上に大剣を振り下ろしてきた。
「いけない」
倒れたままのヘルマン様を抱えながら滑るようにその場を離れる。
横滑りする視界の中でついさっきまで僕たちが座っていたイスがぶった切られるのが見えた。
「おけがはありませんか」
「あ、ああ」
ヘルマン様はまだ呆然とした顔をしている。自分の命が狙われたのがショックなのだろう。しわだらけの手が震えている。
「ここは私に任せて外へ」
何とか時間を稼ぐしかない。
「い、いかん」
ヘルマン様は青ざめた顔で僕の肩をつかむ。
「殿下のようなお若い方が、私のような老いぼれの犠牲になるなど」
「大丈夫ですよ」
僕はへっちゃらって感じで笑顔を作る。
「私には頼りになる家来が付いていますから」
まあ、僕のことなんだけどね。
「ヘンリエッタ」
「は、はい。殿下」
僕が呼びかけると、扉の外からヘンリエッタさんが駆け寄ってくる。さすがに怖がっているようだけれど、うろたえた様子はない。芝居を忘れていないのも感心する。
「猊下を連れて外へ逃げろ。敵の手勢は思ったより少ないようだ。下にいるコリンズや騎士たちと合流しろ。戦うなどと考えるな。生き残ることを考えろ」
「承知いたしました」
ぺこりと頭を下げる。
「私はここでこやつの相手をする。なあに、すぐに追いつくから安心しろ」
僕はくい、とオオカミ男をあごで差す。
「どうかご無事で。ご武運をお祈りしております」
ヘンリエッタさんはもういつもの顔つきになっていた。
「どうぞこちらに」
ヘンリエッタさんがヘルマン様の腕を引いた。ヘルマン様はまだ迷っているようだったけれど、逆らうだけの気力もないのか、おとなしく後に付いていく。
「逃がすものか」
コーネルが地を蹴り、一気に駆け寄る。あっという間にヘルマン様たちの背後に迫ると、大剣を振り上げる。長く巨大な影が二人の背中に被さる。
「させるものか」
僕はコーネルの左に回ると、振り下ろす寸前の大剣を横から蹴り飛ばした。
腕からはじき飛ばせなかったけれど、剣の軌道だけはどうにか変えられた。邪悪な魔剣はヘルマン様たちの真横の床に突き刺さった。地震のような轟音をクツの底に感じながら僕はコーネルの手首をつかみ、同時にジャンプする。
両足を伸ばしながら股の辺りでコーネルの左腕をはさみこむ。同時にひざの裏辺りを首に引っかけると、つかんでいた手首を引っ張りながら関節を極める。
コーネルの体がぐらりと傾き仰向けに倒れる。
どん、と僕の背中が床に付くと同時に、けたたましい悲鳴が上がった。
大剣が金属音を立てて床に落ちる。
「さあ、今のうちに早く」
僕が声を掛けると、ヘンリエッタさんは小さくうなずき、ヘルマン様を引っ張って扉の外へ消えていった。
そこで僕は「ごっこ遊び」を解除する。騎士様たちは全員気絶しているし、これ以上お芝居に気を遣う余裕はなさそうだ。
「さあ、覚悟しろ。お前の化けの皮をはいでやるからな、ニセモノめ」
僕が力を込めると、苦しげなうめきが漏れる。
「誰がニセモノだと?」
足首がつかまれる感触がした。たちまち骨のきしむような痛みが走る。
「寝言をぬかすな、こぞう!」
何ということだろう。倒れた体勢のまま、片腕一本で僕を放り投げた。ぐらり、と世界がさかさまにひっくり返る。声を上げながら僕はくるりと猫のように宙返りして着地する。
「ムチャをするなあ」
極められている時にムリヤリ引きはがそうとすれば、関節を痛めるだけだ。下手すれば折れちゃうのに。
事実、コーネルの左肘は外れている。あれじゃあ戦えない。
なのにコーネルは気にした風もなく、右手を左肘に添えると、むん、と腹の底から響くようなうなり声を上げた。ぽき、と軽い音がした。なんて奴だ。外れた関節を自分で直しちゃったよ。
動きを確かめるようにぐるぐると左肘を回す。
