ルルの憂鬱 1
ルルがリンプフェルトの街にやって来るまでには、様々な面倒ごとがあった。女の一人旅というものにはとかく危険が付き物だ。世間一般からすれば美人にカテゴライズされる彼女は、自分の身を守りつつリンプフェルトへと向かわなくてはならなかったのである。
ルル自体攻撃用の魔法はほとんど覚えておらず専ら防御と回復に絞って練習を重ねていたため、街へ向かうには自分を襲わないと自信をもって言えるような冒険者を伴わねば厳しいものがある。バルパと一緒にいたせいでどうにも感覚が狂っていたが、魔力感知というものが無い限りは街から街への移動すら命の危険を伴うものなのだ。彼女は再びバルパと会えることを夢見ながら、リンプフェルトで一旗揚げようと意気込んでいる新人パーティーの『濡烏』に随行して街道を進んでいった。盗賊や魔物避けの石材を抜けてくるような強力な魔物へ警戒をする必要があるため、旅路には一週間ほどの期間がかかった。
その一週間の間、ルルとしてはなるべく彼らと関係を深めないように気を付けていたつもりだったのだが、リンプフェルトの街が近づいてくるのが見えてくるとパーティーのリーダーをしている男が執拗にルルを誘うようになった。それは勿論パーティーにでもあり、そして閨についても。
面倒だったルルはもう一人でも問題ないとわかるほどに街に近付いてから、愛想笑いを消して男に現実を叩きつけてやることにした。
今までと異なった種類の微笑を浮かべるルルを見て、男は最初の数分は興奮し、数分後には泣き顔になって項垂れた。彼のことが好きなのがアリアリと見てとれて、旅の途中から明らかにルルに厳しく当たっていた女魔法使いにそっと耳打ちをしてからパーティーを抜け、彼女はリンプフェルトへと辿り着いたのだ。
『暁』を抜けてまでこの街にやって来たのは勿論、自分の罪を被りミルドを出ていってしまったバルパを追い掛けるためだった。彼の抱える秘密の大きさと、彼の常識のなさを心配し、そして世話を焼いてあげたいという気持ちを抱えながらもルルの気持ちは複雑だった。
彼女はバルパを好いている、それが男女間の好意というには歪なものであることも理解した上で好いている。だが好きであるのと同時、その気持ちに負けず劣らずバルパのことを殺さなければいけないと感じている自分がいるのだ。ゴブリンは魔物、つまり人類の敵だ。敵は殺さなければいけない、ルルの奥底で燻っている何かがバルパを受け入れることを拒否していた。
ものぐさシスターであることを自覚している自分にも、星光教の教えが深く根付いていたのかもしれない。ルルは不可解な自分の内心に折り合いをつけながらもバルパを探した。
だが実際探すまでもなく、彼の居場所はすぐにわかった。そして同時に彼を取り巻く環境が一変してしまっていることも、また。
『無限刃』のヴァンスの名を知らない人はいない、まだ碌に言葉を話せないような年頃の子供達でも彼の名は知っている。曰く勇者相手に黒星と白星を同じくしている世界にただ一人の男。万の魔物を一撃で皆殺しにした一人で軍隊を超える戦闘力を持つ修羅。それだけを聞くとただの化け物にしか聞こえないのだが、彼が人間から決して嫌われていないのはどんな噂も最後にはこう締め括られるからである。だがヴァンスは凄まじい女好きのくせに奥さんの尻に敷かれている。結局の所一番強いのはお嫁さんなのである、と。
戦闘記録を見る限り流石に本当だとは思えないほどにその内容はデタラメだが、実績を王に評され戦勝パレードで勇者相手に対等に殴り合いをしているのを見ればそれも事実なのではないかと思えてくる。強いのだがどこか抜けている。常人には不可能なことが出来る癖に嫁のスースには頭のあがらないよく分からない男。ヴァンスの周囲からの評価は概ね好評であり、彼が魔物との戦争に基本的に消極的である事実を差っ引いても基本的には好ましく思われていた。
