危険な二つ名 その13
とりあえずオトゥールに戻り、僕は今後のことを考える。まずはニコラを誘拐しようとした黒幕を見つけ出さないといけない。
唯一の手がかりは、あの卑怯者の冒険者たちから聞き出した人相くらいだ。だけど、目が細いだの色白だのと聞いていてもぴんとこない。そこで僕は似顔絵を描いてみることにした。
実を言うと、僕は絵を描くのも大好きだ。年に数回、訪れる行商の人から母さんが紙と筆と絵の具を買ってくれたことがある。僕はそいつを持って、たまに山や川へ写生に出かけた。村はずれにぽつんと立っている、ねじ曲がった木立を描いたり、河原に落ちているおかしな形の石を並べて色を塗ったものだ。
腕前だって自信はある。村長さんや村のみんなも僕の描いた絵をほめてくれた。ジェロボームさんに至っては「天才画家・ピーターの再来」とまで言ってくれた。ピーターがどんな画家なのか今も知らないのだけれど、天才というくらいだから素敵な絵をたくさん描いた人なのだろう。
本当は母さんも書きたかったのだけれど、母さんは「退屈だから」とモデルにはなってくれなかった。仕方なく寝ている時を見計らって書いた。
だから母さんの絵は全部ベッドで寝ていたり、テーブルでうつぶせになって昼寝している姿だ。三十枚くらい書いたように覚えているけれど、もう一枚も残ってはいない。全部、母さんといっしょに棺に納めた。
床にどっかと座り込むと紙を広げ、筆を進める。こういうのは特徴を大きく書くのがいいんだ。ぐいぐい、と自分でも大胆なくらいに描いていく。
「うーん」
何枚か書いてみたのだけれど、どうにも上手くいかない。似たような人を見かけたような気もするのだけれど、うまく記憶と絵が結びついてくれない。
筆が悪いのかと思い、羽根ペンや墨でも書いてみたけれどやっぱりダメだ。
「にゃあ」
僕が床に座り込んで頭をひねっていると、スノウが僕にすり寄ってきた。ごはんはさっき食べたばかりだから遊んで欲しいのかな。昨日は忙しくて構ってあげられなかったから寂しいのだろう。
「ごめんよ、今大事なところだからちょっと待っててね」
頭を撫でてあげると、スノウは不満そうにもう一度頭をこすり寄せてきた。
「ごめんね、これを書いてからね」
スノウと遊んであげたいのは山々だけれど、僕の絵にはニコラの安全と生活がかかっている。一日も早く黒幕を見つけて、安心して働けるようにしてあげたい。
僕が遊ばないとわかったのか、スノウはぷい、と顔を背けるとベッドに飛び上がった。布団の上をくるくると歩き回り、そのまま居眠りの時間かと思っていたら、突然、長い鳴き声を上げた。
スノウの目の前にお皿くらいの大きさをした光る魔法陣が現れる。スノウがもう一度鳴くと、上の辺りからさらさらと光の砂のように細かく砕け散り、空中に溶けて消えた。
次の瞬間、床に置いてあった羽根ペンがふわりと宙に舞い上がった。ちょうちょのように静かに宙を漂うとまっしぐらに床に置いてあった白い紙にペン先を当て、奇妙な動きを始めた。
かりかりと音を立てながら上に行ったり横に行ったり、同じところを何度も往復したり。もしかして、と僕が上から覗くと、紙には人の顔の輪郭が描かれていた。
「もしかして、絵を描いているのかい?」
僕がびっくりして尋ねると、スノウはかわいらしい声で鳴いて僕の膝の上に飛び乗ってきた。
「すごいや、スノウ。まったく君は天才だね」
かわいくて賢くて心もきれいな上に絵まで描けるなんて、すごいってものじゃない。天使か女神の生まれ変わりだろう。こんなに役に立つ猫なのに、冒険者の間では役立たずの疫病神呼ばわりなんて、あんな迷信は一刻も早く消え去るべきだ。
それからも羽根ペンは紙の上を動き続けていたけれど、だんだんと勢いを失い、ぺたんと紙の上に倒れた。どうやらできあがったようだ。
「はあ」
ため息が出てしまった。スノウの描いた絵は似ているとか細かいなんてものじゃなかった。まるで絵の中に人間を閉じ込めたかのようだ。色が付いていれば、さらにそう見えただろう。
僕があの卑怯者たちから聞いた特徴を完璧にとらえていた。この似顔絵があれば、探すのも簡単だ。なにせ、僕はこの絵の人を知っているのだから。
僕が絵筆を片付けていると、扉がノックされた。
「どうぞ」
僕が返事をすると覚えのある顔が入ってきた。
「あ、あの……」
入ってきたのはシロヘビさんだ。本名は知らないのだけれど、アビゲイルさんのお店の従業員で、貸したお金の取り立てなんかもやっているらしい。
「これ……」
