危険な二つ名 その19
パーシバルさんが倒れると、兵士さんたちが矢を捨てて外へ飛び出していった。魔法使いさんはその背中を目で追いながらどうしようかと迷ったようだけれど、忠誠心なのか後で叱られるのが怖いのか、また魔法の呪文を唱え始めた。
僕はスノウの上から鉄なべを取り上げると、一気に放り投げる。おわんのような形をしたなべは回りながら弧を描いて宙を飛び、すっぽりと魔法使いさんの頭に収まった。
鐘のような音とともに魔法使いさんの足がふらつく。なべをかぶったままどすん、としりもちをついてしまった。そのまま壁にもたれかかり、糸が切れたようにうなだれる。顔は見えないけれど、そのまま気絶してしまったようだ。
「ごめんね、暗かっただろう?」
スノウはぴょんと僕の胸から肩まで飛び上がると耳をかぷりとかみついた。
「ごめん、ごめんよ、スノウ!」
僕は必死に謝った。耳はそんなに痛くないけれど、嫌われるのが一番怖い。
心の底から謝ると、スノウは許してくれた。
マントをつけ直し、壁に刺さっていた短剣を回収しても静まり返った部屋の中を見渡す。床に倒れているのは、領主様とそのお兄さん、そしてお抱えの魔法使いさん。
やむを得ない事情とはいえ、いささかまずい事態だ。さっきの兵士さんたちが応援を呼んでくるかもしれない。とりあえず、僕の剣と杖を取り返さないといけないんだけど、どこにあるのかなあ。
「グレゴリー様!」
幼い叫び声がした。振り向くと、シーナが扉の側で今にも泣きそうな顔をしていた。どうやら異変に気づいて戻ってきてしまったようだ。
シーナはおびえながらグレゴリーさんに駆け寄ろうとした途中で僕と目があった。シーナに剣と杖の場所を聞き出そう。そう考えて、おびえさせないよう微笑みかけたつもりなのにシーナは真っ青な顔で後ずさると、小走りに部屋の外へ走り去っていった。
「あ、待ってよ」
グレゴリーさんに借りた剣を床に置くと、僕はシーナの後を追った。数歩遅れてスノウがついてくる。
部屋を出るとすでにシーナの背中は廊下の二部屋程先を走っていた。手足を激しく動かして、懸命に走っているのは後ろからでもよくわかった。けれど、子供の足はやっぱり遅い。
僕は見失うことなく後を追いかける。階段を下りて、外に出る。たどり着いたのは石造りの小さな小屋の前だった。シーナは僕を見て血相を変えて小屋の中に入った。どすん、ばたん、と重そうな音が聞こえてくる。
続いて中に入ろうとノブに手をかけると、予想外に重かった。中からつっかえ棒か、重しでもしているのだろう。半分こじ開けるようにして扉を引いて中に入る。
小屋の中は薄暗く、ホコリっぽかった。窓もない。壁には剣や槍が立てかけてある。物置小屋かと思ったら武器庫のようだ。シーナは小屋の奥でうずくまっていた。両腕に僕の剣と虹の杖を抱えていた。
「やあ、こんなところにあったのか」
僕が声をかけるとシーナは泣きそうな顔で背を向けた。
「ゴメン、そいつは僕のものなんだ。その、返してくれるかな」
シーナは無言で首を振った。
「大切なものなんだ。そいつがないと僕はとても困るんだよ。わかるだろう? ね、いい子だから」
シーナはまたもかぶりを振った。ぶんぶんと音がしそうなくらいに勢いよく。ぎゅっとさらに両手に力を込める気配がした。
何とか返してもらおうと、なだめすかしてもシーナは返してくれる気配はない。意固地になっているのか、また領主様にせっかんされるのが怖いのか、あるいはグレゴリーさんを失望させるのがイヤなのか。
まいったなあ。
力ずくで取り上げるのは簡単だ。けれど、嫌がる女の子からムリヤリ奪い取るだなんて、まるで悪役だ。
小さな女の子に乱暴なマネでしか物事を進められないような奴は、卑怯者の恥知らずだ。グレゴリーさんを非難する資格はない。かといっておとなしくしていたらさっき逃げた兵士さんたちが応援を呼んでくるかもしれない。
どうしていいかわからずに頭を抱えていると、扉の開く音がした。振り返ると、スノウが扉の隙間から小屋の中に入って来るのが見えた。スノウは軽やかな足取りでホコリだらけの床を進むと、ぴょんとシーナに飛びついた。
「きゃっ」
悲鳴が上がった。次の瞬間にはひっくり返ったシーナの顔をスノウがなめまわしていた。涙で濡れたほっぺや赤くなった鼻先を舌先で撫でている。
「ちょっと、止めて、猫ちゃん! くすぐったい!」
シーナもびっくりして顔を振ったり体をよじったりして、何とかスノウを引きはがそうとしている。けれど、スノウは服に爪を立ててはがされまいと踏みとどまりながらぺろぺろと器用に顔をなめ続けている。
シーナの悲鳴が笑い声に変わると、ぎゅっと結び目のように固く抱きしめていたシーナの両腕がほどける。カラン、カタンと乾いた音が床に響いた。床に落ちた剣と虹の杖を拾いながら僕はため息をついた。
