身代わりは王子様 その13
「あんな、いばりんぼの王子の相手なんてうんざりだぜ」
舌打ちすると、赤毛のサリヴァン君はかじっていたリンゴをほおばる。
「乱暴だし、すぐにかっとなってどなるし、何でも自分が正しいと信じ込んでいやがる」
「あーあ、父上の命令でもなければ、あんな奴のお付きなんて絶対にゴメンなのに」
「でも、あいつが王子になれば結局は一生あいつにへいこらしなくちゃいけないんだぜ」
ルシアン君もグラハム君も口々にグチをこぼしている。スチュワート殿下の悪口ばかりだ。
僕は今、彼らの部屋にいる。一人につき一部屋ずつあてがわれているけれど、今はサリヴァン君の部屋に集まってくっちゃべっている。
もちろん『贈り物』で気づかれなくなっているから見とがめられる心配はない。
ヘンリエッタさんの言うとおりだ。みんな殿下の前ではへいこらしているけれど、いないところでは陰口をたたいている。
普段、付き従っているのもきっと親の命令なのだろう。スチュワート様が次の王様になれば、取り巻きだって出世は間違いなしだ。
殿下は悪い貴族を取り除くと言っていた。でも、その後に出てくるのがこんな子たちでは、その後に作られる国も大差ない気がする。せいぜい、いばりんぼの貴族の面子が変わるだけだ。
ことわざでいうところの『豚とオークのにらめっこ』、『グリフォンがヒポグリフを笑う』というやつだ。
いくら殿下の理想が素晴らしくても家来がこれでは、永久にかなうことはないだろう。
つまるところ、スチュワート殿下は寂しい人なのだ。
大勢の家来に囲まれても、本当に殿下の身を案じてくれる人は少ない。
かといってヘンリエッタさんが言うように一生、仕えるのもムリだ。
では、どうすればいいか。
「つまり、殿下も猫を飼えばいいんですよ」
「何がつまり、なのかまるでわからん」
スチュワート殿下がしかめっ面でぼやいた。
翌朝、僕たちは再び馬上の人となって旅を進めている。今日の昼前には目的地の教会に着く予定だ。
「貴様の都合で猫を飼うなどまっぴらだ」
「そういうわけではありませんよ」
同じ格好に同じ髪型(当然僕はカツラだけど)で隣に並びながら僕は首を振る。
殿下には心を許せる友達が必要だ。でも、王子という立場がジャマをして近づいてくるのは、欲得づくの人がほとんどだ。でもペットならそんなものは関係ない。ペットにとって優しくてごはんをくれる主人なら王子様でも平民でも一緒だろう。
ただ、正直に僕の考えを言うと殿下は怒るだろう。なので、こんな言い方になってしまうのは仕方のないところだ。犬とか小鳥とかウサギとか、ペットとなる動物はたくさんいるけれど、その中から猫をすすめるのもやはり仕方のないところだ。自分が心から素晴らしいと思うものでなければ殿下の心は動かせないだろうし、事実猫はかわいいからね。
それに、昔ジェロボームさんから聞いたことがある。手の付けられない乱暴者だった子に子犬を飼うよう勧めたところ、心が優しくなり、暴力を振るわなくなったのだそうだ。殿下も心休まれば、コリンズ君へのいじめもなくなるかもしれない。
「猫はいいですよ。かわいいし、やさしいし、気まぐれだけど、だからこそすり寄ってきたときとかもうたまりません。一度だまされたと思って猫を飼ってみればきっと殿下も気に入りますよ、ねえ」
僕が後ろに呼びかけると、ヘンリエッタさんと一緒に馬に乗っていたスノウがにゃあと背伸びしながら返事をしてくれる。
「スノウもああ言っていることですし、いかがですか」
「いらん」
殿下は吐き捨てるように言った。
「なぜですか? もしかして、猫が近づくとくしゃみが出るとか」
「俺は猫が嫌いだ」
口に出すのもいやだって感じだった。
「あいつらは気まぐれで、言うことも聞かない。呼んでも来ない。エサをやっても知らん顔だ。おまけにそこらで爪を研ぎ出す。ろくなものではない」
具体的な指摘に僕は意表を突かれた。
「殿下、猫を飼われたことがおありになるのですか」
「俺ではない。コーデリアだ」
「どなたですか?」
「殿下の妹君ですよ」
答えてくれたのは後ろにいたコリンズ君だ。
「御年八つになられます。殿下とはその……母君が同じなので」
そういえば、今の王様には三人の男の子と四人の女の子がいるんだっけ。
コーデリアっていうのか。どんな子なんだろう。猫好きってことは僕とも仲良くなれるかなあ。