シロヘビさんはおずおずと僕に紙を差し出した。グリモスさんの借金の借用書だ。昨日、僕が立て替えると言ったので、さっそく取り立てに来たらしい。
昨日の今日で、もう取り立てに来るとは、アビゲイルさんも行動が早い。思い切りがいいのかな。シロヘビさんはしきりに目を泳がせながら時折、僕の顔色をうかがっている。この前、ちょっとおどかしてしまったからおびえているのだろう。
「どうぞ。確認してください」
金貨と銀貨の詰まった革袋を手渡した。シロヘビさんはびくびく震えながらもきちんと中身を確認していた。
「は、はい。確かに」
こくこくと壊れたおもちゃのようにうなずいた。
「そ、それでは私はこれで……」
「ああ、ちょっと待ってください」
革袋を抱えながら出て行こうとするシロヘビさんの背中に呼びかける。
「な、なにか?」
僕は返事をしなかった。大股で近づくとシロヘビさんの胸ぐらを掴み上げて、そのまま壁に押しつける。大金の詰まった革袋が床に落ちて、高価な音を立てる。
「な、なにを?」
同じような質問を繰り返すシロヘビさんの目の前にスノウの描いた絵を突き出した。
「あなたがニコラの誘拐を依頼した件についてです」
鏡映しのような似顔絵の目の前で、シロヘビさんの顔色は紙のように白くなっていた。
「ち、ちがう、私はただ命令されただけだ」
とぼけるかと思っていたけれど、シロヘビさんは素直に白状した。金貸しの手伝いの時に身につけたおどかし方のせいで、すっかりびくついてしまったようだ。
「誰の?」
「……アビゲイル様だ」
「本当に?」
僕は眉と眉の間がきゅっとしわ寄るのを感じた。
最初は僕もそう考えた。動機もある。
初めて会った時から僕はアビゲイルさんに嫌われることばかりしている。一足先に徳政令から逃げだそうとしたのを止めたり、勝手に町の金貸したちへ援助金を出すことを決めてしまった。悪気はなかったけれど、アビゲイルさんにしてみればいい迷惑だっただろう。僕に警告する一方で、ニコラを人質にして僕に言うことを聞かせようとしたとすれば、一応つじつまも合う。
「前にもこういうことを命令されたことはありますか?」
僕の見た限り、アビゲイルさんは善人ではない。いい人なら、徳政令のことを黙って一人で逃げ出そうとはしなかっただろう。でも、理不尽な暴力に頼る人にも見えなかった。借金の取り立てに柄の悪い人たちを使うことはあっても、借金とも無関係の人を誘拐して有利に事を運ぼうとするのは、やり口がらしくない。
実際に交わした会話も少ないのではっきりとしたことは言えないが、自分にも他人にも厳しい人のように思った。自分の決めたルールは厳格に守ろうとする人だ。誘拐という手口は、アビゲイルさんのルールに反しているように思えた。
「……私の口からは言えない」
こういう言い方をすると、さもあったように聞こえるものだ。でも、裏を返せば、知らないから言えない、という意味にも取れる。
実際、ウソをつかれても僕が追求するのは難しい。そこで別の手を打つことにした。
「理由は僕への借金ですか?」
「借金?」
「アビゲイルさんには大金を貸していますからね」
「まさか、お前にそんな金が……」
シロヘビさんが困ったような迷ったように顔をする。やはり、シロヘビさんは徳政令のことも聞いていないんだ。
アビゲイルさんは「秘密は知っている者が少ないほどいい」と言っていた。自分の部下にも伝えないのはどうかと思うけれど、今は好都合だ。それに隠し事が多いのはお互い様だ。
「なるほど、よくわかりました」
僕はにっこり笑うと、さらに強くシロヘビさんを壁際に押しつける。白い肌に透明の脂汗が流れる。
「そういう風に言えって頼まれたんですね」
徳政令のことすら聞かされていないような人にアビゲイルさんが、誘拐なんて後ろ暗いマネを命じるとは考えにくい。
僕は少しだけ力を緩めると、シロヘビさんが咳き込む。
「誰に頼まれましたか?」
「誰か、助けてくれ! 強盗だ、人殺しだ!」
突然、大声でわめき立てる。ひどいなあ。
「僕はドロボウではありませんよ」
あと、間近で大声出されると、うるさくてかなわない。耳鳴りがしそうだ。
「誰か、誰か……」
シロヘビさんの必死の大声にもかかわらず、誰も上がってくる気配はなかった。ちゃんと人はいる。一階からは、お客さん同士の会話や、器のかち合う音、包丁で刻む音が聞こえる。なのに誰も来ないのはもちろん、僕が『贈り物』を使っているからだ。使っている間、僕が触っている人も同じように気づかれなくなる。寸前まで絵を描いていたので、手袋を外していたのが幸運だった。
「ムダなあがきはそれくらいにしましょう」