「君といると、自分がいかに能なしの役立たずかって思い知らされてばかりだよ」
僕が手も足も出なかったのに、あっさりとやってのけるんだから、立つ瀬がない。
「あ」
シーナがそれと気づいて声を上げるけれど、剣と杖はもう僕の手の中だ。その場で剣を抜き、足首に残っていた鉄の輪を切り落とした。それからもう一度取られても困るので、カバンの『裏地』にしまいこむ。
「にゃあ」
スノウもシーナから離れると僕の足に頭をこすりつける。ほめてほしいのかと思ったけれど、鳴き声がどこか恨みがましい。
「ああ、うん、そうだよね」
スノウの意図を察した僕は彼女を抱え上げると胸元に抱き寄せる。
「僕たちは仲間だ。仲間は助け合うものだよね」
僕にできないことをスノウがやってくれた。なら僕はスノウにできないことをすればいい。スノウはそう言いたいのだ。満足げな鳴き声とともに白い毛が僕の顔に触れる。
でも、僕にできてスノウにできないことって何だろう。ちょっと思いつかないや。ごはんをあげるくらいかな。
スノウを抱きながら小屋を出ようとすると、後ろで這い寄る気配がした。
「だ、だめっ……」
振り返ると、シーナが四つん這いになりながら僕のズボンのすそをつかんでいた。汚い床で寝転がったせいか、手のひらもスカートもエプロンもホコリだらけだ。涙はスノウがなめとったけれど、まだ悲しそうな顔をしている。今にもまた泣きだしそうだ。
「ちょうどよかった」
僕はスノウを肩にのせる。それからシーナの背中と膝の裏に腕を回し、抱え上げる。
「ひゃっ」
びっくりしたような恥ずかしそうな悲鳴が上がった。
「君の後をついてきたものだから帰り道がわからなくってね。案内してくれる?」
「で、でも」
「ああ、出口って意味じゃなくって」僕は首を振った。「さっきの部屋」
幸いにも兵士さんたちに出会うことはなかった。シーナはその間ずっと顔を赤くしたまま何もしゃべらなかった。
もうすぐさっきの部屋、というところでシーナが声を上げた。グレゴリーさんが這いながら廊下へ出て来るのが見えた。右手にはさっき返した剣を握っている。
シーナは急いで僕の腕から下りるとグレゴリーさんへと駆け寄っていく。一瞬迷った後、グレゴリーさんの上半身を助け起こすと、その肩の下に頭を通して持ち上げようとする。グレゴリーさんの巨体が起き上がる気配はない。それでも小さな女の子が歯を食いしばって一生懸命に担ごうとする姿は見ていられないので、僕は近くまで歩み寄る。
「お前……何故戻ってきた」
グレゴリーさんが、顔を上げながらにらみつけてくる。
「ちょっと忘れ物をしまして」
僕はカバンの『裏地』から虹の杖を取り出すと、緑色に輝く『核』の方をグレゴリーさんに向ける。シーナが息をのむ。緑色の光がまゆのようにグレゴリーさんを包み込む。
「これでよし、と」
虹の杖の『治癒』を使ったからさっきケガさせた傷も治ったはずだ。右膝の古傷まで治ったかどうかはわからないけれど、痛みくらいは取れただろう。
グレゴリーさんも体の変化に気づいたようで、何度も足を撫でさすっている。シーナは何が起こったのかわからないらしく、しきりに目をぱちくりさせている。
「では、僕はこれで」
一礼するときびすを返す。長居は無用だ。
「待て」
十歩ほど歩いたところでグレゴリーさんに呼び止められた。
「お礼ならいりませんよ」
振り返りながら僕は言った。実際、グレゴリーさんのためじゃない。ケガをしたままだとシーナが悲しむと思ったからだ。
「ケンカした後は恨みっこなし、ですから」
「こんなことをしてもお前の立場は変わらないぞ」
グレゴリーさんがいっそう厳しい目で僕をにらみつける。
「理由はどうあれ、町の領主に手を上げた以上、お前も国中のお尋ね者だ。『災厄砕き』と同じく反逆者だ。お前の居場所はこの国のどこにもあるものか!」
「そうとは限りませんよ」
僕は肩をすくめた。
「領主様の代理の代理とケンカしても僕は今ここにこうして立っています」
弱虫カーティスの時だって何とかなったんだから、今回も何とかなるだろう。人生には常に希望を持つものだ。
とはいえ、まだ仲直りの握手とはいかないだろう。まだ解決しないといけない問題が残っている。
「その件も含めて、また近いうちにお会いしたいと思いますので、その時はよろしくお願いいたします」
僕はぺこりともう一度一礼すると、背を向ける。
「待て、会いたいとはどういうことだ?」
グレゴリーさんが呼び掛けてきたけれど僕は返事をしなかった。
廊下を曲がり、『贈り物』で気づかれなくなった。
お読みいただきありがとうございました。
次回は12/8(金)午前0時頃に更新の予定です。




