ぶっつけ本番
バルパはドラゴンに見つかる危険性も承知の上でスレイブニルの靴を起動し空を駆ける。先ほどまで自分の頭の上で揺れていた枝葉が視界の下の方でグングンと小さくなっていく、魔力感知で察するにあと二百歩ほどの距離にドラゴンがいる、その魔力量から考えると良くてエレメントドラゴン、間違ってもネームドということはないだろう。
今の自分であれば問題なく倒せる敵ではあるとバルパは空から戦況を確認しようとしたが、そこに広がる光景からはドラゴンという生物が畏怖をもって語られるのも頷けるだけの実力差があった。
ドラゴンの色は赤、見たことのあるものと特徴が一致しているためおそらくはレッドドラゴンだろう。赤竜は上空で高度を維持しながら地面に横転している馬車へブレス攻撃を加えていた。
馬車などというものをこんな悪路で使うなど気が狂っているとしか思えないが、どうやら馬車自体が魔法の品であるらしく、中からは明らかに積載量を超える物量の物品がこぼれだしている。魔法の品である魔物の素材、魔法の武具、そして……黒い首輪を付けた一人の少女。俯せになって横たわっている彼女の背中には真っ白な羽が生えているのが見えた。彼女は意識を失っているのか空にドラゴンがいるにもかかわらず体を起こす様子はない、ただ魔力感知で死んではいないことは確認が出来ている。バルパは空を降下しながら駆けて生きている少女目掛けて走り出した。その最中に今彼女達が陥っているであろう事態の確認を行っていく。
横転した馬車の横には二人の人間の死体が転がっていた。一人は明らかに肥太った男で、もう一人は金属の胸当てをつけた男だった。太っている男はおそらく商人か何かなのだろう、だとすれば死んでいる軽装の男はその護衛と見るのが妥当だろうか。
二人とも胸に竜の一撃をもらったらしく胸部に何かに引っ掛かれたかのような跡と背中まで通っている大きな穴が見える、まともに竜の一撃を耐えられるような装備でないのは明らかなのだからそれも当然に思える。
二人の死体の横には地面に幾つか人型の黒ずみがあった。ブレス攻撃を受け炭になり風に流された冒険者の末路だろうか、自分の推測が正解かどうかは流石に判別がつかなかったが今彼女達が置かれているであろう状況が宜しくないことだけは確かだ。明らかに馬車を守るための人材である冒険者は死んでおり、馬車の持ち主らしき人間も既にこの世にいない。そこそこの魔力があるらしい羽根の生えた女は意識を失っていて、空にはいつでも攻撃を加えられるドラゴンが待機している。
バルパの魔力感知に反応している生物は倒れている少女とドラゴンを除いてあと二体と一人、そしてその人間に重なるようにある二十以上の反応。その全てが馬車の中にある、おそらくあの謎の反応の人間と二体の魔物は非戦闘要員なのだろう。
レッドドラゴンが光の矢を三本ほど出して馬車の側面に当てた、すると横転していた馬車がさらにひっくり返る。
「わぁっ‼」
間抜けな声を出しながら女が一人外へ出てきた、魔力感知で確認したいくつもの魔力を持つ反応の人間だ。
ピッチリとした半袖のシャツに半ズボンというボーイッシュな出で立ちからすると男かもしれないが、声が高かったし多分女だろう。服で隠れていない地肌の部分からは肌に何か書き込みのようなものをしているのが見えた。赤と青の線をまるで刺繍のように全身に入れていて、白い肌の上に派手な色合いが映えている。
少女はグルグルと回転しながらも視線を上げドラゴンの方を見据えている、彼女の腕と腹のあたりに魔法発動の兆候が表れるのがわかった。
既にバルパは倒れている少女と魔法を使おうとしている少女まであと五十歩ほどの距離にまで近付いている。バルパはドラゴンの動きに合わせて彼女達の頭上に緑砲女王を投げ込む用意をしながら状況の推移を見守る。
「やあぁ~‼」
気の抜けるような声を出しながら少女が魔法を発動する。右腕から炎を、左腕から氷を、そして腹からは雷の魔法が展開される。無詠唱の三重起動、間違いなくバルパやミーナより練達の魔法使いだ。行使までの時間が一呼吸ほどかかったのも多重発動のためならば頷ける。三つ同時に発動された魔法がドラゴン目掛けて飛来する。レッドドラゴンはその三連撃を、それほど勢いをつけていないはずの尻尾の一撃で一瞬のうちに霧散させた。
