朝焼け
バルパの呟きを聞き付けた老婆が杖をつきながら歩いてくる。お前はさっき激しくダンスをやってただろうがと言いたくなったが、もしかしたら何か理由があるのかもしれないと深く追求をすることはなかった。
酒の席というものは語らうのが普通らしい。話すのなら酒で狂った者よりも、とりあえずはまともそうな老婆の方がマシだろう。バルパは老婆と話をしてみることにした。
「酒くらい手に入るだろう」
「そうでもないんだよねぇ、これが」
老婆の名前は長ったらしかったので覚えるのは止めた、心の中で老婆と呼ぶことにして話を続ける。
どうやらこのズルズ族は日々の生活にも困窮しているようだった。あれだけの大食漢がたくさんいるとなればそれはそうだろうなと考え、バルパはニコニコ笑うピリリが百人ほど集まりドラゴンを一瞬にして骨にする光景を瞼の裏に思い浮かべ、ちょっとだけ戦慄した。
「酒はなくても生きていけるが、食い物はないと死んでしまう。ズルズ族はまともに飯を食えているようには俺には見えない。以前のピリリほどとは言わずとも、彼らが満足に食事を食えていないのは明らかだ」
「あはは、こりゃ手厳しいね。まぁウチらは燃費が悪いからねぇ、虫はバカみたいに魔力と食料を持っていく。狩猟で賄える量にはどうしても限界があるのさ」
「……虫使いであることをそんなあっさりバラしても良いものなのか?」
以前のピリリの葛藤と、彼女の悩んでいた時の顔を思い出しながら訊ねるバルパに、老婆はしわくちゃな顔に更にしわを浮かべながら言う。
「バカ言いなさんな、あんたみたいな人に見初められちまった時点で隠すことなんかありゃしないよ。こっちに出来るのは助けてくれって言いながら物乞いしつつ、襟を開いて殺されないことを祈ることくらいなもんさ」
老婆は自分の強さを見抜いているらしい。やはり年を食った生物というものは、純粋な強さ以外の何かを持っているものなのだなと感心しながらあたりの喧騒に耳を澄ませるバルパ。
「だがここの戦士達はそれほど弱くはないだろう。虫任せで良いのなら女子供だろうと戦いには駆り出せるはずだ」
「うちはあまり出生率が高くない、子供はある程度しっかり育ててからじゃないと無茶はさせないよ。女には子供を産むっていう何よりも大切な役目があるから、彼女達にだって無理はさせらんないのさ」
そう言えば男と女が揃えば子供が産まれるのだったな、と思い出すバルパ。なんでも寝ると子供が出来るという話だが、不思議なものである。バルパは生命の神秘に思いを馳せた。
「男衆の狩猟だけだとどうしても自分達の分で精一杯でねぇ、正直蓄えや交易に回す分なんてあってないようなもんなのさ」
「ふむ、確かにそうかもしれないな」
バルパの見立てではこの一族の男の力量はそこそこ高い。Dランク冒険者くらいの実力はありそうだから、ここら一帯や海よりも深い溝の浅層あたりなら問題なく狩りを行えそうな実力はある。
だが彼らは大量に回復ポーションを持っている訳でもないし、聖魔法の使い手がいる訳でもない。魔力感知で敵う敵わないが識別出来る訳でもないし、
ピリリと同じなら傷が治るのが恐ろしく早いという特性は持っているのだろうからとてつもなく苦労をするとまではいかないのかもしれないが、それでもまともな生活を送れていないということは、全員を満足させるだけの成果を上げることは出来ていないということなのだろう。
「定期的に移住をしているという話だが、魔物の領域に入って行けば良いのではないのか?」
「私ら虫使いが、まともな生活が出来るとでも?」
「……出来ないのか?」
「……はぁ、あんた頭でっかちな坊やだねぇ」
老婆が口を開くと、中から小さな虫が出てきた。黄色と黒の斑模様を浮かべている、ピリリがハチと呼称していた虫だ。ほとんど魔力がないことから考えると魔物というよりはただの生物と呼んだ方が適当だろう。
「口から虫を出す人間が、魔物に好かれるわけもない。そして人間側からしてもね、よくわからない人間なぞ人間じゃないというわけなのさ。どっちの社会でも上手く生きていけない私達には、ここらで死なない程度に侘しい生活を続けるくらいが関の山なのさ」
「……本当にそうだろうか? 俺は虫使い達の中にこそ、世界平和の鍵があるように思うのだが」
「随分大きく出たもんだね……っと、私も一杯いただくよ」
「好きにすれば良い、こんな臭くて苦くて薬にもならんもんはいらん」
「うちの酒狂いに聞かせてやりたいねぇ、その言葉」
老婆は小さな虫を再び口の中に入れると、地面に散乱している木製のコップの一つを取り、ほとんど中身の入っていない酒樽を器用に傾けてワインを注いでいく。
何やらカスのような物が浮き出ているそれを、まるで甘露かのようににこやかに飲み干す老婆。彼女の視線の先には、死屍累々となっている虫使い達の姿があった。酒を飲みすぎて大半がおかしくなっているが、彼は皆一様に楽しそうな顔をしている。
「というかそもそもこんなにバカ騒ぎしていても平気なのか?」
「ああ問題ない、魔物避けの結界装置があるからねぇ。大抵の魔物ならなんとかなるさ」