「そういうことだ。だから俺は猫が好かん。まっぴらだ」
それに、と急にそっぽを向いた。
「どうせ飼うなら猫より犬がいい」
照れくさそうに言うので僕はぷっ、と吹いてしまった。
「なにがおかしい!」
「いえ、申し訳ありません」
僕は言った。
「そうですね。犬もいい」
「かしこくて忠実で、主人思いだ。飼ってやれば役立つ」
「そうですね。ええ、全くその通りです」
でもスノウはもっとすばらしいからね。
そう心の中で付け加えるのを忘れなかった。
予想していた襲撃もなく、穏やかに話しながら僕たちは進んでいった。景色も平原からだんだんと木々が増えていく。道には落ち葉や枯れ草が敷き詰められていた。しっとりと濡れたそれを馬のひづめが踏みしめる。いつの間にか周りの景色は林から森へと変わっていた。
森の中は一層薄暗かった。少し前から空はどんよりとくもっている。薄墨でも流したような空は徐々に低く下がってきている。一雨来るにはまだ余裕はありそうだけれど、いい気分はしない。敵からすれば、森の中を歩く馬なんて格好の的のはずだ。それに教会に着けばヘルマン様との会談が成立してしまう。阻止するなら今が最後のチャンスのはずだ。
みんなもそれはわかっているのだろう。いつの間にか無言になっていた。青い顔をしながらきょろきょろ落ち着きなく見回している。
物語なんかだと上からと見せかけて、木の葉の中に隠れていたりするものだけれど、虹の杖で探ってもそれらしい反応は見当たらない。森の中と言っても木々の間は空いているので視界もわりと開けている。遠くから走ってくればすぐに気づけるはずだ。
あきらめたのかな。いや、そんなはずはない。油断したところを狙っているのだろう。僕は顔と気持ちを引き締めながら怪しい気配を探り続けた。
「見えましたぞ、殿下」
先頭の騎士様が声を掛ける。
鉄の手甲が指さした先に、古びた教会が見える。三階建ての、立派な教会だった。取り外されたのか、てっぺんにあるはずの鐘楼はがらんどう。教会の頂点にあるはずの神様の印も傾いている。
昔は真っ白だったと思わせるような石壁も長い年月を雨風に打たれたのだろう。あちこちにひびも入っている。大きなひびには修理した痕もあるけれど、小さなひびは放置されたままらしい。すきまからは緑色のコケが生えているところもある。
両開きの木製の扉も分厚そうだけれど、年月を経てすっかり色あせてしまっている。
なんでも昔は僧侶の修行に使われていた場所なのだそうだ。ヘルマン様も昔はここで修行していたという。
扉の近くには見覚えのある馬が一頭、近くの木につながれている。
先触れということで一人の騎士様が、先行していたのだ。
「ようこそお待ちしておりました」
教会を管理する司祭様は、太ったおじいさんだった。頭はてっぺんがはげあがって、残った髪の毛も生糸のように真っ白だ。顔立ちもふっくらしていて、ほっぺの肉が厚いせいか目も細く、口も鼻も小さく見える。
「ヘルマン様はいつ頃になるだろうか」
馬から下りた騎士様が尋ねる。ほかに馬がないということは、まだヘルマン様は到着していないのだろう。
「触れの者の話では、中天(午後零時)までにはお着きになられるかと」
そうか、とうなずくと騎士様は殿下の方を向いた。
「殿下もお疲れでしょう。まだ猶予もございますので、しばしご休憩を」
「うむ」と殿下は騎士様やコリンズ君たちご学友とともに教会の中に入っていく。
兵士たちも馬を馬小屋に連れて行ったので、残ったのは僕とヘンリエッタさんだけだ。
昨晩のこともあるので少々気まずい。一方、ヘンリエッタさんは涼しい顔だ。今朝起こしに来た時も何もなかったかのように平然としていた。
どうにも表情が読みにくい。でもおなかの中では怒っているのかもしれない。もしかしたら嫌われたかもしれない。
「僕はどうしましょうか?」
とりあえず今後の予定について尋ねると、ヘンリエッタさんはやや考え込む仕草をしてから答えた。
「会談は殿下とヘルマン様のお二人きりで行われます。あなたにはその間、兵士たちと教会の周りで護衛に当たっていただきます」
「身代わりはひとまずお役御免、ですか」
ここまで来たら身代わりもさほど意味はないだろう。あるとすれば、会談の最中にまた悪人どもが攻めてくることだ。
「念のため、格好はそのままでお願いいたします。いざというときには殿下にお逃げいただく場合も考えられますので」