それほどの実力があり、王からの信任も厚い人間を周りが放っておくはずもない。彼には常に弟子志望の貴族の子弟が集まり、そしてその度に顔の形をグチャグチャに変えて送り返された。これ以上俺の邪魔するなら魔物側にたって皆殺しにしちゃうぞと王を脅し、強引に弟子入り志願者達を打ち切ったというのが事実なのかどうかはわからないが、なんにせよ彼は今までに二人しか弟子を取っていないはずだった。
しかしリンプフェルトの街では誰もが、ヴァンスにバルパという新しい弟子が出来たと口にしている。なんでも全身を鎧で覆っていてその一切が謎に包まれている性別すら不詳の逸材らしい。
その人を他人の空似とか同姓同名の別人と考えるほどに、ルルは天然ではない。どういう経緯を辿ればヴァンスの弟子になるなどという芸当が可能なのかはわからなかったが、まぁあのバルパさんならやりかねないというのが彼女の正直な思いだった。
そしてバルパの行方を探してみれば、どうやら魔物の領域の奥深くにヴァンスと一緒になって潜っているらしいことがわかる。その後すぐにヴァンスは帰ってきたらしいから一緒になってというのは間違いかもしれないが、とにかくバルパは既にリンプフェルトにはいないらしい。
ヴァンスと違い空を飛べる訳でもないし、バルパのように感知能力で戦闘を最小限に抑えられる訳でもない。
ヴァンス達も騎士団の人間と一緒にどこかへ行っていてその足取りは追えなかった。ルルは手がかりを手に入れ、あと一歩で再会が出来るというところで足踏みを迫られた。
することもないので聖魔法の訓練をしながら情報を集めていると、どうやらバルパに同行者がいるらしいことがわかる。その背丈と男っぽい口調という手がかりだけで、彼女がミルドの街から姿を消した少女ミーナであることがルルには確信できた。
彼女が姿を消したことはさほど不審がられてはいなかったが、ルルはミーナがバルパと同行している可能性は高いと踏んでいた。その予想は的中し、なんとミーナはスースの弟子となって魔法を教えてもらっているらしい。
ヴァンスの功績に隠れてはいるが、スースは王立魔法学院の校長が足を舐めるクラスの魔法の達人である。実践だけでなく魔法理論や、亜人種の使う魔法の亜種についても造詣が深く、恐らく見た目通りの年ではないだろうという噂が囁かれる程度にはその知識量が多い。
そんな人間にただの孤児風情が教えを受けている、それも恐らくはバルパのコネで。長い時間拘束され好きでもない人間に愛を伝えられ、かと思えば会いたい人にすら会えていないというのにこの差はなんだ。しかも恥も外聞もなくバルパの縁故で一流の教師までつけてもらって。半分ほどは八つ当たりであったが、ルルはまだ見たこともないミーナへのヘイトを溜めた。
自分がバルパさんと離れ離れになっている間、ずっと二人で……と考えると腸が煮えくり返る。そこの座は私のものだ。少なくとも大して魔法も使えず、何らかの稀少価値もないような小娘がいて良い場所ではない。
ルルはバルパが魔物の領域から帰ってくるのを一日千秋の思いで待ちながら、いやに長い一日一日を過ごしていた。その後ヴァンスやスースが戻ってきたことは聞いていたが、バルパに会う前に下手なことをして印象を下げたくなかったので一人で彼らのもとを訪ねることはしなかった。
そして毎日東門の付近で魔法の練習がてら様子を確認するようになった。今か今かと待ちわびながら数週間ほど時間が経つと、ようやくバルパの姿を見つけることが出来た。ヴァンスに抱えられリンプフェルトの街を見下ろしているその姿。鎧が変わっても、装身具が変わっていても見間違えるはずがない。
バルパさんだ、あれは……バルパさんだっ‼
ルルは一心不乱に駆け、息も絶え絶えヴァンスの後を追っていった。




