危険な二つ名 その16
「質問はこのくらいでいいだろう。そろそろ本題に入ろうか」
「そうですね」
僕も子供の頃の恥ずかしい思い出に赤面しに来たわけじゃあない。
「それで、僕を呼んだ理由は?」
「『白猫』を渡して欲しい」
また『白猫』か。
絶対にお断りです、と言いかけたけれど、念のために聞いてみることにした。
「もしかして、この子のことですか?」
僕は隣にいたスノウをだっこして二人の前まで移動する。
「これはまたかわいらしい猫だな」
グレゴリーさんが指先でスノウの首筋を軽く撫でる。
「くれるのか?」
「やめておけ」
パーシバルさんがお兄さんの袖を引っ張った。
「言っただろう。その猫に手を出せば命にかかわる」
「別に取って食いやしませんよ」
それじゃあまるでスノウが怪物みたいじゃないか。失礼だな。
「とにかく、俺たちは本物の猫に興味はない。俺たちが言っているのはこっちだ」
グレゴリーさんが部屋の隅に飾ってあった小さな入れ物を机の上に乗せた。
小さな陶器の壺の中に白い灰が詰まっている。灰の上には小さな木くずが置いてある。
「待ってろ」
グレゴリーさんが木くずの上に小さな紙片を乗せてその上で火打ち石をこすりあわせた。火花が飛んで、火が灯った。小さな炎は紙片から下の木くずに燃え移り、白く細い煙を上げる。
おや。
かぐわしい匂いが鼻をくすぐった。甘いような酸っぱいような、甘い果実のような匂いがして胸の奥がきゅんと切なくなるような不思議な香りだ。この匂いはどこかで……。
「これが『白猫』だ」
パーシバルさんが部屋の中をたゆたう煙を見つめながら言った。
「『白猫』というのは、この町の森の奥にある香木のことだ」
香木というのは確か、いい匂いのする木のことだ。森の奥とか山の中とか、限られた土地でしか採れなくて数が少ない分、貴重なものらしい。高い物だと金貨で何十枚もすると聞いたことがある。
「元々は、ミリカという香木なのだが、時折こういう変種が見つかる。においが抜群にかぐわしく、煙が猫のように見えることから『白猫』と呼ばれている」
香木から立ち上る細い煙は途中で形を変えて、くねくねと曲がりながら宙に漂っている。言われてみれば、丸まって寝転んでいる白猫に見えなくもない。
「面白いですね。僕も欲しいなあ」
「すごく高いぞ」
パーシバルさんはにやりと笑った。
「これ一つで屋敷が買える」
「それは高い」
僕としてもそんな大金を出してまで欲しいわけではない。香木なんかより本物の猫の方がいいに決まっているからね。
「オトゥールでは、こいつを特産品にしたいと考えている。だが現状は思わしくはない。どうやったら『白猫』になるのかさっぱりわからない。森の奥でたまに木片が見つかる程度だ」
量産しようにもミリカの香木は町の東の森でしか育たず、その中でも『白猫』と呼ばれる一級品はほんのわずか。だからもっと高価で取引されるそうだ。難しい言葉で希少価値というやつだ。
十王グモ討伐を急いだ理由も、あいつらのすみかがミリカの香木の近くだったからだという。
「だが時すでに遅く、ミリカの香木が何本も魔物に食い尽くされていた。そうなれば、ますます残った香木が貴重になる。ここまではわかるな」
「はい」
「ところがだ、食われていたはずの香木を確かめると、何本か明らかに人の手で切り倒されていた。しかも切り口を見る限り、ここ数日のことだ」
なるほど、どさくさまぎれにミリカの香木を切り出して盗んだ奴がいるってことか。
「魔法で探すのはどうでしょうか」
グリゼルダさんによると『失せ物探し』はそう難しい魔法ではない。ほかにも使える人はいるはずだ。
「お抱えの魔法使いにも探させたが、見つからなかった」
となると、既に町の外へ運び出された後か、あるいは『失せ物探し』を防ぐ魔法で守っているかだろう。
「当然、犯人は誰か、という話になる。だが、犯行が可能な人間は限られる」
切り出すこと自体はそう難しくはないだろうけど、その時にはまだ十王グモが森の中をうろついていた。