「外れたときはムリに動かすと良くないんだけどね」
親切心から忠告してあげたのに、コーネルはぎろりとにらみつけてきた。
「そうか、お前か」
自分一人で納得した様子でうなずく。
「俺の部下をたった一人で片付けたのは」
「部下って……もしかしてこの前襲撃してきた」
「何者だ貴様?」
「まさか、オオカミ男にまで尋ねられるとは思わなかったよ」
うんざりするなあ。
「そこの騎士もさっきの女もお前を殿下と呼んでいた。だが、王家にお前のようなガキはいない。スチュワートと似た格好をしているが……奴の身代わりか。金で雇われた冒険者か?」
「色々と事情があってね」
話せば長くなるし、説明する義理もない。
「その身代わりが、俺をニセモノ呼ばわりするのはどういうわけだ?」
「ニセモノはニセモノだからさ」
今度は僕の番とばかりににらみつけてやる。
「どこの誰かは知らないけれど、おじさんたちの名前を名乗って悪さをしようだなんて、いんちきの卑怯者を許せないだけだよ」
「貴様に何がわかる!」
コーネルが叫んだ。
「こぞうの分際で利いた風な口をぐたぐだと……貴様こそ何者だ。まさか、あいつらの子供? いや、そんなはずは……」
「どうやらお互いにわからないことや勘違いがあるみたいだね」
口の中でもごもごとつぶやくコーネルに、僕はゆっくりと歩み寄る。
「どうだろう。ここは一つお茶でも飲んで話し合わないかな。ちょうどイスも」
そこで目に映ったイスは足が折れていた。もう一つは真っ二つになっていた。
「床に腰を落ち着けて話し合うのも悪くないと思うんだ」
「座る必要はない」
コーネルの剣先がわずかに動いた。やばい、と僕の背筋に悪寒が走る。
「骸となって這いつくばれ!」
突風を伴いながら巨大な剣が僕の腰を狙って切りつけてきた。肉厚の剣でぶった切られたら胴体は真っ二つだろう。でもおあいにく様だ。僕はこいつを待っていたんだ。
タイミングを見計らって僕は足を曲げて、真上に飛び上がる。ふわりと浮いた次の瞬間にはそのまま下降していき、コーネルの大剣の上に落ちた。
「ぐっ」
真上から踏みつけられて、コーネルの剣がどすんと床に叩き付けられる。ちょうど僕が剣を上から踏みつけている格好だ。もちろん、こんなチャンスを見逃す僕じゃない。
駆け上がるようにして斜めになった剣の上を走ると、そのままコーネルの顔をあごの下から蹴り上げた。
とっさに体を反らしたようだけれど、かわしきれずに蹴飛ばされた顔が上を向く。
その隙を狙って僕はオオカミの頭をつかむと、くるりと一回転しながら飛び越える。
ぶちぶち、とひもの切れる音がした。
着地した時には僕の手にはオオカミの覆面が握られていた。
「さあ、化けの皮をはいだぞ。正体を見せろ、偽者め」
振り返りながら呼びかける。
コーネルは顔を両手で包み隠している。剣を床に落とし、両肩をふるわせ、突き出た牙を懸命に口の中に押し込めようとしているように見えた。
「え?」
僕は我が目を疑った。
はぎ取った覆面はここにあるのに、あいつの顔はまだオオカミのままだ。
「やってくれたな、こぞう」
忌々しそうなつぶやきに、僕は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
まさか、もう一枚覆面を? いや、違う。僕が蹴飛ばして時にケガをしたのだろう。口から流れ出た血は、間違いなく本物だ。
信じたくはないけれど、ここまで事実を突きつけられては認めないわけにはいかなかった。
「どうやら、あなたがアップルガースの……『災厄砕き』の一員だというのは本当のようですね」
覆面の下から現れたのは、灰色のオオカミの顔だった。
お読みいただきありがとうございました。
次回は3/6(火)午前7時頃に更新の予定です。




