危険な二つ名 その18
そのスキをかいくぐるようにパーシバルさんが続ける。
「俺たちの父上についてはさっき話したな」
「二十年ほど前に亡くなられたとかいう……」
「反乱を起こした冒険者どもの討伐に出て戦死したのだ。アップルガースでな」
僕は目をみはった。
二十年ほど前、『災厄砕き』の冒険者たちは悪い貴族のワナにはめられて、反逆者の汚名を着せられた。そしてアップルガースの地で王国の兵士たちと戦わなくてはならなかった。歴戦の英雄たちが集まった『災厄砕き』の猛攻に王国軍は大勢の犠牲者を出したという。その中にパーシバルさんとグレゴリーさん、二人のお父さんがいたのか。
「このようにオトナに見えるので仕方がないとは思いますが」
内心の動揺をごまかすように僕はつとめて明るくふるまう。
「僕はまだその時、生まれてもいません」
「見ればわかる」
さらりと言われて僕のプライドにひびが入る。
「でしたら、八つ当たりですか? 僕がアップルガースの生まれだから腹立ちまぎれに殺そうと」
「復讐に興味はない」
パーシバルさんは迷いのない瞳を光らせる。
「父上が戦死したのも武運が尽きたからだろう。第一、戦士が戦場で恨み言など、論外だ」
「ならば何故?」
「お前なら知っているはずだな。アップルガースへの抜け道を」
僕の心臓がどきりと跳ね上がる。
アップルガースのある山のふもとは周囲を柵で囲われている。どうやら立ち入り禁止となっているらしい。巡回の兵士が村のある山の周囲を定期的に見張っているようだ。僕が村を出た時も、見回りの兵士の姿を見かけた。でも、アップルガースの村には年の何回か、行商の人が馬車で村まで荷物を運んできてくれる。それは村の人しか知らない抜け道を通っているからだ。
「ありませんよ、そんなもの」
もし、あの抜け道が知られたら大変だ。きっとふさがれたりワナを仕掛けられたりして、行商人が来られなくなる。そうなれば村のみんなが困ってしまう。絶対に知られるわけにはいかない。
「なら、お前はどうやってここまで来た」
「あなたが取り上げたものが何なのか、それをわかって上で聞いているんですか?」
虹の杖の『瞬間移動』があれば、あんな狭苦しい道を通らなくても済む。もちろん、村を出た時はまだ杖は普通の杖で、『瞬間移動』なんて使えなかったけれど、そこまで説明するつもりはない。
「だが、『災厄砕き』の全員が全員、使えるわけではないだろう」
パーシバルさんが食い下がる。
「必ずあるはずだ。言え、どこにある」
「もしかして、村への移住をお考えですか? 止めといた方がいいかな。きっと腰を抜かしてしまいますよ」
僕は大仰な仕草で首を振る。
「だいたい、僕にすら手を焼いている人が、村のみんなに勝てるとは思えませんね」
かくれんぼとおにごっこは村でも一番だけれど、それ以外は全部負けている。剣術ならジェフおじさんだし、魔法ならエメリナおばさん。ほかにもすごい人ばかりだ。僕は十五年間、まったく歯が立たなかった。それに抜け道には魔物除けのワナも張ってある。仮に抜け道を知ったところで、不意打ちすらできないだろう。
「かもな」
パーシバルさんはあっさりと認めた。
「だが、昔とは違う。連中も四十五十と、盛りを過ぎている。それに、アップルガースへひそかに密輸をしている連中がいるとも聞いている。抜け道がわかれば、そいつらを待ち伏せて捕まえればいい」
「村の外から来た人なんて見たことありませんし、村のみんなも飢え死になんてしませんよ」
アップルガースでは肉や魚も近くの山や川から取ってきた。野菜や麦も畑で育てているし、果実だって成っている。自給自足というやつだ。仮に行商人が来られなくなっても飢えることはない。
「飢え死になんてさせるものか」
パーシバルさんは笑った。
「方法はいくらでもある。密輸品に毒を仕込むとかな。アップルガースの反逆者たちを倒したとしたら、俺の名誉も家名も上がる。父上が志半ばで果たせなかった逆賊の討伐も果たせる。そうだろう?」
「正面から勝てないからこそこそと毒を盛りましたと? 子供たちには聞かせられませんね」
聞くにたえない悪辣なたくらみに僕はかぶりを振った。
「あなたのような卑怯者になってしまう」
「何とでも言え」
