危険な二つ名 その20
領主様の屋敷を出た。誰も見ていないことを確認してから『贈り物』を解除する。スノウを抱えて坂道を下る。
「ねえ、ちょっと」
振り返ると、エセルが屋敷の塀の上に座ってこちらを見下ろしていた。にこりと微笑むと、背丈の倍はありそうな高さからひらりと飛び降りた。なかなか身軽だなあ。
「置いていかないでよ」
「連れて行くといった覚えはないよ」
歩き出したところにエセルが小走りで追いかけてきた。息を切らしながら横に並ぶ。
「ねえ、もし持っているなら分けてくれない? ちょっとでいいのよ。ほら、君も会ったでしょ。エドワードさん」
顔役さんの屋敷で出会った、あの太っちょの人か。
「あの人、うちのお得意様なんだけれど、『白猫』をものすごく欲しがっててね。困っているのよ」
「そんなこと言われても持っていない物は渡しようがないよ」
返事をしてから僕はあることに気づいた。
「どうして、エドワードさんは顔役さんのところに買いに来たの?」
「そりゃあ、それがウチの商売だからよ」
顔役さんも仕事していたんだ。てっきり顔役が仕事だと思っていたよ。
「香木屋さん?」
「古道具屋よ」
「古道具屋って香木も扱ったりするの?」
「何でもよ」
エセルは頭の後ろで腕を組む。
「売れる物なら大抵の物はね。宝石からかまどの灰まで何でも。出所もお構いなし」
「盗品でも?」
「知らなければね」
くすりと、笑う。こういう笑顔は本当に素敵なんだけれど惜しいなあ。
「ねえ、本当に知らないの? 『白猫』の香木」
「知らないね」
僕はそっけなく言った。
「これからどうするの?」
「さて、どうしようかな」
このままだと僕はお尋ね者だ。冒険者ギルドだってクビになるだろう。なんとしても消えた香木の行方を捜さないと。僕がやったのでない以上、誰かがやったはずだ。真犯人を見つけ出してパーシバルさんの前に突き出したい。
僕以外に森の中で十王グモいる中で木を切り倒せる人は……ちょっと思いつかない。
話に聞いた七つ星ならともかく、少なくともこの町にはいないだろう。
今、どこにあるのか? もう持ち出された? あれだけ臭いのきつい香木を誰にも気づかれずに? うーん、考えがまとまらない。
「パパも言ってたよね。冒険者辞めてうちに来るのはどうかな。ウチなら平気かな。多かれ少なかれ、すねに傷持っている奴らばかりだから」
「僕は香木なんて盗んじゃいないよ」
どろぼうなんて頼まれたってゴメンだ。
「それに、顔役さんの子分になるのはちょっとね」
「私のお婿さんになるっていうのはどうかな」
大変に心惹かれる提案だけれど、僕は胸を張って誇れる男でありたい。スノウもさっきから僕の耳をかんで反対している。
「僕はどろぼうに向いてないよ」
僕はスノウとともに『瞬間移動』でその場から立ち去った。
本当は宿屋に戻りたかったけれど、万が一衛兵さんが僕を捕まえにやってきたら迷惑がかかってしまう。その日は隣町の宿に泊まった。
翌朝、僕がやってきたのは、この前十王グモを退治した森だ。
汚名を晴らすには、盗まれたというミリカの香木を探し出すのが手っ取り早い。そのためには証拠を探す必要がある。盗まれた現場に行けば何か、手がかりが残っているかも知れない。
困った時や道に迷った時は、最初に戻ることだ、とジェロボームさんはかつて僕に教えてくれた。長年教え込まれてきたことが、とんだ勘違いだったと気づかされて信頼は揺らいでいるけれど、もう一度信用してみようと思う。やり直す機会は与えられるべきだ。
僕とスノウが来たのは、僕たちが隠れた洞穴の手前だった。ミリカの木は確かこの奥だったはずだ。スノウを肩に乗せ、枯れ葉を踏みながら進む。
僕が切り倒したはずの十王グモのなきがらは全て片付けられていた。冒険者ギルドの職員さんたちががんばったのだろう。人のいやがる仕事をしなくてはいけないのだから大変だ。
森の中は奇妙なほど静まりかえっていた。十王グモが鳥やら虫やら食べ尽くしてしまったからだろう。いずれは、ほかの生き物たちも戻ってくるはずだけど、まだその気配はないようだ。
