身代わりは王子様 その3
「ありがとう、お兄ちゃん」
スーリスの薬草を届けてあげると、女の子は破顔する。
「どうもありがとうございました。あの、このお礼は」
女の子のお母さんが心配そうな顔をする。その視線は僕の組合証に注がれている。
僕が冒険者だから法外な報酬をふんだくられると恐れているのだろうか。今回はギルドを通した依頼でもないし、最初からお金なんて期待はしていない。でも、ただ働きはするな、と村長さんから言われている。
「それでは、あれをいただけますか」
と僕は頭上を指さす。木の枝には紫色のベリーがたわわに実っている。
「そんなにはいりません。ああ、薬草と同じ重さだけいただければ」
僕は一握り程のベリーをいただくと、すぐにマキン村を出た。もしあの王子様たちが逆恨みで怒鳴りこんできたら迷惑をかけてしまう。
銀貨はムダになってしまったけれど、仕方ない。おかみさんには村の北に向かうと言っておいた。
その日はマキン村から南側にある、街道沿いの宿に泊まることにした。
一階の食堂でスノウと二人でイノシシ肉入りのスープを食べていると、たくさんの馬蹄の音がした。
窓から外を覗いてみれば騎士様らしき人たちが三人、馬から下りてこちらに向かってきた。
「見つけたぞ」
先頭にいた騎士様が僕を見つけると声を上げた。見覚えがある、と思ったらさっきスチュワート殿下のところで見かけた人だ。
「先刻、殿下に無礼を働いたのは貴様だな」
「人違いですよ」
僕はスチュワート様に無礼なんて働いていない。無礼者はあのガキ大将たちの方だ。
「付いてこい。殿下がお呼びだ」
僕の完璧な理屈にも聞く耳を貸さずに、騎士様は僕の手首をつかむ。
「僕には用事なんてありませんよ」
僕はしゃがみながら手首を引いた。その勢いで騎士様がくるりと宙で一回転して倒れる。
「や、貴様。抵抗するか」
「おとなしくしろ」
残りの騎士様が剣を抜き放つ。
失礼なのはどっちだろう。行きたくはないし、戦ってお尋ね者にもなりたくはない。ここは逃げの一手だ。『瞬間移動』で逃げれば追ってこられないだろう。
「お待ち下さい」
凜とした声が聞こえた。振り向くと、黒いフードを被った人が宿の入り口に立っていた。
顔は見えないけれど、声からして女性だろう。まだ若いようだ。フードの下には、形の良いおとがいがのぞいている。
「リオ……様でいらっしゃいますね」
「ええ」
「お食事のところ失礼いたしました。火急の用件に付き、お迎えに上がりました次第です」
そう言うと、ゆっくりとフードを外した。
僕は息をのんだ。
年の頃は僕より二、三歳上くらいだろうか。まず僕の目に飛び込んできたのは、長くつややかな黒髪だった。肩から胸の辺りまで伸びていて、ロウソクのほのかな光を照り返している。まるで月明かりに照らされた湖面のようだ。黒いシャツの上から緑色のショールを羽織り、足首まで隠れた白く長いスカートを乱すことなく歩く姿は流れるように優雅だ。
切りそろえられた前髪や、白く長い裾から覗く手首のしなやかな細さは、まるで精巧な人形みたいだ。けれど、はしばみ色の瞳には強く堅固な意志を感じる。ただ立っているだけなのに、背筋もぴんとしていて、折り目正しい。立ち居振る舞い、というのだろうか。気品にあふれている。
どこのお姫様だろうか、と僕が考えていると、彼女がうっすらと濡れた唇を開いた。
「わたくしは、殿下のお側役を務めております、ヘンリエッタと申します」
「ど、どうも」
ヘンリエッタさんはガラス細工のように透明感のある声で名乗ると、流れるような仕草で一礼する。つられて僕も礼をする。
「先程は、連れの者が大変、失礼をいたしました。わたくしからおわび申し上げます」
「いえ、そんな、その……大したことじゃあありませんよ」
丁寧に謝られると、変な汗が出てしまう。
「本日、おうかがいさせていただきましたのは、ほかでもございません。ぜひ、わたくしどもと、ご同行願えませんでしょうか? 殿下よりリオ様に是非、頼みたいことがある、と」
「はあ」
「連れの者の失礼は、幾重にもおわびいたします。来ていただけるのでしたら相応のお礼も、と殿下も申し上げております」
まいったな。力ずくで押し通そうとするような乱暴な相手なら、いくらでもこてんぱんにしてやるんだけれど、こうもへりくだって来る人はやりにくい。
「お願いいたします」
ヘンリエッタさんは急に僕の手を取り、僕の目を見つめる。
「殿下の危機なのです。殿下の双肩にはこの国と、民の未来がかかっているのです」
危機、と聞いて僕の脳裏に浮かんだのは馬上の少年だった。
暴れ馬にしがみついて、振り落とされまいと懸命にしがみついている。弱々しくて、頼りなくて、助けを求めている、哀れな少年の姿が閃光のように駆け抜けていった。
「わかりました」
弟のピンチと聞いては放ってはおけない。
まったく、お兄ちゃんのつらいところだよ。
ヘンリエッタさんの案内で連れてこられたのは、宿から少し離れたところにある、平屋建ての小さな屋敷だった。夜中だからわかりにくいけれど、薄い瓦葺きに白い漆喰を塗っている。
近くの村の村長さんの屋敷だそうだ。一夜の宿にと借り受けたらしい。ほかの家よりは一回りほど大きいけれど、やはり王子様の泊まる宿には見えない。宿の周りにはたき火が焚かれ、兵士が二人、座り込んで談笑している。その中には森の中で通せんぼしていた人もいた。テントも張られているので、兵士たちは外で寝泊まりするようだ。大変だなあ。
「こちらへ」
通されたのは一番奥の部屋だ。ごつい木の扉をヘンリエッタさんがノックする。
「殿下、リオ様をお連れしました」
「通せ」
まだ声変わりしきっていない、高い声が返ってきた。
あれ、この声は?
ヘンリエッタさんに続いて、部屋の中に入る。縦長の細長い部屋だった。明かり取りの小さな窓が奥に一つ。部屋の真ん中には十人くらい座れそうな長い机とイスがあって、その奥で身なりの整った男の子がふんぞり返っていた。
「よく来たな。ふん、相変わらずまぬけそうな顔をしてやがる」
そう言ったのは、さっき僕に斬りかかってきたガキ大将だった。
どうしてここに? と言いかけた言葉をあわてて飲み込む。王子様のお付きならいてもおかしくはない。おかしいのは肝心の王子様がいないことだ。
「えーと、王子様はどちらに? 僕はスチュワート殿下に呼ばれて、参上したはずですが」
ガキ大将が不思議そうな顔をした。
「何を言っているんだ、お前は?」
深々とため息をつくと、ヘンリエッタさんに目配せをする。ヘンリエッタさんはこくりとうなずくとガキ大将の側に近づき、僕に向かって紹介した。
「こちらにおわすお方こそ、テオボルト国王陛下の御子、スチュワート王子殿下であらせられます」
今度は僕が不思議そうな顔をする番だった。
お読みいただきありがとうございました。
次回は1/16(火)午前7時頃に更新の予定です。




