煌めいて
バルパはボロ剣を握る久方ぶりの感触を懐かしく感じながら、ようやく発見できた襲撃者と思わしき集団を見据えた。
ここに来るまでには思っていたよりも時間がかかった。気付かれないように意識しながら進んでいたために空を駆ける訳にも行かず、便の悪い森の中を駆けなければいけなかったせいだ。
走るうち、魔力感知に反応のない集団の姿がようやく視界に入った。そして彼は今、奇襲のタイミングを測るべくジッと待っている状態だった。
彼らは一様に同じ装備をしており、気味の悪いことに背格好から仕草の一つに至るまでまるで人形のように統一されている。
前方に戦闘用の集団、そして後方にはバルパが鹵獲したものとそっくりな馬車を担ぐ集団。彼らは全く同じ歩幅で、顔と肩で挟み込むように馬車を担いでいた。
自分が取った方法と同じ運搬方法をしていることに若干の不快感を覚えながらも、バルパは襲撃者達の正体を見極めんと観察を続けた。
戦闘スタイルは一撃離脱を主としており、急所を的確に狙う魔法が主な攻撃手段。少なくとも数時間は走り続けているにもかかわらずその呼吸に乱れがないことから考えて、身体強化に優れているか、もしくは常人では考えられないほど強靭な肉体を持っていると考えられる。全員が口元を黒いマスクで覆い、目のあたりには眉や目尻ごと覆うような大きな眼鏡のようなものをつけており、表情は顔の造形の違いはまったくわからない。
全身には体のラインが浮き出る光沢のある衣服を着用しており、体格から考えて全員が男であるという情報を辛うじて得ることが出来た。
魔力感知には相変わらず反応がない。彼らが担いでいる馬車にも反応がないということは、あれは自分が持っている物よりも格が高い魔法の品なのかもしれない。
見た目に反して大量の物資や人員が運べるあの馬車ならば、確かに人を運ぶにはうってつけだ。あの馬車の羽のような軽さのおかげで探索を迅速に進められたバルパにはそれがわかる。
前方の集団は合わせて三十人ほど、後方で運搬作業に従事している集団は二十五人ほど。もしかするとズルズ族だけでなく、他の虫使いも収容されているのかもしれない。バルパの馬車は十人前後を収容出来る、それ以上の魔法の品だとすれば一体合計の収容可能人数はいかばかりか。下手をすれば虫使い以外の人間なり魔物なりがいる可能性もある。少し戦力把握からズレ始めた思考を元に戻しながら、改めて相手方の戦力を測ることにした。
自分の魔力感知を抜けているということは、相手方が魔力感知を持っているという可能性もあった。バルパはしばし後方で相手の出方を窺いつつ、即座に襲撃に移れるような体勢を維持していたが、どうやら敵はこちらに気付いた様子はない。彼は相手方に魔力感知持ちがいる可能性を潰した。だとすれば相手には自分の想像の及ばないなんらかの探知手段を持っているということになる。下手に近付きすぎて奇襲のアドバンテージを失うことは避けなかったので、バルパは一度距離を置こうとバックステップで後方へ下がった。
空から距離を詰め、ありったけの魔力を込めた魔撃で前方集団を一網打尽にしてやろう。よしんば倒せなかったとしても、前方と後方の繋がりを断つ一助にはなるはずだ。
そこから纏武疾風迅雷を発動させ、後列集団を襲えばいい。馬車を壊し中にいる人に危害を加えないようするためには、魔撃で範囲攻撃をすることは避けたいところだ。
下手に人質を取るという行動を選択させないためには、戦闘開始からの時間がキーになってくる。相手が下手な考えを抱く前にカタをつけなければ、バルパにとって見たくもないような光景が繰り広げられる事態になりかねない。
魔力感知で中の奴等が無事かどうかわからないのが、バルパには歯痒かった。
もし馬車の中へ入り、彼が助けることが出来たのは収納箱と化したズルズ族の死体であったら目も当てられない。
隙は見当たらない、ならばこちらが強引に作るまでだ。
スレイブニルの靴に魔力を流し込む彼の動きを止めたのは、聞き覚えのある女の悲鳴だった。あの声の主は確か、セプルとかいうまだ年若い女だったはずだ。
悲鳴の理由はわからなかった、だがどうせ碌でもない原因だということは、世界の厳しさを知っているバルパにはわかっていた。