森を抜けて目の前に小高い丘が見えた。僕たちが大きな十王グモと戦った場所だ。この前と違うのは、手前に黒々とした固まりが山積みにされていることだ。焦げくさくて、いやな臭いがする。
よく見れば、焦げた固まりの端っこに大きなクモの足が焼け残っている。十王グモのなきがらを固めてここで焼いたらしい。これだけのなきがらをギルドまで持って帰るのは大変だから無理もない。
「ん?」
よく見れば草むらに奇妙な跡がある。しゃがみこんで目を凝らす。どうやら荷車のわだちのようだ。前にはこんなものはなかったはずだから、多分冒険者ギルドの人が持ってきたのだろう。
ちょっと離れたがけの辺りにはオレンジ色の体液が岩肌にべっとりとこびりついている。既に乾いているようだけれど、土や草にまで飛び散っている。もう一度しゃがみこんで調べると、小さな鳥の足や、獣の足、緑色の小さな手首もある。十王グモに食べられた動物や魔物の一部のようだ。ゴブリンまで食べるのか。食いしん坊にも程があるよ。
「あ、ダメだよ」
スノウが地面に飛び降りると、臭いを嗅ぎたそうにしていたので、あわてて肩の上に戻す。こんなものを嗅いで、スノウが病気になったら大変だ。
ほっとしたとたん、僕が顔を近づけていた辺りの地面が突然、盛り上がった。
後ろに下がりながら様子をうかがう。小さな土の山を割り、現れたのは白くて大きなイモムシだった。
「ホワイトクロウラー?」
僕の言葉に反応したかのように白いイモムシは体を震わせ、体にこびりついた土を振り落とした。ほんの一瞬、僕と目が合うけれど、恐怖も興味もなさそうにそっぽを向いて、もぞもぞと穴から這い出てきた。何十本もの足を小刻みに動かしながら草の上を歩き出した。
「まいったな、かくれんぼで僕が一本取られるとは思わなかったよ」
きっと十王グモから逃げるために、ずっと地面の中に隠れていたのだろう。十王グモがいなくなったのを見計らって、地上に出てきたのか。
ホワイトクロウラーはもぞもぞと大きな口を動かして近くの木にもたれかかるようにしてへばりついている。木の皮や草が主食で肉は食べないんだっけ。
「にゃあ」
スノウがどうするの? って感じで僕を見つめる。
「殺しやしないよ」
返事をしながら優しいスノウののどをくすぐる。
放っておいても命の危険もなさそうだ。それに食べてもおいしくないという。
ムダな殺生は好きじゃない。
それに、確かめたいこともある。
とりあえず収穫もあったことだし一度戻ろうとした時、落ち葉を踏み砕く音がした。とっさに振り返ると、僕の腰ほどの背丈をしたゴブリンが四匹、何かの骨を削って作ったナイフを片手に現れた。
ゴブリンたちは血走った目に口からよだれを垂らしながら僕には目もくれず、ホワイトクロウラーへとにじり寄っていく。
なるほど、十王グモがいなくなったことを悟って、さっそく戻ってきたわけか。そしておなかのすいたところにホワイトクロウラーを見つけたので、ごはんにしようとしているのだろう。
「でも、残念だね」僕はゴブリンたちの前に立ちはだかると、虹の杖を掲げた。
「君たちに食べさせるわけにはいかないんだ」
僕は『麻痺』の電撃をゴブリンたちに浴びせる。しめった森の空気を小さな稲光が切り裂いた。一瞬でゴブリンたちの体を駆け抜ける。四体のゴブリンたちはほぼ同時に倒れた。かなり強めにやったから当分は動けないだろう。
ホワイトクロウラーは無事のようだ。まだ木の皮をかじっている。のんきなものだ。僕は『役立たず』を置いて森の奥へと向かった。
「こいつだな」
探していたミリカの香木は十王グモの巣よりさらに奥にあった。小さなくぼみのようなところに、子供の背丈ほどの幅を持った切り株が五つ、白々とした断面をさらしている。近づいて眺めると、切り口は新しい。のこぎりか何かで切り倒したようだ。
犯人は僕がオトゥールの町に来た前後にここに来て、ミリカの香木を切り倒した。そしてどこかへと運び去った。
でも切り株から判断すると、結構大きな木だったようだ。これだけの木となれば、香木の量も相当なものだ。普通に持ち運びしようと思ったら荷車を使わないといけない。そうなれば絶対に人目に付く。考えられるとしたら、少しずつ目立たないように運び出したか、僕のように『瞬間移動』の魔法でどこかへ運び去ったか、だ。
