身代わりは王子様 その16
聞いてないよ!
そう叫びだしたいのをこらえると、静かに聞き返す。
「どういう意味でしょうか?」
ヘルマン様はにっこりと微笑んだ。
「言葉通りの意味です。わたくしは次の国王にはウィルフレッド様の方がふさわしいと判断いたしました。すでにウィルフレッド様にもそのようにお伝えしております。いずれ国王陛下にもそのように申し上げる所存です」
開いた口がふさがらない、とはこのことを言うのだろうか。
ヘルマン様ってウィルフレッド殿下の方を応援していたの? 早く言ってよ。何のために来たんだろう。もしかして、スチュワート殿下はそれを思いとどまらせるために来たのかな。
ヘンリエッタさんに聞こうにも部屋の外だし、尋ねに行ったらおかしいと思われるだろうか。
「理由をお聞かせ願ってもよろしいでしょうか? その……どのような点がふさわしいと感じられたのか」
かろうじてその言葉をのどの奥から絞り出す。
黙っていたら怪しまれるか、負けを認めたと思われるだろう。説得するにしてもあきらめるにしてもまずは話をしてからだ。
ヘルマン様は懐から手紙を取り出した。封は破かれている。
「実は昨年、ウィルフレッド殿下よりいただきました」
許可を得て、中を見せてもらう。
時候の挨拶から始まって、高齢のヘルマン様を気遣う文面が綴られている。こういう気遣いは大事だよね。
それから殿下の近況とか、成長した暁にはこの国をよりよくしたいという理想が情熱的に書かれており、最後にまたヘルマン様の健康を祈る内容で閉められている。
次の王子様になりたいとか、応援してくれ、なんて一言も書いていない。
「大変、好感の持てる、よい手紙です」
僕もうなずく。
「もちろん、この手紙だけで判断したわけではありません。わたくしなりにウィルフレッド殿下のことを調べました」
それからヘルマン様はウィルフレッド殿下の良いところをたくさん並べた。
学業優秀、運動も抜群。誠実で勇気があって決断力に優れている反面、寛容で慈悲もある。家来にも優しく、みんなから慕われている。非の打ち所のない完璧な王子様。
「それに最近では、シルベストルの姫とも婚約されました」
「それは……」
「確かに、シルベストルとは長年、仲違いを続けてきました」
ヘルマン様が僕の言いたいことを先回りした。
「今回の婚約を良からぬ目的や野心の口実に使おうとする者もいるでしょう。ですが、悪い話ばかりではありません。血縁で結ばれれば両国の橋渡しにもなるはずです」
人柄も問題ないし結婚相手もヘルマン様は好意的にとらえている。
「また、彼は妾腹ではありますが、我が国では慣例として長兄が後を継ぐものとされています。殿下が次の王になれば、必ずや我が国はさらなる発展を遂げることでしょう。以上の点から考慮してわたしは、ウィルフレッド殿下を推すことにしたのです」
まったく同感だ。論理的だし、利害の点でも説得力がある。何より僕はウィルフレッド殿下に好感を持っている。
正直言って「そうですね、ではそうしましょう」と握手でもして帰りたいところだけれど、僕にも事情がある。
このままではヘンリエッタさんが自害しかねない。
何より僕もまだ、肝心なことをお願いしていない。
こうなりゃ、ヤケだ。やれるだけやってみよう。
「そうですね、おっしゃるとおりだと思います」
僕は深々とうなずいた。
「ウィルフレッド……あえて兄とは呼びませんが、あれが即位すれば確かに優れた王になるでしょう。いずれ賢王と呼ばれるようになるかもしれません。私とは信じる道は違いますが、それもまたこの国のあり方の一つなのでしょう」
ヘルマン様の口が少しだけゆるんだ。僕(つまりスチュワート殿下)があっさり認めたのが予想外だったのだろう。わずかに吐いたため息からおどろきと感心が漏れ出たように感じた。
「ですが、ウィルフレッドが賢明であってもあれを支持する者たちは違います」
「例の貴族たちですか」
「ウィルフレッドが次期国王へと目されるようになったのは、彼らの力があってのこと。私利私欲を満たすためにおのが領地で悪政を強いる者たちです。そのような者たちがウィルフレッドを次期国王に据えようと働きかける意味、ヘルマン様ならおわかりでしょう」
「つまりは、あやつり人形にしようと?」
「少なくともそのように企んでいるのは確かでしょう」
いくら殿下が公平で正しい政治をしようとしても一人で何でもできるわけではない。家来にそっぽを向かれたらそれまでだ。飾り立てる人形がきれいであればあるほど、その美名にかくれて悪事をたくらむ者たちは動きやすくなる。
「ウィルフレッドがそれらを全て取り除いた上でまだ国王になろうというなら私も考えましょう。ですが、今回の婚約も伯爵の働きかけがあってのこと。おのれの妻すら貴族どもに決めてもらっている者にどれほどのことができるでしょうか」
本当はあやつり人形扱いなんてしたくはないけれど、普通にウィルフレッド殿下の悪口を言ってもかえって嫌われるだけだろう。
「また、先程ヘルマン様は長兄が後継者になるとおっしゃられましたが、慣習はあくまで慣習です。歴史をひもとけば、長兄が継がなかった例もあります」
