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【完結済み】王子様は見つからない  作者: 戸部家 尊


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身代わりは王子様 その12

「どうぞ、冷めないうちに」


 ヘンリエッタさんは僕の部屋に入ると、紅茶の用意をしてくれた。半透明の茶色い水面から湯気が立っている。かぐわしい匂いもする。けれど、僕はカップを手に取ったまま呆然としていた。恥ずかしい話、ヘンリエッタさんに見とれていた。


 美人だということもあるけれど、陶器のティーカップを手に取る指先とか、茶葉をポットに入れる手つきとか、動きがなめらかでムダがない。洗練されている。


 きっと礼儀作法とかしっかり学んでいるのだろう。貴族なんだなあ、と改めて思い知らされる。ミルヴィナもお姫様だったけれど、どちらかというとおてんばって感じで、こんなおすましさんじゃない。


 幸いにもスノウが耳をかんで知らせてくれたので、僕はぬるい紅茶を飲まずに済んだ。


「えーと。それで僕を呼んだご用件は?」

 少なくとも好意ではないだろう。僕だってそのくらいはわかる。


「そう警戒なさらなくても結構ですよ」

 ヘンリエッタさんが微笑む。


「あなたにお礼がしたかったのです。道中、あなたには大変世話になりました。殿下やわたくし、それに弟まで救っていただきました」


「おとうと?」

 はて、誰のことだろう。


「コリンズはあなたをたいそうほめていました。あれだけの腕前を持ちながらまったく、おごるところがない武人だ、と」


 コリンズ君がヘンリエッタさんの弟? うーん、あまり似ていないかな。顔の輪郭とか、口元や目元、何より髪や目の色も違う。


「女性をじろじろと見つめるのは不作法ですよ」

 ヘンリエッタさんにたしなめられて、僕ははっとなる。


「す、すみません」


 僕はあわてて目をそらした。いくらヘンリエッタさんが美人だからといって、失礼にも程がある。

 スノウも怒って僕の耳たぶをかんでいる。気をつけよう。


「わたくしとコリンズは実の兄弟ではないのです」

 僕の表情から察したのだろう。疑問に答えてくれた。


「わたくしの父は騎士でしたが、わたくしが五歳の時に病で亡くなりました。母も後を追うようにみまかり、身寄りのないわたくしを今の父に引き取っていただいたのです」


 今のお父さんと、実のお父さんとは親友同士だったそうだ。

 ヘンリエッタさんはアティンセル家の養女となった。騎士様にはその時一歳になる実の息子がいた。それがコリンズ君だ。


「父は分け隔てなく、わたくしたちを育ててくれました。今こうしていられるのも父や母のおかげです」

 ご両親だけではないだろう。コリンズ君もまたヘンリエッタさんを実の姉以上に敬い、慕っている。


「ですが、我が家は貧しく領地も小さな田舎村。本来ならそのまま一生を終えるところを、たまたま近くを殿下のご一行が通りかかったのです」


 スチュワート殿下が来たとなって村中ひっくり返るほどの大騒ぎになったという。年も近いと言うことでヘンリエッタさんが殿下の接待に当たることになった。


