ルルの憂鬱 2
どうしてバルパさんがここにいるのだろう、彼はそもそも自分を鍛えるために魔物の領域に入ったのではなかったのか。
ルルは駆けながら、自分が偽の情報を掴まされたのか、もしくは情報自体が錯綜しているのだろうとあたりをつけた。だがそんなことはどうでも良いと彼女は走った、周囲の目などこの段階に至ってはまったく気になどならなかった。
再会しバルパと話を行おうとした瞬間、ルルの体の中に冷たい線のようなものが入った。魔物と仲良くしようとしている自分への叱責か、彼女は明らかな体の変調を感じ取っていた。ルルは自分を襲うその理由のわからない悪寒のようなものを意思の力で無理矢理抑え込んだ。
彼は自分にとって大切な人であり、出会い方こそ普通ではなかったがそれを補ってあまりあるだけのものを与えてくれた人だ。ルルにとってバルパはあくまでも人であり、魔物ではなかった。人と魔物の違いなんて、実は本当に些細なものなのかもしれない。彼女はそう自分に言い聞かせながら体の震えを強引に奥底へと沈めていく。
ようやくまともに話せるようになってから、ルルはバルパから話を聞くことにした。
実際自分が集めていた情報と現在のそれにすら齟齬が生じているのだから、今自分が持っている情報の信憑性など限りなく低いだろう。バルパの言葉に時に質問を挟み、時に確認で話を遮りながら聞いてみると、事態は自分が想像していたよりも複雑な様相を呈していることがわかった。
どうやら自分が知らぬうちに、状況は二転三転を繰り返していたらしい。ずっとリンプフェルトに滞在していたと思われていたスース達は既にリンプフェルトを出て魔物の領域へと赴いており、ミーナとバルパは既に二人で別の場所へ出掛けていたらしかった。
元々バルパと会うよりも先に彼らと面識を持つつもりはなかったし、そこまで詳しく逐一情報を知ろうとはしていなかったが、それでも情報収集に全くひっかからないというのはひどく奇妙なことに彼女には思えた。
そんな情報は露ほども聞かなかったし、ミーナはスースのもとで修行しているとばかり思っていたが、どうやら偽の情報があたりに撒かれているようだった。何か一つ些細な行動を取るだけで井戸端会議の議題に上がるような一流の人間なのだ、ある程度の情報欺瞞は当然だろう。噂に聞いていたよりも、ヴァンスという男は強かなようだった。もしかしたら妻のスースがそういった方面の担当なのかもしれないが、実際問題どちらでも構わない。
彼女の脳内を埋め尽くすのは、話を聞いて理解が深まってきた彼の同行者、ミーナの浅慮さである。
彼女はバルパに足がつく可能性を考えながら、強引な形で旅のお伴を志願した。彼女はバルパの正体が看破される危険を理解した上で、全くの外様の人間に自分と彼との関係の修復を依頼した。彼女はバルパが殺される可能性を考慮に入れた上で、彼にヴァンスという英雄をけしかけた。
バルパの正体がバレないように腐心し、気付けば同業者に背撃を加えていた自分とは大違いだ。自分はきっと、彼と別れる段になっても強引に後を追おうとはしなかっただろう……多分。
なんにせよ、彼の命よりも自分と彼との関係性を重要視するなどということは考えられないことだった。死んでしまえばそれまでだというのに、どうしてそれだけ短慮に軽挙妄動を行うことが可能なのだろうか。
バルパから聞いた話は、ルルの怒りを極限にまで高める結果となった。
彼が魔物の領域で悠々と行動出来るだけの実力を獲得しにヴァンスにどこかへ連れていかれるらしいと聞き、ミーナの居場所と奴隷娘達の居場所、そしてスース達の場所を聞いておくことにした。
奴隷達は奴隷商店に、ミーナは宿に、スース達は未だ魔物の領域にいるらしかった。
ルルは去っていくバルパを見つめ、次にどうするべきかを決めた。
ミーナに一言言わねばなるまい、と。
それから彼女の止まる祝福の宿り木亭という宿へ入り、とりあえず自分の感情をぶつけた。何を言ったのかは完全にプッツンしていたためにあまり覚えてはいなかったが、とにかく彼女の心を折ることに成功したことだけは覚えていた。
ルルはとりあえずこれ以上彼が煩わされる可能性は大きく減っただろうと上機嫌で部屋を出ていった。
そして自分が泊まっている宿へ帰り、これからのことを考える。
今までバルパに会うことバルパと会って話すことを優先しすぎたあまり、その他のことを疎かにし過ぎていた。酒場の情報を鵜呑みにするなんて普段の自分では考えられなかった。バルパが嘘を言っているとは思わないが、彼が知っているものと事実が違うという可能性もゼロではない。
今自分がすべきことはスースを探すこと、そして出来れば彼女と話をしてミーナのことを諦めてもらうように説得することだ。彼女はバルパの隣にいるのにふさわしくない。それだけの実力があるわけでもないのに、分不相応な師匠までついている。
まずは情報の精査をして、それからスースと会い、ミーナとバルパの話をし、ついでに少しばかり彼女から聖魔法の手ほどきでも受けられたら最高だ。
そう考えながらルルは情報屋や衛兵達を頼り、彼らからあの手この手で情報を聞き出し、ようやくスースがいないことを確信するだけの根拠を手に入れることが出来た。
それならばあと自分に出来ることは、ルルが帰ってきたその瞬間に彼女にアポイントを取ることだ。
ルルは東門で張り込んだ。そして数日ののちに彼女とその同行者である『紅』の姿を発見し、話をすることが出来た。
スースは少し笑いながらルルを弟子にしてやると言い、そして次に会う場所と日時を伝えると颯爽と去っていってしまった。ミーナに関しての話はあまり突っ込むことは出来なかったが、それでもかなり上々な結果が得られただろうと一人納得するルル。
期日の日までには数日の猶予が会ったので、ルルは一度奴隷達と会っておくか迷い……結局止めておいた。
奴隷と仲を深める時間を、自分はバルパと共に戦うための訓練に当てなくてはならない。そうしなければ置いていかれてしまう、それだけは絶対に嫌だ。
奴隷を守れるだけの防御用魔法の展開を完璧にしておけば、とりあえずは必要な人手足りうることが出来るだろう。ルルはただひたすらに聖魔法サンクチュアリの展開の練習を続けた。
そしてスースとの約束の当日、彼女と待ち合わせをした場所には見慣れぬ女子が四人と、見たくもない女子が一人いた。
「よぉ、元気?」
「なんで…………なんであなたがいるんですかっ⁉」
ルルの声を聞いて彼女が見たくもなかった少女……ミーナが笑った。その笑顔があまりにも小憎たらしかったために、ルルの眉間にピクリと筋が浮き出た。




