変わってないようで
バルパが黙った背筋を伸ばしながら待機をしている最中、馬車の中ではピリリその小さな体を縮こまらせながら細かく震えていた。
「大丈夫ですよ、ピリリ」
ピリリの手のひらをそっと包み込むように、レイが手を握った。その手のひらの温かさを感じ、震えが小さくなっていく。
「う……うんっ‼」
彼女は一生懸命に真面目な顔をしながら、すっくと立ち上がった。その瞳に写るのは決意の色、そして決して譲るまいという覚悟である。
ウィリスとヴォーネ、そして奴隷の彼女達から少し距離を取って腰かけているミーナとルルはわかったようなわからないような顔をしてピリリの方を見つめていた。
彼女達はピリリの詳しい事情を事細かには聞いていない、精々がスースから彼女の体の入れ墨については絶対に他人に話してはいけないと言い聞かされた程度のものだった。
ピリリの事情を全て知っているのは、スースとレイだけである。
周囲の者達からの後で話を聞かせろという視線を軽く受け流しながら、レイは内心で嘆息する。
(私が話を聞くことになったのだって、理由があるっていうのに。他人の気も知らないで不躾な人達ですね)
レイとしても話を聞く気などなかったのだ。もちろん彼女にとってピリリという人間はそこそこ長い時間行動を共にしていた旅の仲間であり、同士であり、そしてどこか見守っていたくなる妹のような存在ではある。だがそれは秘密の一切合切を共有しなければいけない理由になどならないし、お互いある一定の距離は保っておいた方がいざという時にも都合が良い。
だというのにピリリは、そんな大人の事情というか、言ってしまえばレイが引いていた過干渉のラインを飛び越してその全てを自分にぶちまけてしまった。
下手に聞いて自分が巻き込まれるのを嫌がった彼女としては迷惑であり、そして迷惑をかけてくるという行為自体がほんの少しだけ嬉しくもあった。
だがその理由を理解してしまえば、彼女としてもうーんと口をヘの字に曲げざるを得なかった。
(そんなにバルパさんが良いんですかね、およよ)
涙なぞ一滴も流していないし、もっと言えば泣く素振りすら見せていないにもかかわらず形而上の袖でありもしない涙を吹く天使の少女。
事情を聞いている最中、ねぇねぇバルパに嫌われないかなぁ、大丈夫かなぁと泣きそうな顔をして言っているのを見れば、理由なぞ聞くまでもなかった。
女の友情、というか最早家族的な関係ですらある感情を超越した関係であるはずの二人の関係はぽっと出の男への思慕に簡単に敗北を喫してしまった。ぽっと出というには少しばかり出方が強烈だったような気はしないでもないが、それでもレイは自分になついていた少女が大人になり、どこか遠くへ行ってしまうような感覚を味わっていた。
(もし自分の娘が嫁ぐんだとしたら、こんな感じなのかもしれません)
レイは時々振り返って自分の方を見上げてくるピリリへとエールを送りながらそんなことを考えた。
ピリリが馬車を出てゆっくりと歩いてくるのを、バルパはじっと見つめていた。
はてさて彼女の元気がない原因は一体なんなのだろうと考えながら、いやに重装備な彼女の方に目をやる。手首まである伸縮性の高いタイツのような服の上に手袋をつけ、更にその上にローブを羽織っている。手には手袋をつけており、些か厚着が過ぎるに思える。
もしや未だはっきりとしていない多重起動や複数の魔力反応の原因が彼女が再会してからどこか元気のない理由なのだろうか? たとえどんな理由であれ、俺が態度を変えることはない。そう伝われば良いなと考えながら、下を向いてモジモジとしているピリリの頭をゆっくりと撫でる。
彼女が顔を上げると、久方ぶりにじっくりとその顔を見て確認することが出来た。
体格は変わらないように思えるが、顔の輪郭は少し大きくなったように思える。きっと満足に食事を摂ることが出来るようになったからだろう。以前が痩せすぎだったのだからこれは良い傾向に違いない、腕にこもる力が自然少し強まった。
「い、いたいよー」
「む、すまん」
「む、ゆるす、むむっ」
バルパの口調を大仰に真似するピリリ、その顔色が少しだけ明るくなったような気がするのは果たして彼の気のせいだろうか。
どうせならもう少し構ってやるべきだったかもしれないな、とそんなことを考える。しっかり急ぎ、かつしっかりと話をしよう。そんな無理難題を成し遂げる気満々のバルパを見て、ピリリがにへらっと笑う。だがその笑顔はすぐにシュンとしたしょんぼり顔に変わってしまう。それを見てバルパも少しだけしょんぼりした。
「あ、あのねー……」
「ああ、なんだ」
「そ、そのねー……」
「ああ」
「……」
逡巡するピリリを急かすことはせずに、じっと彼女の言葉を待つバルパ。せめて少しでも話しやすいようにと頭から手を離してやると、彼女はイヤイヤと首を振った。
以前よりも少し甘えたがりになっているような気がするピリリの心の用意が出来るまで、バルパはずっと頭を撫でてやることにした。