パーシバルさんが手を鳴らすと、黒いローブをまとった男が部屋に入ってきた。すっぽりと頭までかぶっているせいか、目元はよく見えないけれど、ちらりと見えた顔の下半分は、不健康に青白い。あごは細く、唇も紫色だ。手には磨きこまれた木の杖を握っている。
パーシバルさんがうなずくと、ローブの人は杖の先を僕に向ける。唇がふるえたかと思ったとたん、黄色い半透明な矢が何もない空間に生まれる。全部で八本。長さは本物の矢と同じくらいだろう。違うのはうっすらと透けて見えるのと、光りながら宙に浮いているところだ。
『魔法の矢』か。
エメリナおばさんによると、初心者向けの魔法だそうだ。けれど、使い手の魔力がそのまま威力に反映されるからバカにできない。まともに当たれば人の命も奪える、らしい。
なるほど、例のお抱えの魔法使いさんか。
続けて十人の兵士たちも一斉に弓矢を構える。魔法と本物の矢に狙われる格好になったわけだ。
「さあ、言え。死にたくないのならな」
パーシバルさんが挑発ともおどしともつかないような口調で笑いかける。
「それを聞いて僕が素直に話すと思っているなら、あなたは相当におめでたい」
僕は口笛を吹いた。
「僕には勇気というものがあります。たとえおどされようと悪漢の思い通りになどなりませんよ」
悪漢、という言葉に反応してグレゴリーさんの顔に影がさす。罪悪感はあるようだ。
一方、弟の方はせせら笑っている。いい人だと思ったんだけどなあ。僕を仲間に誘ったのも油断させて、アップルガースへの抜け道を聞き出す方便だったのだろう。
さて、どうしようかと考えていると、足元に白い影が飛び込んで来た。
スノウは小さな足で僕の前にすっくと立つと、毛を逆立て、尻尾を倍以上に膨らませながら、怖い声で鳴いた。
必死に絞り出すような子猫の鳴き声に、僕は胸が締め付けられる思いがした。
「ダメだよ、スノウ」
僕はその小さな体を抱え上げる。スノウはきっと魔法を使うつもりなのだ。魔法を使うところを見られたら『猫妖精』とばれてしまう。かしこいスノウは、それがどんなにおそろしいことか十分わかっている。でもスノウは僕を助けるためにあえて危険を冒すつもりなのだ。
「大丈夫だよ」
僕はスノウに頬ずりする。この最高の友達を怖い目にあわせたりなんかしない。
「僕はへっちゃらさ。君が付いていてくれたら僕はなんだってできるよ」
僕はスノウを床に下ろすと、カバンから大きななべを取り出した。炒め物に使う、分厚い鉄の鍋をすっぽりとスノウにかぶせる。なべががたがたと揺れて、中から抗議の声が上がる。
「ごめんよ、しばらくそこでおとなしくしててね」
これで流れ矢が飛んできても平気だ。
「さあどうぞ。今の僕は無敵です。魔法だろうと矢だろうと、腰抜けの卑怯者どもに僕はやられたりなんかしない」
「減らず口もそこまでだ」
パーシバルさんの合図とともに魔法使いが杖をふるう。小さな破裂音が聞こえた。一瞬遅れて魔法の矢が一斉に飛んできた。
かと思った時には、すさまじい速さでもう僕の胸元に飛び込んで来ていた。ひやりと冷たいものが背筋を流れる。その瞬間、幽霊のように白い大きな影が魔法の矢を包み込んだ。
ジュッ、と焼けた鉄の棒を水桶に浸けたような音がした。魔法の矢は全て消え去り、僕の手にしている天羊のマントだけが残った。
「なんだと?」
「おや、ハチが飛んできたかと思ってとっさに払い落としたんですが、僕の勘違いだったようですね」
マントにキズ一つないのを横目で確かめてから僕はわざとらしく首をかしげる。僕のマントには悪い魔法を退ける効果がある。竜牙兵のブレスも防いだから普通の『魔法の矢』くらいなら大丈夫かと思ったのは、当たりだったようだ。内心ちょっとひやひやしたけどね。
「どうもただのおならだったようですね。どうりで臭うと思いましたよ」
手で作った扇でぱたぱたと顔の前で振って見せる。
「ああ、僕は気にしていませんよ。世間でも『ゴブリンとおならはどこにでも出る』と言いますから」
「なめるな!」
顔を真っ赤にしてわめいたのは、魔法使いさんではなく、領主様の方だった。
「打て、打て!」
興奮した指示に促されるように呪文を唱え始める。
続けて飛んできた魔法の矢も天羊のマントは『魔法の矢』を打ち消した。
「何をしている、お前たちも放て」
