危険な二つ名 その17
「おっと」
ひょいと飛びのくと、そこにグレゴリーさんが切りかかかってきた。丸い盾を左腕にはめている。おそらくベルトか何かを腕に通しているのだろう。
盾で顔を覆い隠すように突っ込んでくると、右手に握った長剣を振り下ろして来た。うなりを上げる剛剣に、僕はまたもひょいと飛び下がる。肉厚の剣が僕の目の前を通り過ぎる。一瞬遅れて風のかたまりが頬に当たった。
舌打ちとともにグレゴリーさんは体の向きを変える。一歩前に踏み込み、手首を返して振り下ろした剣の勢いを利用したのだろう。横の薙ぎ払いが僕の胸のあたりを狙って来た。
僕は首を亀のようにすくめてしゃがみこむ。頭の上を剣が通り過ぎたのを気配で確認しながら今度は前に出る。組み付いて剣を取り上げれば、こっちのものだ。そう身構えたとたん、今度は下から硬いものがせり上がってきた。グレゴリーさんが左腕に付けた盾ごと殴り掛かってきたのだ。
前に出ようとしていたのに加えて、盾の分だけ攻撃の範囲が広い。僕はとっさにのけぞりながらそのまま後ろに宙返りをする。
とん、と着地したときには僕の背中と壁の間は拳ほどしかなかった。
「もう逃げ場はないぞ」
パーシバルさんが不敵な笑みを浮かべる。
「みたいですね」
後ろの壁を見やりながら僕は言った。それからグレゴリーさんへと向き直る。
「約束が違うじゃないですか。あれはウソだったんですか?」
再戦はしないという約束でお金を貸してあげたのに。これでは裏切りではないだろうか。
「ああ、あのことか」
グレゴリーさんは首をかしげた。
「あれは、ナシにする。金は返せないが、ちゃんと例の件は面倒見てやるからあきらめろ」
そこまで開き直られると、いっそすがすがしいな。
グレゴリーさんは余裕ぶった顔で盾の向こう側に隠れる。体を半身にして、盾を前面に押し出した体勢ですり足でにじり寄って来る。その構えはとてもサマになっている。盾と剣を使うのがグレゴリーさんの本来の戦い方なのかもしれない。
盾で相手の攻撃をいなしながら、そのすきを狙って剣で攻める。ジェフおじさんが言っていた「後の先」というやつだ。騎士団にいたというから、そこで身に着けた戦法なのだろう。
逃げようとしてもパーシバルさんが弓を構えて狙っているし、兵士たちも控えている。
さて、どうしようか。
悩んでいると、後ろから足音がした。後ろの壁づたいにすり足で近づいて来ている。
時折、ジャラジャラと鎖のこすれるような音がする。僕がグレゴリーさんやパーシバルさんの方に気を取られていると思って、不意を突こうというのだろう。鎖はおそらく僕を捕まえるためだ。
足音が乱れた。小走りにバタバタと駆け寄って来る。
残念でした。そんなのとっくにお見通しだよ。目線をグレゴリーさんに合わせたまま後ろ回し蹴りを放とうと左足を上げた。自然と体が向き直り、目の端に小さな女の子が走り寄ってくる姿をとらえた。
シーナ?
それは間違いなくシーナだった。両腕を胸の前で組みながら祈るような仕草で駆け寄って来ていた。
どうして、と思った時には僕の左足はすでに上がっていて、シーナの顔に向かって放とうとしていた。
まずい。
伸ばした足を強引に引っ込める。ムリな動きに筋肉がきしみをあげる。すでに勢いはついてしまっていたけれど、どうにか僕の足はシーナから外れて、空を切る。ほっとしている間もシーナは必死の形相で僕に近づいていた。
青白い顔で僕の蹴り足の横を通り過ぎると、ぎゅっと目を閉じ、僕の軸足、つまり右足に抱き着いた。カシャン、と重たい金属音がした。
「え、ちょっと」
嫌な予感がして、僕はシーナの腕からすり抜ける。二歩歩いたところで、僕は自分の失敗を悟った。
右足首、さっきシーナにつかまれたところに黒い鉄の輪がはまっていた。鉄の輪には太い鎖が付いている。その先はカーテンに隠れていた、数歩先の壁につながっていた。
やられた。最初からこれを狙っていたのか。
シーナは僕から離れると、まっしぐらにグレゴリーさんに抱き着いた。グレゴリーさんは剣を持ち替えて右手で頭を撫でてあげる。
「お前が冒険者ギルドでやらかしたことは聞いている」
パーシバルさんが勝ち誇った顔で言った。
「いくらお前でも動けなければどうしようもあるまい」
「そうですね」
僕は冷ややかな声で言った。足を上げると重い感触が伝わってきた。なるほど、これは簡単には取れそうもない。
見れば壁に貼り付けられた鎖の根元はまだ真新しい。多分、大急ぎで据え付けたんだろう。引っ張り続ければ、はがれるかもしれないけれど、それをパーシバルさんたちが許してくれるとは思えない。僕の剣があれば鉄の鎖くらい切るのは造作もないけれど、ないものねだりはするだけムダだ。
「お前が女子供に甘いのは見てきたからな」
ふふん、と得意げに笑う。作戦がものの見事にはまってうれしいのだろう。
でも僕は不愉快だ。それもものすごく。
「どうした、何か言いたそうだな」