気付けば上空へ向かおうとしていた体が、地面スレスレの低空走行を始めていた。
効率が悪いだとか、自らの命を危険に晒すだとか、そういった冷徹な思考はその時点で消え去っていた。
上手く言葉に出来ない何かが、彼の体を突き動かした。
身体強化の魔撃のみで彼らの後をつけていたバルパは、即座に纏武を発動し悲鳴の発生元へ飛んでいく。
突然現れたバルパを見ても男達は怯むことなく、彼目掛けて魔法を放ってきた。
しかしバルパの現在のスピードならば、彼らの魔法行使までの時間があれば一足飛びに超えていける。自らを狙う土の槍を、炎の玉を、氷の斧を背後に置き去りにしていきながら、バルパは幌を担ぐ男の首目掛けてボロ剣を振るった。
男は腰から取り出した小振りのナイフを構え、首筋に当てた。速度で勝てないと見るや相手の動きから狙いを読むことを選んだのは懸命な判断だ。
バルパはそのままボロ剣の勢いを止めず、ナイフごと男の首を切断した。
あとはこの剣の見た目にそぐわない切れ味まで勘定に入れられれば完璧だったな、と彼の中に残る僅かばかりの冷静さが嘯いた。そして彼は理由もわからぬまま荒れ続ける自らの熱を閉じ込めることなく、幌を強引に開き中へ入っていく。
密閉空間の中で集団と戦うことの愚を知らぬバルパではない。彼の最大の武器である機動力を殺ぐ狭い空間に入ることが懸命な判断ではないことくらい、彼にだってわかっている。
だが彼は体の赴くまま、横転しかけている幌の中へ入っていった。
利害だの損得だの、ちまちましたことを考えるのは止めだ。小賢しい考えを頭の隅に追いやりながら、そっと歩き出す。
彼の視線の先に、上半身が裸になっているセプルの姿が見えた。
そっと歩み寄り、彼女の体に前開きになっているローブを着せる。
彼女の体は、傷だらけだった。彼女の頬は、赤く腫れていた。首筋にはみみず腫が出来ており、目尻には涙の跡が残っていた。
呆然とする彼女を見て、バルパは自分が選んだ選択が間違ってはいないと確信を持てた。
「……もう大丈夫だ、俺が来た」
目の前で泣いている女を助けない、そんな答えが正しいというのなら、世界などクソ食らえだ。
ローブをしっかりと掴み、俯きながらしゃくる彼女を見捨てて確実に敵を削った方が結果的にプラス? ふざけるな、そんなことが正解であってたまるものか。
もう誰も傷つけさせないと、そう決めたのだ。少なくとも目の前の、自分の手の届く範囲では誰も傷つけさせないと、そう誓ったのだ。
その誓約も果たせなかった自分が何かを言うことなど烏滸がましいと思う。手の届かない範囲を無視する自分は、偽善者であることはわかっている。
だがそんな理屈はもう、どうでもいい。自分が動く理由は、理屈ではないのだ。
どこまで言っても畜生だ、感情で揺れ動き、悲鳴一つで理性が揺らぐ。
でも、それで良いとも思っていた。
少なくとも一人の女性を助ける事が出来たのだから、それで良いのだと信じられた。
バルパはセプルと、その後ろに控えている女達を背にする形で敵と向かい合った。
自分は彼女達を守りきれなかった、傷つけてしまった。
だからこそ守ろうと思った、彼女達を傷つけようとする全てから。
両腕から一度こぼれ落ちたものだからこそ、もう二度と落とさぬようにしようと、そう心の底から思えた。
入り口から複数名の男が入ってくる。先ほど転げ回っていた男を守るように迂回しながらもその体は隠しくれぬ闘気が漏れている。
バルパは両者が合流するのを待たず、黒ずくめの男達へ飛び込んでいった。
後方に意識を向けさせる間もなく、皆を撫で斬りにしてみせる。
なんのために手に入れた力だ、そう自答し彼は更に速度を上げる。
決まっている。自分は理不尽をはね除け、奪われるものから奪うものへ変わるために力を手に入れた。
なればこそ自分はこの力を、奪われるものを守護するために使おう。世界にたった一体くらい、そんなおかしなゴブリンがいてもいいだろう。
バルパは全身からみなぎってくる魔力を感じ取りながら、更に速度を上げる。
ボロ剣が彼の心に呼応してか、ほんの一瞬だけ強く輝いた。