どうやら一つ一つの威力は大してないらしい、それなら一つに全魔力を注ぎ込むべきだろうとバルパは無駄な曲芸を見たような微妙な気分になった。
ドラゴンは竜言語魔法を使い、今度は三本の炎の矢を打ち出した。そのうちの一本が三重起動の少女に、残り二本が車輪が空転し続けている馬車に当たる。
体に奇妙な模様を入れている女が腹に一撃を食らい、思いきり横に吹き飛んだ。その姿を正面から見たことでバルパは誇張抜きで一瞬息をするのを忘れた。
その首には黒い首輪が繋がれていた、今までは戦闘と魔法に気を取られていたため気付いていなかったものに改めて意識を向ける。
ということはあの三重起動の少女は奴隷、だとすればあの死んでいる太った男がその持ち主だったのだろう。今は見えていないが羽根の生えた少女の首にも、そして馬車の中で転がっているであろう二体の魔物にもその呪いの首輪は装着されているはずだ。
だが今は奴隷の是非を考えるべき場面ではない、本当にヤバい一撃が来るかどうかをしっかりと見極めるべき場面だ。
バルパが少女への一撃に対して緑砲女王を放たなかったのは、投擲のタイミングを間違えないように熟慮した結果のことだった。少なくとも魔法の三重起動が出来る魔法使いが、あの程度の威力の火矢一撃で死ぬことはない。それならば恐らくレッドドラゴン最強の一撃であるブレス攻撃か、全力で放たれる竜言語魔法が来るまでは使うべきではないと判断したのだ。
だがバルパが羽根の生えた少女のすぐ近くに近付いても、レッドドラゴンはトドメを刺そうという様子が微塵も見受けられなかった。
バルパはこの半月ほどここにいるドラゴンを観察して彼らには嗜虐心のようなものがあることを理解している。彼らは一気にトドメを刺さず、しっかりと彼女たちを弱らせて痛ぶってから殺そうとしているのだ。命をかけた戦闘という行為において特に大層な理由もなく手抜きをしようとするドラゴンをバルパは嫌っていたが、今ばかりはその人を舐め腐ったような性根でいてくれて助かったと素直に思える。
羽根の少女の腹を抱え、くるりと上体をひっくり返した。首元にある黒い物体からは努めて目を背けながら少女の容態を確認する。
「…………」
目を瞑り、苦しそうな顔をしてはいるが命に別状はなさそうだ。大きな怪我をしているわけでもなく、何か特段目につくような異常があるわけでもない。
バルパは彼女を右の脇に抱え、そのまま真っ直ぐ駆けた。そして向かいの木の幹に激突し意識を失っているらしい三重起動の少女の方へ向かおうとする。しかしバルパは急制動し、スレイブニルの靴で無理矢理バックに方向転換をしてからギロリと空をにらんだ。そこには彼道筋を阻むかのような軌道で光の矢を放ってきたドラゴンの姿が見えている。
竜は新たな闖入者が少女達を助けようとしているのがいたく気に入らないようで、しきりに妙ちきりんな声をあげている。まるでそれは俺の獲物だ、勝手に触れるなと警告をしているようにも思えた。
どうやら二人を安全圏に置くことは出来そうにないとわかったため、バルパは羽根の生えた少女をそっと地面に置き、改めてドラゴンと向かい合う。
レッドドラゴンは相も変わらず悠々自適に空を飛び、バルパにはほとんど注意を向けている様子は見受けられない。あくまで竜が見ているものは倒れている女二人と、横転し中身をぶちまけている馬車だけだ。おそらくバルパのことなど自分の獲物をかっさらおうとした愚かな雑魚という風にしか見ていないのだろう。
「……丁度良い」
バルパは自分が溜め込んでいたフラストレーションの全てを、目の前のドラゴンにぶちまけてやることに決めた。丁度良い予行演習だ、今標的にされている彼女達をみすみす殺させるつもりはないが、今自分が人を守りながらドラゴンを相手に戦えるかどうかこの一戦ではっきりすることだろう。
「地を這いずらせてやる、クソ蜥蜴」
バルパは獣のような雄叫びをあげながら、ドラゴンに真っ正面から突っ込んで行った。