パーシバルさんが今度は兵士たちに号令をかける。急な命令に兵士たちは動揺した様子で矢をつがえ、てんでばららばらに射かけてくる。
風を切って本物の矢が飛んでくる。近距離ではあるけれど、タイミングさえ間違えなければどうということはない。
天羊のマントをひらめかせると、矢は中ほどから折れて床に落ちていく。
遅れて飛んできた矢も素早くマントをひるがえし、全て払い落とした。
兵士さんたちがざわつく。近くから放ったのに一本も当たらなかったからびっくりしているようだ。
「何をしている、もっと矢を射ろ!屋敷中から矢をありったけ持ってこい!」
パーシバルさんがつばきを飛ばしながら命令する。
「ムダなことはやめませんか」
長引いたらおなかがすいてしまうので、余裕って感じで口笛なんか吹いてみる。
「それにもう遅いですよ」
床に散らばった矢を拾い、矢じりの根元の辺りでぽきりと折る。残った鉄の矢じりを指の間に挟むと、ひょい、と投げナイフのように放り投げる。
「ひっ!」
ナイフのように鮮やかにはいかないけれど、矢じりだけになった矢はあやまたず、魔法使いさんの顔を横切って壁に突き刺さった。カツン、と硬そうな音が部屋の中に響く。
「ふむ、悪くないかな」
矢じりなんて投げたのは初めてだけれど、これなら威力は十分だ。
僕は今の状況をケンカと言った。つまり、殴られたら殴り返す。少なくともその意思がある、ということだ。
兵士さんたちの顔がさっと青ざめていく。僕が飛び道具を持ったので、自分の身も危ないと察したようだ。
「休むな、やられる前にやってしまえ!」
パーシバルさんが子供じみた仕草で髪をかきむしりながらわめきたてる。僕を捕まえたのは、『白猫』のありかや、アップルガースへ入る抜け道を聞き出すため、だったはずなんだけど。どうも、興奮して完全に目的を見失ってしまったらしい。
領主様の声を受けて三人の兵士がおぼつかない手つきで矢をつがえようとしたので、僕は先手を打つ。落ちた矢をまとめて拾い上げると、矢じりをもぎ取るように矢をへし折る。そして三つの矢じりを指の間に挟むと、三つ続けてえい、と放り投げる。
空を裂いて飛んでいった矢じりは、今にも矢を放とうとしていた兵士たちへまっすぐ向かっていく。小気味の良い音が三つ続いた。兵士たちが目を見開いた時には、すでに弓の弦を切り裂き、奥の壁に三つの穴を空けていた。
弦が切れたので三人ともびっくりして後ろにしりもちをついて倒れこむ。
残りの兵士たちもひどくおびえた顔で後ずさる。
みんながおっかないって顔で腰の引ける中、グレゴリーさんだけは前かがみになりながら油断のない目つきで僕をにらんでいる。
どうやら飛び掛かるタイミングを見計らっているようだ。
「やめろ、グレゴリー」
それと察したのか、パーシバルさんが険しい顔で制する。
「それが奴の手だ。のこのこ飛び込んでみろ。あっという間に手捕りにされるだけだ」
どうやら僕に人質にされることを警戒してるようだ。
「そんなことしやしませんよ」
マントごと僕は両手を上げて大きく振ってみせる。
でも、すきを見せても歯を食いしばるばかりで向かってくる気配はない。
弱ったな。来てくれないと僕も困る。ここは一つ、やる気の出て来るおまじないでもかけてあげることにしよう。
「それとも、おびえているんですか? この前みたいに何もできずにこてんぱんにされると」
ぴくり、とグレゴリーさんの眉が跳ね上がる。
「でしたら遠慮はいりません。どうぞなきべそをかきながら逃げればいいんです。ご覧の通り、僕は追いかけられませんので。それからシーナになぐさめてもらえばいい。あんなに小さくていたいけな女の子の陰に隠れているような弱虫にはお似合いですよ。その盾で隠しているおもらしもついでに拭いてもらいますか。シーナは優しい子ですから、頼めばおしめだって変えてくれますよ。よかったですね。グレゴリーちゃん」
「貴様ああああっ!」
グレゴリーさんが激昂しながら突っ込んでくる。やっとおまじないが効いたようだ。
盾で顔の前に構えながら剣の切っ先を僕に向けて体当たりしてきた。剣を握る腕には太い血管が浮かんでいる。
僕は鎖の長さを確かめながらしゃがみこみ、オオカミのような突撃を横にかわすと同時に足払いをかける。