「そこで殿下にお引き立ていただき、わたくしはお側付き取り立てていただき、コリンズもご学友としてワイアットの学校に通わせていただきました」


 それでスチュワート殿下に恩義を感じているわけか。


「先程、殿下とお話されていたようですね」

 ヘンリエッタさんが唐突に話の矛先を変えてきた。


「ええ、まあ」

「わたくしからもお願いいたします」


 ヘンリエッタさんは飲んでいたカップを皿の上に置いた。

「どうか、殿下のお力になっていただけませんでしょうか」


 まっすぐな黒々と濡れた瞳に僕は吸い込まれそうな気がした。

「それは、契約を延長したいということですか」


 瞳の引力から逃れるように僕はあさっての方角を見上げる。

「はい」ヘンリエッタさんはうなずいた。


「いつまでですか」

「できれば一生」

 僕は息をのんだ。


「殿下はあなたを大変高く評価しておられます。働きに見合ったほうびもいただけるでしょう。何よりこの国の不正を正し、民を導くという大義があります」

 大義ね。


「僕より腕の立つ人もいっぱいいると思いますけれど」

「あなたが思っているほど殿下のお味方は多くはありません」

 ヘンリエッタさんの顔に憂いが宿る。


「そばには常に大勢の家来が控えています。ですが、心の底から殿下へ忠誠を誓っている者は、わたくしの目から見て数えるほどしかおりません」


 手厳しい評価だ。でも僕の目から見てもあのご学友たちは頼りない。常に殿下の側にいるヘンリエッタさんは、もっと多くのイヤな奴やおべっか使いを見てきたのだろう。


「あなたはこの国の貴族についてご存じですか?」

「さっき殿下から聞きました」


 一部の貴族がいばっていて、平民や身分の低い貴族はしいたげられているという。

「殿下はそのような貴族を一掃し、この国をより住みやすく作り替えるおつもりなのです。ですが」

「いばりんぼの貴族が黙っているはずがない、ですか」


 ヘンリエッタさんはうなずいた。

 いばりんぼの貴族からすれば、スチュワート殿下はジャマな存在だろう。ウィルフレッド殿下の方が都合がいい、というわけか。


「でもウィルフレッド殿下は公明正大な方と聞いていますが」


「ご本人はそうでも周りは違います。婚約者はシルベストルの姫ですし、何よりあの方が王太子争いに加わることが出来たのは、伯爵の尽力があってのこと。操り人形、とまでは申しませんが、その影響力を完全に取り除くことは出来ないでしょう」


 元々、次期国王には第一夫人の産んだスチュワート殿下がなるだろうと言われていた、らしい。ところがここ数年、伯爵を始め有力貴族がウィルフレッド殿下を時期国王にと運動を始めているそうだ。


「加えて、先日の不祥事により、それまで日和見していた貴族たちがウィルフレッド様の支持に回り始めています。それに」

 と、ヘンリエッタさんは思わせぶりに口元を緩めた。


「ウィルフレッド様が手に入れられなかったからこそ、殿下はあなたを手に入れたいのです」

 そういうことか、とようやく合点がいった。


 この前の誘拐騒ぎの時にウィルフレッド殿下から『家来になれ』って誘われたけど、僕は断った。なのに僕がスチュワート様の家来になったと知れば、さぞ悔しがるに違いない。そう考えているのだろう。