多分。僕、歴史にくわしくないけど。物語なんかだとたいてい末っ子が跡を継いだり大金持ちになったりするんだよね。
そういう話を読むたびに僕も末っ子に生まれたかったと思ったものだ。
「それにシルベストルの姫君もその……あんまりおしとやかじゃありません」
あのおてんばぶりでは結婚してもウィルフレッド殿下も苦労するだろうな。うらやましいけれど。
ふむ、とヘルマン様はあごひげを撫でる。
僕の反論について思案しているようだ。
「ウィルフレッド様と貴族との縁を切るのは難しいと?」
「私は、ほぼ不可能と思っています」
「しかし、それは殿下も同じ事ではないでしょうか」
ヘルマン様がじろり、と意味ありげな視線を向ける。
「殿下とて多くの貴族の支援者を集めておられる。彼らが同じように殿下をあやつり人形にしないとの保証がどこにあるのですか」
僕の頭の中に取り巻きのご学友たちの顔が浮かんだ。
ヘルマン様の言うとおりだ。
少なくとも彼らは、スチュワート殿下といっしょになって、よりよい国作りを進めようという気概も理想も持ち合わせていない。
有力な貴族たちがいたら、自分たちがいい目を見られないからスチュワート殿下に味方しているだけだ。要するにイス取りゲームだ。
仮にスチュワート殿下が王様になったとしても、私利私欲のために民を苦しめるのかもしれない。貴族の名前が変わるだけで、民にとってたいした違いはない。ヘルマン様の指摘はもっともだと思う。
でも。
「それは違います」
僕は言った。言ってしまった。
「何が違うというのですか?」
ヘルマン様の質問に何か言わなければ、と必死に考えを巡らせる。
「私を応援してくれるのは、私と理想を同じくする者たちです」
言葉にしてから、ヘンリエッタさんとコリンズ君の顔が浮かんだ。
ああ、そうだ。少なくともあの二人は、殿下を信じて、自分の夢を託しているんだ。
「私の背中には多くの夢があります」
今、僕は殿下になりきって話している。あの二人が信じている理想の殿下に、だ。
「この国は多くの問題を抱えています。不公平、貧しさ、暴力、災害。大勢の人が苦しんでいます。パンも買えずに飢える者、貧しさに売り飛ばされる子供、魔物により傷つき苦しめられる者たち。悲しいことに陛下の威光は、この国の隅々まで届いているとは言いがたいのです」
あまり不幸な現状を訴えると、国王陛下への批判にもつながってしまう。でも僕は言わずにはいられない。
「それを一つでも多く、解決するためには、平民も貴族も一致団結して問題に当たらねばなりません。国を富ませ、不正をなくし、危険を排除する。数は少なくとも、心の結束があれば、必ずや乗り越えられるでしょう」
「しかし結束する者たちばかりではありますまい」
ヘルマン様はむしろ哀れむような目をした。
「逆にあなたを排除しようとする者たちも出てくるでしょう。あなたのように今、力をある者たち取り除こうすれば、必ずや反発が生まれます。あなたの行く道は敵ばかりだ」
「私は汚名を恐れません」
冷酷で残虐な王と呼ばれようと、百年二百年先の未来のために必要であれば、破壊を恐れない。理想のスチュワート殿下ならきっとそう言うはずだ。
「それに」
あまり冷たい奴だと思われても困るだろうからちょっとだけアドリブを入れておいた。
「私は、敵とも仲良くなれる男です」
ヘルマン様は意表を突かれたらしく、目をまん丸にした。一瞬黙り込んだかと思うと不意ににやりと笑った。最初は微笑だったのがだんだんと声が大きくなり、やがて哄笑へと変わっていった。
「いや、やられました。今のはよかったですな」
ヘルマン様が肩をふるわせながら目にたまった涙を拭き取る。そんなに面白かったのかな。今度スノウにも言ってみよう。
「殿下」ヘルマン様は笑い終わると、ひもで縛ったように顔を引きしめ、居住まいを正した。
「此度の話で確信いたしました。わたしは殿下こそ次の王にふさわしい、と」
「まことですか?」
重いかげない言葉につい立ち上がる。
「殿下には信念がおありだ。それに、決断力もある。何よりユーモアがある。民を導くためには柔軟な考えが必要ですからな」
ユーモアって大事だよね。僕もしかめっ面の人より冗談を言う人の方が好きだな。
「殿下の推挙はまた後日、書面にして正式に陛下へお伝えいたしましょう」
あれ?
「失礼ですが、すでにウィルフレッドでん……に支持をお約束されたと」
「ああ、あれですか」
ヘルマン様はさらりと言った。
「あれはウソです」
僕は間の抜けた声を上げた。
「失礼をいたしました。ですが、先程殿下が申されたとおりです。敵を味方に付けるくらいの意気込みがなくてはとうてい、王になどなれないでしょうからな」
つまり、僕……というかスチュワート殿下を試したわけか。
「お人が悪い」
「神への道は誠実のみで開かれます。ですが人の道は悲しいことに一つではないのですよ」
ヘルマン様はしれっとした顔で言った。
お読みいただきありがとうございました。
次回は3/2(金)午前7時頃に更新の予定です。