大抵のという言い方をしていることから考えれば、その装置とやらが強力な魔物を相手には機能しないということは予想できる。ドラゴンを天災と言っていた男達の言葉から考えると、強力な魔物の襲撃はさほど頻度が高くはないが、それでも稀に遭遇するといったものなのだろう。それらへの防備に人手を割けば、更に食肉の供給量は減る。
人間達のように定住して農耕をすることも難しいのだろうか。聞いてみると結界装置が長時間同じ場所で使えないという制約上の問題からそれも厳しいらしい。
なるほど、彼らの生活は文字通りに詰んでいる。
「このままではいつか死に絶えてしまうぞ? 本当に今のままで良いのか?」
「それは言わないでおいてくれ、言葉に出すべきじゃないことっていうのが現実にはあるもんなんだ」
「わかった、すまない」
自分達では勝てないだの許しを請うだのと言っているわりに年上目線を崩そうとしない老婆の態度は、さほど気にはならなかった。もっと態度がでかいエルフのお姫様で耐性がついているおかげかもしれない、とバルパは恐らく始めてウィリスの存在に感謝しながら良く寝ているピリリの頭をそっと撫でる。
「むにゅう……」
「随分なついてるじゃないか、一体どんな手管でたらしこんだらこんな風になるんだい?」
「成り行きだ」
「そうかい、成り行きなら仕方ないね」
「ああ、仕方ない」
十分に食べ、十分に眠り、しっかりと修行も出来ているピリリは、家族のもとへ戻ってからどのような生活をすることになるのだろうか。ピリリの安らかな寝顔を見るうち、これからの彼女の健やかな成長について思考が方向づけられていく。
「なぁ、どこの集落もここと似たような状態なのか?」
「ああうん、大差はないと思うよ」
「……そうか」
ピリリが満腹になるまでご飯を食べ、ぽっこりしたお腹を自慢げに見せてくるようなことは、彼女が故郷に戻ってしまえば難しいかもしれない。別離よりも、彼女の未来の暗さにこそバルパは悲しみを覚えた。
彼女に、この境界線とでも形容すべき地域で暮らせるだけの実力を持たせるべきだろう。バルパは今までしていなかった分、ここでピリリを育てようと思った。まだ彼女を故郷まで送り返すには半月ある。その間、ハードトレーニングを積ませ、出来ればドラゴン相手にも戦えるくらいにはなって欲しい。
経験値の獲得による急激な能力の向上は、自分が見ていれば安心に行えるはずだ。
やり方はわからないが、昆虫型の強力な魔物を探して彼女と契約を結ばせるのも良いだろう。
自分はスースのように高等技術を伝授したり、人の持つ才能に見合った魔法の改変などという芸当は出来ない。自分に出来るのは戦うこと、そして戦いを見せることだけだ。彼女を一緒に戦わせ、自分の背中を通じてでも何かを教えてやりたい。彼はそんな風に考え、これからの予定を決めた。
そしてどうせ鍛えるのなら、ピリリ以外の人間達も同様に鍛えてやる方が良いだろう。バルパ同伴でドラゴンを数匹狩るだけでも、彼らのこれからの狩りはグッと楽になるはずだ。
自分はなるべくピリリにマンツーマンで教えたいから、普段は奴隷の三人とルル、ミーナに面倒を見てもらうことにしよう。もちろん無理強いは出来ないし、彼女らの自由意思に決断は委ねるつもりだ。だがバルパの思いを感じ取ってくれれば、彼女達ならば否やは言わないような気がしていた。恐らくここの魔物には物足りなさを感じることだろう彼女達も、なんらかの目標が有った方が良いだろうという思惑もある。
自分が何人かいれば良いのに、そう思い試しに無限収納に触れてみるが、自分を増やしてくれるアイテムは存在しなかった。
「これから半月飯を出すだけというのも暇だから、ここの奴等の根性を鍛え直してやろうと思う。そうすれば腹いっぱい飯が食えるようになる。そうなれば、より幸せに暮らせるはずだ」
「…………」
老婆は目を見開き、口を小さく開いた。呆けたような顔を崩さずにしばらくジッとしていると、急に身震いをしてから深く頭を下げた。
「ズルズ族の長として、感謝を……」
真面目な様子の老婆を見てどうするべきか悩んだが、その謝意を無下にはしたくなかったので腕を組み、鷹用に頷いておいた。
感謝などされる謂れはない、まだ彼女達の同意もとっていないのだから空手形も良いところだし、そもそも事の発端はピリリのことを考えたが故のことである。彼らのひもじい生活を見て少し手心を加えようという、言ってしまえば情けのようなものでしかない行動にそれほどの感謝をされるとどうにも決まりが悪かった。
どうせ半月しかない付き合いだ、だが逆に考えれば半月も一緒に共同生活をする相手となるという意味でもある。
どうなるかはわからないし、先行きは未だ不透明そのものである。だがせめて別れ際お互い今よりももう少しだけ笑みを深められればとそう思わずにはいられなかった。
バルパは兜に覆われた自分の兜をバシバシと叩きながら、こちらに向けて手を伸ばす老婆と握手を交わした。
ピリリが胡座の上で眠っているのがなんともしまらないが、そもそもカッチリした話というわけでもないのだしこれくらいが丁度良いだろう。
バルパは老婆が去り、朝焼けが皆を唸らせる時間がやって来るまでぼうっとしていた。
健やかな寝顔を晒すズルズ族の人間とミーナ達の寝顔をじっくりと見ながら、バルパはピリリの頭をそっと撫でた。今日からは忙しくなるぞ、とどこか嬉しそうな顔をしながら。