「ああ、その時は僕が追っ手の目を引きつけると」
「そのための身代わりです」
涼しい顔で言われると嫌な気持ちになるどころか、かえって笑ってしまう。
「では、僕は」
そう言いかけたとき、ばたんと扉が開いた。中からコリンズ君が血相を変えて飛び出してきた。
「た、大変です。姉さん」
「どうしたのですか、コリンズ」
「で、殿下が……」
言葉を詰まらせながらヘンリエッタさんにすがりつく。
「殿下がどうしたのですか」
ヘンリエッタさんが顔色を変えた。
「殿下が、毒を盛られて……」
僕たちが駆けつけると、殿下は二階にある小さな礼拝堂のような部屋で、石畳の床にうつぶせに倒れていた。目を閉じて、騎士様が険しい顔で何度も揺すっているけれど、目覚める気配はない。
「どいてください」
僕は騎士様を下がらせると、カバンから虹の杖を取り出し、『治癒』をかける。殿下の体が淡い光に包まれる。
光は収まった。顔色もいいし、呼吸はちゃんとしている。脈も正常だ。でも殿下が目を覚ます気配はなかった。
「お、おい。どうした。殿下はなぜ目を覚まさない」
騎士様の不安そうな呼びかけに答えず、僕は殿下の周りををためつすがめつ見る。すると、殿下が座っていたとおぼしきイスの下に茶色い染みが濡れている。鼻先を近づけると、かすかに薬っぽい臭いがした。
「どうやら眠り薬を盛られたようですね」
「一体誰が……」
「おい、こっちに来てくれ」
別の騎士様の声がした。いったん殿下をヘンリエッタさんに任せて声のした方に向かう。
一度下に下りて、教会の裏に回る。少し離れた場所に古びた物置小屋が建っていて、騎士様はその前にいた。僕の姿を認めると、騎士様は小屋の中を指さした。
中には二人の男性がなわで縛られ、閉じ込められていた。一人は先触れの騎士様、もう一人は裸の老人だった。枯れ木のようにやせていて、目の大きなおじいさんだ。僕たちに気づくと、猿ぐつわをかまされた口でうーうー、とうなり始めた。
僕はなわを解いた。
「あなたは? 一体何があったんです?」
「わたしは、この教会の司祭だ。昨夜、怪しい男たちがやってきてわたしを縛り上げてこの小屋の中に……」
まさか。僕の顔から血の気が引くのを感じた。
「もしかして、太って、てっぺんのはげあがったおじいさんですか」
「顔を見たわけではないが、そのような体格の者がいたように思う」
やっぱりか。さっきの司祭様は偽者だったんだ。
虹の杖の『失せ物探し』であのニセ司祭を探す。おかしい。反応がない。タイミングからして逃げてから時間は経っていないはずだ。まだ近くにいるのは間違いない。
『瞬間移動』か? あるいは『失せ物探し』を妨害するマジックアイテムでも使っているのか?
「すみません、ここお願いします」
僕は空を見上げて虹の杖を掲げる。次の瞬間、僕の体は教会のはるか上にいた。空中で辺りを探すけれど、森の木々は上から見ると予想以上に生い茂っていて、ニセ司祭の姿を見つけることは出来なかった。
ダメか。くやしいなあ。
がっかりしながら教会に戻った。
殿下はさっきとは別の小部屋のベッドに寝かされていた。
僕が部屋に入ると、ヘンリエッタさんが一瞬、期待に満ちた表情を浮かべた。僕が無言で首を振ると、わずかに失望の色を見せながらまた殿下の方に向き直った。
「殿下の眠っている原因は?」
「どうやら、この薬を盛られたようです」
ヘンリエッタさんが差し出したのは、手のひらに入りそうなほど小さなビンだった。これなら、ちょっと手先の器用な人であれば、こっそりと一服盛るのも難しくはないだろう。まだ三分の一ほど半透明の液体が入っている。
「ちょっと、お借りしますね」
僕は小ビンを預かると『瞬間移動』でその場から消えた。
戻ってきたのは、三百ほど数えた頃だ。
僕の姿を見てヘンリエッタさんが腰を浮かせる。
「何かわかりましたか?」
「どうやらただの薬ではないようです」
僕はマッキンタイヤーでグリゼルダさんから聞いたことを繰り返した。
「何でも薬自体に呪いが込められているとかで。たとえ薬を取り除いても呪いがある限り、目が覚めることはないと」
虹の杖の『治癒』が効かなかったのもそのせいらしい。
また呪いか。つくづくイヤになる。
「呪いを解くにはどうすれば?」
「さほど強い呪いでもないようなので、一晩もすれば自然と解けるだろうと」