つまり犯人は十王グモをものともせずに、ミリカの香木を切り出し、『失せ物探し』の魔法に気取られずに、運び出せる人物ということになる。あれ、これって簡単なんじゃあないかな。そんな人、めったにいるものじゃない。そう、つまり犯人は……。
「つまり、お前だ」
「あれ?」
言われてみれば確かにそうだ。十王グモをけちらすこともできるし、カバンの『裏地』に入れれば持ち運ぶのも簡単だ。それに前に試したこともあるけれど、『裏地』に入っているものは『失せ物探し』に引っかからない。
「盗まれた時期もお前がこの町に来た頃だ。お前なら切るのもその杖で盗むのも自在だろう。それに、そのカバン。魔法のカバンだろう。そこから例の杖を取り出すのを見た者もいる」
「僕はどろぼうなんかじゃありません」
端から見れば怪しいかもしれない。でも僕がどろぼうではないことは、僕自身が知っている。第一、パーシバルさんが言ったのは、すべて「できる」という可能性であって「やった」という証拠ではない。
「とぼけるな。お前があの森で『白猫』をカバンの中にしまい込むのを見た者がいる。十王グモの死体の側でな」
そごで僕は思い出した。確かに昨日、おかしな木のかけらを見かけたのでカバンにしまい込んだ。あれが『白猫』だったのか。
「お前はニコラとかいう金貸しの娘にご執心だそうだな。娘の窮地を救うために、ミリカの香木を盗み出し、金に換えたのだろう? 大した義賊様だな」
「ご覧の通り、僕はオトナですよ」
僕はマントのすそを払い、大げさに両腕を広げてみせた。
「やっていいことと悪いことの区別くらいつきます」
確かに物語には『義賊』とか『怪盗』なんて人たちがよく出てくる。大商人や貴族からお金を盗んで貧しい人に配ったり、警戒厳重なお城から見事に財宝を盗み出すのだ。僕も『義賊騎士アマデウスの冒険』とか『ヴァン・フックの四姉妹盗賊』をページがぼろぼろになるまで読んでいたものだ。
でも、それはあくまで物語だから許されるのであって、現実にはたとえ悪人からであろうとお金や財宝を盗むのは悪いことだし、許されない。そのくらいの区別はつく。区別がつくからオトナなのだ。
「だが、盗んだのは事実だろう」
「すみません、これがそんな大事なものだなんて知らなかったんです」
僕はカバンから『白猫』を取り出して、机の上に置いた。
「でも、僕が拾ったのはこれだけです。ほかには枝一本入れちゃいません」
「なら、この金はどう説明する」
と、パーシバルさんが机の下から見覚えのある革袋を取り出した。この前の徳政令騒ぎの時にグレゴリーさんに渡したお金だ。
「村ごと買えるような大金をたった二つ星の冒険者が、ぽんと手渡すだと。冗談も大概にしろ」
「あり得ることですよ。間違いなく、僕がかせいだお金です。あと、ご存じでしょうけれど今は三つ星です」
「どうやって?」
「わかりました。正直に言います。ブラックドラゴンをちょちょいと叩きのめしたので、その爪やウロコを売り払って手に入れました。ああ、もちろん僕一人で、ですよ」
「ふざけているのか?」
「ええ、ウソです」
ちょちょいと叩きのめしてなんかいない。おにごっこの方の『贈り物』で触って仕留めたんだ。
「正直にしゃべらないのならお前を捕まえなくてはならない」
パーシバルさんが指を鳴らした。すると扉が開いて、部屋の中に鎧姿の兵士たちが十人ほど入ってきた。みんな弓矢を持っている。スノウがにゃにゃと悲鳴を上げて僕の足元にすがりついてきた。
「スノウを怖がらせないでください」
僕が不平を言うと、グレゴリーさんとパーシバルさんも立ち上がった。机の下に隠していたのだろう。グレゴリーさんは剣と盾を、パーシバルさんは矢筒を背負い、矢をつがえて弓を構える。
なるほど、確かにこいつはまずい。剣も虹の杖も取り上げられている。逃げようにも、入り口には兵士たち。カバンの中には武器なんて入ってない。腰の後ろには短剣があるけれど、狩りで獲物をさばいたり、木を削ったりするためのもので戦いの道具じゃあない。
さて、どうしたものか、と考えていると、パーシバルさんがいきなり僕に射かけてきた。
お読みいただきありがとうございました。
次回は11/28(火)午前0時頃に更新の予定です。




