嫌いに
中の作りは、バルパが幾度も幾度も襲撃していた幌とそっくり同じである。戦闘の際に手荒な扱いをせなばならないような事態に陥らなかったおかげか中の様子はかなり綺麗である。荷物もほとんどなく、下に敷かれている薄い赤の絨毯と広い空間がバルパを迎え入れてくれる。
バルパが視線をやっているその先で、ピリリは膝を抱えて丸まっていた。
元々かなり小さな背丈な彼女が体育座りをしているものだから、その高さはバルパの膝あたりまでしかない。
彼女は比較的暑い気温にもかかわらず、厚手の長袖服を着ている。
ピリリの視線の先には何もないはずなのに、彼女はじっと一点だけを見つめていた。きっと彼女は本来の目ではなく心の目で何かを見ているのだろう。バルパが近付けば普段なら急いで慌ただしく動き回りながら彼目掛けて飛んでくるはずなのに、今の彼女にはそんな素振りすらない。
魂が抜け落ちてしまったかのように呆然としているピリリを見て、バルパはその心中を察そうと努力をしたが、彼にはてんでわからなかった。
結局何をすることもなく彼女の方へ歩いていき、そのまま小さな肩を叩いた。
ゆっくりと首を動かすピリリ、老婆の動きよりも遅いその動作をもどかしく思うバルパ。
二人の視線が重なった。
「えぅ、あ…………」
ピリリの顔に急速に血が通う。青白かった顔色は健康的なピンクへ変わり、さきほどまで壊れた人形のようだったのが嘘のように彼女本来の輝きが戻っていく。
言葉にならない声を出しながらもにょもにょと口を動かす様子を見て、ひとまず安心するバルパ。
彼女はチラと彼を見上げて、そのままフッと視線を下に下げる。そしてすぐに顔を上げて、また下げた。
バルパは自分から話を切り出すべきかとも考えたが、どうやらピリリが彼女なりに何かを頑張ろうとしていることがわかったので何も言わずに待つことにした。
「あの…………ごめんなさいっ‼」
「何がだ?」
「えと、その……勝手についてきちゃって」
「別に問題はないだろう、それくらい」
バルパは彼女が一体何をそれほど気にしているのかがわからなかった。
一度こちらにミーナ達と戻ってくることで怒るほど、自分は狭量ではない。そしてそのことをピリリが知らぬはずもない。だがそう思っているのは自分だけで、もしかしたら彼女はバルパのことをどんな些細な事にも激怒する悪鬼羅刹のような存在だと思っているのかもしれない。そう考えると、少しだけ悲しい気分になった。
「怒ってない?」
「ああ」
「ほんとのほんと」
「嘘をついてどうする」
「ピリリのこと……嫌いになってない?」
「なるわけあるか、俺がお前を……」
バルパが言葉を言い切るより早く、ピリリが彼に抱き付いた。慣れ親しんだ感触がやって来ることにどこか安堵するバルパ。しかしピリリの肩が小さく震えているのを見て、弛んだ気持ちを今一度引き締める。
ピリリがバルパとの訓練で強化された腕力を目一杯使い、彼のことを抱き締める。
バルパは鎧越しにではあるが、ピリリが感情を昂らせるのをその身にしっかりと感じていた。
「ピリリのこと……嫌いに、ならないでぇっ……」
「…………」
だからなるわけないだろうと言ってるだろうが、そう言い放つことはどうしてか躊躇われた。
命令でもないような言葉、シルル族の住み処へと変えれというたった一言を一瞬反故にしただけで、それほど不安に怯える理由は一体なんなのかわからない。
奴隷としてこき使うつもりならさっさと使い潰しているし、大事でもない人間にわざわざ自分の時間を使うほど自分は非効率的ではない。彼女の考えが読めないバルパ。彼はいつも大切な所で相手の事がわからなかった。
彼が実際に心の中を見抜けるようになるまでには、一体どれだけの時間がかかるのだろう。
というかそもそも、自分に嫌われるかどうかを重要だと思われるほどに重要な存在では……と思考が逸れ始めたところで今ピリリが泣いていることを思い出す。
嫌いになんかならないと口にしても、きっと彼女は納得しないだろう。現に今、彼女は自分の言葉なんて信じずにこの身に縋っているのだから。
彼女は実際的じゃない。自分の知り合いはほとんど全員、どうにも論理でカタをつけようとする自分とは相性が良くない。
自分がピリリのことを嫌うはずなどないのに。彼女はそんな有りもしない自分の妄想に追い詰められ、先ほどなど脱け殻同然にまで落ち込んでいたのだ。
なんと不器用な人間なのだろうかと思うと同時、その不完全さを心底いとおしいとも思った。そんな風に感情表現豊かで、想像力に満ち溢れているからこそ、自分は彼女のことが好きなのだ。そして彼が一番好きなのは、やはりピリリの笑顔だった。
ピリリは笑顔が良く似合う。彼女を笑顔にするには、どうしてやるのが良いだろうか。
バルパは言葉で駄目ならとそっとその華奢な体を抱き返し、強めのハグをした。
分厚い鎧を通し、彼女の心臓の鼓動が震えとして伝わってくる。自分の心音もまた、彼女に聞こえているだろうか。
理論では理解できないのだから、バルパとしてはもう体でぶつかるしかない。
何事をも因果で解決出来ないことがもどかしくて、だからこそピリリのことを一層大切に思えるような気がした。
バルパには彼女が泣いている理由がわかることはないだろう。だから彼に出来るのは、その涙が止まってくれることを祈りながら、自分は彼女を大切に思っていると伝えてやることだけだった。
彼の気持ちを理解してか、ピリリは何も言わず、ただただ小さくしゃくりあげ続ける。
バルパは彼女が落ち着くまで、その体を壊れない程度にキツく抱き締めていた。
その抱擁は力強く、それでいて優しさに満ち満ちていた。