呪いが専門の医者であるコラックスさんならもっとくわしくわかっただろう。あるいは呪いを解く方法もわかったかも知れない。けれど、今どこにいるかもわからない以上、頼ることは出来ないし、あてもなく探し回るには時間がなさ過ぎる。
「それでは、間に合いません」
ヘルマン様との会談はもうすぐだ。
「事情を話して延期していただくわけにはいかないんですか?」
「ムリです」
ヘンリエッタさんは悲しげに首を振る。
「本来ならヘルマン様は中立、どちらの派閥にも与しないという立場を保たれてきました。それを今回ムリを通してようやく、ここまでこぎ着けたのです。今回を逃せば、次はないでしょう」
ここまで来たら建前など意味もないと思ったのか、ヘンリエッタさんは本来の目的を隠そうとしなかった。あるいは、そんな余裕もないのか。
ヘルマン様も神様に仕えているにしては、融通の利かない人だな。
「犯人はやはり、『大災害』でしょうか」
「いえ」ヘンリエッタさんは険しい顔つきで首を振った。
「奴らならおそらく呪いなどという手段はとらないでしょう。おそらく、貴族派……ウィルフレッド殿下を王太子にしたい者たちの陰謀かと」
なるほど。ワナを張っていた訳か。
「せっかく、ここまで来たというのに」
ヘンリエッタさんは唇をかみしめる。白い手でサイドテーブルの縁をぎゅっと握りしめる。
姉上、とコリンズ君が後ろからお姉さんの肩を抱きしめる。
どうしようかと頭を悩ませていると、廊下の方からけたたましい足音がした。
「殿下、ご無事ですか」
サリヴァン君たちご学友だ。
「おお、なんということだ」
「殿下、どうか目をおさまし下さい」
ベッドで眠っている殿下を見て激しくかぶりを振ったり、うなだれたり、膝をついている。でもその仕草は大仰というか、芝居がかっているように見えた。上っ面だけというか、要するにウソ臭いのだ。心の中ではざまあみろとか思っているのに、体裁をつくろっているだけなのだろう。その証拠に目が笑っている。
「貴様がついていながら何ということだ! 謝れ」
サリヴァン君はひとしきりベッドの前で猿芝居をすると、急にヘンリエッタさんを責め立てる。
「申し訳ありません」
ヘンリエッタさんが深々と頭を下げる。
「謝って済む問題か!」
謝れって言ったくせに。
「どうするつもりだ、ヘルマン様はもうすぐご到着されるのだぞ」
「それもこれも全部貴様のせいだ」
「田舎騎士風情が分不相応にもしゃしゃり出るからこうなるのだ。責任を取れ」
口々にわめき立てているけれど、要するにこう言いたいらしい。「俺たちは責任を取らないけれど、お前が全部何とかしろ。失敗したら身分の低いお前が全部責任を取れ」と。
くっだらない。
身勝手な言いぐさに僕は胃の下あたりがぐっと熱く持ち上がるのを感じた。
ヘンリエッタさんは口答え一つせずに頭を下げ続けている。顔はよく見えないけれど、理不尽な言い分にも彫像のようにぐっと耐えている。
「わかりました。僕が何とかしましょう」
僕はガマン強い方だ。ガマン強い方だけれど、これ以上、ヘンリエッタさんがいじめられるのを見ていられない。
ご学友にコリンズ君、ヘンリエッタさん、みんなの視線が僕に集まった。
「貴様が? 貴様ごときに何が出来るというのだ」
「どうするつもりだ?」
「引っ込んでいろ、平民風情が」
またもご学友たちが口々にわめき立てる。
「少なくとも何もせずに文句ばかり言う人たちよりは役に立ちますよ」
僕がしれっと言うと、グラハム君が顔色を変えた。
「それは一体誰のことだ」
「誰のことでしょうね」
下らないやりとりを続けるだけ時間のムダだ。
僕はご学友たちの横を通り過ぎて、殿下の顔を覗き込んだ。苦しげな表情だ。小声ではあるが、うなり声を上げている。うなされているようだ。悪い夢でも見ているのかも知れない。今はまだ目覚めれば、「夢で良かった」ですむけれど、このままいけば、目が覚めたときには現実となっているだろう。
「仕方ないな」
スチュワート殿下のことだ。目覚めた時に、会談が失敗したと知ったらさぞかんしゃくを起こすだろう。八つ当たりでヘンリエッタさんの首をはねろとでも言い出しかねない。
「どうでしょう」
僕は努めて明るい声で言った。
「このまま僕が殿下の身代わりとして会談に出るというのは?」
お読みいただきありがとうございました。
次回は2/20(火)午前7時頃に更新の予定です。