「見損ないましたね」
「卑怯だと思うか? だが、たった一人で十王グモの大群を仕留めるような化け物相手にはこれくらいしないとな」
「あなたじゃありませんよ」
僕は首を振った。
「僕が見損なったのは、グレゴリーさんの方です」
名前を呼ばれたグレゴリーさんが片眉を上げる。
「約束の件か。それなら悪いとは思うが背に腹は……」
「そっちじゃないよ!」
察しの悪さについ声を荒らげてしまう。
「どちらが考えたんだか知りませんが、シーナを危険にさらすようなマネをさせるなんて、ガッカリですよ。失望しました」
僕が寸前で気づいたからいいようなものの、下手をすればシーナは大ケガをしていたかもしれない。パーシバルさんは得意げだけれど、こんなの全然いい作戦じゃない。
僕のキックが先に決まっていれば、シーナはケガをしただけで何の成果もあげられなかっただろう。成功の低い賭けに小さな女の子を利用して、危険な目にあわせるなんてオトナのすることじゃない。
「なんだ。負け惜しみか?」
「あなたには聞いてません。いいからしばらく黙っててください」
へらへらした笑みでパーシバルさんが会話に入ってきたので、きちんとはねつける。今は僕とグレゴリーさんが話をしているんだ。
「あなたは先日言いましたよね。シーナのおかげで救われたと。そのお礼がこれですか? こんな仕打ち、あんまりじゃないですか」
「……」
グレゴリーさんは悔しそうに歯がみをしたまま口を開こうとしない。
「答えてください。これじゃあシーナがあまりにもかわいそうだ。それともこの前言ったことも全部ウソですか? 本当はシーナのことなんかどうでもいいんですか?」
「やめてください!」
たまりかねたようにシーナが叫んだ。身をもむようにして体を震わせながら僕に食って掛かる。
「あなたに何がわかるというんですか! グレゴリー様がどれだけ、わたしのことを考えてくださっているか! 何も知らないくせに勝手なこと言わないでください」
「もういい、下がれシーナ」
グレゴリーさんが進み出るとシーナの頭をなでた。伏した目には罪悪感というものが沼地のように満ちていた。責められた僕よりもかばわれたグレゴリーさんの方が申し訳なさそうな顔をしている。
「よくやった。あとは俺たちに任せろ。外へ出ていろ」
「ですが」
「出て行った方がいい」
グレゴリーさんに続いて、僕もシーナに出て行くようにうながす。
「僕なら大丈夫。ここから先はオトナの時間だからね。君は外で温かいミルクでも飲むといい」
シーナはなおも泣きそうな顔で僕とグレゴリーさんを見比べていたけれど、やがてぺこりと頭を下げると小走りに部屋を出て行った。
「……すまない」
「あなたのためじゃありませんよ」
ふう、とため息を吐く。
「小さな女の子に物騒なケンカなんて見せるものではありませんからね」
「ケンカ、ケンカか」
グレゴリーさんはかんで含めるように同じ言葉を繰り返した。
「返答次第ではお前は死ぬんだぞ」
「ケンカですよ」
殺し合いというのはお互いに相手を殺そうとするから殺し合いと呼ぶのだ。僕に殺すつもりはない。何よりシーナまで巻き込んだ争いを殺し合いなんて呼びたくなかった。
「しかもとってもくだらない。僕が本当に盗んだかどうかもはっきりしないのに、こんな手の込んだマネまでして。これで何も出てこなかったらどう責任を取るというんですか? ねえ」
「……」
「あなたですよ、パーシバルさん。あなたに聞いているんです」
「俺か?」
領主様はとぼけた顔をする。
「そうですよ。ちゃんと人の話を聞いていたんですか? さっきからずっと黙って。あなたの話なんですからちゃんと会話に参加してくださいよ」
「……こんなに人をぶん殴りたいと思ったのは生まれて初めてだ」
こめかみに青筋を立てながらパーシバルさんがつぶやいた。肩を震わせ、拳をぎゅっと握りしめながら何かに耐えているようだ。物語で言うところの噴火寸前の火山のようだ。
「怒りたいのは僕の方ですよ。ほら、こんな鎖まで付けられて」
足を上げるとじゃらりと鉄の鎖が嫌な音を立てる。
「そんなに殴りたいのならご自分の頭でもどうぞ。さぞ、いい音がすると思いますので。そうそう、ご存知ですか。小魚を食べると怒りっぽいのが少なくなるそうですよ。なんでしたら、香木なんかやめて小魚を特産品にしては」
「何の話だと聞いている!」
オトゥールの領主様は大声でわめきたてた。うるさいなあ、どならなくてもいいのに。短気な人だ。
「ですから、こんな乱暴なマネをして何も出てこなかったらどう責任を取るのか、と聞いているんですよ」
「出て来るさ」
その声は確信に満ちていた。
「絶対にな」
「どうして言い切れるんですか?」
「お前がアップルガースの生まれだからだ」
ほんの一瞬、僕の頭の中は真っ白になった。
お読みいただきありがとうございました。
次回は12/1(金)の午前0時頃に更新の予定です。