前のめりにもつれるようにしてグレゴリーさんが倒れこむ。体勢の崩れたところに僕は腕を伸ばし、その手首をつかみ、ひねり上げる。
グレゴリーさんがうめき声を上げながら壁の手前で踏みとどまった時には、持っていたはずの剣は僕の手に収まっていた。
兵士さんたちがどよめく。パーシバルさんが言わんこっちゃないって顔で弓を構える。
僕は手を振った。
「言いましたよね。僕は人質を取るつもりはありません。剣をお借りしたのはこのためです」
僕は剣を振り上げ、足首につながっていた鎖を切り落とした。ごつん、と予想外に重い音がした。
「やれやれ、ようやく自由になれたよ」
心なしか羽が生えたように軽くなった気がして足をプラプラさせる。まだ足首には鎖の切れ端と、鉄の輪っかが付いたままだけれど、後で切り落とせばいいだろう。ランダルおじさんが作ってくれた、アダマンタイト製の剣なら簡単だ。
「鋼鉄の鎖をあっさりと……」
パーシバルさんが信じられないって顔をする。
「ああ、これですか」
僕は切り口を見せつけるように足を上げる。
「コツがあるんですよ。こう、切れそうなところを見つけてですね。思い切って、えいやっとやれば結構あっさりと……」
「おおおおっ!」
僕が懇切丁寧に説明していると、後ろから獣のような雄たけびが上がった。振り返るまでもなく、グレゴリーさんが体当たりを仕掛けてきたのだとわかった。
とっさに飛び下がると、僕の目の前を盾を前面に押し出し、今度は身を低くして床をえぐるような踏み込みで駆け抜けていった。勢い余ってつのんめりながらもどうにか踏みとどまると、その場で振り返り、盾を構えながら今度はすり足でにじり寄って来る。
盾の陰から見えるグレゴリーさんの目には凶暴な殺意が宿っている。そうとう怒っているようだ。でも、また突っ込んでこないところを見ると、少しは頭が冷えたのかもしれない。すり足だから足払いも通用しないだろう。ゆっくり距離を詰めてくるからよけるのも難しい。だから僕から行くことにした。
僕の横顔に向かって矢が飛んできた。気配で察した僕は持っていた剣で払い落とす。パーシバルさんのくやしそうな顔を横目で見ながら僕は飛び上がった。グレゴリーさんの盾を蹴り上げながら宙を舞う。そのまま頭上を飛び越える瞬間、両足の甲をグレゴリーさんの首に引っ掛ける。
そして体をねじりながら自分から床に勢いをつけて倒れこむ。どん、と僕の背中が床に着く。一瞬遅れてグレゴリーさんの体が反転しながらうつ伏せに叩き付けられる。かろうじて受け身はとったようだけれど、衝撃のためか目を白黒させている。
それでもどうにか立ち上がろうとする。足元をふらつかせながら両腕を伸ばし、組み付いて来た。僕はひょいと飛びのくと、グレゴリーさんの背後に回り込み、膝の後ろを蹴飛ばした。
ケガをしている方の足を蹴られてグレゴリーさんの大きな体がよろめく。そのすきに僕は剣の腹で今度はケガをしていない方のふくらはぎを思い切りぶん殴った。悲鳴を上げてグレゴリーさんが崩れ落ちる。足を抱えながら床を這いずるばかりで立ち上がる気配はない。
「グレゴリー!」
パーシバルさんが矢をつがえる。今度は三本同時にだ。器用なマネをする。待ってあげるほど今の僕は甘ちゃんじゃあない。
腰の後ろに手を回して短剣をえいや、と投げつける。鋭い刃が銀色のツバメのように飛んでいく。一条の光とともに三本の矢をつがえた弦を切り落とした。弦を切られて矢がパーシバルさんの足元で落っこちる。切れた弦が跳ね上がってムチのようにパーシバルさんの頬を叩いた。
世にもくやしそうな顔に赤い筋が生まれる。
「くそっ!」
パーシバルさんは矢を投げ捨て、机の下から剣を取り出す。走りながら鞘から剣を引き抜き、切りかかって来る。
「もういいでしょう」
弓矢の腕は素晴らしいけれど、剣の腕は一枚も二枚も落ちるようだ。僕は頭上に降りかかる剣閃をひょいとかわす。懐に飛び込みながら同時に剣をくるりと手の中で回し、柄の方を前に向けるとそいつをパーシバルさんのみぞおちに食い込ませた。
うめき声があがった。オトゥールの領主様は一歩、二歩と後ろに下がると膝をつき、白目をむいて横倒しに倒れた。
お読みいただきありがとうございました。
次回は12/5(火)午前0時頃に更新の予定です。