「まるで、おもちゃのとりあいっこだ」

「おもちゃなら良かったのですがね」


 僕のイヤミにもヘンリエッタさんは涼しい顔で紅茶をすすった。

「同じものを作らせることも出来ます。ですがあなたは一人きり」


「どうせ取り合いになるのなら、かわいい女の子の方が良かったかなあ」

 ウソだよ。冗談だよ。言ってみたかったんだよ。

 だからそんなに耳をかまないでよ、スノウ。


「だいたい僕を家来にしたところでたいしたことが出来るとも思えませんね」

 まさか殺し屋になってジャマな貴族たちを暗殺してこい、なんて言わないよね。


「古今東西、優れた王の下には優れた武将が集うものです。あなたほどの腕をもった剣士が側にいれば、殿下も安心して自分の信じた道を歩むことができます」

 安心したいのならぬいぐるみでも抱いていればいいのに。


「お願いいたします」

 ヘンリエッタさんが僕の手を握った。


「どうか、どうか殿下のお力になってください。あの子はまだ、十三歳。一人でも多くの助けが必要なのです」

 真剣な眼差しだった。返事の代わりに僕は気になっていたことを聞いた。


「あなたはご存じなんですか。その、コリンズ君が、殿下やご学友たちにいじめられているのを」

 もし見て見ぬふりをしているのなら僕は、ヘンリエッタさんを軽蔑してしまいそうだ。


 出世のために弟を犠牲にするなんて絶対に間違っている。何よりコリンズ君はヘンリエッタさんを慕っている。


 ヘンリエッタさんだって同じはずだ。いくら血がつながらなくっても長年一緒に住んでいれば情の一つもわくものだろう。


「馴染めていないのは存じております」

 涼しい顔をして、ヘンリエッタさんは自分の分の紅茶をすすった。


「ですが、それもアティンセル家のため。王子の側にお仕えするなどという好機は二度と訪れるものではありません」


「だから殴られたり、蹴飛ばされたりしてもガマンしていろと? そんなのあんまりです。コリンズ君がかわいそうだ」


「あなたに何がわかるというのですか」

 ヘンリエッタさんの声はまるで氷のバラのように冷たくとげとげしく美しかった。


「家名も負うべき責任も誇りも持たず、ただのうのうと猫と遊んで暮らしているあなたに、わたくしやコリンズの何がわかるというのですか。昨日も申し上げたはずです。横からしゃしゃり出て賢しらな諫言など、誰も頼んでなどいません」


 声は静かだけど、有無を言わせない迫力があって、僕は気圧されそうになる。わずかにうるんだ瞳からはこらえていた激情が雫となって染みだしたかのようだ。


 ヘンリエッタさんもつらいのだろう。アティンセル家の発展と、かわいい弟を一人前の騎士にするべく、心を鬼にしているのだとは察しが付く。でも今日は僕も引くわけにはいかない。


「ならばコリンズ君が毎日泣いて帰ってきてもただ耐えて泣き寝入りしろと?」

「ならばどうしろとおっしゃるのですか? あなたが止めるように命じてくれるのですか。素晴らしいですね、ぜひお願いいたします」


 殿下やご学友たちをこらしめて、いじめを止めるように命令するのは簡単だ。でも、僕がいなくなればまたいじめを再開するに決まっている。


 そうならないためには常に僕が見張っていないといけない。それはつまり、殿下に仕えるのとほぼ同じ意味だ。できるわけがない。でもそれだとコリンズ君を見捨てることになる。


「僕が言いたいのはですね」

 ぐちゃぐちゃになりかけた頭の中を整理しながら言葉を選び出す。


「せめてあなただけは、コリンズ君の味方であってほしいんですよ。彼が泣いたり苦しい時や辛い時は優しく受け止めてあげてほしいんです。今のあなたは殿下と一緒になってコリンズ君をいじめているようにしか見えない」


 コリンズ君が必死に耐えているのは家名とか出世のためだけではないだろう。大好きなヘンリエッタさんのためだ。そのお姉さんに突き放されては、彼の心の休まる場所がない。


「見解の相違ですね」


 ヘンリエッタさんは空になったティーカップを片付け始めた。気が付けば僕の紅茶も空になっている。


「あなたこそ、なぜコリンズをそこまで気にかけるのですか? あなたとは一昨日に出会ったばかりのはずです。同情ですか?」


「それだけじゃありません」


 かわいそうにと思っているのは確かだ。加えて、血のつながった弟が迷惑をかけているのだ。そのつぐないもある。何より、コリンズ君はいい子だ。いや、たとえ悪い子であってもひどい目に会っていいとは、僕には思えない。


「殿下にも言いましたが、僕は弱い者いじめが嫌いなんです」

 正直には言えないので僕はあいまいにごまかした。正直に言えないのがもどかしい。


「そうですか」

 そうあいづちを打ったヘンリエッタさんの顔は、どこかがっかりしたようにも見えた。


「これにて失礼します」

 カップやバスケットにしまい込むと、ヘンリエッタさんはぺこりと頭を下げた。その顔はもう、殿下の侍女を務める貴族の子女の顔になっていた。


「先程の件、考えておいてください」

「あなたもですよ、ヘンリエッタさん」


 僕はドアノブをつかんだ背中に呼び掛ける。


「あなたが守らないといけないのは、殿下ではなくコリンズ君です。どうかお忘れなく」

 返事はなかった。ただ静かに扉が閉められた。

お読みいただきありがとうございました。

次回は2/16(金)午前7時頃に更新の予定です。

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