僕が剣の柄に手を掛けると、気絶しそうなほど身を震わせて顔を左右に振った。
「わかった、言う。言うから見逃してくれ」
しまいには泣き出してしまった。悪いことしちゃったなあ。心の中で謝りながら一歩後ずさる。
「ゴルズさんだ」やせガエルのような枯れた声で言った。
「誰ですか?」質問しながらどこかで聞いた名前だなあ、と考える。
「この町の顔役だ」
シロヘビさんは壁に背中を押しつけると、壁伝いに扉の方角へと少しずつ移動する。
「オトゥールの裏の仕事を牛耳っている。用心棒を何人も雇っている。恐ろしい奴だ」
しゃべりながらシロヘビさんは、また扉の方へと近づいていくので、ぎゅっとひっぱって元の位置に戻した。
「もしかして、背中にさそりの絵を書いている……」
「見たことはないが、もっぱらのウワサだ」
ああ、やっぱりか。
「もし、依頼したことがばれて、おま……あなたに捕まったらそういう風に言えと」
「迷惑がかかるとは思わなかったんですか」
アビゲイルさんのお店で働いているのに、もし僕がお店か屋敷に乗り込んで大暴れしていたらとは考えなかったんだろうか。
「仕方ないだろう」シロヘビさんは身もだえしながら顔を真っ赤にしてまくし立てる。
「もうすぐ店じまいで、行く宛てもない。蓄えもほんのわずかだ。ゴルズさんの言うことを聞くしかなかったんだ」
だからと言って裏切っていい理由にはならない。店じまいだからこそ、後始末はきれいにしないといけない。『死者は棺桶のふたを自ら閉める』というやつだ。
「それで、ゴルズさんは今どこに?」
「町の真ん中にある大きな屋敷にいる。頼む。私がしゃべったとは言わないでくれ、もしばれたら私は……」
真っ青になって扉のノブに手を掛け、あわてて宿の階段を駆け下りていった。
「あの顔だけで絵の具ができそうだな」
赤と青と白、がんばれば緑も作れるかも。
僕はスノウを抱えると肩に乗せた。
「ごめんね、スノウ。ちょっと用事ができちゃったみたいだ」
ピンク色のリボンの付け根あたりを首の下を指で優しく撫でてあげると、気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「それじゃあ、行こうか」
ゴルズこと顔役さんの家へ歩きながら僕は考える。何故こんなマネをしたか。まず考えられるのは、この前の取り立てで僕にこてんぱんにされたのを恨み、仕返しのためにニコラを誘拐しようとした。でも、自分の部下を使えばすぐに僕にばれて、またこてんぱんにされてしまう。それを恐れた顔役さんはまずシロヘビさんを抱き込み、自分の思い通りに操る。万が一、捕まったらアビゲイルさんのせいにして、僕の矛先をそらそうとした。
そう考えれば筋は通る。でもシロヘビさんがまたウソをついている可能性もある。僕に問い詰められて、口からでまかせを言って、顔役さんのせいにした。その線も捨てきれない。
事情をはっきりさせるためにもやはり、もう一度顔役さんに会う必要がある。
そしてやってきたのは、顔役さんの屋敷だ。
「やあ」
僕があいさつすると、門番だか用心棒だかが血の気の引いた顔で後ずさる。
「顔役さんにまた用があって来たんだけれど、会わせてくれる?」
「てめえ、なめてんのか?」
大柄な男が指を鳴らしながら僕に近づいてきた。袖無しのシャツに破れた半ズボン、顔に落書きをしているひげもじゃだ。色黒で首も胴体も太くて、二の腕なんて女の人の腰くらいはありそうだ。
「ディックさん……」
「『壊し屋』ディックのお出ましだ」
後ろでびくついていた用心棒たちが一気に沸き立つ。
「へへっ、観念しろよちび。この人にかかりゃあ、てめえなんぞイチコロよ」
「ディックさんの腕っぷしときたら、岩でも握りつぶしちまうからよ」
どうやら強い人のようだ。
ディックさんは僕を見下ろすと、急に右手で僕の頭をつかみ、万力みたいに締め上げてきた。
「この前はうちの連中をいきがっていたぶってくれたそうだが、俺が戻ってたからにゃあそうはいかねえ。てめえみたいになよなよした、女の子みたいなお子様は家に戻ってミルクでも飲んでな」
「どうやら目は悪いみたいだね」
僕は頭をつかまれたままスノウを地面に下ろした。
「僕はオトナだよ」
ディックさんは五回と呼吸をしないうちにのびてしまった。でっかい図体を門の横に立てかける。手下は血相を変えて屋敷の中に逃げ込んでいった。
誰もいなくなった門をくぐり、僕は屋敷の中に入った。
お読みいただきありがとうございました。
次回は11/17(金)午前0時頃に更新の予定です。