でも『瞬間移動』を使える人は限られているし、マジックアイテムも『虹の杖』のように連続して使えるものではないそうだ。もしいたとしても、そんなすごい魔法使いやアイテムを持っている人が、香木ドロボウなんてけちなマネをするだろうか。
いや、待てよ。マジックバッグという手もあるな。僕のカバンのように、たくさん物が入るようなマジックアイテムを持っていれば、量も重さも関係ない。切り倒してカバンに詰め込めばいい。
つまり、犯人は『瞬間移動』が使える、もしくは『マジックバッグ』を持っている可能性が高い。
……おかしいな。ますます僕が怪しくなってきた。
少なくとも今わかっている限りでは、犯人の条件に僕ほどぴったりな奴はいない。領主様が怪しむのも当然だ。でも「怪しい」のと「実際にやった」のとは、全然違う。この場合だと、僕は犯人と同じ方法が使える。でも僕が香木を盗んだ直接の証拠はない。カバンに入れた『白猫』の香木もあれっきりだ。
何より僕が犯人ではないと、僕自身が知っている。だから僕は犯人ではない。これは濡れ衣だ。濡れ衣を晴らさないと大手を振ってスノウと旅が出来なくなる。そんなのはイヤだ。
僕は切り株の辺りを手探りであさってみる。何か犯人につながる証拠は残ってないかな。
おや?
僕はしゃがみこんで、木片を手に取る。何の変哲もない破片だけれど、嗅いでみるとかすかに甘い臭いがした。
「白猫、いや、ミリカの香木か」
領主様の屋敷で嗅いだのと似ているけれど、なんとなく薄い。もう一度、木片をためつすがめつ見る。薄汚れた木の皮が剥がれてギザギザになっている。できの悪いノミで削り取ったみたいだ。
「なるほど、読めてきたぞ」
今の状況ははっきり言って悪い方へばかり進んでいる。お尋ね者として国中に布告されるのも時間の問題だ。でも、うまくすればピンチをチャンスに変えられるはずだ。そうしたら、僕のひそかな野望も叶えられるかもしれない。
僕は必要なものを回収すると、『瞬間移動』で森を後にした。
ロズは怒ると怖いと思っていた。けれど、それは間違いだった。ロズが本気で怒ると、それはもう本当に怖い。青筋を立てて、声を震わせながらにらみつけられると僕はもうしなびたリンゴのように縮こまってしまう。
「いつもいつも厄介事ばかり押しつけてきて挙げ句の果てに何それ? いつから私たちはアンタの召使いになったのかしら?」
「痛い、痛いよ、ロズ」
工房の前でロズに耳を引っ張られる。今度はひねりまで加えているので余計に痛い。
「にゃあー」
スノウが心配そうに僕の足にすがりついてくる。
「いい加減ガマンの限界よ。今日という今日は、絶対に許さないから」
「もうその辺にしておきなさい」
グリゼルダさんが助け船を出してくれる。
「でも、私たちだってヒマじゃないんだから。あんまり次から次へと頼まれても困るのよ、わかる?」
グリゼルダさんの迷惑そうな顔に僕はまたも恐れ入って縮こまる。このままだとスノウより小さくなってしまいそうだ。
「とりあえず、裏庭に空いているところあるから好きに使ってくれていいわ」
「ありがとうございます」
グリゼルダさんは何でもないという風に手を振ったけど、ロズは腕組みしながら僕に不満そうな目を向ける。
「それより、アンタ。ニコラのこともそのままにしているでしょ」
そういえば、預けてから一度も会っていない。まだ二日しか経っていないけれど、もう何日も会っていないような気がする。
「ニコラの様子はどう?」
「とりあえず、机の下から引っ張り出さなくてもいいようになったわね」
「……それは大変な進歩だね」
相変わらずだなあ、と心の中で苦笑する。
「わかった、ちょっと様子を見てくるよ」
「待ちなさい」
家の中に入ろうとしたところにロズの声が飛んだ。
「それより先に、あれ。片付けていきなさい」
ロズが指さした先では、『あれ』が平和そうな顔で眠っていた。
お読みいただきありがとうございました。
次回は12/12(火)の午前0時頃に更新の予定です。




